随筆 我らの勝利の大道 10 10/03/18
◆厳たれ!丈夫・壮年部 ㊤


丈夫は
波瀾万丈
歴史かな

英国の桂冠詩人テニスンは、力強く呼びかけた。「さあ友よ、更に新しい世界を求めるのに遅すぎはしない。押し出でよ、整然と持ち場につき、波の響く大海原を打って進もう」現実社会の荒波は高い。経済不況の烈風も厳しい。その中を、広宣流布の誉れの船長たる、わが壮年部の友は、それぞれの使命の船団を率いて、断固と前進し奮闘してくれている。日蓮大聖人は、「生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず」(御書一四四八項)と断言なされた。我らには、いかなる怒濤も勝ち越え、大歓喜の人生航路を開く妙法がある。過日の全国壮年部幹部会(本部幹部会)で、私は遠来のアフリカの友に、最後の万歳三唱をお願いした。代表として登壇してくれたのは、コートジボワールの壮年支部長である。皆から「キャプテン(船長)」と慕われている彼は、もともと商船の船長であった。しかし、勤める船会社が閉鎖された。再就職の活動を始めるが、なかなか決まらない。いやまして懸命に、題目を唱え抜いて八カ月。遂に石油会社への就職が決まった。今、営業所の所長として、堂々と「変毒為薬」の実証を示している。

コートジボワールの同志は二万人を超え、大発展している。

合言葉は――
「先生と共に戦おう!」
「本当の友情を!」
「常に悪と戦おう!」
雄々しき「アフリカ広布の英雄」と、私は固い固い握手を交わし、尊き同志への伝言を託した。



恩師・戸田城聖先生の事業が窮地の渦中に、私は一心不乱に支え抜いた。その苦境を乗り切り、先生に第二代会長に就任していただくと、師の願業である折伏七十五万世帯を実現するため、死身弘法で戦った。「立正安国」の闘争にも勝利また勝利を開いた。病弱な私は、戸田先生をお護りし、先生のご構想を実現するために「今日、死んでも悔いがない」という決心で、師子奮迅の力で、一日一日を戦い切った。そうした激戦が打ち続く昭和三十年の三月のある日、先生は私に言われた。「俺も、お前も、男らしい戦いをやり抜いて来たなあ」。何より有り難い勲章を拝受した思いであった。戸田先生が私に語ってくださったように、私は壮年部の盟友に申し上げたい。「共に、男らしい戦いをやり抜こうではないか!」豚汁を青年達に!それは、五十二年前(昭和三十三年)の三月十六日の早朝であった。不滅の師弟の儀式となる「広宣流布の記念式典」に参加するために、六千人の青年が、続々と富士の麓に勇み集って来た。春三月とはいえ、明け方は寒かった。皆が吐く息も白い。その青年たちから、歓声が上がった。思いがけず迎えてくれたのは、湯気の立つ「豚汁」であった。朝早く到着する皆を気遣われ、「青年に必要なのは体温だよ」と、戸田先生が直々に手配なされたのである。準備にあたる中心者は、蒲田の重鎮の二人の壮年であった。青年のためにと頑張る姿が誇り高かった。煮え立つ四つの大釜の傍らで、汗だくになりながら豚汁を桶に分けでいった。青年たちは、それを銘々が持参した椀に受け取り、フウフウ言いながら掻き込んだ。豚汁の熱が、冷えた体に染み渡った。そしてそれにもまして、師匠の真心が熱く熱く胸に染みた。〝恩師の豚汁〝は、青年たちの金の思い出の一つとなったのである。先生は、父親が子どもの苦労を気遣い、陰でそっと支えてやるように、細かく配慮されていた。寒い時、小腹に何か入れるだけでも、体が温まって風邪をひかないものだ。私は今でも、先生の振る舞いを想起しつつ、北国で戦う創価班や牙城会、白蓮グループの友をはじめ、大切な同志の健康と勝利を祈り、心を配る日々である。また、尊き王城会、創価宝城会、無冠の友の皆様にも、感謝を申し上げたい。ともあれ壮年部は、勇んで戦いの先頭に立つとともに、同志の心のわかる温かい人間指導者に熟練してほしい。それが、王者の風格を築いていくのだ。





盤石な柱となりて永遠の金剛不壊なる生命勝ちとれ壮年部が誕生したのは、昭和四十一年の三月五日である。晴天であった。学会本部に、七百五十人の精鋭が集って結成式を行った。私もこの嬉しい門出を祝した。「軍には大将軍を魂とす大将軍をく(臆)しぬれば歩兵臆病なり」(同一二一九項)とは、あまりにも有名な御金言である。一家においても、職場においても、地域においても、重鎮である壮年世代に覇気が横溢していることが、発展と勝利の要件だ。壮年部が健在であってこそ、婦人部も、男女青年部も、安心して戦える。大切な、大切な学会家族を護り抜く黄金柱よ、威風堂々たれ!――これが、自ら壮年として指揮を執られた牧口、戸田両先生の願いであったといってよい。この心を実現するため、私は壮年部をつくったのだ。その結成式の翌日、私は同志の激励のため、北南米へ旅立った。ロス、ニューヨークを回って、三月十日、ブラジルヘ向かう機中であった。窓を覗くと、地平線は明るみ、眼下には雄大なアマゾンの大河が見えた。この大河の如く、世界広宣流布の悠久の流れを開いてみせる――そのための重大な〝画竜点晴〝こそ、壮年部の結成であったのだ。後年、アマゾンの「守り人」と敬愛される詩人メロ氏は、私との会見の折、即興詩を詠まれた。「私は、愛情をもって、謳いながら仕事をする。あすの建設へ向かって」「ただ生きるだけでなく、変革に貢献することが、何よりも大切。それぞれが自分の立場で、自分の地域で――」わが壮年部の心意気にも通ずる至言であろう。気さくに誠実に!かつて私は、平日の昼間から使命感に燃えて地域広布に奮闘される「太陽会」「敢闘会」の友に、御聖訓をお贈りした。「百千万年くら(闇)き所にも燈を入れぬればあか(明)くなる」(同一四〇三項)と。
壮年には、数多の修羅場をくぐり抜けてきた経験がある。度胸がある。実践知がある。友を照らし、後輩を良い方向へ導いていく灯台のような発光がある。
人間同士の交流が希薄な現代だ。だからこそ今は、いぶし銀のように〝黙して語らず〝よりも、気さくな「おじさん」の励ましの一言の方が、金の光を放つ。
壮年は皆、それぞれ風雪に鍛えられた顔を持っている。だが、そこに醸し出される威厳と〝威張る〝ことは違う。気難しくなったり気取ったりせず、周囲に心を配り、声をかけ、何か手を差し伸べていくことだ。その誠実な振る舞いが、一家和楽、さらに地域広布への確かな一歩となる。「壮年革命」の鍵は、身近にある。大文豪トルストイは、含蓄深い言葉を残している。「人生の意義は、ただ団結のうちにのみある。そう信ずるならば、人は自らが携わっている仕事に全身を捧げずにはいられない。そして、触れ合うすべての人々に対して、配慮、思いやり、愛情を持たずに接することは、もはやできないのだ」無名でよい。いな無名であって、「あの人のおかげで」と、幾多の庶民から感謝される人生ほど、尊く、気高い劇はない。時代は、空前の高齢社会に入っている。「生老病死」という人生の局面は、誰人にも、さらに切実に迫ってくる。その根本的な苦悩を、「常楽我浄」へ打開しゆく大哲理が日蓮仏法である。壮年門下・四条金吾への御指南に、「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(同一一七〇項)と明確に仰せの通りである。この偉大な妙法の探究者であり、実践者である壮年部こそが、地域社会の依信依託と仰がれる「時」が到来している。立つ時は今だ。打って出る時は今だ。勇気凛々と、自信満々と!

明確な
目的持ちたる
嬉しさよ
これぞ希望の
王者なるかな