命宝1
この世で最も尊厳な宝は、生命である。
それゆえに「命宝」と言う。
「観心本尊抄文段」には「夫れ有心の衆生は命を以て宝と為す。一切の宝の中に命宝第
一なり」(注)とある。
生命を守ることこそ、一切に最優先されなければならない。本来、国家も、政治も、経
済も、科学も、教育も、そのためにあるべきものなのだ。「立正安国」とは、この思想を人
びとの胸中に打ち立て、生命尊重の社会を築き上げることといってよい。
一九七五年(昭和五十年)九月十五日、山本伸一は、東京・信濃町の学会本部で行われ
た、ドクター部の第三回総会に出席した。ドクター部は、医師、薬剤師らのグループであ
る。伸一がドクター部の総会に出席するのは、これが初めてであった。
ドクター部が結成されたのは、七一年(同四十六年)九月のことであった。仏法を根底
にした「慈悲の医学」の道を究め、人間主義に基づく医療従事者の連帯を築くことを目的
として、発足した部である。
このころ、医療保険の改正をめぐって、厚生省と日本医師会の対立が続いていた。
その背景には、医療費の急増があった。
当時の診療報酬の体系では、医師の医療技術は、ほとんど評価されず、診療報酬の大部
分は、薬代、注射代などが占めていた。それが結果的に、薬漬け、検査漬けと言われる医
療に拍車をかけ、医療費の増大という事態を生む、要因となってきたのである。
そこで、厚生省は、医療費急増の打開策として、医療費を引き上げるのではなく、診療
報酬体系を見直そうとした。
すると、医師会は「医師の犠牲のもとに低医療費政策を押しつけるもの」と猛反発し、
遂に、この年の四月、保険医総辞退の方針を決議したのだ。
そして、七月、大多数の医師が、組合管掌健康保険など、被用者保険の保険医辞退に突
入したのである。
この世で最も尊厳な宝は、生命である。
それゆえに「命宝」と言う。
「観心本尊抄文段」には「夫れ有心の衆生は命を以て宝と為す。一切の宝の中に命宝第
一なり」(注)とある。
生命を守ることこそ、一切に最優先されなければならない。本来、国家も、政治も、経
済も、科学も、教育も、そのためにあるべきものなのだ。「立正安国」とは、この思想を人
びとの胸中に打ち立て、生命尊重の社会を築き上げることといってよい。
一九七五年(昭和五十年)九月十五日、山本伸一は、東京・信濃町の学会本部で行われ
た、ドクター部の第三回総会に出席した。ドクター部は、医師、薬剤師らのグループであ
る。伸一がドクター部の総会に出席するのは、これが初めてであった。
ドクター部が結成されたのは、七一年(同四十六年)九月のことであった。仏法を根底
にした「慈悲の医学」の道を究め、人間主義に基づく医療従事者の連帯を築くことを目的
として、発足した部である。
このころ、医療保険の改正をめぐって、厚生省と日本医師会の対立が続いていた。
その背景には、医療費の急増があった。
当時の診療報酬の体系では、医師の医療技術は、ほとんど評価されず、診療報酬の大部
分は、薬代、注射代などが占めていた。それが結果的に、薬漬け、検査漬けと言われる医
療に拍車をかけ、医療費の増大という事態を生む、要因となってきたのである。
そこで、厚生省は、医療費急増の打開策として、医療費を引き上げるのではなく、診療
報酬体系を見直そうとした。
すると、医師会は「医師の犠牲のもとに低医療費政策を押しつけるもの」と猛反発し、
遂に、この年の四月、保険医総辞退の方針を決議したのだ。
そして、七月、大多数の医師が、組合管掌健康保険など、被用者保険の保険医辞退に突
入したのである。