の、コマ番号:26/128より引用
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《解説》
古事記の中巻、第十代崇神天皇の、所謂、四道将軍の三道派遣を記した部分に、ズバリ、『令和』という文字が書かれている。
古事記 中巻-2/崇神天皇
又此之御世、大毘古命者、遣高志道、其子建沼河別命者、遣東方十二道而、『令和』平其麻都漏波奴人等。
(訳)
また、この崇神天皇の御世に、オオビコノミコトは、越(北陸地方)の道に遣わされ、その子タケヌナカハワケノミコトは、東のかた十二道(東海地方)に遣わされ、そのまつろわぬ(天皇に従わぬ)人らを、やわさしめ(平定さしめ)たまひき。
『令和』を、国は「令い和」、すなわち「美しい和」と説明しているらしいが、
実際に、古事記に記されている、『令和』(あるいは令和平)という言葉は、「服従しない者らを平定する」という意味になっている。
将軍を遣わしての事、日本書紀の同じ部分では、四道将軍は天皇より、「相手が従わなかったら兵をもって討て」と命じられている。
これは、今でいう「和平」ではなく、「平らげ、併合する」という意味であり、軍事力、或いは、
軍事威圧による平定と解釈して間違いないであろう。
(因みに、この部分は、ネット上の古事記の原文に、「令和」で文字検索すると、簡単に見つかる。)
万葉集より古い(ということになっている)古事記に、『令和』という文字の並びが、記されている事は、新元号の考案者、採用者とも知らなかったのかどうかは分からないが?
(知ってて採用したなら、)、あまり縁起の良い話で無いのでは?
そもそも、『令和』という漢字を見たら、『美しい和』では無く、寧ろ、『和を命じる』と解釈して
、そう感じるのが、素直で普通だろう。