御書と師弟第22回「三世の勝利劇」〔上〕
恩師と出会い62年
仏法の師弟は永遠不滅です。私は「月月・日日に」、恩師・戸田城聖先生と前進してい
ます。
師弟は一体です。同じ目的に向かって、同じ責任をもって、同じ戦いをしていくのです。
毎朝、私は胸中の先生にご挨拶し、「きょうも一日、弟子は戦います! 勝ちます!」
とお誓い申し上げて出発する。不二の一念で、全国、全世界の広布の指揮を執り、夜には
一日の勇戦の結果を先生にご報告申し上げる。その連戦が私の毎日であります。
恩師と出会って六十二年。行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、私は常に先生と一緒で戦い
抜いてきました。恩師は、私の血潮の中に厳然と生き続けておられます。今世も一緒であ
り、三世にわたって一緒です。
戸田先生と初めてお会いしたのは、東京・大田区の座談会です。昭和二十二年(一九四
七年)の八月十四日、木曜日の夜でした。先生は四十七歳、私は十九歳。私は、先生に質
問申し上げた。
「先生、正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか」
先生は私の目をじっと見つめ、答えてくださいました。
「人間の長い一生には、いろいろな難問題が起きてくる。人間、生きるためには、生死
(しょうじ)の問題を、どう解決したらいいか ─ これだ。これが正しく解決されなけ
れば、真の正しい人生はない」
「生死」という人類の根本間題を解決するには、仏法の信仰しかない。この大確信を先
生は、名もない一青年に諄々(じゅんじゅん)と語ってくださったのです。
この出会いから、私の師弟不二の闘争は始まりました。私が戸田先生にお仕え申し上げ
たのは十年余。しかし、この十年で、百年にも、千年にも匹敵する薫陶を受け切ったと自
負しています。
最蓮房への御金言
今回拝する「生死一大事血脈抄」の御聖訓は、師弟という仏法の真髄を明かされていま
す。
「過去の宿縁(しゅくえん)追い来(きた)って今度(こんど)日蓮が弟子と成り給う
か・釈迦多宝こそ御存知候(そうろう)らめ、『在在諸仏土常与師倶生(ざいざいしょぶ
つどじょうよしぐしょう)』よも虚事(そらごと)候(そうら)はじ」(御書1338ページ)
─ あなた(最蓮房)は、過去の宿縁に運ばれ、今世で日蓮の弟子となられたのでし
ょうか。釈迦仏・多宝如来の二仏こそがご存じでありましょう。法華経化城喩品(けじょ
うゆほん)の「在在諸仏土常与師倶生」の経文は、よもや嘘とは思われません ─ 。
本抄は文永九年(一二七二年)の二月十一日、大聖人が流罪の地・佐渡で、門下の最蓮
(さいれんぼう)房に与えられた法門書です。
最蓮房は、天台宗の学究(がっきゅう)ですが、何らかの理由で佐渡に流罪された人物
とされます。大聖人の法門と御人格にふれて、帰依(きえ)しました。
教学の素養を具(そな)えた知性派であり、しかも熱い求道の心に燃えた門下でありま
した。この「生死一大事血脈抄」や「諸法実相抄」など、仏法の極理(ごくり)を明かさ
れた重要な御書を、数多く賜(たまわ)っています。
流罪の地・佐渡で出会い、共に大難にあいながら、弟子の道を貫く覚悟をもった門下。
まさに不思議なる縁の師弟であります。
その最蓮房を、大聖人は最大に讃え、「在在諸仏土常与師倶生」の経文を示されたので
す。
これは、法華経化城喩品第7の文で、「在在の諸仏の土に常に師と倶に生ず」(法華経
317ページ)と読みます。
あらゆる仏の国土に、師と弟子が常に倶(とも)に生まれ、仏法を行ずる。すなわち、
師弟の因縁は今世だけでなく、永遠にわたることを明確に示しています。
法華経の最大のテーマは、「師弟不二」にあるといっても過言ではありません。
弟子たちを、いかに自身と同じ不二の仏の境涯に高めるか。また、そうなれる力がある
ことを、どう弟子たちに悟らせるか。ここに、師・釈尊の深い慈悲と智慧があったのです。
仏の「三周の説法」
法華経では、そのために、弟子である声聞たちの機根(きこん)に合わせて、①法理②
譬喩③因縁という三つの視点から「師弟不二」の教えが説かれております。
声聞・縁覚(しょうもん・えんかく)の境涯でとどまってはいけない。皆、師匠と同じ
仏菩薩(ぶつぼさつ)の境涯を得られるのだ。この「師弟不二」の成仏の教えを三度にわ
たって周(めぐ)り説いたので、これを「三周の説法(さんしゅうのせっぽう)」と呼び
ます。
師匠は、弟子が生命の勝利を勝ち得るまで、繰り返し、粘り強く指導を続けるのです。
「在在諸仏土常与師倶生」の文は、この三番目の説法(因縁周)で語られます。
すなわち、仏と衆生の「因縁(原因とかかわり、いわれ)」は今世だけではない。過去
世の修行時代から長遠(ちょうおん)の間、続いてきたことを説いているのです。
─ 三千塵点劫(さんぜんじんてんこう)もの昔、私(釈尊)は大通智勝仏(だいつ
うちしょうぶつ)という仏の十六番目の王子として活躍していた。仏と同じく法華経の教
えを弘め、民衆を救ってきた。今、私の教えを聞いているあなた方は、遠い過去に王子で
あった私と因縁を結んできたのです ─ と。そこで明かされるのが、この「在在諸仏土
常与師倶生」の教えです。
師弟の宿縁は永遠なり!
釈尊の説法を聞いた弟子たちは心から驚嘆し、そして随喜(ずいき)した。「師弟不二」
という深遠(じんのん)なる境地を、法理でも譬喩でもなく因縁を説かれることによって
生命の底から実感し、信ずることができたのです。
最蓮房も、当然、この経文のことを知ってはいたでしょう。しかし、それをわが生命に
即して深く会得するためには、偉大なる師匠との全人格的な交流が必要だったのです。
経文に、よもや嘘があるはずはない ─ 。この仰せに、最蓮房は大聖人との深き宿縁
を確信したに違いありません。
如来の金言(きんげん)は絶対です。ところが、凡夫の浅い境涯では、その境地をなか
なか信じることができない。時には遠いお伽話のように感じることもあるかも知れない。
しかし、法を体現(たいげん)した師匠の広大無辺な境涯にふれるならば、生き生きと
実感し、如実に体得していけるのです。
師の慈悲は、弟子が思っているよりも、遥かに深く大きい。弟子の小さな境涯のカラを
打ち破り、より高みへと引き上げてくださる存在が、師匠なのであります。
仏法は庶民が主役
釈尊の教えを聞いた弟子の大多数は、仏との深い「因縁」を聞いて発心(ほっしん)し
た人々でありました。師匠の人格、師匠の慈悲、師匠の境涯を命で感じ取り、心から尊敬
して、師の教え通り、ひたぶるに実践する人こそが、直系の門下といえる。
最優秀の最蓮房でさえ、机上の学問で得た「理」を突き抜けて、師匠の大境涯から発せ
られた法門への「信」によって、仏法の極意を会得していった。
仏法は、どこまでも「以信代慧」(いしんだいえ=信を以って慧に代える)です。肩書
や学歴などは、信心とは関係ない。仏の金言を強盛に信じ抜く力(信力=しんりき)、行
じ抜く力(行力=ぎょうりき)によって、人生の勝負も幸不幸も決まるのです。
日蓮大聖人の仏法は、一部のエリートのためのものではありません。どこまでも、無名
にして勇敢なる庶民が主役である。
戸田先生は「創価学会の大地は、全民衆から盛り上がる力に満ちている」と宣言されま
した。
真剣に信心に励み、広布へ戦う真面目な民衆を見下したり苦しめたりする者は、大謗法
である。仏罰は厳しい。
戸田先生は今回の御文を講義され、教えてくださいました。
「師匠と弟子というものは必ず一緒に生まれるという。この大聖人様の御言葉から拝す
れば、実に皆さんに対して、私はありがたいと思う。約束があって、お互いに生まれてき
たのです」
これこそ師弟の「約束」です。
師とともに勝つ!
戸田先生は、戦後、学会再建の第一歩の座談会でも、この「在在諸仏土常与師倶生」の
経文を踏まえて、殉教の師・牧口先生と共に、三世永遠に戦うご決意を、烈々と師子吼さ
れました。
大聖人は最蓮房に「我等無始(むし)より已来(このかた)師弟の契約有りけるか」
(御書1342ページ)等、たびたび「契約」という表現を用いられています。
世法の次元においても「契約」という言葉には重みがあります。いわんや、仏法上の
「契約」です。それは、絶対に違(たが)えない仏の約束ということです。
しかも、仏法の「師弟の契約」は、今世限りの関係ではありません。
師と弟子が、ともに大難を受けながら、命をかけて仏国土の建設のため、人類の宿命転
換のために戦う。その実像の中に、過去から未来へと続く久遠の生命の栄光が、凝結して
いるのです。
広宣流布という無上の使命を抱いて、我らは「勝つため」に生まれた! そして「師と
ともに」戦い勝つ! これが師弟の約束です。誓願であります。
「在在諸仏土常与師倶生」とは、三世永遠にわたる師弟不二の広布大願のドラマにほか
なりません。
恩師と出会い62年
仏法の師弟は永遠不滅です。私は「月月・日日に」、恩師・戸田城聖先生と前進してい
ます。
師弟は一体です。同じ目的に向かって、同じ責任をもって、同じ戦いをしていくのです。
毎朝、私は胸中の先生にご挨拶し、「きょうも一日、弟子は戦います! 勝ちます!」
とお誓い申し上げて出発する。不二の一念で、全国、全世界の広布の指揮を執り、夜には
一日の勇戦の結果を先生にご報告申し上げる。その連戦が私の毎日であります。
恩師と出会って六十二年。行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、私は常に先生と一緒で戦い
抜いてきました。恩師は、私の血潮の中に厳然と生き続けておられます。今世も一緒であ
り、三世にわたって一緒です。
戸田先生と初めてお会いしたのは、東京・大田区の座談会です。昭和二十二年(一九四
七年)の八月十四日、木曜日の夜でした。先生は四十七歳、私は十九歳。私は、先生に質
問申し上げた。
「先生、正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか」
先生は私の目をじっと見つめ、答えてくださいました。
「人間の長い一生には、いろいろな難問題が起きてくる。人間、生きるためには、生死
(しょうじ)の問題を、どう解決したらいいか ─ これだ。これが正しく解決されなけ
れば、真の正しい人生はない」
「生死」という人類の根本間題を解決するには、仏法の信仰しかない。この大確信を先
生は、名もない一青年に諄々(じゅんじゅん)と語ってくださったのです。
この出会いから、私の師弟不二の闘争は始まりました。私が戸田先生にお仕え申し上げ
たのは十年余。しかし、この十年で、百年にも、千年にも匹敵する薫陶を受け切ったと自
負しています。
最蓮房への御金言
今回拝する「生死一大事血脈抄」の御聖訓は、師弟という仏法の真髄を明かされていま
す。
「過去の宿縁(しゅくえん)追い来(きた)って今度(こんど)日蓮が弟子と成り給う
か・釈迦多宝こそ御存知候(そうろう)らめ、『在在諸仏土常与師倶生(ざいざいしょぶ
つどじょうよしぐしょう)』よも虚事(そらごと)候(そうら)はじ」(御書1338ページ)
─ あなた(最蓮房)は、過去の宿縁に運ばれ、今世で日蓮の弟子となられたのでし
ょうか。釈迦仏・多宝如来の二仏こそがご存じでありましょう。法華経化城喩品(けじょ
うゆほん)の「在在諸仏土常与師倶生」の経文は、よもや嘘とは思われません ─ 。
本抄は文永九年(一二七二年)の二月十一日、大聖人が流罪の地・佐渡で、門下の最蓮
(さいれんぼう)房に与えられた法門書です。
最蓮房は、天台宗の学究(がっきゅう)ですが、何らかの理由で佐渡に流罪された人物
とされます。大聖人の法門と御人格にふれて、帰依(きえ)しました。
教学の素養を具(そな)えた知性派であり、しかも熱い求道の心に燃えた門下でありま
した。この「生死一大事血脈抄」や「諸法実相抄」など、仏法の極理(ごくり)を明かさ
れた重要な御書を、数多く賜(たまわ)っています。
流罪の地・佐渡で出会い、共に大難にあいながら、弟子の道を貫く覚悟をもった門下。
まさに不思議なる縁の師弟であります。
その最蓮房を、大聖人は最大に讃え、「在在諸仏土常与師倶生」の経文を示されたので
す。
これは、法華経化城喩品第7の文で、「在在の諸仏の土に常に師と倶に生ず」(法華経
317ページ)と読みます。
あらゆる仏の国土に、師と弟子が常に倶(とも)に生まれ、仏法を行ずる。すなわち、
師弟の因縁は今世だけでなく、永遠にわたることを明確に示しています。
法華経の最大のテーマは、「師弟不二」にあるといっても過言ではありません。
弟子たちを、いかに自身と同じ不二の仏の境涯に高めるか。また、そうなれる力がある
ことを、どう弟子たちに悟らせるか。ここに、師・釈尊の深い慈悲と智慧があったのです。
仏の「三周の説法」
法華経では、そのために、弟子である声聞たちの機根(きこん)に合わせて、①法理②
譬喩③因縁という三つの視点から「師弟不二」の教えが説かれております。
声聞・縁覚(しょうもん・えんかく)の境涯でとどまってはいけない。皆、師匠と同じ
仏菩薩(ぶつぼさつ)の境涯を得られるのだ。この「師弟不二」の成仏の教えを三度にわ
たって周(めぐ)り説いたので、これを「三周の説法(さんしゅうのせっぽう)」と呼び
ます。
師匠は、弟子が生命の勝利を勝ち得るまで、繰り返し、粘り強く指導を続けるのです。
「在在諸仏土常与師倶生」の文は、この三番目の説法(因縁周)で語られます。
すなわち、仏と衆生の「因縁(原因とかかわり、いわれ)」は今世だけではない。過去
世の修行時代から長遠(ちょうおん)の間、続いてきたことを説いているのです。
─ 三千塵点劫(さんぜんじんてんこう)もの昔、私(釈尊)は大通智勝仏(だいつ
うちしょうぶつ)という仏の十六番目の王子として活躍していた。仏と同じく法華経の教
えを弘め、民衆を救ってきた。今、私の教えを聞いているあなた方は、遠い過去に王子で
あった私と因縁を結んできたのです ─ と。そこで明かされるのが、この「在在諸仏土
常与師倶生」の教えです。
師弟の宿縁は永遠なり!
釈尊の説法を聞いた弟子たちは心から驚嘆し、そして随喜(ずいき)した。「師弟不二」
という深遠(じんのん)なる境地を、法理でも譬喩でもなく因縁を説かれることによって
生命の底から実感し、信ずることができたのです。
最蓮房も、当然、この経文のことを知ってはいたでしょう。しかし、それをわが生命に
即して深く会得するためには、偉大なる師匠との全人格的な交流が必要だったのです。
経文に、よもや嘘があるはずはない ─ 。この仰せに、最蓮房は大聖人との深き宿縁
を確信したに違いありません。
如来の金言(きんげん)は絶対です。ところが、凡夫の浅い境涯では、その境地をなか
なか信じることができない。時には遠いお伽話のように感じることもあるかも知れない。
しかし、法を体現(たいげん)した師匠の広大無辺な境涯にふれるならば、生き生きと
実感し、如実に体得していけるのです。
師の慈悲は、弟子が思っているよりも、遥かに深く大きい。弟子の小さな境涯のカラを
打ち破り、より高みへと引き上げてくださる存在が、師匠なのであります。
仏法は庶民が主役
釈尊の教えを聞いた弟子の大多数は、仏との深い「因縁」を聞いて発心(ほっしん)し
た人々でありました。師匠の人格、師匠の慈悲、師匠の境涯を命で感じ取り、心から尊敬
して、師の教え通り、ひたぶるに実践する人こそが、直系の門下といえる。
最優秀の最蓮房でさえ、机上の学問で得た「理」を突き抜けて、師匠の大境涯から発せ
られた法門への「信」によって、仏法の極意を会得していった。
仏法は、どこまでも「以信代慧」(いしんだいえ=信を以って慧に代える)です。肩書
や学歴などは、信心とは関係ない。仏の金言を強盛に信じ抜く力(信力=しんりき)、行
じ抜く力(行力=ぎょうりき)によって、人生の勝負も幸不幸も決まるのです。
日蓮大聖人の仏法は、一部のエリートのためのものではありません。どこまでも、無名
にして勇敢なる庶民が主役である。
戸田先生は「創価学会の大地は、全民衆から盛り上がる力に満ちている」と宣言されま
した。
真剣に信心に励み、広布へ戦う真面目な民衆を見下したり苦しめたりする者は、大謗法
である。仏罰は厳しい。
戸田先生は今回の御文を講義され、教えてくださいました。
「師匠と弟子というものは必ず一緒に生まれるという。この大聖人様の御言葉から拝す
れば、実に皆さんに対して、私はありがたいと思う。約束があって、お互いに生まれてき
たのです」
これこそ師弟の「約束」です。
師とともに勝つ!
戸田先生は、戦後、学会再建の第一歩の座談会でも、この「在在諸仏土常与師倶生」の
経文を踏まえて、殉教の師・牧口先生と共に、三世永遠に戦うご決意を、烈々と師子吼さ
れました。
大聖人は最蓮房に「我等無始(むし)より已来(このかた)師弟の契約有りけるか」
(御書1342ページ)等、たびたび「契約」という表現を用いられています。
世法の次元においても「契約」という言葉には重みがあります。いわんや、仏法上の
「契約」です。それは、絶対に違(たが)えない仏の約束ということです。
しかも、仏法の「師弟の契約」は、今世限りの関係ではありません。
師と弟子が、ともに大難を受けながら、命をかけて仏国土の建設のため、人類の宿命転
換のために戦う。その実像の中に、過去から未来へと続く久遠の生命の栄光が、凝結して
いるのです。
広宣流布という無上の使命を抱いて、我らは「勝つため」に生まれた! そして「師と
ともに」戦い勝つ! これが師弟の約束です。誓願であります。
「在在諸仏土常与師倶生」とは、三世永遠にわたる師弟不二の広布大願のドラマにほか
なりません。