アレクサンドル・デュマの名作『モンテ・クリスト伯』
■若き主人公ダンテスは無実の罪で自由も前途も奪われた。許嫁(いいなずけ)とも引き裂かれ、老いたる父も失意のうちに亡くなった。
■だが、奈落の底に突き落とされた獄中で、ダンテスは、思想犯として投獄されていた博学のファリア老司祭を、師と仰ぐことができた。師は一切の学識を授け、巌の如き信念と知性を鍛錬してくれた。
■「宝とは、あなた(師)がわたしの頭にそそぎ入れてくだすった知識の光のことなのです」
■いかなる試練に遭おうとも、仰ぎ学ぶ師を持つ青春は、強い。そこから、すべてを突破する力は生まれる。
■「若くさえあれば」 ─ どんな時代も「よい時代」になる
■「待て、しかして希望せよ! 」とは、『モンテ・クリスト伯』の結びの名句
■戦ダンテスの「不可能を可能にする」勇気
■『モンテ・クリスト伯』には、こうある。
■「戦う意志をもった人であったら、一大事の時を一刻たりともむだにせずに、運命から打撃を受けると、たちまち投げかえしてやるものです」
■青年ならば ─ 運命に泣き寝入りなどしてはならない。応戦である。反撃である。仇討ちである。この執念こそ、宿命を制覇する力。
■デュマの『黒いチューリップ』は、世界的な文化人類学都のヤーマン博士との対談でも話題になった。
■その一節に、「偉大な魂を持つ人は、大きな災害に投げこまれると、哲学の中に、おどろくべき打開策を見いだすものである」これこそ哲学の深遠な真価。
■「変毒為薬」そして「立正安国」という生命の大哲学を実践
■デュマは「新聞小説の王者」と呼ばれた。連載小説を次々と新聞に発表し、国民の圧倒的な人気を博した。
■1830年代以降、フランスの各紙は、何とか発行部数を拡大できないか、定期購読者を増やせないものかと、思案を重ねた。智慧の結晶として誕生したのが、波瀾万丈の連載小説だった。
■デュマは毅然と叫んでいる。「最後までやらなければならないのです。偏見と戦わなければならないのです。それが私を押し潰すか、私がそれを滅ぼすかしなければならないのです」
■偏見と虚偽を打ち破り、正義と真実を打ち立てるまで書き続ける。これが言論の魂。
■デュマは、1802年7月に生まれた。同じ年の2月に、誕生したのが、あのビクトル・ユゴー。二人の大文豪は若い時から、互いを友とし、良きライバルとして尊敬し合ってきた。
■「自分以外の人物でなりたい人物は?」という問いに、デュマは「ユゴー」と答えた。
■デュマは、ユゴーの厚恩(こうおん)を決して忘れなかった。友の苦境の時には、必ず駆けつけた。
■ユゴーが亡命先のベルギーから英領ジャージー島へ旅立つ時には、見送りに。ガーンジー島に移った時も訪ねている。
■デュマは「恩」を重んじた。あの「巌窟王」は、善良な人々への恩返しの物語。
■「悪党への鉄槌(てっつい)」と「善人への報恩」は、正義の両面。
■権力者の忘恩に警鐘を鳴らしていたのも、デュマ。
■「おえらがたが恩知らずだということは、きみも身にしみてよく知っているはずじゃないか」。
■冤罪による投獄という試練は、歴史上、どれほど多くの正しき人々に襲いかかり、苦しめ抜いてきたことか。巌窟王の勝利の劇は、正義の闘士への烈々たる励まし。
■戸田先生は師子吼された。
■「正義が負ければ正義ではなくなる。学会は、正義の中の正義の団体である。ゆえに絶対に勝たねばならない。永遠に勝ち抜き、勝ち誇って、人生を飾ってもらいたい」
■正義の希望は青年。
■正義の源泉は教育。
■ユゴーは、デュマの逝去に万感の追悼文を寄せた。
■「アレクサンドル=デュマは、文明の種蒔(ま)く人と呼べる者たちの一員だ。彼は、なんとも陽気で強靱な力を放ち、人間精神を清く正しく改善する。人間の魂と頭脳と知性を豊かにする。書物を求める心を培(つちか)い、人間の心を耕(たがや)して、種を蒔くのだ」
■『三銃士』の主人公ダルタニャンが、その人生の支えとした格言。
■それは「最後の仕上げが作品の出来栄えを支配する」
■万般に通ずる道理。
■いかなる戦いも、途中ではない。結論である。最後の総仕上げで決まる。
■巌窟王の如く最後まで走り抜いて、勝利をもぎ取るのだ。そして、わが勝利の人生という誉れの傑作を、家族に、後輩に、同志に贈っていく。
■精魂込めた魂の結晶は、時を経ても永遠に朽ちない。
■「君たちも、巌窟王たれ!
■わが正義の城を築くのだ。わが信念の道を征くのだ」
■「我らは、永遠の広宣流布という勝利のドラマの名作者になろうではないか!」