「あそこに子どもがある」「彼女には子供がある」goo 辞書〈2〉 | tobiの日本語ブログ それ以上は言葉の神様に訊いてください

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 下記の続き。
【「あそこに子どもがある」「彼女には子供がある」goo 辞書】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985347695&owner_id=5019671

 No.22のかたのコメントを読んでうなってしまった。
 ここまで特殊な文脈を用意すれば「あそこに子どもがある」と言えなくはないかも。
 おそらく、「ない」⟺「ある」と考えると、アリなんだろう。
 もちろん、通常は「いない」⟺「いる」と考えるのが自然だと思うが。
 これは後述の「漠然と有無を問題にする場合」に通じるかもしれない。
  
 当方の考えはNo.15に書いたとおり。
1)古い言い方が残っている
2)所有のニュアンスがある場合はOK

 基本的な考え方はかわっていない。
 すでに書いたように〈あまりむずかしく考えても仕方がない〉と思うし、〈辞書がこれだけ苦慮する難問なんだから、明快な回答などないのかもしれない〉とも思う。NHKのサイトもかなり苦慮している。
〈ムヤミに断定すると恥をかく〉だけなのに、そういう人もいる(ムヤミに断定しているのはひとりだけだと思うけど)。本質坊主のコメントには極力関わりたくない。本題に無関係の念仏が垂れ流され、質問者に迷惑がかかる。そういう例を多数見てきた。
【●●の宴 ●●どもの宴 ●●たちの宴 ●●らのグラス】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12676491412.html
 
 辞書を見るとほかにも可能性はある。
 再度まとめておく。
 辞書は下記のようなとき、人などでも「ある」が使えるとしている。

●抽象的な存在を表わす場合(『日本国語大辞典』)
●その存在を客観的、抽象的なものとして捉え(デジタル大辞泉)
 この書き方でわかるのだろうか。『日本国語大辞典』の用例は(おそらく)「相手のあることだけに」。『デジタル大辞泉』の用例は(おそらく)不明。
「抽象的」とか「客観的」とかはちょっと違うのでは。「一般化」あたりのほうがわかりやすい。
 ちょっと特殊な例を考える。婚期を逃しかけている娘を母親が責める。娘をかばう父親が言う「結婚というのは〈相手のあることなんだから……〉」。具体的な相手を想定せずに、一般論として言っている。これならアリだろう。もちろん、「結婚というのは〈相手のいることなんだから……〉」とも言える。個人的にはそのほうが自然だと思う。
 ただし、元々の例文は違う。「彼女には子供がある」で、きわめて具体的な話だからあてはまらない。これをどうやったら「抽象的」「客観的」「一般化」と解釈できるのだろう。無理でしょ。

●漠然と有無を問題にする場合(『日本国語大辞典』)
『日本国語大辞典』の用例は(おそらく)「兄弟が三人ある」。
 これは用例がおかしくないか?
 全然「漠然」ではない。
 おそらく、『デジタル大辞泉』の「異を唱える人もある」ならアリ。
 これだって「異を唱える人もいる」とも言える。個人的にはそのほうが自然だと思う。 
 ちょっと擁護するなら、「この説には反対意見もある」なら自然な気がする。これは「この説には反対意見をもつ人もいる」ってことだろう。
 

 
 

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※やはり「うれしいです」は美しくない。
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