2009.10.06 SP 方面長協議会〔中〕

一、時代を変えるのは、青年だ。未来は、すべて青年に託す以外にない。後輩たちを励まし、頑張ってもらうのだ。若い人たちは、ぐんぐん伸びていく。年配の幹部を追い抜いていく面もあるだろう。先輩は、どんどん力を発揮させてあげる。青年のために、あらゆる手を打つ。決して、邪魔したり、押さえつけたりしてはいけない。むしろ、先輩から声をかけ、温かく激励する。若いからといって、下に見て、あごで使おうとするのは、大間違いだ。そうではなく、信頼し、慈愛をもって「一緒にやろう!」と応援していく。完壁に、バトンタッチしていく。そして、全員が伸び伸びと、楽しく、若々しく動いていく。そこに新たな勝利の突破口が開ける。

■ 大願に生き抜け

一、日蓮大聖人は、厳しい「熱原の法難」の渦中に、若き南条時光に仰せになられた。「願くは我が弟子等(でしら)・大願(だいがん)ををこせ」(御書1561ページ)一生成仏、そして広宣流布という、人間として最極(さいごく)の「大願」に若き生命を燃焼させて、いかなる苦難も突破していくことを厳命なされたのである。この仰せに奮い立った南条青年は、師匠を護り、同志を護り、正義の勝利の旗を打ち立てていった。これが、広宣流布の方程式。戸田先生のもとで、私も、未来永劫に消えない弟子の勝ち戦(いくさ)を刻み残した。戸田先生は、よく言われた。「これからの学会を背負っていくのは、青年。諸君の手で、広宣流布の尊き大使命を達成せよ!」先生は、決して青年を甘やかされなかった。「このことは、青年部に任せよう」「この戦いは、青年部にやらせてみよう」と、名誉ある責任を一人一人にもたせ、新展開を託された。これが、先生の薫陶であった。師匠の期待と信頼に、私を中心に完壁に応えてきたのが、創価学会青年部の栄光。この伝統を担い立ち、青年部が、すべてを勝ち開いていく時が、学会創立80周年と、私は強く申し上げたい。

■ 信念の対話を!

一、大聖人は、南条時光に「ともかくも法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人だけでなく、信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい」(同1557ページ、通解)と。広布に生きる青春ほど尊いものはない。青年らしく、勇敢に大仏法を語り抜いていく。若い熱と力で対話を広げ、仏縁を結んでいく。青年が確信をもって語った分だけ、縁ある大切な人々を、幸福へとリードすることができる。希望の対話。哲学の対話。正義の対話。信念の対話。これこそ、今の時代が最も渇仰(かつごう)している。どうか、勇気をもって、明るく朗らかに、自信満々と、対話の波また波を起こしていっていただきたい。一、南米コロンビアの詩人アンヘル・マリア・セスペデスは歌った。「太陽は常に若い」皆さん方は、それぞれの使命の天地にあって、 「広宣流布の太陽」の存在である。ゆえに、常に若々しく大情熱を燃やしていく。明るく同志を励まし、組織を照らしていく。そして、自分以上の人材を育(はぐく)んでいく。「人のために灯(ひ)をともしてあげれば、自分の前も明るくなる」(同1598ページ、通解)と御書には説かれる。友のため、後輩のために真心を尽くしていくことが、自分自身の福運となる。わが栄光の未来を、明々(あかあか)と照らす。一、学会は、若い力が光っているから、強い。私がお会いした職者も、その点に注目し、感嘆されていた。「青年が、世界で活躍している。どうして、あれほどの発展を築くことができたのか」と。多くの方々から、「学会の話を聞きたい」「学会のことを教えてもらいたい」との声が寄せられた。それに応え、私は、各国の指導者、識者と会って会って会いまくった。「あなたと話して、よくわかりました。これからも、見守らせてもらいます」─ そう語る人もいた。友人をつくろう!味方を増やそう!偏見や誤解のある人をも、よき理解者に!そう決意して、誠実に、また大胆に、人間革命の希望の哲学を語りに語ってきた。あえて大変なところへ行った。急所の人と会った。心を変え、心を結んできた。

■ 今、種を植えよ 明日のために! 

一、今、あの国にも、この地にも、我らの友人がいる。同志がいる。世界の多くの指導者が、創価の平和・文化・教育運動に深い賛同を寄せている。その一人が、南米、そして世界を舞台に行動を広げておられる、アルゼンチンの「人権の闘士」エスキベル博士(ノーベル平和賞受賞者)。博士と私との対談集が、今年の創立の日(11月18日)を記念して、発刊される。博士は、正義のため、人権のため、命を賭して軍の独裁政治と戦い、青年の道を開いてきた方。追放、投獄、拷問 ─ 幾多の迫害を勝ち越え、乗り越えてきた真情を、博士は私に語られた。

「臆病に負けてしまえば、人間としての根本条件を失い、暴力と恐怖を生み出す権力に追随するだけの人間に堕落してしまいます。そうはなるまいと私は決めていたのです」
そして青年への期待を、こう述べられた。

「青年は諸国民の未来と言われますが、私はむしろ青年は『現在であり、今日であり、今』と呼びかけたいのです。なぜなら、青年が“今”何をしているか、その現在が未来を決定するからです。未来は、その現在から直結している《結果》です。今日、種を植える勇気をもつものが、あした、果実を収穫するのです」

博士は、SGIの会合等にも出席し、激励してくださった。アルゼンチンSGIは、青年部を先頭に、目覚ましい前進を続けている。私は、本当にうれしい。今年2月、アルゼンチンの全国青年部幹部会で、博士は、こう呼びかけておられた。

「大事なことは、皆さんが絶対に『笑顔』と『希望』を失わないことです」「なかには、現実を目の当たりにして、希望が消え失せていくような気がする人もいるでしょう。ところが、そうではないのです。『希望』こそ、『変革』するための原点なのです。若い皆さんは、常に希望に燃えて、美しい笑顔をたたえて戦ってください」

この博士の言葉は、女子部の池田華陽会の皆さん方に対する力強い励ましでもあると、私には思える。博士はこうも言われた。

「女性は、大いなる智慧と勇気の持ち主です」 「正義を確立するために団結してください!」

古代ギリシャの詩人ピンダロスの歌にも、「正義の道を進むあなたは、大いなる福に囲まれている」とある。日本、そして全世界の池田華陽会の皆さん! いよいよ胸を張って、歌声も楽しく、仲良く朗らかな大前進を、と申し上げたい。

〈エスキベル博士は、アルゼンチン青年部の幹部会で、こうも語っている。「池田SGI会長と創価学会が示す軌道に連なり、訓練を受けられるのが、いかに福運あることか、皆さんには、想像もつかないでしょう。創価学会の中で、皆さんは、青年として、先生のような師匠を得て、その師匠から価値観や精神性について薫陶を受けられることを感謝すべきです」〉

一、「信教の自由」の擁護のために行動する創価学会青年部に、エスキベル博士のエールは、絶大。「皆さんは、人間の一切の基盤『人権』と『生命の尊厳』という、実に重要なテーマに取り組んでおります」「人権には、すべての民族、すべての人間の『信教の自由』をこそ含めなければならないはずです」「私は、皆さんの行動に対する『連帯』の意思を表明させていただきます」創価の青年こそ、人権を護り抜く難攻不落の大城たれ! ─ 世界の良識は、こういう思いで熱く見つめていることを、皆さんには知っていただきたいのである。


■ 「正義」が勝つ歴史をつくれ! 

一、エスキベル博士とは、アルゼンチンの民衆詩人ホセ・エルナンデスの不朽の叙事詩『マルティン・フィエロ』についても語り合った。その一節を、男子青年部に贈りたい。

「いかなる土地も戦場ことは、誰もが知っている。男として生まれた以上、どこであろうと、しっかりと足を踏ん張る」「もし生意気にも誰かが道を妨げようとも、私はわが道を行く。男はなすべきことをなさねばならない」「人は、受けた恩義を決して忘れてはならない」「戦うべき時は、粘り強さがなくてはならない」

私は、大地を踏みしめ、道を切り開き、今日の世界広宣流布の地盤をつくった。どれだけ疲れたか。どれだけ苦しんだか。しかし、わが身を犠牲にしても、学会を護り、同志を護り、師弟の道を貫く。そういう人生を歩んできた。立場ではない。役職ではない。真の弟子と立つ「一人」がいるかどうかだ。戦うべき時に、戦わない。手のひらを返して逃げる。そうした忘恩の人間の末路が、いかに、わびしいか。誰が師匠を護ったか。誰が同志を護ったか。誰が勝利を開いたか。人は見ていなくとも、天は見ている。歴史が裁く。今こそ、青年部は師弟直結で立ち上がってもらいたい。ここまで私が言うのは、未来のことを思うからだ。私は真剣だ。広宣流布の将来が、どうなるか。どうするのか。それを、じっと祈り、見つめ、戦っている。人がどうかではない。自分が、必死の祈りで立ち上がる。私が入信した当時の学会には、威張るだけの幹部や、後輩を大切にしない幹部がいた。私は大嫌いだった。そんな私の思いを戸田先生は見抜かれ、こう言われた。「それならば、大作、お前が本当に好きになれる学会をつくればいいではないか。うんと苦労し、真剣に戦って、お前の力で理想的な学会をつくれ!」その通りに、私は、世界が賞讃する学会をつくり上げた。戸田先生と不二の心で、輝く民衆の幸福城を築いてきた。今度は若き皆さんが、正義が勝つ歴史を晴れ晴れと築いていただきたい!


■ 理想が高いほど到達点は高い 

一、迫害のなか、民主主義のために戦った、アルゼンチンの大科学者ウサイ博士は語っている。

「青年は、崇高な理想をもち、偉業を成し遂げることを考えねばなりません。なぜならば、人生というものが常に、志の一端しか実現できないならば、夢見ることが高いところにあればあるほど、より一層高いところまで到達し得るからです。今日、獲得されたものは、かつて不可能とされていた青年の夢が現実化したものであります」

たしかに、戸田先生も言われていた。「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよい。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから望みが小さいようでは、何もできないで終わる」と。わが青年部よ!君たちの時代に、人類の希望と輝く、壮大なる連帯を、思う存分、築き上げてくれたまえ! ─ そう私は託したい。

〈エスキベル博士はこうも語っている。「『平和は実現可能』との深い確信を持って、博士は、超人的な忍耐力で、世界各国の青年と対話の場を作り続けています」「私はこの今の時代を覆う闇を打ち破る思想として、SGI会長の掲げる『人間主義』に深く共鳴するもの。これこそ、天類が進むべき新しき道ではないだろうか。『平和と善の連帯』を地球全体へと広げゆく挑戦は、まさしく喫緊(きっきん)のテーマなの」〉


■ 宿命転換の好機(チャンス)

一、仏法では、「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」「娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう)」「化城即宝処(けじょうそくほうしょ)」など、「即」という甚深の法門が説かれている。これは、「迷い」と「悟り」など、正反対の概念を、単なる「イコール」で結ぶものではない。誠にダイナミックな実践論であり、究極の希望の大哲学。広宣流布を目指し、信心根本に進む途上にあって、いかなる難事が競い起ころうとも、断じて打ち破れないことはない。その時こそ、「宿命転換できる」「ピンチこそチャンスな」「偉大なる勝利の土台を築く」と大確信に燃えて、勇気ある信心で、妙法という「絶対勝利」の軌道を、前へ前へと進んでいく。牧口先生も、座談会などで悠然と語られた。

「難というものは、どんなに大きな難であろうとも、それは大きな舟に小石を積んだようなも」

一喜一憂する必要はない。「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との仰せを抱きしめて、「絶対に乗り越えられる!」「断固として勝ち越えてみせる!」「勝利しないわけがない!」と、一念を定めて祈り抜き、祈り切る。大聖人は「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(同732ページ)と明かしておられる。妙法を唱え、妙法に生き、「勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)」していけば、この法理に則(のっと)り、どんな苦難も栄光に転じゆく「逆転劇」が、必ず必ず開かれる。この絶対の確信に立って、永遠の栄光を勝ち取るまで、“わが弟子として、不屈の信心を勇敢に貫け!”と、御本仏は常に励ましてくださっている。御聖訓には仰せ。「法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい」(同 1360ページ、通解)「法華経の信心を貫き通しなさい」(同1117ページ、通解)勝つまで戦う!貫いて、最後は必ず勝つ!この堅忍不抜(けんにんふばつ)の一念で戦い抜いてこそ、無上の栄冠は輝くの。


■ 困難は発展の源

一、大実業家であった松下幸之助先生とは、幾たびとなくお会いした。松下先生が繰り返し強調された哲学の一つは“困難こそ発展の源”ということであった。「困難に直面した場合には、それから逃げてしまうのでなく、それをのり越えていくよう勇気をふるって立ち向かうことが大切。そういうところから、思わぬ知恵と力も発揮され、自他ともによりょき成果を得ることもできる場合が少なくない」(松下幸之助著『決断の経営』PHP研究所)とくに、松下先生は、どんな事業も、どんな団体も、「10年」を一つのリズムとして、何らかの困難の壁にぶつかる。その時に、全力で立ち向かっていく。その繰り返しのなかで、発展への道が開かれると達観されていた。

ともあれ、御聖訓には、「禍(わざわい)も転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(御書1124ページ、通解)と御断言されている。我々には、御本尊があられる。信心がある。祈りがある。ゆえに、何も恐れるものはない。戸田先生は言われた。「何があっても、御本尊に祈り抜くと決め切っていくことが、最も立派な哲学」そして「いかなる大難があろうとも、がっちり結束して、学会の大行進を絶対に乱すな!」と。異体同心の「祈り」と「団結」で、各方面、各県区の未曾有の広宣流布の大前進を頼みます!