随筆 我らの勝利の大道 13 10/05/22




――勇気あるところ太陽は輝く!――



麗しき「白ゆりのスクラム」で前進



――尊き「母桜」よ勝利勝利と咲き薫れ――



人民の母は誠実一路で〝結んだ友情は終生大切に〝



 初めに、このたびの口蹄疫の甚大なる被害に際し、被害地域の皆様方に心から

お見舞いを申し上げたい。

 一日も早い終息を祈り、私も妻も朝な夕な、真剣に題目を送り続けています。



日向は太陽の宝土



 大好きな大好きな宮崎は、その名も「日向」すなわち「太陽の宝土」である。

 太陽は何ものにも侵されない。いかなる闇も必ず打ち破り、万物を蘇らせる。

妙法という「絶対勝利の太陽」を持った地涌の菩薩が、断じて負けるわけがない。



 宮崎の

  友に幸あれ

   強くあれ

  この世の人生

    断固勝利を



 かつて、日向の同志に謹んで贈った一首である。

 尊き皆様方の「変毒為薬」の勝鬨の轟く日を、深く深く祈念してやまない。



     ◇



 「一身一念法界に遍し」(御書二四七ページ等)

 これは、中国の妙楽大師の不滅の金言である。

 わが一念には、広大な宇宙をも包む広がりがある。

 この生命を振り絞っての正法正義の祈りは、諸天も動かさずにはおかない。

 「教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべ

き」(同一一八七ページ)と、日蓮大聖人は一人の母に教えられた。

 私たちが真剣に祈って、語りゆく言葉が、友の心に響かないわけがない。

 ゆえに、大きな大きな心で友情を育みゆくことだ。一つ一つの出会いを大切に、

確信の対話を勇気凛々と広げゆくことだ。

 そのすべてが仏縁となって光る。ここに平和創造の道があり、幸福勝利の道が

ある。



     ◇



 悠然と

  今日も生き抜け

    人生の

  達人我なり

    何も恐れず



 それは、三十年前(一九八○年)の春であった。

 五度目の訪中を果たした私と妻は、北京の中南海にある故・周恩来総理が暮ら

されたご自宅にお招きをいただいた。

 夫人の穎超先生が微笑み、故郷の母の如く迎えてくださったのである。

 「外国人でこの庭を散策したのは、これで三組目。ぜひ池田先生にご覧いただ

きたいと思っていました」

 中庭には、周総理が生前好まれたカイドウの花がほころび、「友情」を示す薄

紫のライラックの花が色鮮やかに咲いていた。

 先生は、この前年(一九七九年)に訪日された際、過密な日程のゆえに、私た

ちの家を訪問できなかったこと、また創価大学に植樹された「周桜」を見られな

かったことを残念がっておられた。

 妻が持参した「周桜」のアルバムと、鎌倉の女子部員が真心を込めて作製して

くれた「周桜」の布絵をお見せすると、先生の慈顔にも笑みの花が咲いた。

 「周桜の絵や写真などの貴重なお土産は、中日友好の過去・現在・未来を象徴

していますね」と、桜花の縁を喜んでくださった。



〝革命が仲人です〝



 語らいがご夫妻の結婚に及ぶと、「日本的な言葉で『仲人は誰か』と聞かれれ

ば」――先生は懐かしそうに語られた。

 「しいて仲人といえば、『五・四運動』です」

 お二人は、若き日、愛する祖国のために、共に命を賭して立ち上がった闘士で

あった。印象深かったのは、亡き周総理のことを、変わらずに「恩来同志」と呼

ばれていたことだ。

 〝人民のため〝の一点で結ばれた周夫妻にとっては、「夫婦」とは「戦友」の

二字を意味していた。周総理が亡くなられた後も、まっすぐに夫妻の人生の誓い

を貫き通しておられた。

 私と妻も、戸田城聖先生を生涯の大師匠と定め、広宣流布の大ロマンを共にす

る〝共戦の同志〝である。

 ともあれ、「女性の力」「妻の力」、そして「母の力」はあまりにも大きい。

 「や(箭)のはしる事は弓のちから」「をとこ(夫)のしわざはめ(婦)のちからな

り」(同九七五ページ)

 これは、大聖人が、陰で奮闘する富木常忍の夫人を讃えられた御文である。



      ◇



 穎超先生と私たち夫婦の出会いは、一九七八年に初めてお会いして以来、八

回を重ねた。

 「一旦友だちになれば、終生交流し続けます」との信念の通り、先生は私た

ちを本当に大切にしてくださった。

 一九九〇年の五月、七度目の訪中の折にも、ご自宅に招待してくださった。

 〝いつまでもお元気で。人民の「お母さん」が元気であれば、子どもである人

民は、皆、元気です〝

 ご健勝を願う心をお伝えした歓談が終わり、私たち夫婦が辞去しようとした時、

先生は、ご高齢の体を押して、玄関の敷居をまたいで外に立ち、わざわざ見送

り続けてくださった。

 私は直ちに車を降り、妻と共に、偉大な母に最敬礼して、惜別の視線を交わし

つつ手を振ったのである。

 〝どうか、いついつまでも、ご長寿で――〝

 先生は、生涯を民衆のために捧げられた「人民の母」であった。



気さくに率直に!



 どんな要職に就いておられても、気さくで率直であられた。気取りや冷淡さな

ど、生涯、無縁であられた。庶民と同苦しながら、友の悩みの解決のために率先

していかれた。

 先生が、女性リーダーに言われたことがある。

 「女性は子どものこと、夫のこと、家庭のこと、本当にこまごましたことで悩

んでいます。

 女性リーダーが、そういう自分の姉妹の苦しみを忘れ、婦人たちの問題を放置

しておいて、だれが解決するんですか」



     ◇



 堂々と

   広宣流布に

      捧げゆく

  この身は多宝と

     三世に香らむ



 わが創価の世界には、庶民のため、社会のため、わが身を惜しまず行動しゆく

偉大な民衆の母がいる。

 家事もある。育児もある。地域の関わりもある。仕事をもつ方もいる。ただで

さえ忙しいなかで、家族の世話を焼きながら、友に温かな励ましを贈り、社会の

ために奔走しゆく模範の母たちよ!

 今年も、一月に咲き誇る沖縄平和記念墓地公園の桜に始まり、日本列島を縦断

する〝創価桜〝の花便りを、全国各地の婦人部の方々から頂戴した。

 その掉尾を飾ったのは、この五月、恩師の故郷・厚田の戸田記念墓地公園で盛

大に開催された「観桜の集い」である。今や、北海道を代表する「桜の名所」と

なった。各界の名士の方々も、多数、祝賀にお越しくださった。

 厳寒の冬を勝ち越えた、八千本のソメイヨシノに爛漫と包まれた戸田先生の像

は、まさしく寂光の輝きを放っておられる。

 恩師が愛してやまなかった郷土の皆様方が、喜び、誇りとしてくださっている

ことが、何よりも嬉しい。



未来を育む母の桜



 北海道の桜といえば、札幌創価幼稚園の「母桜」が花吹雪と舞い始めた。

 一九七六年の四月、幼稚園を訪問した際、「父桜」とともに、植樹を提案し、

保護者の手で苗を植えていただいた桜である。

 経済的にやりくりして、子どもたちを創価の学舎に送り出してくださる母たち

の労苦は、私もよくわかっている。

 創価教育の真の功労者であられる母たちを讃える「母桜」である。

 「母桜」は、敬愛する「関西の母」たちを讃嘆して、大阪の西成文化会館にも、

植樹されている。

 大阪の同志と忘れ得ぬ交流を結ばせていただいた、私の母「一」にちなんだ

「一桜」とともに、この関西の「母桜」は、今年も勝利の花びらを満開に咲かせ

たと伺った。

 さらに、学会本部の信濃文化会館(旧・創価婦人会館)にも、全世界の同志の健

闘を見つめる「母桜」がある。

 「母桜」は、創価の本陣の正面にそびえる「青年桜」の雄姿を温かく見守りな

がら、本部に訪れる客人の心を和ませてくれる。青年部を育成し、未来を開く創

価学会婦人部の象徴といってよい。

 ポーランド出身の女性革命家ローザ・ルクセンブルクは、自身が苦境の渦中に

あって、友人のために励ましの手紙を送った。

 「どんな場合にも高く頭を上げて気を落とさないように」と。

 わが創価の婦人部の皆様こそ、いついかなる時も、太陽に向かって、頭を上げ

て胸を張り、生き抜く勇気と希望を皆に贈りゆく、偉大な勝利の「母桜」の存在

なのである。



 負けるなと

  断じて負けるな

   わが友は

  そこに勝利の

     幸福城かな



 大聖人は、門下である乙御前の母を「日妙聖人」、光日尼を「光日上人」と尊

称で呼ばれた。



尊極の仏とは誰か



 「聖人」「上人」とは、まさに「悟り」を得た仏菩薩に等しい存在である。

 当時の仏教界で、女性が「聖人」「上人」と呼ばれることは、稀有であった。

ここには、甚深の人間観の大転換が示されている。

 乙御前の母と光日尼。二人は、有名人でもなければ貴婦人でもない。

 幼子を抱えて、一人、懸命に生きゆく名も無き女性であり、また夫を亡くし、

最愛の我が子も不慮の死で失った悲運の母であった。

 しかし、大師匠の励ましを胸に、迫害にも屈せず、強盛なる信心に徹し抜いた

のである。

 自分が立派な地位にあるとか、裕福な境遇にあるから、人を救い、広宣流布に

励むというのではない。

 むしろ、一番大変な現実の苦悩に直面しながら、それにも怯まず、人のために

働き、広宣流布に戦い進むからこそ、偉大なのだ。

 その人が、最も尊き「仏」なのである。その人が、「今ここで」、必ず自他共

に幸福の花を咲き誇らせていくのだ。

 この究極の常楽我浄の「生命の大道」を快活に闊歩しているのが、創価の婦人

部なのである。



もっと強くなれ!



 白ゆりの

  香りも高き

   婦人部は

  平和と勝利の

   スクラム世界に



 まもなく、六月十日「婦人部の日」を迎える。世界中で、感謝とともに賞讃さ

れる日となっている。

 エマソン協会のサーラ・ワイダー前会長は、偉大なる婦人部の対話運動に最大

の共感を寄せておられる。

 「もし、希望を見いだしたいと思うなら、私は、すぐに創価学会の婦人部の皆

様を思い出すことでしょう」。アメリカの著名な女性詩人の言葉である。

 「創価の母」は、世界の良心だ!

 人類の太陽なのである!

 尊貴なる創価の女性には、友の未来を明るく照らす深き深き使命がある。

 埼玉出身の近代日本の歌人として名高い三ケ島葭子は言い切った。

 「何でも進もう進もうとするのが自分のすべてである」「私はもっと強くなれ

と心で叫ぶ」

 最高の哲学を持つ創価の母だからこそ、自信満々と強く朗らかに進むのだ。

 敢闘精神である!

 正々堂々の言論である!

 そして、勇気である!

 勇気あるところ、正義と希望の太陽は輝く。

 真剣なる唱題で、「師子王の如くなる心」を涌現させながら、信念の対話に打

って出る女性ほど、尊貴にして強靱なる存在はない。

 そこに、「広宣流布」の拡大も、「立正安国」の勝利も開かれてきたのだ。

 「勇気」と「臆病」の差は、微妙である。紙一重の差といってもよい。たった

一言の励ましによって、気力が倍加し、勇気が漲ることは、じつに多い。

 励ましは英語で「エンカレッジ」。勇気(カレッジ)を吹き込むことだ。ゆえに

励ましのあるところは、勇気が満ちあふれる。その勇気を一切の中心にして固い

団結をつくり、強気で、前へ、さらに前へと、歩みを進めていくのだ。



     ◇



 いつまでも

  またいつまでも

   青春の

  心をいだきて

   この世飾れや



 いかなる険路に突き当たっても、それを乗り越え、勝利へ、勝利へと大波を起

こしていく、民衆の「勢い」と「団結」が、我ら創価の底力である。



「常勝の母」誓い



 あの昭和三十一年(一九五六年)の〝大阪の戦い〝で、大阪支部が一万一千百十

一世帯の金字塔を打ち立て、全国的にはまだ小さい規模であった堺支部が千五百

十五世帯の堂々たる勝鬨をあげたのは、青葉茂る五月であった。

 「駒を進めば草木もなびく」――京都で誕生した「威風堂々の歌」さながら、

創価の正義と勇気の大前進は、関西中に対話の花を咲かせ、味方を広げていった

のである。

 その対話拡大の中心で、祈りに祈りながら、最もにぎやかで、最も朗らかで、

最もはつらつと前進していたのが、婦人部であった。常勝の母たちであった。

 「私は、この時にあうために生まれてきたんかな」――尊き関西の母が感慨深

く語った言葉である。

 そして「春を留んと思へども夏となる」(御書一二四一ページ)と仰せられた、

誰人も止めようのない時の趨勢の如く、六月下旬、なんと関西の母たちだけで中

之島の中央公会堂を埋め尽くし、意気軒昂の婦人部総会を開催したのである。

 私も、恩師・戸田先生をご案内して参加させていただいた。

 母は強い。母は健気だ。母は負けない。母の祈りは無敵である。

 戸田先生は、その母たちを包み込んで、語られた。

 「いかなる三障四魔が起ころうとも、われわれは断じて信仰をやり遂げ、お互

いに助け合い、迷うことなく、幸福な生活を一日一日と築き上げていこうではな

いか!」

 母の勝利が、創価の勝利の栄冠なのである。



     ◇



 現在、対談を進めている「中華文化促進会」の高占祥主席と、一九七九年四月、

私は「周夫婦桜」を共に植樹した。

 「周夫婦桜」は、周恩来総理と穎超先生にちなみ、「周桜」の近くに植樹し

た縁深き桜である。



「和合」は力なり



 対談で高主席は、文化の重要性と人びとの調和と団結の大切さを強調された。

 「調和は美を作り出し、和合は力を生みます。和合の力こそ、社会の進歩と人

類の発展を推進する一番強い力です」

 和合は力――その「和」と「合」を生むのは、形や作戦ではない。大聖人が

「心こそ大切なれ」と仰せの通り、ただひとえに〝誠意が光る真心〝である。

 〝誠意〝と〝真心〝は、生涯にわたって崩れざる友情の絆を生み、結果として、

自身にとって最良の味方を育んでいくものだ。

 穎超先生も、後輩に訴えておられた。

 「精誠の至るところ、金石も開く」と。



大誠実で祈り動け



 「大誠実」を尽くして祈る。「大誠実」を尽くして友のもとへ飛び込んでいく。

どんな困難な環境や、人間関係の悩みも、「大誠実」によって、必ず打開するこ

とができる。

 二十年前、先生は、愛用の玉の筆立てとともに、象牙でできた周総理の形見

の「ぺーパーナイフ」を、私に贈ってくださった。

 信義の心が込められたナイフの白光は、どんなにきらびやかな黄金よりも、明

るい光彩を放っている。

 私たちもまた、信心の利剣を光らせ、正義を語り切っていくのだ。そして人格

を磨き抜くのだ。

 その創価の民衆大行進にあって、一番輝いて進んでいるのが、わが太陽の婦人

部である。尊き母である。

 この母たちに幸あれ!

 創価の女性たちに偉大な勝利あれ!

 皆様方、一人ひとりの輝きが、縁する人びとを照らしゆく時、創価の大光が時

代の闇を破り、我らの大勝利を荘厳するのだ。



 太陽が

  昇るが如く

   我が生命

  一族照らして

    栄光城かな



 ――あまりにも尊き婦人部の皆様のご健康とご多幸を妻と共に祈りつつ。