命宝3
「医師などの医療従事者のグループとして、文化本部にドクター部を結成しよう」
山本伸一が、こう提案したのは、医師の保険医辞退で社会が混乱していた、一九七一年
(昭和四十六年)の七月のことであった。
それまで、医師らは学術部に所属してきたが、九月の第二回学術部総会の席上、新たに
医師、歯科医師、薬剤師らで構成される部として、ドクター部が誕生したのである。
伸一は、医学界の現状を深く注視していた。
医術は人命を救う博愛の道であるとして、「医は仁術なり」と言われてきた。しかし、そ
れをもじって、「医は算術」などと揶揄されるほど、一部の医師の"利潤追求"は、目に余る
ものがあった。
また、「患者不在の医療」との指摘もあった。「医師に苦痛を訴えても、真剣に聴いてく
れない」「病院では、検査漬けで、モノとして扱われているようだ」「治療法や薬の詳しい
説明もなく、大量に薬物投与される」という声も少なくなかった。乱診乱療の傾向を、多
くの人びとが痛感していたのである。
そうした現代医療のひずみは、医療制度の問題だけではなく、医師のモラルや生き方に
も、大きな要因があろう。
伸一は、本来、医療の根本にあるべきものは、「慈悲」でなければならないと考えていた。
「慈悲」とは、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)ということである。一切衆生を救済せん
として出現された、仏の大慈大悲に、その究極の精神がある。
日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書七五
八ページ)と仰せである。あらゆる人びとのさまざまな苦しみを、すべて、御自身の苦し
みとして、同苦されているのである。
医療従事者が、この慈悲の精神に立脚し、エゴイズムを打ち破っていくならば、医療の
在り方は大きく改善され、「人間医学」の新しい道が開かれることは間違いない。
いわば、医療従事者の人間革命が、希望の光明になるといってよい。
「医師などの医療従事者のグループとして、文化本部にドクター部を結成しよう」
山本伸一が、こう提案したのは、医師の保険医辞退で社会が混乱していた、一九七一年
(昭和四十六年)の七月のことであった。
それまで、医師らは学術部に所属してきたが、九月の第二回学術部総会の席上、新たに
医師、歯科医師、薬剤師らで構成される部として、ドクター部が誕生したのである。
伸一は、医学界の現状を深く注視していた。
医術は人命を救う博愛の道であるとして、「医は仁術なり」と言われてきた。しかし、そ
れをもじって、「医は算術」などと揶揄されるほど、一部の医師の"利潤追求"は、目に余る
ものがあった。
また、「患者不在の医療」との指摘もあった。「医師に苦痛を訴えても、真剣に聴いてく
れない」「病院では、検査漬けで、モノとして扱われているようだ」「治療法や薬の詳しい
説明もなく、大量に薬物投与される」という声も少なくなかった。乱診乱療の傾向を、多
くの人びとが痛感していたのである。
そうした現代医療のひずみは、医療制度の問題だけではなく、医師のモラルや生き方に
も、大きな要因があろう。
伸一は、本来、医療の根本にあるべきものは、「慈悲」でなければならないと考えていた。
「慈悲」とは、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)ということである。一切衆生を救済せん
として出現された、仏の大慈大悲に、その究極の精神がある。
日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書七五
八ページ)と仰せである。あらゆる人びとのさまざまな苦しみを、すべて、御自身の苦し
みとして、同苦されているのである。
医療従事者が、この慈悲の精神に立脚し、エゴイズムを打ち破っていくならば、医療の
在り方は大きく改善され、「人間医学」の新しい道が開かれることは間違いない。
いわば、医療従事者の人間革命が、希望の光明になるといってよい。