昭和と聞いて思い浮かぶのは?
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昨日は昭和の日~え~ん余計悲しくなっちゃった~
昨日は昭和の日でしたね~な、な、なんと僕は3年連続このテーマでBlogを書いています昭和爺改め 令和爺を名乗る今でも僕は昭和と聞くとノスタルジーを感じてしまうんですよね
しか~しみどりの日 昭和の日改名には当時の政府の黒い思惑を感じてしまいますということでその辺について調べた2年前のBlogで代用しま~す
昭和と聞いて思い浮かぶのは
同じような質問ですが今日だけ令和爺 復活の昭和爺はいろいろと昭和を思い出すんです
今朝ちょっと買い物に行ったんですが大きな日本国旗を掲げている家を目にしました昭和時代はどの家も門や玄関に日本国旗を掲げていましたが今は公的機関以外では殆ど見なくなりました
僕の通っていた小中学校は教室の正面に日本国旗の額が掲示されていましたでも子ども達は特に敬意を払っていたわけではなくどちらかというと掃除の時埃を払うのが面倒だなという感じでした
それに関連して平成では行事の時に日本国旗掲揚と国歌斉唱が義務付けされたのでした保守王国の栃木県では誰も異議を唱えませんでしたが全国では国歌斉唱を拒否した先生が退職に追い込まれました
能天気だった僕は今まで「君が代」だったのが国歌と名称が変わったことに何の違和感も感じませんでしたむしろオリンピックの金メダル授与式をイメージしていましたね~
君が代は 千代に 八千代に
さざれ石の 巌となりて
苔のむすまで
「君」は本来神様のことですが大日本帝国下では天皇陛下を意味するものですだが現在は
”君が代の「君」とは君主高貴な人を表します
そして「キ・ミ」とは古事記に登場する神様でこの世の初めて性別を持って生まれた神様
「キ」は男神イザナキノミコト
「ミ」は女神イザナミノミコト
この神様二人を足して「君」であり「男と女」という意味です
二人の神様は不完全でこどもを成して完全な大人に成ろうとしましたで、生まれたのが「日本人」です”
壮大な後付けのような気もするし大体神様なんてこの世に存在しませんまあいるとしたら心の拠り所ですね
神様お願いだ 僕のあのひとに
逢いたいのさ アーアアア
(中略)
お願いがあるの
神様 僕を助けて
神様もう遅い
あの娘は遠くの空に
消えたのさ イェイェイェ
こんなに頼んでいるのに逢うことさえ叶えてくれないんだからこの世には神も仏もいませ~ん
更に
”こどもを成して完全な大人に成ろうとしましたで、生まれたのが「日本人」です”
ということは僕たちゲイは日本人ではないということになります
だが奈良時代から同性愛の記述が既にあるのだから古事記の時代以前おそらく太古の昔から同性愛はあったのだと思います(心の声)人間の本能です
ここまで書くと神様二人を足して+ナンチャラカンチャラということは所謂論破となりま~す評論家もどきkeita畏るべし
何故こんなに噛み付くか
それは天皇制にしても国歌斉唱の義務付けにしてもよくわからない古のしきたりを持ち出して現代に当てはめ自分たちの主義主張を国民に洗脳しようとする輩がいるからです
僕は日本という国が好きですだから政治を司る人達に危険な方へ誘わないで欲しいんです
DA・KE・DO個人的には「君が代」は好きな歌です荘厳な歌ですよね
ただし「君」は高貴な人でなく自分の周りにいる「あなた達」でいいと思います(心の声)自分も入れてくださ~い
余談
音楽の先生:さざれ石は一つの言葉だから歌う時にさざれ 石のと切ってはいけないといつも怒っていました
子ども達:でも息がもたないんで~す
ちょっと重い話になったので昭和と聞いて思い浮かんだ歌を紹介しま~す
え~ん余計悲しくなっちゃった
『漫画家イエナガの複雑社会を超定義』情報
まさかっ僕は寝落ちしてしまい『光る町田君へ』17話「うつろい」を翌日に観ることになってしまいました
慌てて録画を観たら単なる普通の『光る君へ』で藤原公任様町田啓太さんは光り輝いていませんでした
18話「岐路」も町田啓太さんで自動録画になっているので藤原公任様の出番はありま~す
◆◇ #光る君へ 次回予告◇◆
— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) April 28, 2024
第十八回「岐路」
5月5日(日)
[総合] 夜8時00分
[BS・BSP4K] 午後6時00分
[BSP4K] 午後0時15分
▼あらすじhttps://t.co/StmHeQNs1d
▼相関図https://t.co/h63jgquhAm pic.twitter.com/MVmkExyIze
不謹慎だとは思うんですが藤原道隆さんに続いて道兼さんやその関連者も退場するので藤原公任様町田啓太さんのクレジット順は爆上がりしそうです
ちなみに
— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) April 28, 2024
『小右記』には…
長徳元年(995)2月23日条
◆◇◆◇◆
藤相公(藤原公任)が伝え送って云(い)ったことには、「長徳は俗忌(ぞくき)があるようなものである。長毒と称すべきか。また日本の年号は、『徳』の字はただ天徳だけである。あの年には疫癘(えきれい)があった」ということだ。#光る君へ pic.twitter.com/aVqzWc0UAq
そうか藤原公任様からの毒気だったんですねこの画像と『小右記』をもっと使って正しい歴史を知らせましょう
今日は、僕のかなりのロマンチストBlogを最後まで読んでいただき途中飛ばしでもありがとうございました~(心の声)かなりでは無いよな
『光る君へ』全国巡回展より
巡回展よNHK宇都宮・栃木県に来ないなら受信料を払いたくありませ~んでもイエナガ先生があるから~
to be continued。