2010.04.21 SP 紹興文理学院「名誉教授」称号授与式

【名誉会長の謝辞】(代読)
一、力強く、前進また前進を続けられる長江デルタの文化都市・紹興(しょうこう)から、高邁な知性と人格の先生方をお迎えできました。熱烈に歓迎申し上げます。本当にようこそ、お越しくださいました。一、はじめに、このたびの青海(せいかい)省の大地震に際し、重ねて心よりお見舞いを申し上げます。胡錦濤国家主席、温家宝総理の陣頭指揮のもと、高地の厳しい自然環境のなか、懸命に進めておられる尊き救援のご努力に、最大の敬意を表するものであります。わが創価学園出身の外科医も「国境なき医師団」の一員として、現地に駆けつけております。一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。一、紹興の天地が生んだ大文豪であり、貴・紹興文理学院の学長を務められた魯迅(ろじん)先生は叫ばれました。「一本の花を育てることができさえすれば、やがて朽ちはてる腐草となるもよかろう」(丸尾常喜著『中国の人と思想⑫魯迅』集英社)愛する青年たちが勝利の花を咲かせるためならば、わが身を投げ出して、自分が犠牲になる。この崇高なる青年育成の真髄の魂を体現され、数多(あまた)の逸材の大輪を咲き薫らせてこられた「教育の花城(かじょう)」こそ、貴・紹興文理学院なのであります。ただ今、私は、名門中の名門の貴学院から、「名誉教授」の称号を賜りました。これほどの栄誉はございません。貴学院の誉れの理念と精神を深く心に刻み、拝受させていただきます。誠に誠に、ありがとうございました。

◆ 貴国と縁深き先師に捧げげる

一、20世紀の初頭、日本に留学された若き魯迅先生は、最初、東京の弘文(こうぶん)学院で学ばれました。その同時期、創価教育の父・牧口常三郎先生は地理学の教師として、この学院の教壇に立って、貴国からの留学生たちと心通い合う交流を結んでおりました。牧口先生は、貴国への敬愛と報恩の真情を、生涯、抱いておりました。貴国に忘恩非道(ぼうおんひどう)な侵略を行った日本の軍部政府と対峙(たいじ)し、最後は獄死しております。縁(えにし)も深き魯迅先生ゆかりの貴学院からの最高無上の栄冠を、私は、この正義の先師に謹んで捧げさせていただきたいのであります。


◆ 人材の宝都・紹興

一、貴・紹興は、古来、「越(えつ)」の国の都として栄えた、2500年の歴史を誇る悠久の天地であります。「会稽(かいけい)の恥を雪(すす)ぐ」「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」など、若き日に、私たちが学んだ貴国の奥深い歴史の故事も、まさに紹興が舞台でありました。その紹興において、4世紀、東晋(とうしん)の書聖・王義之(しょせい・おうぎし)は謳い上げております。「あおぎみる みどり 天のきわ ふして のぞく きよき 水のなぎさ廖闃(りょうげき) 無涯(むがい)の観」〈天をあおげば、みどりの晴れた空。地上をみれば、洲(す)をひたしてながれる澄んだ水。からりとして雑念のない、無限の世界がここにある〉(竹内実編著『岩波漢詩紀行辞典』岩波書店)この壮麗なる調和の水の都は、王充(おうじゅう=後漢の思想家)、陸游(りくゆう=南宋の詩人)、さらに秋瑾先生(しゅうきん=清末の女性革命詩人)、蔡元培先生(さいげんばい=現代中国の大教育者)等々、錚々(そうそう)たる「名士」を世に送り出してきました。私たちが敬愛してやまぬ周恩来総理の原籍(げんせき)も、この紹興なのであります。一、この「人材の宝都」に、貴学院の前身である山会(さんかい)初級師範学堂が創立されたのは、1909年。2年後に学長となられた魯迅先生は、短い在任期間のなかで、厳しい財政難と戦いながら、不滅の人間教育の魂を打ち込まれたのであります。先生は足繁く、教室や運動場、さらに炊事場まで回られながら、教育環境を改善していかれました。多くの学生が風邪で寝込んだ折には、自ら温かく看病されてもおられます。


◆ 獅子でなければ獅子は育たない

一、私は、現在、中国教育学会の雇明遠(こめいえん)会長と対談をしております。〈「平和の架け橋 ── 人間教育を語る」と題し、「東洋学術研究」誌上で連載中〉顧会長夫人の周藻(しゅうそう)氏は、魯迅先生の姪にあたられる方であります。魯迅先生の教育思想にも造詣の深い顧会長は、先生は「およそ青年の成長に役立つことのすべてをおこなっていた」と敬服されておりました。そして、それは、あたかも「病をなおし人を救う」という慈愛の名医のごとくであったと指摘されております(横山宏訳『魯迅 - その教育思想と実践』同時代社)。思えば、当時、魯迅先生も、この学堂も、傲慢な権力からの圧迫を受けておりました。そのなかを、魯迅先生は獅子のごとく堂々と、人民に貢献しゆく正義の若獅子を、心血を注いで薫陶していかれたのであります。獅子でなければ獅子を育てることはできません。一、ともあれ、魯迅先生の一貫した信念は「世代の上のものは下のものに対して……全力をあげて、かれら自身のために、かれらの成長を助けるべきである」(竹内好訳『魯迅文集第三巻』筑摩書房)という一点にありました。この学生第一の「人間教育の王道」を、貴学院の先生方は、気高く継承されているのであります。新入生に対しても、一人一人、新しい生活環境に慣れ、遠大な目標のもと勉学に邁進できるよう励ましておられます。貴国の春節(しゅんせつ=中国正月)の前日、葉(よう)学長はじめ先生方が、故郷に帰省せずに学院で勉強を続ける学生たちのもとへ赴き、懇談・激励されたことも、よく存じ上げております。じつは、創価大学の草創期、私も大晦日に大学に残っていた学生たちを招いて、深い思い出を刻んできました。皆、立派に成長して、母校の後輩のために、私と同じ心で尽くしてくれていることは、うれしい限りです。


◆ 教育の聖火を明々と来来へ

一、貴学院は、「修徳求真(しゅうとくきゅうしん)」との校訓のもと、18学部へと大発展を遂げておられます。「生物科学」と「漢言語文学」は国家の専門分野に指定され、多くの学科が省の重点学科、重点分野に選定されております。100周年を期に、新たな「人民貢献」の最先端の科学研究も開始されました。あの北京オリンピックの際、浙江省(せっこうしょう)の大学を代表して、貴学院のキャンパスを「聖火」が走り抜けたことも、うかがっております。幾多の試練の風雪を乗り越えて、「教育の聖火」を明々(あかあか)と燃え上がらせてこられた貴学院の栄光の100年に、私は最大の敬意を表したいのであります。葉学長は、「100周年」の卒業式の席上、変化の時代に立ち向かうにあたり、次の3点を呼びかけられました。第1に「弛(たゆ)みなく学び続け、無限の創造力を発揮せよ!」。第2に「父母、母校、恩師、社会への報恩を通して、自己を高めよ!」。第3に「何事も勇敢に引き受け、社会と時代が与える歴史的責任を果たしゆけ!」と教えられたのであります。創価教育の理念とも深く共鳴する指針であります。賛同の大拍手を送ろうではありませんか。


◆ 地域と共に発展する大学目指し

一、さらに、貴学院は「地域に立脚し、地域に奉仕し、地域と共に発展する大学」を目指されています。この点も、創価大学の理念と一致します。牧口先生も「自他共に、個人と全体との、共存共栄を為し得る人格に引き上げんとするのが教育である」と明確に論じておりました。私も、名誉ある貴学院の一員とさせていただき、地域と共に、民衆と共に、隣国と共に、そして世界と共に、貴学院の校章に描かれた「川」のごとく、人類の平和と繁栄の「大河」を滔々と広げゆく決心であります。一、1939年3月、紹興を訪れた周総理は、郷里の若人に雄渾なる書を揮毫されました。その言葉を、本日、出席してくださった学生の皆さんをはじめ、世界の青年たちにお贈りしたい。「青年は黄金時代である。学べ、学べ、もっと学べ」「努力して学び、向上に向上を重ねゆけ」結びに、校章に刻まれた「橋」のごとく、貴・紹興文理学院から、次の100年へ、「英知の橋」「人材の橋」そして「栄光の金の橋」が広がりゆくことを、心よりお祈り申し上げます。謝謝!(シェシェ=中国語で「ありがとう乙ざいました!」)