随筆 我らの勝利の大道 1 10/01/01

◆私の創立80周年

――共々に偉大な「人間革命」の一年を!――

「大願」は広宣流布!さあ前進だ!!

元日や師弟の道は晴ればれと

元日や
師弟の道は
晴ればれと

学会創立八十周年の青空に、栄光の旭日が昇った!
元朝の光に照らされ、彼方には、白雪の富士が王者の如く輝きわたる。
民衆詩人ホイツトマンの力強い歌が聞こえてくる。
「徒歩で、陽気に、わたしは大道を歩き出す」
「さあ、出発しよう!君が誰であろうと来てわたしと一緒に旅をするのだ!」
歩いた分、前進できる。
進んだ分、道が広がる。
学会は永遠に前進する。世界に、幸福と平和と勝利の大道を広げていくのだ!



「新春の御慶賀自他幸甚幸甚」(御書一〇〇二ページ) 日蓮大聖人は、ある年
の正月、身延の地で、門下への御手紙に記された。
新春を明るく寿ぎ、自他共に喜び勇んで、張り切って出発する。この御文通り
の姿が、創価の新年勤行会である。
御聖訓は、さらに続いて、「そもそも、俗諦(世間の道理)の中においても、真
諦(究極の真理)の中においても、勝負をもって要とする」(通解)と仰せである。
世間法はもちろんのこと、仏法においても、その肝要は「勝負」にある。
仏法も、人生も勝負だ。一日一日が勝負であり一年一年が勝負である。断じて
勝たねばならない。断固として勝ち抜くことだ。必ず勝つための信心である。
創立八十周年――この一年の勝負も、我らは「法華経の兵法」で勝つのだ。



「八十」といえば、仏法では、仏・菩薩は「八十種好」という優れた相好を持
つと説かれる。大聖人は、この荘厳な姿とは、凡夫の肉身なりと洞察された。
「父母果縛の肉身の外に別に三十二相・八十種好の相好之れ無し即身成仏是な
り」(同八一四ページ)と仰せの通り、本有の我が生命が即、仏の尊極の威光を具
える。これが、日蓮仏法の極意である。
この本義に立てば、八十種好とは、広宣流布に戦う皆様方の生命の輝きにほか
ならない。
たとえば、八十種好の姿として「身は潤沢なり」「一切の悪心ある衆生も見る
者は和悦す」とある。これは、無作の高貴な姿で、あらゆる人びとを味方に糾合
しゆく、創価の太陽・婦人部の形容とも拝される。
「光、身を照らして行く」は、わが地域・社会を厳然と照らして闊歩する「黄
金柱」の壮年部であろうか。
「身は浄潔なり」とは、法華経の「如蓮華在水」の経文の如く、濁世のいかな
る悪にも染まらず、?華陽?の花を咲かせゆく清新の女子部である。
「牙は利し」は、破邪顕正の言論の牙を鋭く磨いた男子部・学生部の若き師子
の象徴といえようか。
ともあれ、妙法を唱え、広宣流布に励みゆく汝自身め生命が、どれほど尊貴で
あるか。まだまだ出し切れていない仏の力がある。もっともっと発揮できる仏の
智慧がある。
我らの創立八十周年は、一人ひとりが、本有の仏の生命を思う存分に開きゆく
年である。なんの遠慮もいらない。自らの八十種好の人格の光彩を、生き生きと
輝かせ切っていくのだ。



初日の出
若き心に
黎明を

五十年前(昭和三十五年)の元朝、小さな小さな我が家で、家族そろって勤行を
しながら、私は妻と共に、新たな一年の勝利を深く誓った。全学会員の「いよい
よの信心」と「幸福」と「躍進」を懸命に祈った。全日本、全世界に大地震等が
ないよう、平和と安寧を祈りに祈った。
一切は「誓願の祈り」から始まる。その元初の祈りを、一日一日と、自分の行
動に血脈として通わせていくのだ。
日蓮仏法は「因果一念」である。生命の奥底に固く決定した一念自体が、すで
に「勝利」であり「完勝」なのだ。
この昭和三十五年の聖教新聞の新年号に、私は「年頭のことば」を寄せた。?
本年十二月三十一日の勤行の際、一人ひとりが御本尊に、かく向上し、成長しま
したと、ご報告でき得る一年の修行でありたい?と。
この年の五月三日に、戸田城聖先生の不二の直弟子として、私は第三代会長に
就任した。そして新たな世界広宣流布の道を開き、勝って迎えた年末、師匠への
報恩感謝を胸に、ご報告申し上げた。
「会長就任の年を完勝しました!明年もさらに飛躍してまいります!」
あれから半世紀――今、猛然と若き弟子たちが立ち上がってくれている。
「戸田先生!わが創価の後継の陣列は、創立八十周年を美事な完勝で飾りまし
た。広宣流布の未来は盤石です!」
私は、会長就任五十周年の年の最後に、こう晴れ晴れと、ご報告申し上げる決
心である。



昭和四十年の元日付の聖教新聞から、私は平和への決意を込め、小説『人間革
命』の連載を開始した。おかげさまで、この正月で四十五周年となった。読者の
皆様の温かなご支援に心から感謝申し上げたい。
現在の『新・人間革命』まで変わらぬ主題は、「一人の人間における偉大な人
間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換を
も可能にする」である。
思えば、恩師・戸田先生は新春を迎えるたび、「今年こそ、今年こそ」と、新
たな山に挑んでいかれた。一年一年が、偉大なる人間革命の勝利の劇であられた。
私も一段と深く、「今年こそ!」と心に期している。 それでこそ、日蓮大聖
人が「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」(御書一四五一ペー
ジ)と教えられた覚悟に、連なっていけるからだ。
「師弟不二」とは、師匠の大境涯を仰ぎつつ、「月月・日日に」(同一一九〇
ページ)自分自身を人間革命することだ。弟子の「人間革命」によって、地域・
社会をも動かし、人類の幸福と平和に寄与していけるのだ。
イギリスの詩人ポウプは、「個々が強力となることが、全体にとって必要であ
り、個々が幸福であるに応じて、全体もまた幸福である」と言った。
その通りである。「一人」が強くならねばならない。君自身が強くなり、人生
を勝つのだ。他人ではない。自分がどうかである。
ゆえに私は、わが同志に、「この一年、汝自身の偉大な『人間革命』の歴史を!
」と強く祈り、叫びたい。



偉大な「人間革命」を成し遂げる要件は、何か。
それは、第一に,「師弟」の原点に立つことだ。
「師匠は大地の如し」(御書九〇〇ページ)だ。小さな種が、天にも届く大樹へ
と革命的に成長する。それは、原点の大地にしっかりと根ざすからこそだ。
第二に、勇気に燃えて「大願」を起こすことである。 蓮祖は「願くは我が弟
子等・大願ををこせ」(同一五六一ページ)と仰せだ。
どんなに現実が厳しくとも、負けじ魂を燃やして、大きく祈るのだ。広宣流布
の「大願」に立つのだ。
その勇気が、小さな自分の殻を必ず破る。
そして第三に、たゆみなき執念の「前進」だ。
御文には「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同一一九二ページ)とある。
いよいよ「師子王の心」を取り出して、惰性と戦い、諦めと戦い、三障四魔を一
つ一つ打ち破っていくのだ。
?常勝関西?の功労深き九十歳のお母様からいただいたお手紙を、妻は大切に
している。そこには、こう綴られていた。
――地域で出会う方々から「お元気ですね」と驚かれるたびに、申し上げてい
ます。
「私は、信心のおかげで元気です。学会には師弟があります。ですから向上で
きます。若い青年部、女子部がおり、みな私の友だちです。世界にも、多くの学
会員がおります。世界中の方々の体験を聞かせてもらえるので、年をとっても、
私の心は青春です」
そう会う人ごとに語りながら、楽しく仏縁を広げております――と。
創価の母は、あまりにも気高い。この母たちが最高の笑顔で喜んでくださる
「常勝」の花の冠を、我らは捧げたい。



堂々と
青春乱舞の
勝利道

あの源義経が歴史の表舞台に登場したのは八百三十年前(一一八○年)。義経は
二十二歳であった。
彼の名将たる所以は、人が不可能と諦めた?先入観の壁?を打ち破る勇気と妙
策、そして一歩も退かずに攻め抜く?超攻撃型?の戦い方であったと言われる。
今、私には、妙法の名将の後継たる、男子部・学生部がいる!世界に友情を広
げゆく?華陽?の乙女たちがいる!
わが師・戸田先生が生誕された百十年前、自由を求める乙女が毅然と叫んだ。
「闘わないで、どうして打ち勝てるというのでしょう。求めずしてどうして得
られるというのでしょう」――インドネシアの女性解放の先駆者カルティニの言
葉だ。彼女は、どんな苦難でも乗り越える力を持っていると胸を張った。
若き友よ、乙女たちよ!君たちの時代だ。躍り上がる勢いで、自身の偉大な闘
争を開始するのだ!



この一月が生誕百五十周年となる、ロシアの作家チェーホフは呼びかけた。
「進め!ほらあの遠くに輝く明るい星をめざしてまっしぐらに進むんだ!」
完勝の一番星は青年だ。
大文豪ゲーテは、「若い人を私は欲しい」と語り、弟子たちに英雄ナポレオン
の金言を示した。「人材に道をひらけ!」と。
私も、心から訴えたい。
「青年に道を開け!」
そして、「青年よ、勝利の大道を開きゆけ!」と。
我らの威風堂々の前進とともに、無限に道は広がっていくのだ。創価完勝の広
宣流布の大道が!
進もう、わが同志よ!
断じて勝とう!
わが愛する弟子たちよ!