2010.01.30SP「SGIの日」記念協議会【上】
一、本日は、各地のリーダーの皆さんが集まってくださった。遠方から参加した皆さん方も、大変にご苦労さま!きょうは、ゆっくりと懇談的に語りたい。

■歌声高く!
一、初めに、歌を歌おう。歌いたい歌を、どうぞ!〈ここで、女子部の代表が「華陽の誓い」を心清らかに合唱。男子部・学生部の代表は力強く"大楠公"を歌った。さらに代表が「牙城会歌」を高らかに響かせた〉皆さん、ありがとう、ありがとう!とても上手だ。皆で拍手を贈ろう!歌は、生命の響きである。歌を歌えば、元気が出る。勇気がわく。学会は、どこまでも、民衆の歌声とともに前進するのだ。

■燃え立つ信心心で
一、戸田先生は言われた。
「朗々と妙法を唱え抜き、感激に燃えて戦うのだ!『本当にありがたい!うれしい!』─この燃え立つ信心があれば、祈りは叶うのだ」私たちの唱える南無妙法蓮華経は、「大宇宙」と「わが生命」とを貫く、根源の音律である。広布に戦う喜びと感謝にあふれた、燃え立つような祈りは、己心の「仏界の力」をわき立たせるとともに、全宇宙の諸天・諸仏を揺り動かしていくのだ。その祈りが、叶わないわけはない。

■全権大使たれ!
一、戸田先生は、国家の弾圧による2年間の投獄から出獄して間もなく、こう語っておられる。「ぐずぐずしてはいられない。出獄後、私は、一日の休みもなく、奮闘している。これからの半年の間に、2年間の投獄の空白を取り返す決心で戦っている!」限りある時間だ。私たちも、ぐずぐずしてはいられない。決断である。行動である。祈るのだ。動くのだ。特にリーダーは、道を歩くときも、さっそうと歩き、会員・同志の皆さん、近隣の方々と、すがすがしいあいさつを交わしていくのである。一人一人が"学会の全権大使である"との気概で、勇んで打って出よう!
■小さな島から
一、きょう1月26日は、SGI発足35周年である。おめでとう!全世界で、この日を祝賀してくれている。〈SGIの発足は1975年(昭和50年)1月26日。西太平洋のマリアナ諸島の島・グァムに、51ヵ国・地域の同志の代表158人が集い、世界各国のメンバーの団体からなる国際的機構として、SGIが結成された。席上、全参加者の総意として懇請され、池田SGI会長が就任した。当時の模様は、小説『新・人間革命』第21巻「SGI」の章に詳しく記されている〉なぜ、SGIを、グアムの地で結成したのか。それは、グアムが、太平洋戦争における日米の激戦地の一つであったからである。戦争によって、最も犠牲を強いられるのは、いつも庶民である。また大国が起こした戦争によって、元来、平和であった小さな島々が、無残に蹂躙されることも少なくない。日本でいえば、沖縄がそうであった。グアムもまた戦乱に苦しんできた。だからこそ私は、グアムに行って、そこから世界平和の指揮を新たに執り始めたのである。このとき、私は、ハワイからグアムに入った。小さなグアムで、メンバーを激励し、皆とともに太陽を仰いだ。全宇宙に、全世界に轟(とどろ)けと、妙法を唱えて出発した。そして今、35年が経過して、創価の平和と文化と人間主義の大連帯は、192ヵ国・地域に広がったのである。

■陰徳には陽報が
一、今月、この原点の地で、SGI発足35周年の慶祝行事が相次いで開催された。いずれも、グアム準州政府の全面協力によるものである。SGIに最大のエール(声援)を贈ってくださった、グアム準州のフェリックス・カマチョ知事をはじめ、皆様方に最大の感謝を申し上げたい。SGI結成の舞台となった国際貿易センターの前に広がる公園には、「SGI発足記念碑」が設置されたとも、うかがった。すべては全国、全世界の同志の皆様の奮闘のおかげである。「陰徳あれば陽報あり」(御書1178P)である。皆さん、おめでとう!〈記念碑には、中央に、SGI結成の際のSGI会長のスピーチの一節が刻まれ、向かって左には、小説『人間革命』の冒頭の一節、右には小説『新・人間革命』の冒頭の一節が刻まれている〉

■子孫家代まで
一、思えば、SGI発足の年(1975年)の5月、私はモスクワ大学から「名誉博士号」をお受けした。これが私にとって、海外諸大学からの名誉学術称号の「第1号」であった。授与式は、天に向かってそびえ立つ、立派な大学本館の中の総長室で行われた。室内に案内されると、教授・学生をはじめ関係者が、厳粛な面持ちで、そろって待ってくださっており、皆さんが大きな拍手で迎えてくださったことが忘れられない。〈式典では、SGI会長への推挙理由として、①人間教育による社会貢献②核廃絶と平和運動の展開③哲学的著作の発刊④文学の創造⑤これらの活動を通した人類社会への貢献が挙げられた〉じつは、あす(1月27日)、創価大学で、中国の名門・安徽(あんき)理工大学から名誉教授の称号を授与していただくことになっている。〈これで、SGI会長に世界の大学等から授与された名誉学術称号は「274」を数える〉世界から贈られた、すべてめ栄誉を、私は、師弟の絆で結ばれた同志の皆様方と等しく分かち合いたい。
そのために私はお受けしている。これこそ、師弟勝利の証しなのである。また、すべては、皆様方の子どもさんやお孫さんに、流れ通っていく栄誉であることを知っておいていただきたい。

■難に打ち勝て
一、昨日(25日)、東京富士美術館企画の「ハプスブルク帝国の栄光─華麗なるオーストリア大宮殿展」の開幕式が岡山県立美術館で盛大に行われた。関係者の皆様、ご苦労さまです!ハプスブルク家出身の皇帝マクシミリアンー世が、戦いに臨んだ際に語ったとされる言葉を皆様に贈りたい。「私は君たちに勇敢とはどういうことなのか、その模範を見せてあげよう」(江村洋著『中世最後の騎士』中央公論新社)リーダーならば、先頭に立つことだ。先頭を行けば、当然、風圧は強い。難にあう。それに断固として打ち勝って、道を開いていく。それがリーダーである。戦時中、軍部と戦い、正義の信念を貫いた牧口先生、戸田先生は、自らを犠牲にして、学会を護り、同志を護っていかれた。私もまた、お二人の精神のままに行動してきた。「各国各地の大切な同志を護れるように」「皆が安心して活動できるように」と、祈って祈って祈り抜いてきた。そのために、あらゆる努力を借しまず、道を開き、道を作り、時代を変え、学会への認識を新たにさせてきた。これが「創価の三代の心」である。この会員厳護の精神を離れて、創価学会はない。リーダーは忘れてはならない。嫉妬の邪宗門からも陰険な攻撃を受けてきたが、私は微動だにしなかった。私たちは、邪宗門から離れることができて本当によかった。まさに御仏意であった。一、インドネシアの女性解放の先駆者カルティニは叫んだ。「まず手本を示す人があるとよい」「思いきって始める人さえあれば、きっと多くの人がこれにならうものだと確信しております」(牛江清名訳『暗黒を越えて』日新書院。現代表記に改めた)我らは今、永遠に崩れぬ「創価城」を築いている。「広宣の道」「勝利の道」「歓喜の道」を、皆さんが全世界に大きく広げていくのだ。勇気の剣を高く掲げ、さっそうと前進していただきたい。

■「一人が十人の役割を果たせ」
一、私が敬愛する中国の周恩来(しゅうおんらい)総理は、抗日戦争のさなか、安徽省(あんきしょう)の天地で、同志に力強く呼びかけた。「われわれは、一人が十人の役割を果たし、幹部一人が幹部百人の役割を果たすようにしなければならない」「幹部が健全であってこそ、事業を発展させることができる」(日本語版《周恩来選集》翻訳室訳『周恩来選集(1926年~1949年)』外文出版社)学会の発展と勝利もリーダーで決まる。戸田先生は私に「千人分の役割を果たしてくれ」と言われ、その通りに私は戦った。悪には厳しく、友には慈悲広大に─この一念に徹して、今日の学会をつくり上げたのである。ニュージーランド出身の女性作家マンスフィールドは、日記で自身に言い聞かせた。「成功、失敗を少しも意に介せず、ただつづけて行くこと」「たった今決心すること!」(橋本福夫訳『マンスフィールドの日記と感想』大観堂。現代表記に改めた)何があっても、へこたれない。今再び挑戦を開始する。勇気と忍耐で戦い続ける人が、栄冠をつかむのだ。今、各地に、新しい若きリーダーが陸続と登場してきた。「君よ、いかなる嵐があろうとも、創価の師弟の魂を、断じて護り抜け!」─こう強く申し上げたい。頼むよ!

■「私がやる」との自覚と使命感を
一、周総理は、こうも述べている。「困難な条件におかれていればいるほど、われわれの強味を生かすことができ、自己を鍛えることができる。われわれは安穏な地区で発展してゆこうとは思わない。なぜなら、安穏な地区は、だれでも来たがるし、だれでも生存できるからである。われわれは主として困難な地区へ発展してゆかなければならない」(前掲『周恩来選集』)誰も勝てると思わなかった昭和31年(1956年)の大阪の戦い。私は大変な地域へ、誰も行かない遠い地域へと、勇んで飛び込んだ。大阪中を隅々まで回り、寸暇を惜しんで、新たな発展の道を切り開いていった。その波動が、「まさかが実現」へとつながり、勝利を収めることができたのである。大事なのは「自分が広宣流布を成し遂げてみせる!」との「自覚」である。歴史を開く「使命感」に燃え立つことだ。きょうは、関西の山下以知子(いちこ)婦人部長も参加してくれている。昨日(1月25日)は「関西婦人部の日」。常勝の母たちの祈りで、私が大阪事件の無罪判決を勝ち取った日である。関西の同志、ありがとう!〈「大阪の戦い」について、草創の関西の婦人部は、こう証言している。「関西は、池田先生のもと、一会員にいたるまで、"私がやらなければ勝てない"との決意に立ち、行動を起こしたのです。皆が日々の闘いを通して、御本尊の功力(くりき)を実感していました。創価の正義に目覚めた関西の同志の大歓喜の生命が、報恩への行動となって拡大していったのです」〉

■理想の建殼へ大局観に立て
一、本年は、日蓮大聖人が「立正安国論」を鎌倉幕府の最高権力者・北条時頼(ときより)に提出してから満750年の佳節に当たる。〈大聖人が「立正安国論」を提出されたのは文応(ぶんおう)元年(1260年)7月16て民衆の幸福と平和を実現するのだとの、御本仏の大慈悲と大情熱が脈打っている。私たちは、この立正安国の御精神のままに、いかなる迫害の嵐も乗り越えて、広宣流布へ進んできた。大聖人の御賞讃は間違いないと確信する。「立正安国論」には記されている。「汝須(すべから)く一身の安堵を思わば先ず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を禧(いの)らん者か」(御書31P)自らの幸福を願うならば、まず社会の安定や繁栄、世界の平和を祈っていくべきであるとの仰せである。国土が戦乱や災害に覆われてしまえば、個人の幸福の実現もありえない。自分一人の幸せではない。社会の平穏と繁栄を祈り、その実現に尽くしてこそ、真実の幸福は実現される。また、そうした生き方を貫いてこそ、自己の小さな殻を打ち破り、本当に価値のある、充実した人生を築いていくことができる、のである。戸田先生は青年部に語っておられた。「社会をどう変革するか、理想の社会を構築するためには、どのような実践行動が必要かを考えよ!その大局観に立った一切の振る舞いであってほしい」青年こそ、理想の社会建設の先頭に立ってもらいたい。勇んで現実社会の真っただ中に飛び込み、泥まみれになって民衆のため、地域のために尽くし抜くことだ。ここに日蓮仏法の魂もある。

■思想の乱れが社会の乱れに
一、大聖人が「立正安国論」を御執筆された当時、大地震や飢饉、疫病などが続き、民衆は塗炭(とたん)の苦しみを味わっていた。大聖人は、その原因について、こう喝破されている。「世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。そのために善神、聖人に代わって、魔神、鬼神が来て、災いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである」(同17P、通解)人々は正法に背き、誤った教えを拠り所としている。こうした思想・哲学の乱れが、世の中の乱れの元凶であるとの仰せである。国といい、社会といっても、その根本は人間である。人間の行動を決めるのは思想であり、哲学だ。宗教である。民衆が、何を規範とし、何を求めて生きるのか。それによって、社会のあり方は大きく変わってくる。だからこそ、民衆一人一人が確固たる哲学を持つことが重要なのだ。私たちの広宣流布の運動は即、立正安国の戦いなのである。一、大聖人は御断言された。「結句(けっく)は勝負を決せざらん外(ほか)は此の災難止み難かるべし」(同998P)
仏法は「勝負」である。正義が勝ち、正法が興隆してこそ、真の平和と繁栄の実現もあるのである。
人生も戦いだ。真剣に祈り、努力し、行動し抜いてこそ、勝利の結果が生まれる。私たちは信念の行動で、誠実の対話で、すべてに勝ちゆく一人一人でありたい。

■共生と調和へ対話を推進
一、国主諫暁(かんぎょう)を断行されたことで、大聖人は国家権力から厳しい迫害を受けた。大聖人は、なぜ大難を覚悟の上で、「立正安国論」を著されたのか。「安国論御勘由来(ごかんゆらい)」には、その理由について「ただひとえに国のため、法のため、人のためであって、自分の身のために言うのではない」(同35P、通解)と綴られている。仏法のため、平和のため、民衆のために正義を断じて叫びきらねばならない。これが御本仏の御覚悟であられた。戸田先生は訴えておられた。「日蓮大聖人は、首の座にのぼっても、佐渡の雪の中で凍(こご)えても、"われ日本の柱となるのだ!眼目となるのだ!大船となるのだ!"と仰せになられた。そして、民衆のために、あれほど戦われたではないか!我々も、強い自分に立ち返って、体当たりで戦うことだ!」学会は大聖人の仏法を根幹として、全世界に平和と教育と文化の連帯を大きく広げてきた。「人間革命」の哲学を掲げて全民衆の幸福の実現を目指すとともに、共生と調和の社会の実現を願い、「文明間対話」を地球規模で推進してきた。御書には「智者は、世間の法と別のところに仏法を行ずることはない。世間の治世(ちせい)の法を十分に心得ている人を、智者というのである」(1466P、通解)と仰せである。現実の社会の中で、仏法の智慧を発揮し、貢献していく。そうであってこそ、真に"生きた宗教"として輝いていくことができるのである。今、SGIの人類貢献の活動に、各国の指導者や識者からも多大な賞讃が寄せられている。
日蓮大聖人の仰せのままに、大聖人に直結して前進する我ら創価学会は、
世界の「平和の柱」である。
青年の「教育の眼目」である。
人類の「文化の大船」である。
この深き誇りと確信を胸に、威風も堂々と進みたい。