2010.03.01 SP 
全国代表者会議〔上〕
■威風堂々と! 信心のスクラム 
一、「経の王」である法華経は、一体、何のために説かれたのか。それは、万人を仏にするためである。広宣流布こそ法華経の魂なのである。
広宣流布の闘士が集い、大仏法を学び弘めゆく会合も、一面からいえば、現代における法華経の会座(えざ)であるといってよい。法華経は、峻厳なる師弟の儀式である。
一、師のもとから勇んで打って出る。そこに、発展と勝利のリズムが生まれる。この根本の軌道を、戸田先生は教えてくださった。先生は、重要な広布の会議について、その精神を、厳しく打ち込まれた。「全員が責任者の覚悟で参加し、意見を述べよ! 決まったことは、何があっても実行し、実践せよ!そして、断じて戦い、勝って、次にまた集まるのだ!」師弟不二の、この呼吸、この息吹、この祈り、この決意、この勢いで、学会は威光勢力を増し、勝ち進んできたのである。上も下もなく、皆が自分らしい持ち味を生かし、同じ責任感に立って、威風堂々と進んでいく。ここに学会の強さがある。師とともに、同志とともに、心を合わせていけば、信心の軌道から外れることはない。正々堂々と、皆でスクラムを組んで、広宣流布のために戦おう!
■世紀を担う秀才
一、きょうは、アメリカ創価大学出身の男子部、女子部、男女学生部、そして未来部のリーダーも出席している。いい青年が育っている。「核兵器のない世界」へ向けて、学友に対話を広げる学生部員の活躍も、よくうかがっている。恩師・戸田先生が、どれほどお喜びであろうか。思えば、学生部の結成は、昭和32年(1957年)の6月30日のことだった。私は北海道・夕張(ゆうばり)の天地から、「新しき世紀を担う秀才の集いたる学生部結成大会おめでとう。会長先生のもとに勇んで巣立ちゆけ」と祝電を送った。あの嵐の「夕張炭労事件」の最中に学生部は誕生したのである。私が夕張を初めて訪れたのは、雪の舞う、昭和32年の冬1月のことであった。文京支部であった夕張地区の大会に出席するためである。夕張の鹿ノ谷(しかのたに)駅に降り立つと、とても寒かったことを、今でも鮮明に覚えている。夕張地区の大会には、1300人の同志が集い、意気天を衝く勢いであった。私は文京支部長代理として、"逆境をも追い風にしていく生命力で、師子王のごとく前進を"と激励した。この年の5月、理不尽にも炭労は、公然と、人権蹂躙の暴挙に出たのである。〈当時、絶大な勢力を誇っていた炭労(たんろう=日本炭鉱労働組合)が、学会の躍進に警戒感を抱き、組合員である学会員を不当に弾圧した。信心をやめよと脅されたり、仲間はずれや嫌がらせなど、陰険にいじめられた。"泣く子も黙る天下の炭労"と恐れられたほど、強大な組織であった。炭労と創価学会の対決に、世間やマスコミも、"大事件"として注目した〉
■信教の自由を守り抜く戦い
一、北海道は戸田先生の故郷である。横暴な圧迫に、幾千の学会員が苦しんでいる。同志がかわいそうではないか ─。戸田先生は自ら北海道へ行こうとされた。私は戸田先生の身を案じた。いかなる危険があるかもわからなかった。「先生! 私が行きます」「私が戦いますから、どうぞご安心ください」 ─。私は6月28日、北海道へ乗り込んだ。学会員が二度といじめられないように、機先を制し、次々と手を打った。7月1日は「札幌大会」に出席した。記者会見でも学会の主張を堂々と訴えた。翌2日は「夕張大会」である。「信教の自由」を守り抜く、正義の言論戦を、果敢に展開した。この大会に参加した、炭労の幹部の数人は、途中で逃げ去っていった。大会終了後、一人の真谷地炭労の副委員長が、私のもとに、丁重にあいさつに訪れた。「学会の主張は、よくわかりました。我々は浅はかな行動はとりません」一つの勝利の決着を見たのである。7月3日、私は空路、羽田空港へ舞い戻る。空港で戸田先生にご報告をし、そのまま大阪に向かった。そしてこの日、「大阪事件」で、私は不当にも逮捕された。これが、まったくの冤罪(えんざい=無実の罪)であったことは、後に、裁判で、明確に証明された。不二の師弟は、勝ったのである。一、私は戸田先生のために、あらゆるところで戦った。当時、20代の青年であった。青年は、邪悪と戦う勇気を持たねばならない。どんな相手であろうと、正義を叫び抜くのだ。屋根となって、庶民を護るのだ。私はこれまで、さまざまな思想・宗教・イデオロギーの指導者とも対話を重ねてきた。世の中を平和にしたい ─その思いは共通しているはずだ。同じ人間として、率直に、腹を割って対話した。心を通わせていったのである。広布のため、恩師のために、わが身がどうなろうと本望だ ─。この精神で、今日まで来た。だからこそ、諸天善神が守ったのである。目先の欲にとらわれ、虚栄を追っても、仏法の眼から見れば、あまりにも小さい。師匠のため、学会のため、同志のために尽くす。悔いなき人生を生ききる。これが何より大切なのだ。今、懐かしき夕張の地では、地元・夕張正義圏の同志が、町内会や商工会、また伝統の映画祭の応援など、地域の先頭に立って活躍している。勇敢なる夕張の友に、心からエール(声援)を送りたい。
■心が心を動かす
一、私は今、世界のジャズの王者ハービー・ハンコックさんとも対談を進めている。SGI(創価学会インタナショナル)のメンバーであるバンコックさんは、「仏法では『心こそ大切』と教えられています。演奏家にとって大切なことも、自らの心をどう表現できるかです」とも語っておられた。心が心を揺さぶる。心を磨き、心を豊かにする ─そのための信心である。〈ハンコック氏は、こうも述べている。「池田先生はスピーチや、ピアノの演奏をされる前に、まず"いかにして自分の心を人々に伝えるか"真剣に祈っておられると、私は確信します。スピーチを伺っても、演奏を聴いても、そこに、池田先生の題目が染みこんでいることを、強く感じてならないからです」〉上手な話をするよりも、もっと大事なのは、まず、同志の幸福を祈り、広宣流布の勝利を祈りきることだ。その深き祈りを込めた声の響きが、皆の胸を打ち、歓喜の渦を巻き起こすので
ある。
■時を創れ! 信念を貫け
一、インドネシアの元大統領、アブドゥルラフマン・ワヒド博士とは、「平和の哲学」「寛容の智慧」をめぐって語り合った。博士は、多様な文化を尊び、民主主義の道を開いた哲人指導者である。イスラムの大賢人でもあり、民族や宗教間の融和に尽くされた。SGIの平和・文化・教育運動に対して、博士は、「物質主義が強まりゆく社会において、人間主義に溢れる仏教的な哲学を蘇らせておられます」と正視眼で評価された。「友情を育み、関係をさらに発展させ続けていきたい」 ─こう語り、温かい理解を寄せてくださった。〈ワヒド博士は「池田会長は、偉大な方です。 『文化の力』で人類の高みに立っておられる。人間を探究し、人間のレベルを引き上げておられます」とも述べている〉ワヒド博士は、私との「イスラムと仏教の語らい」を終え、昨年末、逝去された。まさしく生涯をかけて、対話に打ち込まれた博士。私は、心からの哀悼を捧げた。インドネシアでは、国葬をもって、「改革の闘士」としての功績を歴史に刻んだ。〈ワヒド博士への名誉会長の弔電が伝えられた際、シンタ・ヌリヤ夫人は目頭を熱くしていた。そして「池田博士との対談集は、夫の最後の仕事です。多くの人が待ち望んでいます」と、その出版への期待を述べた〉苦闘を越え、共生の道を開いたワヒド博士の人生が、青年に残した教訓は大きい。中傷され、悪口(あっこう)されようが、わが理想を手放さない。時を待ち、時を創り、いい方向へ変えていく。一番困難な事態でさえも、一番やりやすい状況へと大転換していくのだ。人生も、社会も、すべては戦いである。抜本的に時流を変えていく ─そういう戦いができる、強き信念の指導者が出なければならない。自らが奮い立ち、使命の天地で、大勝利の旗を打ち立てるのだ。皆と仲良く、はつらつと、あらゆる人を生かしていくのだ。正義と真実を語り抜く、対話の道を突き進むのだ。未来を開く後継の諸君、頼むよ!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉
■創価の魂は勇気
一、ワヒド博士は私との対談で、インドネシアの女性解放の先駆者カルティニの信条を語ってくださった。人々の心に光を送ったカルティニの言葉を皆さんに贈りたい。「『勇気を持たない者に、どうして勝つことが出来よう』というのが私の座右銘なのです。ですから、さあ、進もうではありませんか。心を引き締め、何事も試してみましょう!勇気を持って行えば、失うものよりは得るものの方がずっと大きいのです」(シティスマンダリ・スロト著、舟知恵・松田まゆみ訳『民族意識の母 カルティニ伝』井村文化事業社)勇気 ─この魂を、牧口先生も、戸田先生も、何度となく訴えておられた。「もうだめだ」と思う心の壁を打ち破るのも、「勇気」だ。新たな一歩を踏み出すのも「勇気」だ。この一点を、皆さんは絶対に忘れてはならない。私は勇気で、世界中に道を開いた。分厚い不信の氷を溶かし、敵意の火も鎮めた。勇気で心の橋を懸けた。信心とは、勇気の異名なのである。女子部も、勇気をもって朗らかに前進を! 壮年部も、真剣に、賢明に、勇気をもって進むのだ。
■正義が勝つ社会を築け
一、西洋文明の源流であるギリシャでも、創価の友は、生き生きと活躍している。〈これまで「ギリシャ国際作家・芸術家協会」から、名誉会長に数々の顕彰が贈られている。名誉会長の『私の釈尊観』のギリシャ語版も発刊された〉 古代ギリシャを代表する劇作家の一人に、メナンドロスがいる。彼の戯曲に、こういう台詞があった。「どんな時にも、どこであっても、正義が勝たねばなりません」(吉武純夫訳「辻裁判」、『ギリシア喜劇全集5』所収、岩波書店)正義が勝つ社会を築かねばならない。また、こういう言葉も残っている。「人生行路の路銀(ろぎん)としては、度胸以上のものはない」(中務哲郎・脇本由佳・荒井直訳『ギリシア喜劇全集6』岩波書店)八方ふさがりでも、降参しない。当たって砕けろ! ─この心意気が人生を開くものだ。いわんや我らには、妙法という無敵の宝剣がある。何も恐れるものはない。
■誠実に、大胆に! 
一、さらに、恩師・戸田先生の指導を心に刻んでいきたい。私は、戸田先生の一言一句を、すべて遺言と思って、大切に記し残してきた。先生は、声の響きや、振る舞いからでも、その人物の心根を、鋭く見抜いた。「上が、もっと真剣に戦うのだ! 皆と一緒に動くのだ。そして、必ず勝利の結果を出せ!」とも叫ばれた。無責任な、ずるい人間になってはならない。私は、同志とともに動き、走った。全部、先陣を切ってきた。新しい天地へ飛び込んだ。新しい友と友情を結んだ。出会いの劇は、数知れない。どうか皆さんも、愛する地域で、誠実に、また大胆に、人間としての信頼を大きく広げていただきたい。戸田先生は、決して愛弟子を甘やかさなかった。あえて私に、厳しい試練を課した。しかし、主要な幹部に対して、「大作を見習え! 強さ、勇気、勤勉、努力を学べ! 大作のように、大胆に戦い、勝て!」と言われたこともあった。先生は、私をそばから離さなかった。私の姿が見えないと、「大作はいるか」「大作を呼べ」。亡くなられる前も、何度も私を枕元に呼んだ。「大作、大作」と。先生の手を、私は握りしめた。波瀾万丈であった。何もかも勝ち越えた。そういう弟子に、君たちも、なってもらいたいのだ。先生は、後継の若き指導者に、こう教えてくださった。「自分が行ったところで、自分の力を示すのだ! 最も大変なところでこそ、断じて勝つのだ!」皆さんも、頼むよ! 恵まれた、いいところにばかり行けば、楽かもしれないが、常勝の剣は磨かれない。一番、状況の悪いところで勝つ。それが本当の勝利者である。功徳も大きい。皆さんの中には、新しい人事の任命を受けた人、新しい立場で戦う人もいるだろう。健闘を祈りたい。仏法は「本有常住(ほんぬじょうじゅう)」「常寂光土(じょうじゃっこうど)」と説く。どこへ行っても、広布へ戦うその場に、最高の使命の本舞台がある。そこで、最高の自分を築いていける。今いる場所で、堂々と、勝利の金字塔を打ち立てていただきたい