下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【16】
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17日まで、高齢(違う!)の似非サラリーマン生活をしていた。けっこうヘロヘロながら社会復帰を試みたが、バカバカしいやり取り(しかも複数!)に巻き込まれ、ちょっと疲れた。このご時世に、こういう同時多発ナンチャラ(←オイ!)状態はさぁ……。
ネットに書き込みをしていると、わけのわからないインネンをつけられることが多い。慣れたつもりでいても、あまりにも意外な対応にバカ負けしてしまうことがある。
もちろん、なかにはまともなやり取りができることもある。
下記は貴重な例。
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『日本語の作文技術』の朝日新聞社版が改版されるらしい。
いったい何回目のリニューアルかね。
とりあえず、当方のコメントを回収しておく。
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エート。
ここのコメント欄って長さの制限がありましたっけ(ほぼ脅し?)。
当方は2003年刊のオークラ出版の『わかりやすい日本語の作文技術』を、マユにツバをつけて読みました。
あまりのヒドさに呆れました。
まず感想文を引っ張り出します。
==============引用開始
四半世紀以上もロングセラーを続ける名著の「大活字版」ということで、一応購入した。まあ予想どおりと言うか予想以下だった。字を大きくしたって内容がかわることはないよな。中途半端に削除するから、どうしてもこういうことになる。
一番みっともなかったのは、p.95の記述。いきなり「次にナカテン(・)については、……」と来ればだれだって戸惑う。文庫判では、その前にカッコ類に関する記述がある。
p.225~226にあげられている紋切り型の例は、文庫判より増えている。
完全にギャグになっているのは、いい加減な改行をあれほど執拗に弾劾していたのに、改行を増やしていること。p.276には断り書きの注がある。
ただし本書では、原文(文庫版または著作集版)よりも改行を多くして読みやすくし
た。
著者自らが改竄するなら許されるって、そりゃムチャ。どう書いても開き直りにしかなっていません。改行の論理的な必然性なんてその程度のものってことじゃん。
==============引用終了
これに懲りて、講談社のほうは読んでません。
これだけじゃわかりにくいですよね。以下長い話です。
「改行」の話は、『日本語の作文技術』に執拗に書いてあります。
下記はアチコチに持ち込んで不採用になった原稿の一部です。
==============引用開始
本書(『日本語の作文技術』)の話に戻ろう。この章では、「段落の重要性」をかなりしつこく説明している。
〈段落のいいかげんな文章は、骨折の重傷を負った欠陥文章〉〈「だいぶ長くなったからそろそろ改行しようか」などという馬鹿げた改行〉など、大げさに思えるような表現が続く。
なかでも、著者が書いた原稿に編集者が勝手に改行を加えたことには、かなり辛口の悪態を並べている。〈勝手に段落をかえる編集者が多すぎる〉〈そんな横暴がはびこるのも、いいかげんな文章を書く者が多すぎるせいなのかもしれない〉。
気持ちはわからなくはないが、そんなに怒らなくてもいいと思う。
改行するべき場所がいかに厳密なものか長々と書かれているが、本書には具体的な目安は書かれていない。「どこで改行をするべきか」についての例は添えてあっても、論理的な説明はない。
〈おのずから明らかであろう〉は正論だが、なんの説明にもなっていない。これは当然といえば当然で、論理的に説明するのは非常にむずかしい。個人的な経験でいうと、明らかに改行するべき箇所というのはある。逆に、明らかに不適切な改行の例を目にすることもある。しかし、「どちらでもいい」ってことのほうが圧倒的に多い。
そんな無意味な正論で押し通すより、もっと読者の役に立つことを書くべきだろう。たとえば、著者の専門分野のルポルタージュ(旅行記)ならどういうときに改行するのが一般的なのか、なんてことを書いてもらえるとうれしい。いろいろあると思う。たとえば、「場面がかわったときには改行する」とか「時間が飛んだときには改行する」とか。もちろん、そういうのも〈おのずから明らか〉なとこなのかもしれないが。
「第2章1」で改行の目安について、ひとつの段落に入る文の数を〈8個以内を目安にしようか〉ときわめていい加減なことを書いた。これがどれだけいい加減な目安なのかは、ちょっと考えればわかる。
10字の一文で改行してもOKだし、60字の文が8個続いたら480字まで改行なしでOKってことだ。なんなら行数に換算してみようか。フツーの単行本程度と考えて1行40字なら、1~12行の間に1カ所は改行するってことだ。雑誌なら1行16字として1~30行に1カ所は改行するってことになる。そりゃたしかに最低でもそのぐらいは必要だろう。
こういう文の数や行数を目安にするのは、見た目を重視するいわば物理的な考え方だから、まだ検討の余地があるかもしれない(どこまで行っても「単なる意見」で「単なる目安」にしかならないけど)。
ところが、文章の内容で判断するとなると、これは個々の文章で判断するしかない。「文章の内容」といえば響きがいいが、ハッキリいっちゃえば「個人の趣味」と紙一重。異常なまでにこだわる人もいれば、さほど厳密に考えない人もいるのはそのせいだろう(ちなみに、個人的にはソコソコこだわるほうです。編集者がヘンなとこで勝手に改行すると、マジで怒ることもあります)。
もうひとつ重要と思われるポイントは、論理性だけを追求していくと改行の数が減りがちなこと(個人差があるかな)。この点で、テンと改行は似ている。論理的に考えていくとどうしても少なくなり、読みにくい印象になってしまう。あまりにも改行が少ないと、論理的には必要ない「思想の改行」を加えたくなる。
本書がむずかしい印象になっている理由のひとつは、この「テンと改行の少なさ」ではないか。著者の信念に基づいた文体だから他者がインネンをつけるべきものではないが、読みにくいものは読みにくい。編集者が勝手に改行を加えたのも、改行が少なくて読みにくかったからでは……などと邪推してしまう。
ちなみに本書は、大活字版にリニューアルされたものが、2003年に別の出版社から出ている。昨今の諸般の事情を考えると、こういう試みもアリだろう。しかし、フツーに考えれば、文字を大きくして情報量が減れば本としての価値は下がる。一字一句を見比べたわけではないから、正確なとこはわからない。
この大活字版の〈段落〉に相当する章には、新たな注が加えられている。巻末の注を見ると、次のように書いてある。
【引用部】
ただし本書では、原文(文庫版または著作集版)よりも改行を多くして読みやすくした。(本多勝一『わかりやすい日本語の作文技術』p.276)
いっくらなんでも、それはないでしょ。著者がやるぶんにはナンデモアリってことか。〈おのずから明らか〉とまで書いちゃったら、それ以外のとこで改行したらダメに決まっている。人に折られたって、自分で折ったって、骨折は骨折なんだから。簡単にいってしまえば、「論理性も大事だが読みやすさのほうがもっと大事」ってことだろう。
==============引用終了
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すばらしいのは句読点まで。読む価値があるのは助詞の話まで。あとは並みの文章読本というイメージです。
>段落冒頭はトピックセンテンスが来る
>(前段落末尾の)ブリッジ文を受ける
本来はそういうことでしょう。ただ、あまりにも例外が多いような……。
>電子書籍でいいから本にしたらどうでしょう?
こういう時代なので考えなくはないのですが……。
400字で500枚(←オイ!)を超えてしまってどうしたものか……。
詳しい内容はホニャホララ。
目次はこんな感じです。
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一部は下記で「文章の書き方」として公開しています。
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