2009.10.18 SP 池田名誉会長の人物紀行「歴史と巨人」を語るレオナルド・ダ・ビンチ


「汝、奮起せよ!」「精神は鍛錬なしには堕落する」ルネサンスの巨人は、そう鼓舞しているようであった。
 1999年の11月3日。創価大学の本部棟に完成した、レオナルド・ダ・ビンチの像と、私は向き合った。
 ブロンズ像の高さは、台座を含め、約4・8メートルにもなる堂々たる偉容である。
 米国の高名な社会活動家ブラスナー博士が寄贈してくださった宝である。彫刻家・平田道則(みちのり)先生の渾身の力作だ。
 真理を射貫く鋭き英知の眼。創造への燃え盛る情熱を象徴する髪と髭(ひげ)。
利き手であった左手は羽ペンを持ち、右手のノートに、迸(ほとばし)る思念を書き付けようとしている。
彼は、その生涯において、1万ページともいわれる膨大なノートを書き綴った。
米ソを結んだ大実業家アーマンド・ハマー博士のオフィスにお招きいただいた際、その人類の至宝であるダ・ビンチのノート(レスター手稿{しゅこう})を拝見した思い出がある。
 「もっと良く知るために」(三神弘彦訳『パリ手稿H』岩波書店)とは、ノートに繰り返し記された彼の求道の真情である。
 絵画、彫刻はもとより、音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学等、彼の探究の翼は限りなく広がり続けた。
 「その偉大さの前には、芸術家、科学者、哲学者というように線を引くことが、おそらくは無益(むえき)であろうと思われる」と、ドイツの大哲学者ヤスパースは感嘆している(カール・ヤスパース著、藤田赤二訳『リオナルド・ダ・ヴィンチ』理想社)。
 創立以来、私は「創造的人間の建設こそ、創価大学の使命なり」と訴え続けてきた。その最高最大のモデルこそ、レオナルドに他ならない。
 世界中から来学される知性を、創大生・短大生は、この像の前で歓迎する。人類が共に仰ぐ万能の世界市民が、その光景を見守っているのだ。
      
            「幸運は、みずから努力する人にのみ宿る」(『リオナルド・ダ・ヴィンチ』)─ これがレオナルドの信条であった。ゆえに、「他人の労苦で、その身を飾
ろうとする」(小野健一他訳『知られざるレオナルド』岩波書店)人間を軽蔑した。
そして、「執拗な努力よ。宿命の努力よ」「可愛想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」(杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』岩波文庫)。そう自らに問うほど、奮励(ふんれい)努力した。
現存する彼のデッサン(素描)は、900種ともいわれる。地道な労作業の結晶だ。こうした膨大な努力の蓄積なくして、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」は誕生しなかったことを知らねばなるまい。
レオナルド研究の第一人者であられる裾分一弘(すそわけかずひろ)博士から、貴重な著書を頂戴した。博士の研究書には、レオナルドが後輩の画家に贈った、アドバイスが記されている。
「建物の頂上に達するためには、一段一段登ってゆく必要があり、さもないと頂上に達することは出来ない」(『レオナルド・ダ・ヴィンチ』中央公論美術出版)
忍耐こそ希望の母であり、執念こそ勝利の光である。「大(だい)なる苦悩なくしては、如何なる完成せる才能もあり得ない」
(『リオナルド・ダ・ヴィンチ』)─ かつて、私が学生部の英才に託した、レオナルドの結論である。

■ 小宇宙と大宇宙

レオナルドの労苦の精華に圧倒されたことがある。
1994年の6月3日。ダ・ビンチが仕えたミラノ公の「スフォルッツア城」を訪れた時のことである。「アッセの間」と呼ばれる部屋一面に描かれた、彼の装飾画をイタリアの友と鑑賞した。
世界最古の伝統を誇るボローニャ大学の講演で、「レオナルドの眼と人類の議会」を論じた2日後のことである。
そこには、壁面から天井へと枝を発する大樹が、すさまじい迫力で描かれていた。
なかんずく、その根っこが圧倒的な活力に充ち満ちて、鮮烈に描かれていた。 風雨に揺るがぬ大樹には、必ず厳然たる根がある。人が知らないところで、強さの土台が築かれるという生命の奥義に、レオナルドの慧眼(けいがん)は注目していたのであろうか。
岩盤を深々と引き裂く根から出発して、円柱の如く立ち上る樹幹(じゅかん)を走り、天井を覆う枝へと伸びゆくダイナミックな生命力の脈動が、そのまま伝わってくる。
レオナルドは、地質学等の研究を通して、地球も一つの生命体であると確信していた。肉は土、骨は山脈、血は泉、海の干満は呼吸や脈拍などと、人間の生命と宇宙の活動とを相応(そうおう)させていた。
 「脈は江河(こうが)に法(のっ)とり骨は玉石(ぎょくせき)に法とり皮肉(ひにく)は地土(ちど)に法とり」と説く仏法の知見とも、深く一致している。
人間の内なる小宇宙と、外なる大宇宙は不離(ふり)一体なのだ。
 ゆえにレオナルドは、尊き生命の蹂躙(じゅうりん)を許さなかった。
 「人間の生命を奪うことこそ兇悪この上ないことだ」「まことに、生命を尊重しないものは生命に値いしない」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』)
彼のノートに記された生命尊厳の叫びである。私は、全同志の代表として、イタリア共和国から功労勲章を拝受した際にも、御礼の中で、この点に言及させていただいた。
戦時中、レオナルドの名画をナチスの魔手から護り抜いたフランスの美学者ルネ・ユイグ氏は、私との対談の中で語っておられた。
「『モナ・リザ』の微笑と仏陀の微笑のあいだに、ある種の関係が認められる」 宇宙の真理を追究したレオナルドと、東洋の哲学との共鳴は、今後、一段と解明されていくテーマであろう。
「モナ・リザ」については、フランスの文化の闘士アンドレ・マルロー氏とも語り合ったことが懐かしい。
作家をはじめ多彩な活動で知られる氏は「現代のダ・ビンチ」とも呼ばれた。「モナ・リザ」の日本出展にも多大な尽力をしてくださった。
語らいでは、「死の超克(ちょうこく)」そして「永遠なるものへの接近」という氏の芸術観の真髄も話題になった。
死を見つめ、永遠を見つめる。そこから、いかに生を充実させていくか。その真の道を開いていこうとされたマルロー氏ならではの洞察だ。
氏とは、「モナ・リザ」の永遠の微笑を生んだルネサンスの精神的豊かさ、さらにそれを絵画として結実したレオナルド自身の永遠なる生命の輝きについても、論じ合った。
レオナルドは綴った。
「蓄財(ちくざい)の主の名声は消えてしまう。徳の栄誉の方が、財宝のそれよりもいかに偉大であろう。いかに多くの帝王や皇子が、消え去ったことか。彼らの記録は今日に何も遺(のこ)されていない」「一方金銭的には貧困の中に生き、しかし精神的には豊かな人生を送った者が如何に多くいたことか」(『レオナルド・ダ・ヴィンチ』)いささか唐突(とうとつ)かもしれないが、心豊かに友を励まし、生老病死の
苦悩を打開しゆく創価の母たちは、「永遠の常楽我浄(じょうらくがじょう)の微笑」を湛(たた)えていると、私は宣言したいのだ。
 美の巨匠レオナルドは、若い女性にこう忠告している。
 「君は気付かないのであろうか。青春の輝く美しさは、凝(こ)りすぎた装飾のために、かえってその素晴らしさを失ってしまうことに」(高階秀爾監修、後藤淳一訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ』創元社)
 「若さ」に勝る美はない。その宝を一段と光り輝かせるものは、内なる生命の太陽である。そう、レオナルドは語りかけているようだ。

■ 生涯、挑戦の人生

 「樹は高ければ高いほど風の通過によって撓(たわ)められる」とレオナルドは達観している(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』)。偉大な人生の常として、彼も嫉妬の誹謗に晒(さら)された。だからこそ、正義は力を持ち、賢明であらねばならないと。レオナルドのノートには、鍬(くわ)が地面を掘り起こす図が描かれ、こう添えられている。
 「よこしまな者どもを根こそぎにするために」(『パリ手稿H』)─ 正義の闘魂が凝結(ぎょうけつ)した一言だ。
 さらにノートには、槍を握っている手の図を描いて、「不屈。始める人のことではなく、続ける人のこと」とも綴られている(『パリ手稿H』)。
 レオナルドは生涯、挑戦の人生を生き抜いた。
 1973年の5月。私は欧州の青年たちと、レオナルドが最晩年を過ごした
「クルーの館」を訪問した。
 亡くなった寝室には、銅板に彼の言葉が刻まれていた。

 「充実した生命は長い
  充実した日々は
  いい眠りを与える
  充実した生命は
  静寂な死を与える」

 わが師匠の戸田先生も、死をよく睡眠に譬えられた。
  ─ ぐっすり眠って起きれば、元気が戻る。妙法と共に生きる生命は、ひとたび「方便現涅槃(ほうべんげんねはん)」の姿を示して、また元気に新たな使
命と福運の人生を始められるのだ、と。
           
創大のダ・ビンチ像の設置を、多くの識者が喜ばれた。レオナルドの手記の翻訳でも知られる杉浦明平(すぎうらみんぺい)先生からも祝賀のメッセージを頂いた。
先生は語っておられた。「レオナルドを学べば学ぶほど、人間の無限の可能性に驚きました。『一人の人間がここまでできるのか』と」
そして、創価の青年に ─ 「自分で考え、自分ですべての責任を持っていただきたい。レオナルドのように、万能の力を身につけていただきたい。その可能性は、だれにもあるのです」と期待を寄せてくださったのである。

■ 逆風を飛翔の力に

人間が空を飛ぶことを夢見たレオナルドは、鳥の飛翔(ひしょう)を鋭く観察し、記している。
「翼を開いて逆風をそれにとらえ、それによって高く上昇する」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 下』) ─ 逆風を飛翔の力に変える。これが、天高く舞いゆく生命の法則だ。
今、創価大学では、学業をはじめ知性輝く成果を挙げた秀才たちに創大ダ・ビンチ賞が贈られる。経済学検定試験で日本一を勝ち取る学生なども続々、躍り出てきた。21世紀の若きダ・ビンチたちの価値創造の活躍が、私は何よりも楽しみだ。
ダ・ビンチ像は、きょうも、微動だにせず、俊英たちに期待の眼差しを注いでいる。
「わたしは世を裨益する(ひえき=世のために尽くす)ことに疲れをしらぬ」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』)
その魂の声が、私は聞こえてくるような気がする。