初の外国出身の横綱・曙さんがこの世を去りました。54歳でした。

 曙さんは1988(昭和63)年春場所、あの若貴兄弟や魁皇(元大関、現浅香山親方)らと共に初土俵。1990(平成2)年春場所に新十両を果たすと、その年の秋場所に新入幕。1992(平成4)年5月場所、西関脇の地位で初優勝、場所後に大関昇進を果たします。新大関の場所は足の小指骨折で全休を余儀なくされますが、翌々の九州場所、その次の1993(平成5)年1月場所と連覇!場所後に外国出身初の横綱昇進、と同時にそれまで5場所続いていた横綱空位も解消されました。その後横綱3場所目(1993年名古屋場所)から3連覇を達成。1998年に長野で行われた冬季オリンピックでは貴乃花に代わって横綱土俵入りを披露しています。2000(平成12)年九州場所、14勝1敗で11回目の優勝を果たしますが、翌2001(平成13)年初場所は両膝の悪化で全休。そして場所後についに引退を表明します。引退後は曙親方として行進の指導にあたっておりましたが、2003(平成15)年11月に日本相撲協会を退職。格闘技K―1参戦が発表されます。

 そしてその年の大晦日、ボブ・サップ戦でデビューを果たしますが1ラウンドKO負けを喫してしまいます。この試合の中継は民放番組がNHK紅白歌合戦を視聴率で上回るという歴史的快挙を果たしております!サップ選手とは2015(平成27)年の大晦日に再戦を果たしていますが判定負けという結果に終わっています。優勝11回を記録した力士時代とは一転格闘家としては成績は振るいませんでした。

 プロレスラーとしても活動していましたが、2017(平成29)年の福岡での試合後、体調不良で救急搬送。以来闘病が続いていましたが、今月上旬心不全の為この世を去ったということです。

 54歳、早すぎる旅立ちですし、師匠の元東関親方(元高見山)がまだ健在にも関わらず先に逝ってしまうとは…。さぞ無念でしょう。

 ご冥福をお祈りいたします。

 今回はこの辺で。