2010.01.24 SP 全国各部協議会での名誉会長のスピーチ〔下〕

一、明治の文豪・夏目漱石の長編小説『吾輩は猫である』といえば、懐かしい人も多いと思う。
少し気分を変えて、この有名な作品について若干お話ししたい。
難しい話ばかり、固い話ばかりでは、聞いているほうも疲れてしまう。一服の清涼剤となるような、皆がホッとする話をすることも大切だ。
同志が心軽やかに前進できるように、智慧を使い、力を尽くしていく。それが真のリーダーの道である。
『吾輩は猫である』の書き出しは、有名な一節「吾輩は猫である。名前はまだない」から始まる。
「猫」が語り手となって、猫の視点から、人間社会の様子が観察され、描かれている。
肩の凝らない軽妙な語り口でありながら、含蓄(がんちく)ある批評が随所に織り込まれ、読者をうならせる。
江戸っ子の漱石らしいユーモアに富んでおり、 「高等落語」とも言われる。
漱石が38歳になる1905年(明治38年)から約1年半、雑誌『ホトトギス』に掲載された。単行本も、またたく間に大ベストセラーとなった。
当時、漱石は東京帝国大学などで教師をしていた。この作品で小説家としての地歩を確立し、朝日新聞社に入社している。
その後、『坊っちゃん』『三四郎』『門』『こころ』など数多くの名作を残し、日本を代表する文豪となった。

■ 宇宙も己(おのれ)の中に 
一、この「猫」が住む家の主人は、東京の中学校で英語教師をする珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)先生。家族からは勉強家と見られているが、自分の部屋では、居眠りばかりしている。
苦沙弥先生や周囲を取り巻く人間たちは、負けず劣らずの変わり者ぞろい。次々と苦沙弥の家を訪れては、滑稽な話を取り交わす。
たたみかけるようなやりとりのなかで、世情を風刺し、権威を笑い飛ばし、文明のあり方まで自在に論じる。
猫は言う。
「元来(がんらい)人間というものは自己の力量に慢(まん)じて皆んな増長している。少し人間より強いものが出て来て窘(いじ)めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない」
人間の本質の一端を鋭くえぐった言葉といえよう。
人間は、誰からも厳しく言われなくなると、増上慢になって、駄目になる。堕落してしまう。だからこそ、謙虚に自分を律(りっ)していかねばならない。
また猫は、主人の様子を観察しながら、こう語る。
「熱心は成効(せいこう)の度に応じて鼓舞せられるものである」
一つの真理である。
何かを成し遂げ、人々から賞讃されれば、喜びは何倍にもなる。「よかったな」「もっと頑張ろう」と思う。
私たちも学会活動において、同志の健闘に対しては最大の賞讃を送りたい。「すごいですね!」「頑張りましたね!」と声も惜しまずに、ほめ、讃えていくことだ。
そういう温かな心が脈打っている組織は、生き生きと前進できる。どんどん発展していける。
一、漱石は猫に次のように語らせている。
「凡(すべ)て人間の研究というものは自己を研究するのである。天地といい山川(さんせん)といい日月といい星辰(せいしん)というも皆自己の異名に過ぎぬ」
自分自身を知ることから、すべては始まる。また、さまざまな研究も、結局は人間自身の探究へと帰着していくといえる。
御書には「日月・衆星(しゅうせい)も己心にあり」(1473ページ)と仰せである。
わが生命に全宇宙が収まっている。この自己の生命を、あますところなく説き明かしているのが妙法である。
妙法を持(たも)った人こそ、最高の大哲学者なのである。

■ 信心で決まる 
一、世をごまかし、うまく立ち回る者について、「人から珍重される人間ほど怪しいものはない。試して見ればすぐ分る」と、猫が言う。
皆さんも、ありのままの実像で、偉い人物となるのだ。
仏法の眼から見れば、どんな立派な大学を出た人よりも、広布のため、妙法のために行動しゆく人のほうが、何千倍も尊い。
学会においては、学歴があるからといって特別扱いしたり、威張らせるようなことがあってはならない。
大学で学ぶのは、社会に尽くし、人々に尽くすためである。
庶民を護り、正しい人を護っていく。そのための学問である。それができる人が、本当に偉い人だ。
学歴や地位ではない。その人の本当の偉さを決めるのは、信心だ。行動だ。人格だ。
学会は、不屈の信心をもった庶民の力で、ここまで発展してきた。このことを決して忘れてはならない。
一、小説の最後のほうで、猫は言う。
「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」
他人には分からない悲しみもある。気楽な暮らしも、いつまでも続かない。
人生は変化の連続だ。人間は、やがて年を取る。病気にもなる。そして最後は死んでいく ── 。
それが人生の実相である。だからこそ確固たる哲学を持ち、真に価値ある日々を築いていかねばならない。

■ 後輩に励ましを
一、夏目漱石は、文筆家を志す青年に宛てた手紙で綴っている。
「自分で自分の価値は容易に分るものではない」
「君杯(きみなど)も死ぬ迄進歩する積りでやればいいではないか。作(さく)に対したら一生懸命に自分の有らん限りの力をつくしてやればいいではないか」(『漱石人生論集』講談社)
私だって、君くらいの年齢の時は、たいした作品は書けなかったよ。自分を信じて頑張り抜くのだ ── 。
手紙には、漱石の後輩に対する温かな励ましの心が光っている。
別の青年には、こう綴っている。
「余(よ)は君にもっと大胆なれと勧(すす)む。世の中を恐るるなとすすむ」(同)
「大(おおい)に勇猛心を起して進まなければならない」「世の中は苦にすると何でも苦になる苦にせぬと大概な事は平気で居られる」(同)
また、別の手紙では、こう励ました。
「男子堂々(どうどう)たり」「君が生涯は是からである。功業(こうぎょう)は百歳の後に価値が定まる」(同)
今の苦悩は、小さなことにすぎない。大業をなした後には、かえって君に光彩をもたらすだろう ── 。
漱石自身の経験に基づいた言葉であろう。
青年には無限の力がある。可能性がある。
青年よ大胆に進め! 何ものも恐れるな! そして、わが勝利の歴史を綴りゆけ! ── 私は、そう申し上げたい。
また漱石が、俳人で小説家の高浜虚子(たかはまきょし)に宛てた手紙には、こう綴られている。
「機会は何でも避けないで、其儘(そのまま)に自分の力量を試験するのが一番かと存候(ぞんじそうろう)」(同)
大事なのは挑戦だ。行動だ。私たちは、この気概で壁を破りたい。
一、私は青年時代、苦境にあった戸田先生を護り抜いた。先生や学会を中傷する人間がいれば、断固として抗議した。誠意を尽くして対話し、認識を改めさせた。
最後には「学会には、こんな立派な青年がいるのか」と感心してくれる相手もいた。
私は、嘘や不正義は許さなかった。師匠に仇をなす人間とは戦い抜いた。
悪い人間と戦えない。悪を見て見ぬふりをする。そんな意気地なしの弟子であってはならない。私は、この信念で戦ってきた。そして勝ってきた。
これが私の最大の誇りである。

■ きょうも歴史を
一、私は、学会が未来に伸びるように、ありとあらゆる手を打ってきた。今、創価の平和・文化・教育の大城は、日本中、世界中に、そびえ立っている。
日本でも、各地の研修道場など自然豊かな施設が光っている。
北中南米にも、欧州にも、アジアにも、さらにオセアニアにも、アフリカにも、素晴らしき希望と友情の園が広がっている。
万年の大発展の土台を、完壁に築きたい。いよいよ、これからが本当の勝負である。
今、この時に戦わずして、いつ戦うのか。
栄光のゴールを目指して走ろう!
飛び出そう! きょうも最前線へ! きょうも友のもとへ!
「昔の先輩たちは、このように歴史を綴ってきたのか」と、後世の人々から仰がれゆく、模範の金字塔を打ち立ててもらいたい。
信心の世界は「真実の心の世界」である。嘘偽(うそいつわ)りは最後に敗北する。どこまでも誠実に戦い抜くのだ。
皆さんには、広宣流布の血脈を流れ通わせ、師弟の大精神を脈々と伝えていく使命がある。
頼むよ!

■ 広布の女性に最敬礼!
一、インドネシアの女性解放の先駆者カルティニは述べている。
「真に文化を向上せしめようとするならば、知識と教養とが共々啓発せらるべきだ、と考えます。
では一体誰が何者にもまして、教養をたかめ得るのに力があったのでしょうか ── それこそ他でもない、婦人であり母であると思います。母の下(もと)に於て人間はその最初の教育を受けるからです」(牛江清名訳『暗黒を越えて』日新書院。現代表記に改めた)
全くその通りだ。
学会の前進においても、婦人部の力が、どれだけ大きいか。
男性のリーダーは、女性の皆さんが喜んで、安心して活動に励めるよう、心を砕いてもらいたい。
婦人部や女子部の尊き奮闘に対して、うわべのお世辞ではなく、真心込めて、最大に賞讃していくのだ。
一、アメリカの作家パール・バックは、日本の関西の人々とも交流を結んだ。彼女は、自らの母を讃え、こう記している。
「母は何でも勇敢な、度胸のいいことを愛した」
「ケアリ(母=編集部注)はいつでも難関にぶつかると奮い立つのだった」(ともに村岡花子訳「母の肖像」、『ノーベル賞文学全集7』所収、主婦の友社)
「(母は)人生の経験によって何が来ようとも、断固として立ち向かえるだけの強さを身につけていた」(佐藤亮一訳『母の肖像』芙蓉書房)
まさに、創価の母たちであり、常勝関西の母たちの姿に重なる。
母の祈りに勝るものはない。
大難の嵐が吹き荒れた時、「尊き学会の世界が護られ、断じて邪悪が去るように」と祈って祈って祈り抜き、一切を勝ち開いたのは、心美しき母であった。
偉大なる広布の女性の皆様方に、最敬礼して感謝を捧げたい。

■ 師弟に生き抜け
一、日蓮大聖人は厳然と仰せである。
「日蓮が末法の初めの五百年に生を日本に受け、如来の予言の通り、三類の強敵による迫害を受け、種々の災難にあって、身命を惜しまずに南無妙法蓮華経と唱えているのは、正師(しょうし)であるか邪師であるか、よくよくお考えいただきたい」(御書1341ページ、通解)
法のために大難を受けているのは誰か。
三類の強敵と戦っている人は誰なのか。
その人こそを、正しき師と仰げ! ──
これが仏法の教えである。
どんなに偉ぶって見せても、難を避け、虚栄を貪(むさぼ)る人間は、真実の仏法者ではない。
正しい法を広め、難と戦う人こそが、偉大なのである。
正義に生きる我らには、難こそ誉れだ。最高の勲章である。
思えば、恩師・戸田先生と私は、28歳の開きがあった。
大難と戦う師匠を護る。それが大仏法をお護りすることに通じていく ── そう決心し、私は恩師・戸田先生に仕え抜いた。
広布の大将軍は、戸田先生しかいない。断じて指揮を執っていただきたい ── そう確信し、逆境の中、第2代会長就任への道を、命がけで開いた。
「先生! 時が来ました。舞台は整いました!」。そう申し上げた時の、恩師のうれしそうな笑顔。私は忘れることができない。
信心とは、役職や立場ではない。師弟に生き抜く人に、無量の功徳と栄光が輝くのだ。
そのことを知り、学会を護り、同志を護り抜く人間が、本当の指導者なのである。
一、御聖訓には、こうも仰せである。
「世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫(じんりん=人の道に適{かな}った人間)と名づけ、知らない者を畜生というのである」(同491ページ、通解)
人の心は恐ろしい。
いざとなると、臆病になり、保身に走る。手のひらを返して、傲慢になる。卑劣にも、裏切る。そうした者たちが、どれほど多くの民衆を苦しめたか。ここに、重大なる歴史の教訓がある。
恩を知る。恩に報いる。これが人間の道である。
いかなる時代になろうとも、たとえ誰一人、立ち上がらなくとも、自分は戦う。師匠が見ていないところでこそ、命がけで歴史を開く。正義を叫び抜く。それが真正の弟子だ。
皆さんは、そうした一人一人であっていただきたいのだ。

■ 楽しく前進 
一、信心で乗り越えられない山はない。
"絶対に勝てない"と言われた、あの大阪の戦いで、私は「まさか」を実現した。
戸田先生に勝利をご報告し、「先生のおかげです。学会員の力です」と申し上げると、先生は、にっこりと微笑まれた。忘れ得ぬ思い出だ。
「大切なのは始めることであり、目を開くことなのだ」とは、ドイツの文豪ヘッセの言葉である(高橋修訳「小さな喜び」、『ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集第4巻』所収、臨川書店)。
まず祈る。そして、勇敢なる一歩を踏み出すことだ。必ずや、勝利の未来は開かれる。
我らの信心は「不可能を可能にする」原動力である。
皆が勇気凛々と前へ進めるよう、リーダーは賢明な指揮をお願いしたい。
きょうは、全国の青年部の代表も参加している。
私たちの友人であった、アメリカの人権の母、ローザ・パークスさんは「若者たちが、自分の持っている最高の可能性に目覚められるように」手助けしたい。そう願って、青年の育成に力を注がれた(高橋朋子訳『ローザ・パークス自伝』潮出版社)。
私と妻もまた、同じ思いである。
青年の時代だ。青年部、頑張れ!
最後に、皆さんと一緒に「広宣流布の大勝利、万歳!」と声を大にして叫びたい。
長時間ありがとう! またお会いしよう! 楽しく前進しよう! 遠くから来られた皆さんも、本当にありがとう!
お帰りになりましたら、大切な同志に、くれぐれもよろしくお伝えください。
皆、お元気で!