忘れ得ぬあの瞬間〔7〕  「池田先生!」
 全国から集った、女子部の友の歓呼が轟く。
 池田第3代会長が誕生して6日後の、昭和35年(1960年)の5月9日。
 関西から舞い戻った会長が、各部の幹部会で最初に出席したのは、女子部であった。
 1万6千人の熱気漲(みなぎ)る東京・台東(たいとう)体育館。
 出発の幹部会が終わった直後の、感激覚めやらぬ“瞬間”である。
 上の階にいた友が、階段を下りてくる。
 そこに、池田会長が通りかかった。間近に出会いがかない、喜びにわきたつ友。
 颯爽と進む新会長。
 その姿を、湊(みなと)女子部長(後の多田婦人部長)が、真剣な眼差しで追っている。

 池田会長は、青年部の室長、また総務の時代から、手塩にかけて、若き人材群を育てた。
あらゆる機会をとらえ、真剣勝負で薫陶を重ねた。
 入会して日の浅いある女子部員。信仰は「心の内面の充実」のためだけだと思っていた。
 しかし学会は、勇んで社会へ打って出る。それは、民衆のため、正義のため、平和のための、誇り高き言論戦であると、池田総務は訴えた。
 「牧口先生は軍部権力と戦い、殉教された。
 戸田先生もまた、獄中闘争を貫き、巌窟王の決心で学会を再建された。
 牧口先生、戸田先生の思いを考えたとき、民衆を踏みにじる権力とは、戦わねばならない。
 どう戦うか。
 広布の戦(いくさ)に勝つことだ。勝ってこそ、満天下に民衆の力を示すことができる。
これ以外に、社会を変革することはできない。石にかじりついても、絶対に勝たなければならないのです」
 一切を勝ち越える信心の骨格を! そのために池田総務は、恩師の逝去後、女子部の友らに、学会本部で、たびたび御書講義を行った。
 また、女子部の代表幹部に、予告なしで教学試験を行うことも。「立正安国論」「総勘文抄(そうかんもんしょう)」など甚深(じんじん)の法理について質問される。皆、毎日、必死で御書を研鑚した。
 幸せとは? 広宣流布の未来は? ─ 女子部のリーダーは、湊女子部長とともに集っては、よく語り合った。その結論。
 「私たちの幸せは財産や地位ではない。広宣流布に生き抜くこと。師匠である池田先生とともに戦えるということ!」
 池田先生が会長に就任したら、真っ先に女子部の会合に来ていただこう ─ そう決めて、早くから会場を確保していた。

 池田門下生の出陣となった女子部幹部会。会長が、特に力を込めたのは「教学」であった。
  ─ 「女子部は教学で立て」と戸田先生は言われました。大聖人の仏法を、永遠の生命哲学を、一切衆生に知らしめていけと先生は命じられた。女子部は教学に力を入れていただきたい
 さらに、こう訴えた。
 御本尊に題目をあげきっていくのです。そこに、仏の生命がわいてくる。幸福は人から与えてもらうものではない。題目をあげれば、仏界の働きが、汲めども汲めども尽きない喜びが、わいてくるのです。
 純真な信心をしていく私どもを、大聖人が守られないわけがない。絶対に幸福になれるのだと、希望に燃えて、勇敢なる闘争をしていこう ─
 幹部会の会場を出ると、純白の制服に身を包んだ鼓笛隊が、祝賀の曲を凛々しく奏でる。
 池田会長は、車中の人になっても、窓を開け、身を乗り出すようにして励ましを贈り続けた。
 “進もう! ともに! 「勝利」の道を!!”