今回は、最初に謝らせてください。黒沢さんのファンの皆さん、チェリまほの優しい世界のファンの皆さん、「本当に、ごめんなさい。」僕の淫らな妄想は、黒沢さんのイメージを傷つけてしまい、皆さんに不快な思いをさせてしまうと思います。僕は、かなり穢れたゲイなので、どうしてもゲイの裏側、美しいだけでは済まされない、悲しい現実が見えてしまうのです。不快だが、大抵のことは許せるという方だけ、読み進めてください。でも僕は、皆さんと同じように、世界一黒沢さんが大好きです。

 さて、神回と言われる7話ですが、確かに感情が激しく揺さぶられ、大感動の回です。でも僕は、全回が神回で、7話だけではないです。だって、あの優しく、彫刻のように美しい黒沢さんに会えるのですから。あっ、違いました。11話の後半だけは、いまだに見られません。いつになったら神回として見られるのか、僕には見当もつきません。まず7話は、告白の続きから始まります。「少し前まで、近くにいれれば、それでいいって思ってた。」「でも、近くにいたら欲が出た。」「同期としてとか、友達としてとか、そんなんじゃ嫌だ。」と言い、安達さんに3歩近寄って、「初めてなんだよ。誰かを、こんなに・・・」と、右手で安達さんの頬に触れようとします。しかし、安達さんの戸惑う表情に、右手は下がってしまいます。ストレートな男性とへの友情は成立するけど、それが愛情だとわかると急に拒絶されてしまうことを、ゲイの僕は、何回も見てきました。大体は、遠くから見ているだけで、近くにさえいられません。少しだけ近くなっても、好きという気持ちが何となく伝わってしまい、相手に気持ち悪く思われて避けられてしまいます。黒沢さんと安達さんのようにかなり近くなっても、友情の場合がほとんどです。そんなことは、黒沢さんは、十分にわかっていたと思います。たぶん、何回も何回も告白シーンを空想しているはずで、結果はほとんど悲しいものになっていたのではないかと思います。でも、やっぱり友達じゃ嫌なんです。自分だけの安達さんにして、強く抱きしめて、すべてを奪いたいんです。若い男性なら、性的欲求は当然です。また、こんなに好きになるのは初めてと言っていることからも、好きになった人は当然いるはずです。僕は、初めの恋愛対象は女性だったと思いますが、途中で次第に男性になったと思います。回想シーンで、女性たちが黒沢さんに、「好きです。」と告白するのに、「どうして?」と聞き返します。見た目ではなく、自分の内面を見て欲しいということなのでしょうが、僕には、「俺はゲイだよ。それでも好きになってくれるの?」と聞こえます。

 女性社長とのセクハラシーンですが、もし、黒沢さんがストレートだったならば、あんなふうな一発完全アウトな拒絶反応をしなかったはずです。もう少しうまく、やんわりと断れたはずです。あれはまさしく、女性へのアレルギー的拒絶反応です。僕のは、女性の匂いに対してですが、黒沢さんが何に反応したのかはわかりません。下半身への接触だけではない、何か性的なものがあるような気がします。あれだけ完璧なイケメンの黒沢さんだから、女性との初体験は、十代でも早いうちにとっくに済ませていたはずです。でも、心を満たしてくれる何かを求めて、ワンナイトラブとまでは言いませんが、多数の女性と体験してきたと思います。僕は、咎めるつもりは毛頭なく、むしろ、黒沢さんのやるせない気持ちに寄り添いたくなります。そのうちに、気付いていたけど必死に抑えていた、自分の性的嗜好に向き合うようになったと思います。たぶん、最初は自分からではなく、相手に誘われるままにふるふらとという感じかもしれないです。あんなイケメンがゲイの集まるようなところに行ったら、どうなるかは考えなくてもわかります。悲しいことに、バイでないゲイが男性との性体験をすると、どことなく事務的な女性との性体験では絶対得られない本能的な快感を知り、元に戻ることが難しくなります。男性との体験回数が増えれば増える程、ストレートに戻ることの困難さは、不可能の域に達してしまいます。僕は、黒沢さんは男性との性体験に、心の安らぎを求めていたと思います。だけど、性的快感は得られても、本当の心の安らぎは得られなかったのではないかと思います。

 そして、安達さんとの心が触れ合う夜の公園の美しいシーンです。このチェリまほのすべての始まりといえるシーンが、クランクアップのシーンだったなんて、スタッフさん、もう神がかっています。初回のオープニングが最終回だったこともあるので、絶対考えられた撮影スケジュールなはずです。すべてを演じてきた二人の素晴らしい俳優さんが、万感の思いを込めて最重要なシーンを演じられるようにと考えたはずです。スタンディングオベーションです。7年前のこのシーンで、心を痛めた黒沢さんは、安達さんに今まで見せたことのない弱みを見せてしまいます。安達さんは、黒沢さんの思いとは逆に、「そんなことない。俺の代わりに酒飲んでくれたて、十分すごいよ、黒沢は。」「弱っているところ見るの新鮮で、何かいいな。」と、黒沢さんの心に寄り添います。しかも、手を黒沢さんの胸に当てて慈しむように。安達さんは、恐る恐る手を動かしたように見えますが、「黒沢さんを守りたい。」という、しっかりとした意思を感じさせます。人との交流が苦手な安達さんにしては、驚くべき行動です。しかも、あの接し方は、同性愛に対して嫌悪感を持っていては決してできない接し方です。黒沢さんが恋に堕ちたのは、心に触れられたからだけでなく、純粋で、人の心に寄り添うことができる、安達さんだからだったと思います。黒沢さんがストレートな男性だったなら、安達さんとは親友になったはずです。また、ビジュアル的にも、安達さんは黒沢さんのタイプだったはずです。この時の安達さんはもさっとしていますが(赤楚さんは、いくらイケメンオーラを抑えてもイケメンに見えてしまいます。)、黒沢さんの審美眼には、ダイヤの原石に見えていたと思います。心の美しさは最重要ですが、ゲイは、ルックスやタイプに意外とうるさいものなんです。タイプでなければ、あんなに激しく、しかも一気に恋に堕ちるはずがありません。

 「始まった時から、わかっていただろう。いつかは、この好きを終わらせなきゃいけないって。もう忘れるんだ、次会ったら。」と、黒沢さんは言ってますが、7年間も、どうしても自分では終わらせることができなかったんですね。ということは、破滅的な結果に一直線に進むということです。僕は、描かれなかった黒沢さんの7年間が浮かんできました。たくさんの女性から告白されたり、誘惑されたりしたと思いますが、それは全部優しく断ってきたと思います。安達さんの近辺にいながらも、心は遠い距離にいたはずです。たまに、それとなく優しくしたり、仕事を手伝ったりしても、安達さんは全然気付いてくれないし、むしろエリートの黒沢さんに対しては、引け目を感じてよそよそしくなっていたかもしれません。黒沢さんの気持ちは安達さん一途だったと思いますが、どうしよもない淋しさに襲われて、男性との性体験で心の隙間を埋めようとしたと思います。たぶん、安達さんに似た感じの人を求め続け、その行為後は、激しい自己嫌悪感に苛まれるということを繰り返したと思います。だって黒沢さんは、性欲が一番旺盛な若い男性なのだから当然で、許してあげないとあまりにもかわいそうです。ただ黒沢さんの誠実さを考えると、その回数は次第に少なくなり、7年後には全然なくなるまで自分を律していたと思えます。

 安達さんの逆告白シーンは、最高です。安達さんは、まず「ごめん」」と謝るんですよね。この誠実さ、本当に素晴らしいです。さらに、黒沢さんが、「わかってるよ。」と言うと、安達さんは、「いいから聞け。」と遮ります。何と男らしい振る舞いなのでしょう。こういうの、ゲイのウケにはたまりません。そして、「俺、黒沢が好きだ。」と、黒沢さんをしっかり見て告白します。黒沢さんの告白は、「俺、安達のこと好きなんだ。」と、絞り出すように告白します。この微妙な違いで、安達さん=タチ、黒沢さん=ウケがはっきりする気がします。安達さんの告白を聞いた時の黒沢さんの嬉しい気持ち、苦しかった7年間の重い気持ちは、誰にもわかり切れないと思います。町田啓太さんのあの表情、抱きしめ方、何度見ても涙が溢れてきます。物凄い演技力に、ひれ伏します。ゲイの僕には、黒沢さんの、「ほんとにいいの。」「逃げ出したくなっても、もう離さないけど。」の裏の声が聞こえてきます。本当は、安達さんをゲイの世界に引きずり込んでいいのか、黒沢さんにも迷いがあるのだと思います。自分はもうあきらめたけど、ゲイの世界に入ると、結婚、子ども、社会的補償などすべて失うことを意味します。もしかするとストレートかもしれない大切な安達さんから、それらを自分が奪っていいのかと考えていたからの声だと思います。また、もう離さないと言っていますが、実は、安達さんがストレートな男性の世界に戻りたいというなら、自分はいつでも身を引かなければならない。だけど、そんな時が、来てほしくないという声だと思いました。

 二人が抱き合っている時に安達さんは、「俺は、こいつの心に触れるために、魔法使いになったのかもしれない。」と思います。確かにその通りで、愛の神様が、二人の純粋な若者を結びつけるためにくださったプレゼントだと思います。僕は、通称「チェリまほ」と言われていますが、正式なタイトル「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」の意味の素晴らしさを感じます。童貞という言葉は、衝撃が強いので普段の会話ではあまり使われませんし、ややバカにした、下に見る言葉です。それが、魔法を手に入れることができるのです。魔法使いになるとか、なってしまうのではなく、魔法使いになれるのです。これは、原作者の童貞に対する優しい視点だと思います。また、30歳までという区切りは、人に左右されずに、自分に誠実に生きているという証なのだと思います。大抵の男性は、性欲を満たすために、また、他人にバカにされないために強引に卒業しようとします。風俗で経験する人もいると思います。その悪意を乗り越えられた人だけが、愛の神様から人と繋がれる魔法をいただけるのです。しかし、世の中には、魔法使いなどほとんどいません。それは、安達さんや柘植さんのように、触れた相手の心に寄り添える人、悪用しない人という条件があり、それをクリアーしている人が少ないからだと思います。もし僕が、30歳まで童貞だったとしても(ドスケベな僕は絶対にあり得ませんが。)、愛の神様は、僕を魔法使いにしてくれないと思います。でも、これからは、僕も誠実に、人の心に寄り添って生きていきたいと思います。