随筆 我らの勝利の大道 16 10/06/08

◆「地区」こそ創価家族の広布城(下)

「不屈」の祈りと行動で躍進の波を

さあ戦いは「これから」だ

 晴れやかに
  若き生命は
   無限なる
  希望と勝利の
    躍動光りて

 「地区活動に重点」――五十年前、私が第三代会長に就任して一カ月後、六月三日付の「聖教新聞」一面に躍った見出しである。 「地区」こそ、広宣流布の基盤であるからだ。

幸福勝利の責任者

 この年(昭和三十五年)の十月、私が世界広宣流布の大航路に躍り出た時も、新たな前進の起点は、やはり「地区」に置いた。 最初に訪問したハワイで、同行幹部が驚くなか、私は海外初の地区の結成を宣言したのである。 初代地区部長は、日系二世のハリー・ヒラマさんであった。誰よりも同志を愛し、大切にする、皆から好かれるリーダーであった。 「あなたが敗れれば、私が敗れたことです。責任は、すべて私が取ります。力の限り、存分に戦ってください!」 私の熱誠に、彼は燃える闘志で応えてくれた。彼の誠実な姿は、今も鮮やかに脳裏に刻まれている。 実は、ヒラマさんは父親の郷里・宮城県で信心を始めた。世界広布「第一号」の地区部長は、堅忍不抜なる東北ゆかりの友であったのだ。 ともあれ、最前線の地区部長、地区婦人部長こそ、同志の幸福責任者であり、広布の勝利責任者だ。私と一体不二である地涌の闘士が、負けるはずなど絶対にないのだ。 ゆえに、私は訴えたい。 一切は「これから」だ。 決然と一人立て! 一進一退に見えても、断じて怯むな! 勇んで眼前の壁に挑め! そこに、正義と勇気の連帯は二陣、三陣と必ず続いていくのだ。 地区部長・地区婦人部長には新任の方もいれば、ベテランの方もおられる。 それぞれ、新進気鋭の心意気と勢いで、また、粘り強い執念と智慧の戦いで、皆を絶対の勝利へと導いていただきたい。

皆で力を合わせて

 「セーブ・ザ・ランド・ハランベー(皆で力を合わせて大地を守ろう)」 私たちが幾重にも交流を重ねているケニアの環境の母ワンガリ・マータイ博士は、ご自身が起こした運動を、こう命名された。 そのマータイ博士が私に贈ってくださった自叙伝(『UNBOWED〈不屈〉』)には、運動のご苦労が詳細に綴られている。 一九七七年、六月五日の「世界環境デー」。ナイロビ郊外の公園に、七本の木が植えられた。十九世紀後半から二十世紀前半にかけて、地域に貢献した指導者七人を称えるもので、マータイ博士の提唱した植樹運動「グリーンベルト運動」の始まりとなった。 だが、この運動をケニア全土に広めようとした時、壁にぶつかった。 ある地域に、苗木に注ぐ水を運ぶために、ロバを二頭贈った。ところがマータイ博士たちが土地を去ると、プロジェクトはたちまち行き詰まってしまったというのである。 その土地の人びとは昔から、ロバはもっぱら家財道具の運搬に用いてきた習慣があり、住民感情として、?ロバに水を運ばせること?が納得できなかったのだ。 この経験から、マータイ博士は、運動を続けるための教訓を得た。 地元の人たちの主体性、責任感。そして地域社会との連携を大切にすること。 すなわち、地域に根差し、地域に即した智慧を出しながら、?わが地域は我らの手で変革を!?との気概に燃えて、運動を進められるようにすることである。 その後、あの村にも、この街にも、女性を中心とした民衆の手で、一本また一本と希望の苗木が植えられ、その数は、ついに三千万本を超えた。 幾多の困難や挫折を乗り越え、グリーンベルト運動は他のアフリカ諸国へも広がり、地球規模の大きな環境保護のうねりを生み出したのである。 マータイ博士の半生は波瀾万丈である。いわれなき非難中傷も迫書もあった。無実の罪で逮捕・投獄されたことさえあった。だが、その希望と信念は断固として「不屈」であった。

創価の母に感謝!

 誰が何と言おうと正義を叫び、地域のため、社会のために、自ら行動を起こし、為すべきことを為す。その一滴から大河が生まれ、やがて社会を変えるような大きな潮流が生まれていくのだ。 私どもの平和と文化と教育の大運動にあって、尊き源の一滴は何か。 それこそ、誰よりも地域を愛し、人びとのために奮闘してくださっている女性リーダーたる地区婦人部長の皆様であり、創価の母・婦人部の皆様方であると、私は心から讃嘆と感謝を捧げたいのである。

広布は我らの手で

 時来る
  君が舞台の
    勇気かな

 日蓮大聖人は、地域の柱となっている在家の門下に、「其の国の仏法は貴辺にまか、(任)せたてまつり候ぞ」(御書一四六七ページ)と、最大に激励なされた。この一節を生命に刻み、「我らが祖国の平和と幸福を築くのだ!」と、SGI(創価学会インタナショナル)の地涌の同志が、各国で大活躍しておられる。 現在、私がてい談を進めている、世界的ジャズ奏者のハービー・ハンコックさんも、ウェイン・ショーターさんも、長年にわたって、地区部長、地区幹事を務めてこられた。 私たちの語らいでは、いかに人間一人ひとりに光を当て、目覚めさせていくかが肝要だと、確認し合った。すべては一人の深き自覚から始まるというのが、人間革命の原理であるからだ。 今を大切に!目の前の一人を大切に!――ショーターさんは、敬愛するジャズの巨匠アート・ブレイキーを引き合いに、印象深い話をしてくださった。 「彼だったら、きっと、こう言うでしょう。 ?もし聴衆がたった一人でも、投げやりな演奏や手抜きの演奏などをしてはいけない。あたかも、それが自身の最後の演奏であるかのように、その一人のために演奏するのだ?と」 日本の私たちも「其の国の仏法」――わが地域の広宣流布は、我らの手で!と勇んで立ち上がろう。 地域に尽くす!地域の人びとのために戦う! 人間関係が希薄な昨今、一人ひとりと心が通い、金剛の絆を結ぶ地区こそ、まさに?勝利の要?なのだ。 古代ギリシャの劇作家メナンドロスは歌った。 「立派な人がまた立派な人たちをつくる」 「立派な人が栄える、これこそ公共の利益である」 わが地域に立派な人材を育て、伸ばし、連帯し、厳然と勝利の実証を示す。 広宣流布の力強い伸展がここにある。

共に誓いの握手を

 それは四十五年前(昭和四十年)の一月であった。 九州、大阪を回っていた私は、悪戦苦闘する同志の報告を聞き、急きょ山光・烏取の天地に飛んだ。 米子の会館で地区部長会に出席し、全精魂を注いで励ましたあと、記念写真に納まり、さらに一人ひとりと握手を交わしていった。 「私と一緒に頑張りましょう!」「地区の皆さんによろしく!」「若々しく、力の限り戦おう!」 握手のたびに皆の口元が引き締まり、握る手に力が入った。鳥取と島根から集った百七十人との握手が終わった時、さすがに私の手は真っ赤に腫れて、痺れた。だが、広宣流布に働く最も尊い方々の手の温もりに、私の心は熱く燃えた。 できうるならば、全国の地区の柱として立つ、壮年・婦人・男子・女子・学生の中心者の方々全員と握手をして、励ましたい。 しかし、それは、時間的にも次第に困難になっていった。そこで智慧を絞り、せめてもの思いで発案したのが、記念撮影会であった。この年から何年にもわたり、全国各地を訪問する先々で、地区の偉大な指導者の方々と記念撮影を重ねていったのである。 私は今も、妻と共に、毎日毎日、広布の道を切り開いてくださる地区のリーダーの皆様方と、固く誓いの握手を交わす思いで、栄光勝利を祈り続けている。

皆が主役の人材城

 地区には、壮年も婦人もいる。男女青年も、未来部もいる。太陽会(敢闘会)、多宝会(宝寿会・錦宝会)の先輩方もかくしゃくと活躍されている。 まさに創価家族の縮図が地区である。 そして地区には、誰よりも早く、正義と希望の聖教新聞を携え、配達してくださる無冠の友をはじめ、多士済々の人材がいる。 ブロック長、白ゆり長の皆様も、地区幹事、地区副婦人部長をはじめ副役職の皆様も、婦人部のグループ長の皆様も、そして地区の勝利を支える担当幹部の皆様も、頼もしい限りだ。 さらに、新聞長、統監部長、教宣部長、未来部担当者、文化長(ビデオ・書籍担当)、民音担当者……。また、地区の大発展のため、座談会責任者や弘教長など、独自の取り組みを行っているところもある。 地区を愛する皆の心が、異体同心で結合して、地区を支え、最高の勝利の力を生む。学会の?最前線?である地区では、全員が主役なのだ。 恩師は、地区を担うリーダーに心から期待された。 「諸君は、わが学会の大幹部であって、学会の目的遂行は一に諸君にかかっている」「おのが地区の会員を子のごとく愛し、慈悲をもって指導し、おのおのに功徳を体験させるように」 我らは、明るく楽しく、朗らかに、勝利へと躍進する誉れの創価家族だ。 親切な包容力で、地区の全員が、伸び伸びと信仰を貫いていける?名指揮?をお願いしたい。 「創価」即「地区」であり、「地区」即「学会」である。地区が意気軒昂で、師弟の精神が脈動していくならば、必ず正義の拡大の波動は大きく広がる。 大聖人は、広宣流布の大事な戦いに臨む門下に仰せになられた。 「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(御書一四五一ページ) 全宇宙の仏天を揺り動かして、正義の我らは断固として勝っていくのだ。 わが地区の全同志が、生き生きと「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」を発揮して、使命に燃え立つ勇気と希望の前進を!
 そのために、地区部長・地区婦人部長を中心に、麗しき団結を! 誉れある我らの地区よ、「大山」の如く、威風堂々たれ!そして、「大桜」の如く、功徳満開の花が咲き誇る万歳を!

 勇敢に
  断固と指揮執れ
     勝ちまくれ