「さあ、これで、私の仕事は全部、終わった。あとは、お前だ。頼むぞ!」
広布の大英雄の亡き後、「学会は空中分解する」等と、世間は堰を切ったように騒ぎ立てた。

「七つの鐘」の未来構想。
創立から七年ごとに発展の節を刻んできた、学会の前進と勝利のリズム。
悲嘆に沈む同志を、希望の松明で照らしたかった。
新たな太陽が昇りゆく姿を示したかった。

まっすぐに生きよ
「他の人が動揺しようとも、君は、物事を正確な眼で見極め給え!
他の人が嘆こうとも、君は、物事を快活に聡明に進み給え!
栄光と正義の道を貫き、すべてにおいて、まっすぐに生き給え!」大文豪ゲーテ

恩師の百箇日法要を目指し、
わが同志と共に、師弟の第二幕を開きゆく百日闘争に突入。

一切は一人から始まる。
一人の友を、真心込めて、温かく親切に激励する。
そこに喜びが生まれる。誇りと自信が広がる。
その波動のなかでこそ、一人また一人と、広宣流布の闘士が誕生していく。

ある母は、先生の「必ず幸福になれるよ」との大確信に触れて、悲哀の涙を拭った。
ある疲れ果てた婦人は、恩師の「絶対に宿命転換できる」との師子吼に、頭を上げて、不幸の鉄鎖を断ち切っていった。
自分の悩みで精いっぱいだった女性たちが、先生の指導で、仏法の真髄を知り、胸を張って立ち上がった。そして、人びとの幸福のため、より良き社会のため、欣喜雀躍と行動するように生まれ変わっていった。
戸田先生が『大白蓮華』に発表された最後の巻頭言は、
昭和三十三年の四月一日の日付つまり、ご逝去の前日。

その中で、先生は「知識」と「智慧」の混同等を鋭く指摘し、こう結論された。
「要するに、根本は強き生命力と、たくましき智慧とによって、わが人生を支配していかなくては、ほんとうの幸福は得られないことを知らねばならぬ」

世間が「学会は壊滅」等と、ほくそ笑んでいた。

悪意の世評など、堂々とはね返し、
圧倒的な大勝利と大躍進で、社会を驚嘆させた。
その原動力もまた、わが婦人部の勇気と行動であった。
百日闘争最終盤の昭和三十三年の七月六日、私は日記に綴った。

「私の一生は、戸田先生の遺言ともいうべき構想を、叫び、戦い、達成することだ。
これだけが、私のこの世の使命だ」

「師匠の精神の拡大」をもって、戸田先生の百箇日の法要を厳粛に終えたのは、七月十日
恩師が亡くなる数日前に叫ばれた師子吼を、全同志に伝えた。
「追撃の手を緩めるな!」
「破邪顕正」の闘魂を失えば、嫉妬や忘恩の輩に、和合の世界は破壊される。

「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(御書1190P)
我らは師の遺訓を永遠に忘れず、邪悪への追撃を続ける。

師の真実の教えを留めることは、弟子の責任。

恩師は、不世出の英知の軍師・諸葛孔明がお好きであられた。
正史『三国志』に詳細な注釈を加えた歴史家・斐松之は、

諸葛孔明を中心とする人間の結合を「生死をともにという間柄」と讃えた。
仏法では「生死不二」と説かれる。
師の生命は、生死を超えて、弟子の生命と一体である。
この一点を自覚すれば、無量の力が漲る。
これは、家族においても同じ方程式。

ゆえに、子の成仏が、そのまま父母の成仏。
三世永遠の絆で結ばれた妙法の世界。
亡くなられた故人にとって、家族は遺族というよりも後継者。

寿命も、福運も、受け継いで、不二の生命で偉大な使命を果たしていく。

後ろを振り向く必要はない。
妙法を朗々と唱えながら、前へ前へ、わが命を燃やし、
今日一日、宇宙に輝きわたるような価値を創造していく。
そこに、真の報恩の道、孝養の道がある。


「実践の五指針」発表。
◎祈りからすべては始まる
◎わが家は和楽の前進
◎後継の人材を伸ばす
◎地域と社会を大切に
◎生き生きと体験を語る

誓願の祈りを!
根本は祈りだ。

大聖人は「法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(同1352P)と御断言。

祈りは淡い夢ではない。
漠然とした願望でもない。
「必ずこうしてみせる!」
「絶対に勝つ!」という誓い。

その深き誓願の祈りは、磁石に鉄が吸い寄せられる如く、明確に結果が出る。

御聖訓に
「只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき」(同497P)とも記されている。

絶対勝利の「法華経の兵法」を持った究極の幸福博士。

今も水滸会で受けた師の声が蘇ってくる。
「覇道ではなく、王道の人たれ!」
「二百年後を見つめて進みゆけ!」
「同志が全世界に打って出て、全人類を結べ!青年を連帯させよ!」

師の師子吼のままに、弟子の私は行動し、
一年また一年、勝利の証をもって、恩師の命日を荘厳してきた。
「4・2」から「5・3」へ―それは、弟子の勝利を師に捧げる時。
そして、新たな大勝利を、師に誓って出発する時。