随筆 我らの勝利の大道 11 10/03/19
◆厳たれ!丈夫・壮年部 ㊦


いざや起て
信心の将
富士仰ぎ

私は、広布の大将軍たる戸田先生の一番側にお仕えしながら、将の将たる壮年の実践項目を学んだ。壮年部結成に寄せた『大白蓮華』の巻頭言も、「妙法の名将」と題した。創立八十周年の勝利へ、大事な名将の要件は何か。それは、いかなる難事をも断固と成し遂げゆく、わが壮年の不屈の実行力と闘争力であろう。では、その原動力は何か。それは「法華経の兵法」である。そして、「題目の師子吼」である。なかんずく、大事なポイントは、「具体的に祈る」ということだ。御聖訓には、「大地はささばはづ(外)るるとも」「法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(御書一三五一、二項)とまで断言なされている。それゆえに、漠然とした曖昧な祈りではなく、「的」を明確に定めることだ。つまり「必ず」と腹を決めた誓願である。そこに牧口先生が、常に言われていた「百発百中」の実証も現れるのだ。わが同志が、一人ももれなく、幸福で健康で、無事安穏で裕福であるように!わが地域の広宣流布が、前進し、拡大するように!学会の勝利の道が、無限に開けるように!毎朝毎晩、朗々たる音声で、明快に強盛に祈り抜き、祈り切っていくのである。そして、あの友の幸福を、わが後輩の成長を――すべて一つ一つ深く祈念しながら、足取り軽く最前線へと飛び込む。この「祈り即実行」の繰り返しを、それこそ「せめ返し・せめをとし」(同五〇二項)と仰せの如く、弛まず貫いていくことだ。壮年部は、職場でも、学会の組織においても、師子王の心で、信頼厚き「幸福責任者」「勝利責任者」となるのだ。一個の男として、何があろうが、自分は逃げない、責任を果たしてみせると、勇気を奮い起こす時、汝の本当の力が現れる。
私が大事にしてきた詩人シラーの言葉「一人立てる時に強きものは、真正の勇者なり」――これはまた、壮年部の気概でもある。
そして、その自分の周りに、心通う連帯の「輪」を、一人また一人と、着実に広げゆくことだ。男達が立ち上がった


この人生
悔いなく強く
朗らかに
正義の大道
厳と歩めや


未曾有の経済危機にあって、わが壮年部は、地道な訪問激励を重ね、互いに励まし合いながら、雄々しく、全国各地で宿命転換のドラマを綴っている。本年「小樽問答」から五十五年の佳節を刻んだ創価の三代城・北海道では、厳寒に挑むが如く、この一月に、七百三十もの会場で、壮年部、男子部による「男の体験談大会」が堂々と行われた。――七十五歳にして嘱託社員の歩みを開始した「前進勝利長」(ブロック長)の壮年がいた。リストラの憂き目を敢然と乗り越え、再就職先のグループ会社の社長となった友もいた。難病と闘いながら、弘教拡大に励んだある地区部長は、「病気のおかげで、この信心の素晴らしさに気づきました!」と胸を張った。さらに、広布の人材城・東北の宮城でも、〝男の体験主張大会〝が意気軒昂に繰り広げられた。あの地この地で、創意工夫し、〝男の〝と銘打ったセミナー等も楽しく賑やかに行われているようだ。また各地で壮年が、聖教新聞の拡大にも先陣を切ってくれたと、感謝の声が聞こえている。壮年の人脈は、奥行きが深い。戦う壮年部の姿を見て、どんなに共感と安心と勇気のスクラムが広がっていることか。いよいよ、男たちが立ち上がった!獅子は雄々しく立ったのだ!忍辱の心に仏の力
御義口伝には、「忍辱は寂光土なり此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり」(同七七一項)との甚深の教えがある。仏の真髄の強さは、ありとあらゆる苦難を堪え忍ぶ「忍辱の心」にあるとの仰せである。苦労知らずの意気地なしに、仏の力が出せるわけがない。仏を「世雄(社会の英雄)」ともいう。社会の苦しみを知らずして、何で世雄となれようか。忍辱の心とは、いかなる娑婆世界の嵐に晒されようと、心が負けないことだ。心が恐れぬことだ。心が揺るがぬことだ。この忍辱の心にこそ、仏の力、仏の智慧、仏の生命が脈動する。「九界即仏界」である。ゆえに「九界」という現実の苦に挑んでこそ、「仏界」は滾々と湧き出ずる。ともあれ、仏法は勝負だ。断じて勝たねばならない。その偉大な父の背に、青年が陸続と続くのだ。大詩人リルケは歌った。「私は父だ。しかし息子は父以上の者だ。父親があったところの一切であり、父の成り得なかったものが彼の内で偉大になる」「黄金柱ここにあり」との実証を、子どもや後輩たちに示し切れ!その雄姿を皆が誇らしげに見つめ、頼もしく待っている。壮年には偉大な力がある。乱世を勝ち抜く豊かな智慧がある。社会に築いてきた信用がある。
その大長者の宝蔵をば、「勇気」ある信心で、断固と開ききっていくのだ。





誰もが「絶対に不可能だ」と諦め、悲壮感が社会を暗く覆う時――その時こそ、壮年が奮い立つのだ。十八世紀後半、イギリスの植民地だった当時のアメリカ。不満は高まっていたものの、宗主国には従うしかない――そんな「常識」がはびこっていた。その閉塞感を打ち破り、「独立」と「自由」こそが、新しい、そして正しい「常識」だと喝破したのがトマス・ペインであった。一七七六年、一冊のパンフレット『コモン・センス』で、闘争の峰火をあげる。「これまでの王冠をかぶった悪党全部よりも、一人の正直な人間のほうが社会にとってずっと尊いのだ」「おお!人類を愛する諸君!暴政ばかりか暴君に対しても決然と反抗する諸君、決起せよ!」その叫びは、市民の魂に火をつけ、勝利への息吹を呼び覚ました。独立への道を大きく開いていった。当時、彼は不惑(四十歳)を迎えようとしていた。今、同年代の〝ヤング壮年〝も大勢おられよう。ペインは、生涯を正義と自由の闘争に捧げ、不当に投獄もされた。その強さは何であったか。それは、無名の庶民であったことだ。職人の家に生まれ、妻に先立たれ、事業も失敗。社会の底辺を生きた。それだけに、大衆の思いや感情を敏感に呼吸していた。そして自ら義勇兵に志願し、一兵卒として、独立の戦いに加わった。真の丈夫は、周りを鼓舞するだけではなく、勇んで窮地の中に飛び込み、誰よりも苦労するのだ。彼は綴った。「われわれの偉大な力は数にあるのではなく、団結にある」一人が立ち、年配の友も、若き青年も続いた。「常識」の壁を打ち破り、「不可能」を「可能」へと変えていった。完勝への結束は、常に壮年の勇気と行動力によって完成へと導かれるのだ。富士の如く堂々と明治維新の大功労者で、勝海舟らと共に〝幕末の三舟〝と讃えられた山岡鉄舟は、埼玉にも縁が深い。西郷隆盛に直談判し、江戸の無血開城の道を開いた英傑である。十代で両親と死別、社会の激動、心の葛藤――人生の春夏秋冬を越えた鉄舟は、壮年期、白雪を頂いた富士の峰を仰ぎ、詠んだ。


「晴れてよし
曇りてもよし
不二の山
元の姿は
変わらざりけり」


世間の毀誉褒貶が何だ。あの揺るがぬ富士の如く、わが使命の道を、堂々と進むのだ――。そう決めた鉄舟の心は、何事にも微動だにしない。後進の指導者の育成を、自己の研鑽と修行を、死ぬ間際まで怠らなかった。西郷隆盛は、鉄舟を念頭に語ったという。「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」と。名聞名利をかなぐり捨てる人。自ら決めた使命に、真っ直ぐに生き抜く人生。「心の財第一なり」(御書一一七三項)との信念の生き方は、永遠に色褪せぬ、黄金の輝きを放つのだ。青年の情熱は尊い。しかしまた、四十歳、五十歳、六十歳、七十歳、さらに八十歳と年輪を刻みながら、なお消えることなき情熱こそ、本物である。絶対に、勝利の先駆を切ってみせる!私自身が創価学会なのだ!――そう決意し、行動する一人がいる限り、学会は盤石だ。今も忘れぬ光景がある。第三代会長に就任して間もない頃の嵐の日であった。吹き飛びそうな大田区小林町の私の家に、一人の丈夫が駆けつけてくれた。「先生、大丈夫ですか!私がお守りします!」と。なんと埼玉からの長い道のりを、自転車を走らせて来てくださった。今も、戦う壮年部の精兵として、あの時と同じように、目を輝かせ、広布の最前線を駆け回っておられる。





健康で
長寿の光道
共々に
生きなむ開かむ
智慧の長者は


かつて、わが大阪の壮年部に贈った一首である。師匠が開いた道がある。共に歩む仲間がいる。最高の充実がこの道にある。フランスの作家サン=テグジュペリは言った。「みんながわたしを信頼している。歩かなければ、わたしは卑怯者だ」師と共に、また真友と共に進む人生には、「報恩」という、決して曲がらぬ心の芯が通っている。広宣流布とは、全人類を幸福にし、平和を築きゆく大偉業だ。人生を懸けて悔いなき、最高にして名誉ある大目的ではないか。進もう!師弟不二の王道を!登ろう!未踏の広布の王者の山を!日興上人は大聖人の不二の弟子として、ただ一人、師の教えを寸分違わず語り、叫び、弘め抜かれた。「日興遺誡置文」を遺されたのは、八十八歳の時であられた。求道の阿仏房は、高齢を押して、はるばる佐渡から身延の大聖人を訪れた。老いるほどに若々しく、「仏法は勝負」の気概で戦い抜いた。わが多宝会、宝寿会、錦宝会の皆様方の姿と、美事なまでに重なる。真価はこれからだ中国の大詩人・杜甫は、詠じた。「男児功名遂ぐるは亦た老大の時に在り」(男の仕事の完遂はやはり年とってからだ)人生の真価は、最晩年をどう仕上げたか、何を成し遂げたかで決まるのだ。大聖人は五十七歳の御述作に、「此の大法のみ一閻浮提に流布すべし」(同一四八九項)と宣言なされた。牧口先生が入信されたのも五十七歳の時であった。その無上の喜びを、「言語に絶する歓喜を以て殆ど六十年の生活法を一新するに至った」と記された。戸田先生が牧口先生に出会ったのは十九歳。そして獄中で師の逝去を知らされたのは、四十五歳になる時であった。この時、地涌の菩薩の使命を胸に秘め、「妙法の巌窟王」となって、必ず師の正義の仇討ちをすると誓われた。ここから、本当の戦いが始まったのである。





私も、十九歳で師と出会って激闘を勝ち抜き、八十二歳の今が一番、元気だ。婦人部の皆様方の真剣な祈りのおかげである。いかなる青年にも負けぬ、雄渾の生命が湧いてくる。それは、戸田先生という偉大な師匠を持っているからだ。不二の弟子という、永遠に若々しき本因の生命で戦えるからだ。そして、妙法という不老不死の大法を弘めゆく大闘争に、後継の弟子の陣頭で生き抜いているからだ。「生死一大事血脈抄」の有名な一節に、「金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず」「貴辺豈真金に非ずや」(同一三三七項)と仰せである。私と最も長く、今世の人生を共にしてきた、わが戦友の壮年部よ!宿縁深く、共戦譜を綴りゆく真金の君たちよ!金が朽ちないように、何があろうが、厳然と庶民を愛し、護り、輝かせゆく「黄金柱」たれ!その尊き生涯を、これからも私と共に、同志と共に、広宣流布の大願の実現に尽くそうではないか!そこにこそ、最極無上の喜びと栄光と大満足の人生があるからだ。


今日もまた
三世のためにと
立ちゆけや
愉快に耐えぬき
断固と勝ちたれ