2009.12.26 SP全国代表者会議〔上〕-抜粋紹介


本年、生誕260周年を迎えた大文豪ゲーテは言う。
「感謝しなければならぬ人と出あいながら、感謝をわすれていることが、どんなにしばしばだろう」

よく戦ってくれた同志、陰で支えてくれた方々に、心から感謝の声をかけていくこと。

声一つ、言葉一つで、人間の心は動く。その心が一切を決める根本。

「心こそ大切」(御書1192P)。
「声仏事を為す」(同708P)。

恩師・戸田第2代会長の忘れ得ぬ指導。
恩師が晩年に、こうおっしゃった。
「人生において大事なのは、希望だ。
希望があれば、前進できる。何があっても戦える。生き抜いていける。
そして、忍耐だ。
忍耐なき人は、愚痴に負ける。
前進している人は、息吹がある。朗らかだ。
前進していない人は、暗い。佗(わび)しい。
不退転の心で、朗らかに前進すれば、必ず勝利できる」
この恩師が示した「希望」「忍耐」「前進」、そして「勝利」を合言葉に、晴れ晴れと、全員が、明年を勝ち飾っていこう!


■会員が中心!

先生は最高幹部に対して叫ばれた。
「大変なところ、人が嫌がるようなところで、うんと戦うのだ。そこに自分の勝利がある。そこで、広宣流布の勝利を開いていくのだ」と。
大変な中で、勝利の活路を開いてこそ、リーダー。同志の期待に応えていく。
もしも幹部に気取りや威張りがあれば、真剣な同志の戦いの邪魔になるだけ。

また、幹部だからと思い上がって、信心を忘れ、道を踏み外して、真面目な会員を失望させるようなことは、絶対にあってはならない。くれぐれも心していただきたい。

戸田先生は、こうも言われた。
「負けるということは、恥。どんな戦いも、絶対に負けるな!御本尊に祈り抜いてみよ!
今の20倍、そして、100倍の結果が必ず得られる」

行くところ、行くところで、「あなたなら信頼できる」「あなたなら応援したい」と言われ、多くの人を味方に変えていった。

どうか、わが生命を赤々と燃え上がらせて、聞く人の胸が熱くなるような、心に響く対話を広げていってもらいたい。

また、会合で話す際も、「きょうの話は聞いていて疲れなかった」「きょうの話は心に染みたな」と皆に喜んでもらうには、どうすればいいのかを真剣に考えること。

それが自分自身の成長につながっていく。
独りよがりではない、また「幹部中心」ではない、本当の「会員中心」の学会を、皆さんがつくっていく。

■冷戦の渦中に各国の首脳と
大事なのは行動。

誰が見ていなくとも、地道に友と語り、友を励ましていく。

派手さはなくとも、地位とか肩書などなくても、尊き庶民の同志から慕われる、偉大な心の王者の人生を歩んでいくこと。

メキシコの20世紀の詩人オクタビオ・パスは歌った。
「私は目の前の一人一人を信ずる。どの命も、一見、素朴に見えても、大英雄に劣ることはない」

いわんや学会員は、
一人一人が地涌の菩薩。
一人一人が広宣流布の大英雄。
全力で励まし、その力を引き出していく。
それがリーダーの責務。


■恩師とめ出会い

1947年(昭和22年)の8月14日、座談会で初めて先生とお会いした。
「池田です」 ─ 私の紹介を受けて、先生は言われた。
「池田君は、幾つになったね?」
初対面とは思えない、なんともいえない親しみを込めて、私に話をしてくださった。
仏法の深遠な哲学は、まだわからなかった。しかし私は、戸田先生の人間性と、その率直な振る舞いに深い感銘を受けた。何より2年間、軍部政府と戦って牢獄に入った事実は決定的であった。
この人についていこう! ─ そう心に決めた。
その10日後に入信。やがて「私のところに来なさい」と言われて、21歳の時から戸田先生の会社で働くようになった。
当時、、先生は日本正学館という出版社を経営されていた。事務所は東京の西神田にあった。
小さな建物で、3階建てだった。今、振り返れば、「戸田先生は、あんな狭いところで大号令を発していたのか」と驚くほど、質素な建物であった。


■荒波を越えて

一、ドイツの文豪ゲーテは、戯曲の中で、こう記している。
「人格を磨くには世の荒波に揉まれねばなりませぬ」
私の青春もまた、荒波の中での闘争の連続であった。
戸田先生のもとで働き始めてからしばらくすると、経済の混乱にのまれ、先生の事業は破綻してしまった。多額の負債を抱えた。
先生は大実業家だったが、長い獄中生活で、それまでの会社は皆、駄目になってしまった。
戦後、新たな事業を起こされたが、時代の荒波には抗(こう)しがたかった。明日をも知れぬ状況だった。
戸田先生は言われた。
「広宣流布のために、“男の生きざまとはこうだ!”というものを、俺と大作の二人で、この世に残そうじゃないか!」と。
先生をお護りするため、私はすべてをなげうって戦った。病をかかえ、弱い体だったが、先生を支え抜いた。
先生の奥様も、私に「そばにいてやってください」と言われていた。
戸田先生は私のことを心配され、「大作は30歳まで生きられない。私が無理をさせてしまった」と言って、慟哭(どうこく)された。
どんな権力者も、どんな権威の人も恐れない先生だった。誰に対しても変わらぬ態度であった。
不条理に対しては激怒された。
そのすさまじさに、邪悪な人間は震えあがった。
戦時中の軍部の弾圧にさえ屈しなかった先生。
肩書ではない。人間の中身を、まっすぐに見ておられた。地位や立場など、表面的なものに過ぎないと考えておられた。
まさに正義の巌窟王であった。
その剛毅な先生が、私の体を案じ泣いてくださった。私は、この偉大な師匠に仕えきってきた。
牧口先生、戸田先生、そして私の三代で、完壁な師弟の土台はできあがった。
このことを強く申し上げておきたい。


■全同志を代表しての栄誉


日蓮大聖人は「法華宗の四条金吾、四条金吾と鎌倉中の上下万人、さらには日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい」(御書1118P、通解)と

仰せ。仏法者として、また一人の市民として、「あの人は立派だ」「さすが学会員だ」と讃えられるようになっていかねばならない。
世界から寄せられるSGIへの賞讃は、この御聖訓に示される通りの姿と思うが、どうだろうか。


■正義を叫び抜け臆病者になるな

一、私は青年時代、戸田先生や学会を中傷する者がいれば、即座に飛んでいって、厳重に抗議した。
栃木などにも足を運び、学会の正義、師匠の偉大さを正々堂々と訴えた。
そして最後には、認識を改めさせた。
御聖訓には仰せ。
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(同1282P)

大事なのは勇気だ。
相手が誰であろうと、堂々と正しいことを言い切っていく。仏法の偉大さ、学会の正義を叫び切っていく。
皆さんは、そうしたリーダーであってもらいたい。
特に犬切なのは青年だ。いよいよ青年を薫陶して、伸ばしていく時。
新時代を開きゆく、広宣流布の闘士の陣列を築いてまいりたい。


■心を開けば友情が生まれる

一、恩師の心をわが心として、私はこれまで、五大陸の54ヵ国・地域を駆けた。「平和の種」「妙法の種」を蒔(ま)いてきた。
明年は、世界への平和旅を開始してから、ちょうど50年。SGIの連帯は、192ヵ国・地域にまで大発展した。
私は一対一の対話を重ね、人間主義の新世紀を建設してきた。
若き皆さんもまた、この「対話と友情の大道」に、勇敢に続いていただきたい。
心を開いて、人と会って語れば、必ず何かが生まれる。


■活字文化は「精神の泉」「社会の光」

一、明年は「国民読書年」。
わが国でも活字離れが進み、心ある人々は「活字文化の振興」を強く願っている。
「哲学なき時代」にあって、活字文化こそ「精神の泉」。「社会の光」。
ゲーテが望み、ユゴーが夢見た調和と共生の世界を、我らは、民衆の心の革命によって開いていきたい。
(続く)