2010.02.17 SP 御書と青年〔2〕「仕事と信心」〔上〕

【熊沢女子部長】 第1回の「師弟誓願の祈り」には、全国の青年部員から多くの感動と感謝の声が寄せられました。皆、生まれ変わったように清新な息吹で題目をあげ、「地涌の菩薩」の誇りを胸に前進しています。池田先生! 本当にありがとうございます。
【池田名誉会長】 うれしいね。アメリカをはじめ、海外の青年部からも、決意あふれる報告が届いています。世界中で、青年が立ち上がっている。新しい広宣流布の勝利への回転が始まった。その原動力が御書です。日蓮大聖人は「行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ」(御書1361P)と仰せです。きょうも大いに学び合おう! 

【棚野男子部長】 はい。よろしくお願い致します。創価班、牙城会、白蓮グループなど役員へも、多大な激励をいただき、本当にありがとうございます。

【名誉会長】 皆、寒風に胸を張って頑張ってくれている。青年がこれほど真剣に行動している世界が、どこにあるか。最も清々しい連帯です。皆が風邪をひかないように、事故がないように、そして一人ももれなく幸福になり、勝利者となっていくよう、妻と共に題目を送っています。


■ 農漁村部の友が活躍 

【熊沢】 先生と奥様にすべてを見守っていただき、一日一日、金の歴史を刻んでいます。今回は、青年部の多くのメンバーが直面している「仕事」の問題について、お伺いできればと思います。

【名誉会長】 大事なテーマです。真摯に生きゆく青年ならば、必ず格闘する命題でしょう。御書には、仕事で勝利するための智慧が明快に示されています。入会してまもない頃、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(同1295P)との御金言を初めて拝した時の感動は忘れられない。「自分の仕事を法華経の修行と思っていきなさい」と、大聖人は仰せです。仕事もまた、自身の境涯を開く修行となるのです。何と心が広がり、そして何と勇気がわく励ましの御聖訓か。

【棚野】 境涯の広がりといえば、私たちは、先生の成し遂げてこられた「仕事」の大きさに、圧倒される思いです。
【名誉会長】 若き日から働いて働いて、働き通しだったからね。小さい頃も、よく働いた。わが家は、父がリウマチを患い、四人の兄は次々と徴兵です。五男の私は、未明から起きて、家業の海苔作りを手伝いました。それが終わると、新聞配達に走る。学校から帰ってくると、今度は夕刊の配達です。
「はたらく」とは「はた(周囲)を楽にすること」と言われるが、幼いながら、
それを実感することもあった。ようやくできあがった海苔を背負って問屋に持って行くのも、私の仕事でした。「うちの海苔は、いい海苔ですよ」というと、問屋さんも「ああ、わかってるよ」と応えてくれた。だから、農漁村部の同志のご苦労も、誇りも、喜びも、私の胸に深く迫ります。御書には「民のほねをくだける白米」(1390P)と仰せです。「命」そのものである「食」を育む仕事がいかに尊貴であるか。すべて、大聖人は御照覧なのです。
【棚野】 今、農漁村部の青年は、各地の体験主張大会などで大活躍しています。高齢化や後継者の問題などで悩む地域で、希望と光る存在です。
【名誉会長】 よく伺っています。尊き使命の青春です。

■ 油と汗にまみれて

【名誉会長】 戦時中、私は、蒲田の新潟鉄工所で油と汗にまみれて、ハンマーを振るい、旋盤を使って働きました。神経の張りつめる労作業の連続でした。戦後は、西新橋の昭文堂印刷でお世話になり、働きながら夜学に通い学び続けました。毎朝、家を出るのは六時半頃だったと記憶します。営業に回って印刷物の注文を取るとともに、刷り上がりの校正まで責任を持つ仕事です。体当たりで取り組んだ。家族的な温かい雰囲気の職場でした。ある先輩が「池田君、人生は『当たって砕けよ』だ。大切なのは勇気だよ」と励ましてくれたことも、懐かしい。主人の黒部武男さんが本当に大事にしてくださった。微熱や血痰(けったん)が続き、どうしても体調がすぐれないので、惜しまれながら退社しました。その後、家の近くの蒲田工業会に事務員書記として勤務しました。小さな職場でしたが、郷土の町工場など中小企業の複興のために設立された大切な機関です。、やがて戸田先生とお会いし、先生の経営される出版社の日本正学館で働くことになりました。その折、工業会の職員の方々が全員で送別会を開いて送り出してくださった真心も、忘れられません。どんな仕事でも、どこの職場でも、真剣勝負で働いて、信頼を勝ち得てきたことが、私の青春の誉れです。「御みやづかい」の御文の後には、法華経の文を天台大師が釈した「一切世間の治生産業は皆実相と相違背(あいいはい)せず」との言葉が記されている(御書1295P)。これは法華経を持(たも)った人の功徳を述べた一節です。社会の一切の営みや日常生活は、実相(妙法)と相反することはない。信心を根本とした行動は、地味なようであっても、すべて「妙法」の輝きを放っているのです。世のためにと働くことは、何よりも尊い。職種とか、会社の大きさとか、地位とかは関係ありません。一日一日、妙法を唱え、真摯に行動をして社会に貢献している人は、皆、仏になりゆく生命の正道を進んでいるのです。

■ 社会発展の原動力に

【棚野】 先生が歩まれた道に私たちも続いてまいります。「信心は一人前、仕事は三人前」という学会指導があります。私たちの立場でいえば、どう受け止めて実践していけばいいでしょうか。

【名誉会長】 一言でいえば、「努力」です。人の三倍の努力を心がけ、会社や社会の発展の原動力になっていくということです。信心は、その源泉なのです。
【棚野】 「信心しているからこそ努力が大事」ということですね。

【名誉会長】 その通りです。祈りから出発して、祈りの通りに行動する。これが本当の「信心即生活」です。それぞれの仕事に、それぞれの修行と鍛錬があります。戸田先生も厳しかった。社員が、仕事で外に出る。先生は知らんぷりをしながら、何時に出たかをちゃんと見ている。もし想定される時間を超えて社に戻ってくると、「遅いじゃないか。寄り道してきたのか」と叱られる(笑い)。私も原稿を作家から受け取って、そのまま急いで戻ってくると、先生から、いきなり「原稿の感想を言いなさい」と言われて、冷や汗をかいたことがある(笑い)。電車の中でも、目を通して頭に入れる。そうした機敏さを持て! スピーディーであれ! と、打ちこんでくださったのです。

【熊沢】 すべてが「訓練」だったのですね。

【名誉会長】 先生の「厳しさ」は即「正しさ」でした。「仕事」が「人間」をつくる。青年にとって、職場は自らの「人間革命」の道場でもある。そう腹を決めれば強い。御書を拝すると、大聖人は、若き南条時光に仕事の姿勢を教えてくださってい訳す。たとえば、次のように仰せです。「いささかも主(しゅ)にうしろめたなき心あるべからず」「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」(御書1527P)と。少しも「後ろめたい心」があってはならない。誰が見ていなくとも、公明正大に誠実を尽くせ! その青年が必ず勝利するとの仰せです。どんな立場であれ、誠心誠意、仕事に取り組んだ青年が、「信用」という人間として最高の財産を築くことができるのです。

■ どん底から立って一切を変毒為薬

【棚野】 今、経済不況の中、仕事の悩みも千差万別です。倒産やリストラと戦う友もいます。人員削減のため、一人で抱える仕事量が急激に増えたメンバーもいます。夜勤が続いたり、なかなか休みがとれなかったりなど、状況はさまざまです。その中で、皆、「負けじ魂」で奮闘しています。
【名誉会長】 よく、わかっています。私も戸田先生の事業の破綻を経験しました。戦後の混乱期で、中小企業の倒産が続出した時代です。まだ20代前半の時でした。会社が倒れるということが、どんなにつらいことか。私は身をもって味わいました。そのどん底から立ち上がって、莫大な負債を返済していったのです。阿修羅の如く戦った。そして一切を変毒為薬して、戸田先生に第2代会長に就任していただく道を開いたのです。それは、「御義口伝」に仰せの如く「一念に億劫(おくごう)の辛労」(同790P)を尽くし、勇猛精進しゆく一日また一日であった。

【棚野】 多くの友が、先生の青春時代の苦闘を鑑(かがみ)として、逆境に挑んでいます。

【名誉会長】 今の時代、特に若い皆さんが向き合う社絵の環境は、大変に厳しい。非正規雇用の増加など、20年、30年前とは状況が大きく変わって意ています。個人の努力とともに、社会のあり方を見直し、変えていかねばならない面もある。自営業の人も毎日が正念場でしょう。諸天善神よ、護りに護れと祈っています。御金言には、「鉄(くろがね)は炎打(きたい う)てば剣(つるぎ)となる」(同958P)、また「金(こがね)は・やけば真金(しんきん)となる」(同1083P)とあります。今、苦労したことが、全部、自分自身の「最高の宝」になる。苦に徹してこそ、宝剣の如く、真金の如く、わが生命を輝かせることができるのです。電話の発明者として有名なアメリカのグラハム・ベル博士が、新聞記者から仕事の大変さについて尋ねられたことがあります。博士は「かなり厳しい地道な仕事です。けれどもだからこそ」と微笑みながら、「私の楽しみでもあるのです」と結論したという。どんな問題であれ、「これですべてがうまくいく」という、魔法のような解決策などない。
祈って苦労し抜いて、一つ一つ乗り越えていく以外にない。仕事も同じです。そして最後は一切が大善に変わり、必ず打開できる。これが「絶対勝利の信心」です。
【熊沢】 はい。有名な「経王殿(きょうおうどの)御返事」にも「わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき」(同1124P)と仰せです。

【名誉会長】 大聖人の仰せは絶対に間違いありません。この大功力を、皆さんのお父さんやお母さん方など、多くの先輩たちは、勇気ある信心で実証してこられたのです。

■ 社会の激流で戦う門下に真心の激励 

【棚野】 先ほど、お話しくださった「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」との御文は、弘安元年(1278年)の御手紙です。「熱原の法難」が本格化する頃でした。

【名誉会長】 その通りです。この御手紙は、大聖人が、伊豆流罪、佐渡流罪に続いて、3度目の流罪に遭われるかもしれないという動きがあった時に認(したた)められました。大聖人は、もし3度目の流罪があるならば「百千万億倍のさいわいなり」(同 1295P)と悠然と仰せになられています。これが御本仏の師子王の大境涯であられる。そして、御自身は大難を覚悟なされたうえで、社会の激流にある一人一人の門下の身を深く案じておられたのです。師匠は、あらゆる大難の矢面(やおもて)に立って戦っているではないか。"弟子であるならば、自らの使命の場所で勇敢に戦いなさい! 仕事でも断じて勝ちなさい!"との烈々たる御心が拝されてならない。「臆病」「意気地なし」は、日蓮門下とはいえません。

【熊沢】 勇気をもって、「仏法即社会」の勝利の実証を示すこと。それが師匠への報恩となるのですね。

【名誉会長】 仏道修行の舞台は、「現実の社会」です。大聖人は「まことの・みちは世間の事法(じほう)にて候」(同1597P)、「智者とは世間の法より外に仏法を行ず」(同1466P)と明言なされている。自分の仕事や家庭、地域のなかで成長し、向上し、人間革命をしていく。「今」「ここで」最高の価値を創造していく。そのための信心です。「いつか」「どこかにある」理想郷に行く ── 。それは妙法ではありません。爾前経、権経(ごんきょう)の浅い考え方です。観念論です。大聖人の仏法は現実変革の「生きた宗教」です。ゆえに、仏の異名を「世雄」(せおう=社会の英雄)ともいうのです。その通りの師子の道を、創価学会は貫いてきました。不況の中で雄々しく戦う社会部や専門部の方々の活躍は、尊い模範といってよい。
【棚野】 男子部でも、住宅建設関連の会社に勤める関東のあるリーダーは、1 9歳の時、アルバイトから出発しました。やがて正社員として採用。実績を評価されて異例の昇進を遂げ、社長賞も受賞しています。仕事が多忙な中、学会で新たな役職を受けるたびに弘教も実らせてきました。

【名誉会長】 本当に偉い。うれしいね。日本でも世界でも、幾十万、幾百万の青年が頑張ってくれている。私にとってこれほどの喜びはない。御書には、伝教大師の釈を引かれて「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(310P等)と記されています。この「丈夫の心」を持つ人こそ、真のリーダーなのです。