tobiの日本語ブログ それ以上は言葉の神様に訊いてください

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 フリーランスの編集者兼ライターです。
 主として日本語関係のことを書いています。

No.21

回答者: hakobulu
回答日時:2019/12/21 16:40
#19です。

#20に応じる形で。

1.
>トートロジー、同義反復という言葉をご存じでしょうか。
場所が場所であることを表わす?
表わさなくとも公園は場所です。

「公園で掃除する」
という文における「掃除する」という動作の行われる場所として公園を指定するために格助詞「で」が使われるわけです。
また、
「公園を掃除する」
という文における「掃除する」という動作の対象として公園を指定するために格助詞「を」が使われる。
『場所が場所であることを表わす』のではなく、どんな場所なのか、ということが問題なわけ。
公園という場所が、掃除するという動作の行われる場所と認識されているのか、
公園という場所が、掃除するという動作対象の場所と認識されているのか、
という違い。

2.
>★ペンで字を書く。
「ペン」は場所ですか?

そんなことは一言も言ってませんが?
そもそも、「で」の本質的意義については触れていません。
要するに一言で言うなら本質は何か?
という点については取り上げていません。
文脈からはずれた批判は避けないと議論がかみ合わなくなりますよ。
まだ検討段階ですが、せっかくだから、敢えて申し上げるなら、「場面・状況」かなと考えているところ。
仮に場所だとしても、「ニューギニアで戦死した」が原因・理由という強弁よりは数段マシですよね?

3.
>>「ニューギニアで戦死した」などは、
「ニューギニア」を場所として捉えていると思いますが、どうでしょうか。
と問われる可能性に気づいてないらしいのが痛いところですな。

可能性ではなく、意義の拡張の契機を考えるということです。

だから、その拡張過程が、まったく論理性を欠いている、と申し上げているわけ。
・戦争で国民の目を外に向けさせるのも一法であろう。
は確かに手段・方法でしょうが、
・ニューギニアで戦死した。
に適用するには納得の得られない用法だ、ということ。
ニューギニアは「手段・方法」でないのはもちろん、それをどう拡張、発展させたって「原因・理由」などになるはずがないでしょう。
桜を見る会の、太鼓持ち官僚の詭弁を聞いている気分になりますね。(笑)
論理というものが一切通用しない世界。
都合が悪い箇所は、思い切り端折って胡麻化す姿勢もよく似ている。(笑笑)

4.
>★学校【に】大きな木があります。
<「に」は、空間的なある点として学校を指定する働きをしています。>とは、<「に」という助詞それ自体が(学校という)事物を指していると解釈している>のではありませんか、そうでなければ何を言っているのでしょうか?

ですから、自体という語を使うから、ご自分で勘違いしてしまうのではないですか、と申し上げているところ。
あなたは、『「助詞それ自体がある事物や動作・状態を指す」と解釈した誤りだ』と言っている。
そうではなく、「助詞は、ある事物や動作・状態を指す」と素直に捉えれば済む話です。
「に」自体が「ある事物や動作・状態」だと言っているわけじゃないんです。
そんなことは、どの辞書も言っていない。
であるのに、「自体」という語を使うから勘違いをしてしまうわけ。
ま、じっくりお考えになってください。

5.
a.
>学校が点(・)ですか。目が・になります。(@_@;)

こうした感覚では、何も理解はできないでしょうね。
中学生でもわかる認識なのですが。
比喩という言葉すらご存知ないようです。
論点をはぐらかさず、少しは素直に他人の言うことを検討してみましょう。

b.
>★ペン【で】(字を書く。)
「ペン」は場所ですか?
【おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定】していますか?

相変わらず、日本語の読解力に問題がありそうですね。
くりかえしますが、この「で」が場所だとはひとことも言っていない。
字を書くという動作のおもむくところ(この場合は着点としての「場面・状況」)を、そこ(=ペン)と指定している。
少し難しいかもしれませんが、ちょっと考えればお分かりになるでしょう。

c.
>指すことができるのは指です。

おやおや、困ったものですね。
こんなことから説明しなければならないとは。
以下に示した大辞泉の語釈を参照してください。
あなたが言っているのは、
2 (指す・差す)
㋐指などで目標とする物や場所・方向を示す。指さす。「指で―・して教える」「後ろ指を―・される」「時計の針が七時を―・している」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B7%AE%E3%8 …
という意味だけ。
すぐ下を見れば、

㋑人や物をそれと決めて示す。指名する。また、密告する。「文中のそれは何を―・しますか」

という語釈があるので、よく見て覚えておきましょう。
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No.20

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/21 11:44
No.19 の回答に答えて


1.
>>『「公園」は場所』だからこそ、
「公園で」というのは、《「で」が(公園という)場所を表わす》

トートロジー、同義反復という言葉をご存じでしょうか。
場所が場所であることを表わす?
表わさなくとも公園は場所です。

★ペンで字を書く。
「ペン」は場所ですか?

2.
>>「ニューギニアで戦死した」などは、
「ニューギニア」を場所として捉えていると思いますが、どうでしょうか。
と問われる可能性に気づいてないらしいのが痛いところですな。

可能性ではなく、意義の拡張の契機を考えるということです。

3.
>>★学校【に】大きな木があります。
この「に」は、空間的なある点として学校を指定する働きをしています。
「に」という助詞それ自体が(学校という)事物を指していると解釈している人などどこにもいませんよ。
誰がそんなことを言っているのですか?

学校が点(・)ですか。目が・になります。(@_@;)
画面の上のドットの集合である「に」がどうして、「学校を指定する働き」などできるのかを説明する必要がありますね。
<「に」は、空間的なある点として学校を指定する働きをしています。>とは、<「に」という助詞それ自体が(学校という)事物を指していると解釈している>のではありませんか、そうでなければ何を言っているのでしょうか?
言っているのは回答者自身ではありませんか。

>>【おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定】
すばらしい日本語じゃありませんか。

もう一度言っておきます。

★ペン【で】(字を書く。)

「ペン」は場所ですか?
【おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定】していますか?

確かに、<「に」という助詞それ自体が(学校という)事物を指していると解釈している>のであり、指すことができるのは指です。画面の上のドットの集合である「に」がどうして、指(ゆび)さすことができるのでしょうか?
「すばらしい日本語」ではありますが、何の説明にもなっていません。

>>個人的に以前から認証している【着点】という意義を的確に表現した内容とも言えます。

未だに、着点などという<客体を指す>という迷妄には恐れ入谷の鬼子母神です。
自分が何を言っているのか、よく内省しましょう。

これを理解できないようではネイティブの名が廃るかもですよ。!
■No.19

回答者: hakobulu
回答日時:2019/12/21 01:56
まだ続いているようなので、興味は無いかもしれませんが、すこしお邪魔させていただきましょうかね。

アスナロウさんの論理が、あまりに無茶苦茶なもんで、見るに見かねてということで。

1.
>★「公園で掃除する」
この「で」が場所を表わすと考えられている方が多いようですが、そもそも「公園」は場所でしかなく、それにも関わらず何故「で」が場所を表わすと考えられるのか、その理由を参考までに伺えれば幸いです。(#15)

『「公園」は場所』だからこそ、

「公園で」というのは、《「で」が(公園という)場所を表わす》

と言えるのです。
こんな簡単なことがなぜおわかりにならないのか?
『それにも関わらず』と論を展開している時点で論理破綻していることにお気づきになってください。

2.
>>「戦争」が「原因・理由」にはなると思いますが、「手段・方法」とは考えにくいのですが。

★戦争で国民の目を外に向けさせるのも一法であろう。
などは、「戦争」を手段として捉えていると思いますが、どうでしょうか。(#15)

詭弁の例証みたいなことをおっしゃっておられる。
そもそもは、「ニューギニアで戦死した」という#10さんの例文が元ネタです。

「ニューギニアで戦死した」原因・理由が戦争だとは言えるかもしれないが、【ニューギニアで】が「手段・方法」とは考えにくい。あくまで「場所」という用法ではないか。

と#10さんは言っているわけだ。
それに対して、【戦争で】と「手段・方法」用法が明らかな例文を挙げることで、いかにも【ニューギニアで】も「手段・方法」用法であるかのような論理展開を試みようとしている。
だから【ニューギニアで】も「手段・方法」用法になると思うがどうか?
と詰問しているわけだ。
この展開で場所ではないことを納得させようとしているらしいのだが、それは無理筋すぎるでしょうよ。
小学生あたりなら胡麻化されるかもしれないが。
逆に、
「ニューギニアで戦死した」などは、
「ニューギニア」を場所として捉えていると思いますが、どうでしょうか。
と問われる可能性に気づいてないらしいのが痛いところですな。
まあ、ヘーゲルやカントを持ち出すまえに、こうした基本的な姿勢や論理を少し見直してみてください。
それからのご高説なら、喜んで拝聴したいものと感じてはおりますので。

3.
#18についても誤解が顕著なので触れておきましょう。

>辞書が書いているように場所や時間や「時間的・空間的・心理的なある点を指定するのが原義〔広辞苑〕」というのは「助詞それ自体がある事物や動作・状態を指す」と解釈した誤りだということです。

★学校【に】大きな木があります。
この「に」は、空間的なある点として学校を指定する働きをしています。
「に」という助詞それ自体が(学校という)事物を指していると解釈している人などどこにもいませんよ。
誰がそんなことを言っているのですか?
アスナロウさんが勝手に思い込んでいるだけでしょう。
[ 自体 ] という言葉の重要性を再確認してください。同様に、
★5時【に】会議が始ります。
この「に」は、時間的なある点として5時を指定する働きをしています。
「に」という助詞それ自体が(5時という)状態を指していると解釈している人などどこにもいません。

因みに、「に」の意義を最も正確に語釈しているのは、下記に引用する学研国語大辞典(※)でしょうね。
【おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定】
すばらしい日本語じゃありませんか。
個人的に以前から認証している【着点】という意義を的確に表現した内容とも言えます。
これを理解できないようではネイティブの名が廃るかもですよ。

※「に」
㊀《格助詞》{体言または体言あつかいのものにつく}動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定し、連用修飾句を作るのに用いる。※
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この回答へのお礼
ホニャララ問答はやっと終わったのでしょうか。
 何を書いてもムダだと思いますよ。現代の日本語にはあてはまらない文法なんですから。そのことに気づいていないのは、おそらくご当人だけです。
 未来なら通用するのかもしれません。
 いわば「SF文法」なのでしょう。当方は関わりたくありません。

 それより、本題に関してはどうお考えでしょうか。
 コメントNo.1のお礼に書いたことを再掲します。

【1】6)だけはなぜか「を」があってもなくてもいい気がします。理由は不明です。
【2】「散歩」だと「の」に異和感があるのに、「掃除」だと自然なのはわかりますが、なぜなのでしょうか。
【3】5)よ6)は相当違う気がします。どう考えればよいのでしょうか。

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お礼日時:2019/12/26 22:42

No.18

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/16 18:28
もう少し補足しておきます。


>>国語辞典ひけば、格助詞の「で」には「場所を表わす」と書いてあります。おそらくすべての辞書にそういった記述があるはずです。

これが誤った説明、解釈だということです。

★先生【に】お電話をいただきました。
★先生【に】はペンをあげました。
★先生【に】本をもらいました。
★ここ【に】見本があります。
★学校【に】大きな木があります。
★僕【に】は弟がいる。
★5時【に】会議が始ります。
★5時【に】会議が終わります。

これらの格助詞「に」は全て、空間的・時間的な位置付けの認識を表わすもので、何ら特別の用法ではなく、格助詞「に」の通常の用法に過ぎません。

つまり、No.17で「名詞や動詞などと違って、助詞はそれ自体がある事物や動作・状態を指さない。」と言っている通りで、格助詞は話者による対象の関係の捉え方を客体化することなく直接に表現しています。

この本質が理解できずに、辞書が書いているように場所や時間や「時間的・空間的・心理的なある点を指定するのが原義〔広辞苑〕」というのは「助詞それ自体がある事物や動作・状態を指す」と解釈した誤りだということです。

この本質を理解できずに、文での意味を取り上げ「二の特殊用法? 」などと寝ぼけた戯言を繰り返しても無意味だということです。意味は使用された文でそれぞれ異なり、無限に生み出されるに過ぎません。

膠着語としての日本語の特殊性を正しく理解し、科学的な日本語文法を築き展開する必要があります。

>>それを全否定するなら、もはや日本語の文法の話ではなくなるでしょう。

などと、あさっての方向を向いている人こそ、「ヨソでやってください」ということです。

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No.17

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/14 23:13
No.16 の補足として「助詞の意味ということ」を述べた、柴谷方良(まさよし)「助詞の意味と機能について―「は」と「が」を中心に―」の一部を次に引用しておきます。

 これは、『文法と意味の間―国広哲弥教授還暦退官記念論文集』 [くろしを出版,1990.6.1]に寄せられたものです。

「2.助詞の意味ということ」より

 名詞や動詞などと違って、助詞はそれ自体がある事物や動作・状態を指さない。助詞の意味というときには、ここに問題点の一つがある。このことについて山田孝雄『日本文法論』は次のように言う。「そのあらわせる観念の上より観察すれば助詞は単独にては何らの観念をもあらわし得ず、他の観念語に付属して其の義を認むるを得るのみ」そして、「その機能によりて観察すれば、助詞は観念語たる体言用言副詞に付属して其の意義を明にし、又それらの間の関係を示すに用いられる。」山田は、助詞の分類(記述)として、意義を中心としたものと、それらが示す関係すわち職能に根拠を求めるものとがあり得るが、上の引用でも明らかなように、「独立しては何の観念をもあらわしえるに関せず、他の品詞につきて関係を示すことによりて始めて意義を認め得らるるものなれば、その意義は関係に依存する」(549頁) ことから、助詞の研究は意義を主眼としたものでなく、職能を中心としたものでなければならないと説く。
 助詞の研究ということで注意すべきいまひとつの点は、これ以下に言及する国広先生の論考にも触れられていることであるが、「記述に際し、発語の『意味』や文の『意義』の記述を混じ」ないことである(服部 1953)。
 助詞の研究にとって上述の2点は最も肝要なことと思われるが、近年の助詞研究では必ずしもこれらの点が守られているとは思えない。このことが、現在の有力な助詞論の根本問題であると思われる。例えば、助詞の職能(以下「機能」という)の観点からすれば、係助詞「は」と格助詞「が」は違った系列に属し、現在行よく行われているように、同じレベルで取り扱われるべきものではない。(このことから、本論の表題についても、これらを同系列のものとして取り扱おうとしているのではないということに留意されたい。)/

以下、「は」の主題、「が」の総記、中立叙述という誤りについて論じられ、最終的に認識の相違について限定的ではありますが論じられているので、是非参照下さい。

師である国広哲弥の「は」「が」論、野田 尚史の「は」「が」の俗論を鋭く批判しています。
あくまで、生成文法文法研究者としての枠内ですが鋭い指摘をしています。

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No.16

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/14 21:16
>>国語辞典ひけば、格助詞の「で」には「場所を表わす」と書いてあります。
おそらくすべての辞書にそういった記述があるはずです。

辞書の誤りを信仰、妄信していては進歩も、発展もありません。

辞書は信仰の対象ではなく、批判的に扱うべきものです。

No. 15 で提起した疑問に答えられますか?

>>それを全否定するなら、もはや日本語の文法の話ではなくなるでしょう。

いいえ。
科学的、論理的に正しい真実の日本語の文法で、現在のソシュールパラダイム化の誤りを正さないと日本語教育も進歩しません。

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No.15

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/10 16:29
No.11 に加えて


No.10 の質問をいただいたので、逆に当方の疑問を提起したいと思います。

★「公園で掃除する」

この「で」が場所を表わすと考えられている方が多いようですが、そもそも「公園」は場所でしかなく、それにも関わらず何故「で」が場所を表わすと考えられるのか、その理由を参考までに伺えれば幸いです。

>>「戦争」が「原因・理由」にはなると思いますが、「手段・方法」とは考えにくいのですが。

★戦争で国民の目を外に向けさせるのも一法であろう。

などは、「戦争」を手段として捉えていると思いますが、どうでしょうか。

そもそも、助詞とは何であると回答者の皆さんは考えられているのでしょうか?
この点を明確にしないと、今回の質問に対する回答は不可能で、「理由は不明です」ということにならざるをえないと考えますが。

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No.14

回答者: fxq11011
回答日時:2019/12/10 10:17
手段・方法は如何に拡張解釈しても原因・理由になる得ることはないと思います。

だって、手段・方法は人が選びます、原因・理由は必ずしも人が選ぶ必要はあり得ません、どころか、少なくとも個人が選択不可能のものの方が多いのでは。
ニューギニアで戦死、非常に短い内容ですが、何を表している?。
「で」が理由・原因を表す必要が有るのか、この内容で理由・原因が必要な内容は「死」だけです、「戦死」と表現されています、戦争による戦い、が原因です、「で」なんか無関係で単純に理解できます。
何処で死んだのか、それを表現しています、もちろん単に死だけでなく、また病死でもなく戦死、なんですね
話し代わりますが、最近中学校当たりで、生徒同士が互いに教え合う、と言う授業が有るそうです、あれは教える側の当人にとっても非常によい勉強になると聞いたことがあります。
何故か?教える側は十分理解しているだけではダメなんですね、理解するに必要な情報だけではなく、関連する周辺情報も理解しておく必要が有るからです。
つまり、理解していない相手だから、多少ピントはずれの質問(自分が理解するだけなら不要な内容、知らなくても良い内容)をされても、理論的に説明して、結論に結びつける必要が有るからです。
さらに、相手の理解力によっては、教える当人なら必要のない内容を織り込んで説明して理解を得る必要もあります。
言い換えれば、先生がそう言っていたでしょう、教科書のここに載っているでしょう(いわば、引用、批判的に言ってしまえば、自分の責任回避)、では相手は聞く気にもなりません、とても理解なんかには繋がりません。
戦いの方法の一つにゲリラ戦と言うものがあります。
どんな方法なのか?、手段=武器だけの相違なのか、方法に待ち伏せ(場所、タイミング)はないのか、闇(夜=時刻)に乗じて・・はないのか ・・・、俗に言うはかりごと、も手段とも言われますね、例 汚い手(手段)を使いやがって・・・。
すぐに、専門書の内容を引っ張り出して(引用して)より、日常、身の回りで経験する内容・事例を取り込み、自身の裁量で、加工して、そのまま提供する、これができて本物?。
だから、できる人(教える側)はこの本物?に、より近づき、教えられる側は、身近で経験した内容を通して理解でき、十分納得できます。
専門的知識をひけらかして理解に至る最短距離を示されても、とても付いてゆけるものでは有りません、余裕の遊び?がないことには、その専門知識たるや、責任丸投げの引用ばかりでは、さらに・・・です。
※リハビリ・筋肉トレーニング。
本当に修復、発達し、より強くなるのは、リハビリ、筋トレの最中ではなく、安静時、いやそれよりも直接の関係がない部分を使っている時なのです、単に安静、ではなく遊んでいる時なのです。

 

 

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質問者:1311tobi
質問日時:2019/12/06 22:07
回答数:29件
このところいくつかの同じような質問があって、眺めているうちに妙なことを思いついてしまいました。

1)公園を散歩する
2)公園で散歩する
 どちらもフツーに使うでしょう。
 日本語教育のジャンルでは有名な話のようです。
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%85%AC%E5 …

3)公園の散歩をする
4)公園での散歩をする
 どちらも無理気味です。特殊な文脈をもってくればなんとかなるかもしれません。
「公園(で)の散歩」を日課にしているくらいならアリでしょうか。

 さて、本題はこのあとです。
5)公園を掃除する
6)公園で掃除(を)する
7)公園の掃除をする
 6)だけはなぜか「を」があってもなくてもいい気がします。理由は不明です。

「散歩」だと「の」に異和感があるのに、「掃除」だと自然なのはわかりますが、なぜなのでしょうか。
 1)と2)はほとんど同じ意味に思えます。
 でも、5)よ6)は相当違う気がします。どう考えればよいのでしょうか。

質問者からの補足コメント
どう思う?

国語辞典ひけば、格助詞の「で」には「場所を表わす」と書いてあります。おそらくすべての辞書にそういった記述があるはずです。
 それを全否定するなら、もはや日本語の文法の話ではなくなるでしょう。ヨソでやってください。
https://kotobank.jp/word/%E3%81%A7-573220

補足日時:2019/12/13 21:43
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どんどん症状が悪くなっているようですね。
 ご自愛ください。

補足日時:2019/12/19 22:27
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No.13

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/08 18:34
No.2 の回答だけでは理解できないようなので補足をしておきます。


>>「散歩」だと「の」に異和感があるのに、「掃除」だと自然なのはわかりますが、なぜなのでしょうか。

格助詞「の」は所属・所有の関係認識を表わします。
掃除は他動の公園自体に対する行為・作用で公園自体の属性ですが、散歩は自動の話者自体の属性です。
このため、「公園の散歩」の公園と散歩は所属・所有の関係にないため違和感を感じることになります。

>> 1)と2)はほとんど同じ意味に思えます。

同じではありません。意味が異なります。

1)公園を散歩する。

公園を自動詞「散歩する」の対象として捉えています。

2)公園で散歩する。

公園を散歩の手段として捉え表現しています。

>>5)よ6)は相当違う気がします。どう考えればよいのでしょうか。

1)と2)は「散歩」という自動の行為なので、「を」でも「で」でも単に話者に対立する対象ですが、5)や6)の場合は「公園」が「掃除」という他動の行為、作用の対象で、「公園」自体に変化を与える行為・作用で所属の関係となるために自動の「散歩」という対立の関係とは異なり「相当違う気がします」ということになります。

このように、話者の認識を捉えないと、当然ながら「理由は不明です。」ということになるしかありません。

言語は話者の認識の表現であるというのは、この事を言っています。■
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No.12

回答者: fxq11011
回答日時:2019/12/08 17:51
「で」文法の解説書の説明では、手段・方法、場所、時刻と同列で説明されています。

個人的には場所・時刻も手段・方法に含まれると思っています。
武士の時代(に限りませんが)、戦の方法・手段、として「夜討ち・朝がけ」、戦の方法のひとつですね、実際の内容は時刻が問題ですが。
所かまわず・・・・、一定の範囲で目標物の密度が高ければ、方法として照準を合わす必要ありませんね、一定の範囲内でも密度にばらつきがあれば、より密度の高いところを狙う必要がありますね。
全く逆の方法が、絨毯爆撃・・という方法(手段です)。
何かをするにあたり、場所、時刻を選ぶのも、手段・方法のうちでもあります。
文法は膨大な言葉、文章を分類して、体系づけています、、まったく同じものをそれ絵r多だけではありません、分類したそれぞれの名称当、共通する部分(と言っても全く同じ、ことはありません)、が想定可能な名称をつけています、背梅井に使用される言葉も同様です、辞書等で説明される意味、以上に拡大してとらえる必要があります。
ただ、原因・理由への拡張・・・には同意しかねます。
あくまでも、す段・方法の認識を拡張するだけです。
①道具その他
②場所・位置
③時刻
④他と同じ場所、同じ時刻(タイミング)
泥棒の七つ道具・・・・これはは主殿としての、道具ですね。
真昼に堂々と実行しますか?、夜陰に紛れ(時刻)、人目ニつかないところ(場所)
留守の家(タイミング)。
すべてが、手段であり、方法でもあると認識できるかどうかが、文法をどこまで自分のものにでき、他人に説明できるかどうかの分かれ目?、とも言えそうに思います。
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No.11

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/08 11:56
No.10 の質問に答えて


>>「公園で掃除する」は「公園」を使って(利用して)掃除するということになるのですか。

「利用」ではなく、手段・方法という認識を表わしており、その対象が場所であるため場所を表わすと理解されるもので、それは文での意味ということで、語としての格助詞「で」の意義は手段・方法という認識の表現ということになります。

>>「戦争で死んだ」「ニューギニアで戦死した」の「で」も「手段・方法」でしょうか。そう認識して使うのでしょうか。「戦争」が「原因・理由」にはなると思いますが、「手段・方法」とは考えにくいのですが。「ニューギニアで」も同じです。

この場合は、手段・方法から拡張、発展して「原因・理由」の認識になっています。「ニューギニアで戦死した」のような表現が丁度、手段・方法から「原因・理由」への拡張の転機といえます。

>>「これで、失礼します」の「で」はどう説明出来るのですか。「これ」は「このタイミング」だろうとは考えます。

格助詞「で」は古語の「にて」から転成したもので、「に」が時間的・空間的な位置付けの認識、「て」が確認の認識を表わす助動詞で、そこから「~をもって」のような手段・方法という認識を表わすものとして使用され、時間的な位置付けの認識もあり、「これにて失礼いたします」のような「この時をもって~」という手段・方法という認識を表わしてるものです。「これ」が「このタイミング」で、「このタイミング」自体は客体を表わす客体的表現である詞になります。

辞である助詞、助動詞、感動詞などは、こうした話者の客体である対象に対する主観を客体化することなく直接に概念化したもので、この点を明確に理解、認識しないと主客を混同した曖昧な解釈に陥ります。

カント哲学、新カント主義的な物自体の認識を不可とする不可知論に依拠する現在のソシュールパラダイム下の発想では、悟性という理性に対する不分明な認識しか展開できず、物自体の反映とそれに対する能動的な認識を正しく区分、理解することができません。

認知言語学の唱える認知もまたこのようなものでしかないというのがソシュールパラダイム下での現状です。これを超克するためにはヘーゲルによる弁証法の論理と唯物論に基づく反映、媒介の論理が不可欠です。■
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No.10

回答者: OKAT
回答日時:2019/12/08 10:24
アスナロウさんに一度お聞きしたかったので、この機会に質問します。
「で」が手段・方法の表現とおっしゃいますが、「公園で掃除する」は「公園」を使って(利用して)掃除するということになるのですか。「戦争で死んだ」「ニューギニアで戦死した」の「で」も「手段・方法」でしょうか。そう認識して使うのでしょうか。「戦争」が「原因・理由」にはなると思いますが、「手段・方法」とは考えにくいのですが。「ニューギニアで」も同じです。
 話は変わりますが、「これで、失礼します」の「で」はどう説明出来るのですか。「これ」は「このタイミング」だろうとは考えます。
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この回答へのお礼
返信があったようですが、お礼も感想も反論も罵倒も苦笑もないのでしょうか。
 あれで理解できるならOKATさんを尊敬します。
 当方はとてもそのような解読力はありません。
「公園で掃除する」も「ニューギニアで戦死した」も「場所」だと思いますよ。
 見たことのない不思議な文法をアレコレ垂れ流すかたですから、そのひとつなのでは。

 ところで、本題の3つの質問に関してはどのようにお考えですか。

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お礼日時:2019/12/09 21:21

No.9

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/07 23:02
NO.8 の補足。


>6)公園【で】掃除をする

の格助詞「で」は、

ナイフ【で】紙を切る。
バス【で】新宿に行く。
(小指を立て)「これ【で】、失敗しました。」

などの「で」と同じです。

助詞は主体的表現の語で、客体を表わす客体的表現の語ではないことを、これまで何度も回答していますが未だにご理解いただけてないようです。

この主体的表現の語という本質の理解なしに、あれこれ文での意味、機能をいじくりまわしても何の進展もありません。■
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No.8

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/07 22:39
NO.2 のお礼に答えて


>6)公園で掃除(を)する
>の格助詞「で」は手段・方法を表わし、
 ですか。当方は「場所」を表わすと思っていました。
 イヤハヤ。

ここが大切な所ですが、場所自体を表わしているのは「公園」ですよね。

その「公園」を、掃除の手段・方法として認識しているということを格助詞「で」で表しています。
公園が場所であるのは言わずもがなのことです。
理解できますか。
イヤハヤ!

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No.7

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/07 20:45
No.6 の補足


この程度の初歩的な文法理解もなく誤った回答は混乱を招くだけです。■
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No.6

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/07 20:41
No.5 について。


>、「の」を準体詞ととらえると
文法的に正しいか、どうかはともかく理解は可能です。

文法的に誤りで、準体助詞ではないので理解は不可能です。■
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No.5

回答者: fxq11011
回答日時:2019/12/07 16:41
>「公園の掃除」の「の」は格助詞で、準体詞ではありません

文法の知識を披露するつもりはありません。
どのように理解するか?。
>、「の」を準体詞ととらえると
文法的に正しいか、どうかはともかく理理解は可能です。
>悪までも一つの考えか他です参考までに・・。
このように断っています、参考までに・・誰かさんみたいに押し付けてはいません。
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No.4

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/07 12:18
No.3 の回答について。


「公園の掃除」の「の」は格助詞で、準体詞ではありません。

準体詞というのは正しくは抽象(形式)名詞で、リンゴの山を指し、

その赤い【の】を下さい。

や、

君の顔色が青い【の】が心配だ。

のような使いかたをします。■
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No.3

回答者: fxq11011
回答日時:2019/12/07 11:52
「の」格助詞、所有格、または直前の内容を名詞化する、準体詞の場合もあります。

悪までも一つの考えか他です参考までに・・。
公園の掃除、「の」を準体詞ととらえると、名詞+名詞となり、公園掃除という熟語にもなります、公園の掃除、この表現で一応自己完結?。
公園を掃除、これだけでは自己完結しませんね、即、するの?、しないの?。
①公園を散歩する、公園は「する」の目的語、散歩は「する」の具体的内容。
②公園で散歩する、散歩する場所を特定。
①の場合、個人的には「を」目的格でも拡散を感じます、公園内を動き回る、動きが想像されます、公園内でもどの部分まで言及は当然不要です。
②の場合、公園と特定しただけ、公園といっても広い公園だと、さらに限定する必要も・・・・・。
⑤掃除→動詞の動きの概念を名詞(熟語)で表現
⑥掃除→純然な名詞感覚なら、「を」が必要、⑤と同様感覚なら不要、ただこの表現では、掃除する対象がありません、例 公園で車の車内掃除をする。
「で」単に位置を表すだけと、助動詞、手段方法(位置、時刻)を表す、公園で・・・、現実にはさらに絞りこむことも可能だが・・・という表現になります。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

 下記に書いた3つの疑問に関してはどうお考えですか。

【1】6)だけはなぜか「を」があってもなくてもいい気がします。理由は不明です。
【2】「散歩」だと「の」に異和感があるのに、「掃除」だと自然なのはわかりますが、なぜなのでしょうか。
【3】5)よ6)は相当違う気がします。どう考えればよいのでしょうか。

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お礼日時:2019/12/07 20:16

No.2

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/12/07 11:32
言語は話者の認識の表現です。


単なる形式の並べ替えによるお遊びは言語ではなく、文字/語という形の遊びに過ぎません。
生成文法と同じアプリオリな文の実在という妄想です。

単なる語の機械的な並べ替えは文ではなく、本来意味がない形式に意味付けをしようとするために異和感が生まれるのは当然です。語の羅列は赤ん坊でも猫でもキーボードのキーを押せば可能ですが、そこに意味を見出そうとする発想が根本的に誤っています。

6)公園で掃除(を)する

の格助詞「で」は手段・方法を表わし、

7)公園の掃除をする

の格助詞「の」は所有・所属の関係を表わします。したがって、掃除は名詞で、「掃除する」と動詞にならないのは当然です。

言語とは何かの基本的な理解もなく、いつも「眺めているうちに妙なことを思いついて」、論理的な反省もなく屁理屈を並べても何の意義も、意味もありません。■
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。
 
>言語とは何かの基本的な理解もなく、いつも「眺めているうちに妙なことを思いついて」、論理的な反省もなく屁理屈を並べても何の意義も、意味もありません。■
 ハイハイ、そうかもしれません。

 で、
>6)公園で掃除(を)する
>の格助詞「で」は手段・方法を表わし、
 ですか。当方は「場所」を表わすと思っていました。
 イヤハヤ。

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お礼日時:2019/12/07 18:09

No.1

回答者: OKAT
回答日時:2019/12/06 22:56
「散歩する」は「歩く」と同様自動詞でしょう。
対して「掃除する」は他動詞で、当然目的語としての対格を伴うと思います。何を掃除するかと言うことです。
5)公園を掃除する の「を」対格、公園が対象になります。
6)公園で掃除(を)する←何の(どこの)掃除?
7)公園の掃除をする 上記の答を言っています。公園の掃除。したがって「公園の掃除する」にはなりません。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。
 
 未整理の書き方で申し訳ない。
 おそらく当方の疑問は3つあります。

【1】6)だけはなぜか「を」があってもなくてもいい気がします。理由は不明です。
【2】「散歩」だと「の」に異和感があるのに、「掃除」だと自然なのはわかりますが、なぜなのでしょうか。
【3】5)よ6)は相当違う気がします。どう考えればよいのでしょうか。

>「散歩する」は「歩く」と同様自動詞でしょう。対して「掃除する」は他動詞で、当然目的語としての対格を伴うと思います。何を掃除するかと言うことです。
 原則的にはそのとおりだと思います。
 この「散歩する」の類いは自動詞の鬼っ子で、何かと悪さをするようです。

>6)公園で掃除(を)する←何の(どこの)掃除?
 たしかに、公園で耳の掃除をする人もいるでしょう。
 でも、フツーは「公園で掃除をする」といえば、「公園の掃除」でしょう。
  
>7)公園の掃除をする 上記の答を言っています。公園の掃除。したがって「公園の掃除する」にはなりません。
 上記【1】の答えになっているのかもしれません。
 そういうもの、と考えるしかないのでしょうか。

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お礼日時:2019/12/07 18:05

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 古い読書感想文のデータを見つけた。2004年8月らしい。

『伝わる・揺さぶる! 文章を書く』(山田ズーニー/PHP文庫/2001年11月29日第一版第一刷/2003年10月17日第一版第六刷)
 ネット情報によると、このところ文章読本としてはいちばん売れているらしい。はじめはけっこう感心しながら読んでいた。そのうち、これは文章読本ではない、って気がしてきた。一種の思想書じゃないかね。
 実用文を対象にして、実践的な説明に徹底している態度には好感がもてる。文章の種類を細分化して書いているあたりも実用性の高さにつながっているが、いかんせん未整理の部分が多いのが残念。実践的な文章読本の書き方のヒントになる記述は多い。

 【引用部】
 私が、最初に文章の書き方を習ったのは、小学校「こくご」の「作文」だった。そこで求められたのは、ひと言で言って、「豊かな表現力」だったように思う。以降、学校で受けて来た文章教育を振り返ると、詩や物語、小説などの鑑賞が多かった。味わい深い文章、豊かな感情表現、余韻や余情……。そういう教育は、自分の内的世界や、情緒を豊かにしてくれた。とても感謝している。
 だが、以降「豊かな表現力」というモノサシを自分でも曖昧(あいまい)なまま、文章全般に当てはめてしまっていた。それで「文章の善し悪しは、とらえどころのないものだ」という、妙な思い込みを長い間持ってしまった。(p.28〜29)
 清水読本の批判を引用するまでもなく、このあたりが諸悪の根源なんだろうな。
 
【引用部】
 例えば、「感動」をゴールとする詩や小説と、「説得」をゴールとする小論文は、180度性質が違うものだと分かる。さらに、大学の授業やビジネスで書く小論文と入試小論文も違うのだ。小論文のゴールは「説得」だが、入試小論文のゴールは「合格」だ。やみくもにいい小論文を書いても、合格はできない。その大学・学部で、求めて入る能力がある。それをつかみ、それに見合った方向で、見合うレベルまで、努力して到達することだ。(p.29〜30)
 こういうふうに文章の種類に関してふれている文章読本は、意外なほど少ない。そりゃ、どんな文章であっても根源は一緒と言えなくはない。しかし、現実には文章の種類が違うといろいろな点が違ってくるんだから、しょうがない。
 
【引用部】
見たり、聞いたり、調べていくうちに、自分の見解は、見えてくる。(p.44〜45)
洗い出した「問い」を選んだり、整理しながら、それぞれの問いについて、自問自答を繰り返す。(p.45)
 たまたま近い箇所にあったので気になった。本書には「片たり」の文が頻出する。もうメクジラを立ててもしかたがないとは思うが、ヘンなものはヘン。
 
【引用部】
 根本思想は、短い文章にも、ごまかしようなく立ち表れてしまう。根本に、人に対して温かい想いを持っている人の文章は、さりげない書き方をしていても温かさが伝わってくる。また、生き方が後ろ向きな人は、何を書いても、どう書いても、やはり後ろ向きな印象が伝わってしまう。(p.104〜105)
「文は人なり」って主張ですね。この書き方に一般的な主張より説得力を感じたのは、著者の世界観に巻き込まれているかね。このあとに、正直に書くと差し障りがあるときなんかの対策が出てくる。
 
【引用部】
そういう気持ちにとらわれた時は、書くのをやめ、少し、根本思想が変わるのを待つ。(p.105)
 ここで爆笑して目が覚めた。あのね。こんなに簡単にかわるものは、根本思想なんかじゃないでしょ。
 
【引用部】
 文章で大切なのは、自分の根っこにある気持ちや生き方にうそをつかないことだ。(p.109)
 文章はこの点で甘くない。自分の生き方にうそのない文章を書くことは、実は最も有利な戦略なのだ。(p.109)
 このあたりの正論の押し付けには、ゲップが出そうになる。〈実感から出る本物の言葉に勝てない〉なんて書かれていると、「そうだろうな」って気にもなる。たかが文章のことでそんなに熱くなるんじゃない。
 
【引用部】
 主語ははっきりさせて書く、そして主語はできるだけ人間にし、あいまいな受け身文を書かないようにするだけで、文章は見違える。(p.187)
 一理ある。ただし、このあとに〈主語があいまいということは、責任があいまいということだ〉とあるように、この記述はビジネス文書を対象にしている。一般にはケース・バイ・ケースだろう。

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【38】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1991701622&owner_id=5019671

mixi日記2026年04月23日から。

 例によって閉鎖空間の話。
当方のコメント====引用開始
熟語動詞(仮称)の中止形?で、「し」を省略する例ってけっこう見ませんか。
 うまい例文が浮かばないのですが、たとえば……。

 最後に○○氏が登壇、総括的な意見を述べた。
【登壇し】にするべきだと思いますが、なぜか「し」の1字を省略する。
 新聞などでよく見る気がしますが、見当たらない。
 現象名も不明、「、」がらみなのでネット検索うまくいきません。

 2014年の朝日新聞からのメモを見てたら、1点だけ見つかった。もっとありそうなんだけど……。

【2014年06月の朝日新聞から】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3048.html
━━━━━━━━━━━引用開始
14-06-02
14日
 NHKの朝ドラ「花子とアン」に帝大生で社会運動家の宮本龍一役で16日から登場、仲間扮する蓮子と恋に陥る。(朝刊26面)
 平野和子記者。中島歩(ネクストブレイク候補?)のインタビュー。「登場、」ではなく「登場し、」だろう、というのはインネンになりそうだからパス。気になるのは「16日から登場」。やはり「16日(放映分)に登場」か「16日(放映分)から出演」だと思う。 
━━━━━━━━━━━引用終了
===========引用終了

K氏のコメント====引用開始

これもよくいないということになりますか??

---
今年、友枝昭世=写真右=が「枕慈童(まくらじどう)」で10年ぶりに出演、「大原御幸(おはらごこう)」を演じる観世流の九世観世銕之丞=同左=とともに20回目の記念公演を彩る。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO95750620Y6A410C2TCZ000/ 
===========引用終了

当方のコメント====引用開始
 おお。このような用例をどうやって……すばらしい。
 これだと異和感がぐっと弱くなるような。
 
 でもやはり、
〈に出演し、「大原〜〉か
〈に出演。「大原〜〉にしたいような。
〈に出演する。「大原〜〉はなんかヘン。 
===========引用終了

K氏のコメント====引用開始
日経新聞サイトを検索しただけです〜
ただいま有料会員。
本当は毎日新聞も登録したいところですが、ちと高い… 
===========引用終了

当方のコメント====引用開始
どういうキーワードで検索したんですか? 想像がつかない……。 
===========引用終了

K氏のコメント====引用開始
「に出演」のみですー 
===========引用終了

当方のコメント====引用開始
 うーん。
 そうか。
「に出演」でいけますか。
「登壇」「登場」「出演」……だと「あらわれる」系って気がしました。
 でも「に/で成功」「に/で起業」あたりもありそうだし……。
===========引用終了

 このサ変動詞の中止形については昔から気になっていた。
 たまたま下記の古い書籍で目にして、疑問が再燃した。
【引用部】
 国労、勤労、その他敬老でも早漏でも何でも構わんが、鉄道関係労働者団体と本社側の給与引きあげに関する交渉が決裂、組合側は遂に無期限全面ストに突入、国電、地下鉄等首都圏の交通機関は一斉にまる一日麻痺し、東京と周辺を結ぶ血脈が絶たれる──という年中行事だから珍しいとも言えない設定で、男は東京を密室かするのだと言う。
『ある東京の扉』(連城三紀彦) 『密室殺人事件』所収(p339)
「決裂、」「突入、」「麻痺し、」……ですかい。
 まぁ、こういう用例もあるってことだ。
 別にこれでもおかしくないのだろうが、個人的には「〜し、」か「〜。」にしたい。上記の例だといろいろ制約がありそう。一文に3カ所もサ変動詞の中止形を使うとさぁ……。

 

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1311tobi
質問日時:2019/11/26 22:13
回答数:9件
アンケートに近いのですが……。
 下記のうち、「おかしい」の感じるのはどれですか。

1)こんなことは決して我慢できません
2)こんなことは決して我慢できるものではありません
3)こんなことは決して許せません
4)こんなことは断じて我慢できません
5)こんなことは断じて我慢できるものではありません
6)こんなことは断じて許せません
7)こんなことは絶対に我慢できません
8)こんなことは絶対に我慢できるものではありません
9)こんなことは絶対に許せません

 できれば理由を添えていただけると助かります。

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A 回答 (9件)

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No.9

回答者: olive07
回答日時:2019/12/04 01:54
「1ヶ月内に1件に限り、回答が投稿されている場合であっても、スマートフォン用「教えて!gooアプリ」からの操作で、質問の取り消しが出来ます。
」(https://goo.e-srvc.com/app/answers/detail/a_id/1 …)

ということですから、質問者さま自身が削除したのだろうと思っておりました。あの時のご質問内容まで覚えていられるほど暇人ではないですが、あのときも、別の質問での私の回答に対して、まるで私をつるし上げることが目的のような質問の立てられ方でした。しかし、私は日本語学習者で本気で知りたいのだろうと解釈して、誠心誠意答えましたが、あなたは少しも問題の核心に触れようとしなかったので、私は何度も同じ説明を繰り返すことになり、私はあなたに、他のことをして、頭を切り替えて、また少したってからまた考えてみて、それでも分からなかったら、また質問したらいいではないかと、提案しました。そうでなければ、私は同じことを繰り返すばかりだと言いました。

私は金輪際あなたの質問には答えたくないです。

No.7さんに倣って、失敬。
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この回答へのお礼
>1ヶ月内に1件に限り~
 そうなんですか。初めて知りました。
 貴重な情報を……と言いたいところでですが、すでに書いたように当方はよほどのことがないかぎり削除なんてしませんから……。

>別の質問での私の回答に対して、まるで私をつるし上げることが目的のような質問
 そのように読めたのならお詫び申し上げます。ただ、いかんせん記憶がないうえに記録がなくては……。

>私は金輪際あなたの質問には答えたくないです。
 それは残念ですね。
 無理にとは言いませんが、気がかわったらよろしくお願い申しげます。

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お礼日時:2019/12/05 22:01

No.8

回答者: olive07
回答日時:2019/12/03 09:57
>ジリジリと正解に近づいているような……。


それはようございました。まるであなたは正解を知っていて、日本人の馬鹿さ加減を楽しむために出題したかのようですね。
No.7さんのご不快に思われるのもご尤もと言うものです。

あなたの母国語では構わないのだとしても、日本語は、いちいち話者の姿勢・態度を表現に表す言語であって、現れてしまう言語です。それが分からないうちは発言内容に気をつけられた方がよいと思います。(もしかすると、この辺りでのやり取りから影響されていらっしゃるのかもしれませんけど、この辺りで見かける言葉は必ずしも穏便ではないことを心得ておいてください。)

先日も、あなたは私が誠心誠意答えていたものを、ご質問ごとそっくり消してしまわれました。何を意図されたものかも言ってもらっていませんし、できるだけ善意に捉えようとしてきましたけど、このようなことが重なると、不快をぬぐえなくなってくるのも人情というものです。
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この回答へのお礼
いくつか誤解がある気がします。
 当方が言葉足らずだったのでしょうか。
 申し訳ございません。

>まるであなたは正解を知っていて、日本人の馬鹿さ加減を楽しむために出題したかのようですね。
 当方は「正解」など知りません。
 このテの問題に「正解」などないと思います。「納得できる考え」とでも言うべきでした。
 olive07さんの回答で、「納得できる考え」に近づけた気がして、「正解」と書いてしまいました。

「日本人の馬鹿さ加減」ということは、当方を日本人ではないと考えたのでしょうか。いったいなぜ?

>もしかすると、この辺りでのやり取りから影響されていらっしゃるのかもしれませんけど、この辺りで見かける言葉は必ずしも穏便ではないことを心得ておいてください
「この辺り」とはどのあたりのことでしょうか。

>先日も、あなたは私が誠心誠意答えていたものを、ご質問ごとそっくり消してしまわれました
 なんの話でしょうか。
 そもそも、この質問サイトは、回答がついた段階で質問者が削除することはできないはずです。
 SNSのなかには、質問者が削除できるものもあり、苦々しく思っています。当方はよほどのことがない限り、そのようなことはいたしません。そのような誤解をもとに、「不快をぬぐえなくなってくる」とすると、申し訳なく思います。
 できれば、どんな質問に対して対してどのような回答をなさったのか、概略だけでも教えていただけませんか。

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お礼日時:2019/12/03 22:01

No.7

回答者: マッチ棒之介
回答日時:2019/11/28 22:35
質問者さんの感覚は


決して<断じて<絶体

なのですね?


賢い、ドンピシャの回答が投稿されると良いですね。

失敬。
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この回答へのお礼
> 決して<断じて<絶体(絶対)

 そうなのかもしれません。
 当方はそんな厳密なことは考えてませんが。

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お礼日時:2019/12/02 21:08

No.6

回答者: マッチ棒之介
回答日時:2019/11/28 09:51
補足です。


このような案件は断じて承服しかねます。

はどうでしょう??
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この回答へのお礼
「承服しかねます」も、「看過しかねます」と同様の気がします。

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お礼日時:2019/11/28 21:30

No.5

回答者: マッチ棒之介
回答日時:2019/11/27 23:09
再投稿。
補足です。

「許す」や「我慢」とは意味合いがずれるかもしれませんが
「看過しかねます。」
ばどうでしょう?

このような案件は断じて看過しかねます

なら1~9を補えると思ったのですが……
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この回答へのお礼
うーん。
「看過しかねます」だと、「決して」は×でしょうね。
「断じて」も×のような。
「絶対」は微妙な気が。

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お礼日時:2019/11/28 21:29

No.4

回答者: olive07
回答日時:2019/11/27 15:05
「我慢できません」という子供っぽい表現と「決して」「断じて」との組み合わせがアンバランスに感じるのだと思います。
宮沢賢治の童話にならでてきそうです。

「できるものではありません」にすると紛らわされるようです。

「許せません」なら釣り合います。

「絶対に」は子供でも知っている表現なので「絶対に我慢できません」は非常に普通です。
3、6、7,8,9は問題ありません。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

>「我慢できません」という子供っぽい表現と「決して」「断じて」との組み合わせがアンバランスに感じるのだと思います。
 ジリジリと正解に近づいているような……。

>「できるものではありません」にすると紛らわされるようです。
 多少異和感が薄れます。

>「許せません」なら釣り合います。
「こんなことは決して許せません」はちょっとひっかかります。
「こんなことは決して許されることではありません」ならOKの気がするのは、「できるものではありません」と同様でしょうか。

>3、6、7,8,9は問題ありません。
 つまり「許せません」は3つともOKで、「絶対に」も3つともOKということですね。
 うーむ。微妙だ。

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お礼日時:2019/11/28 21:27

No.3

回答者: yambejp
回答日時:2019/11/27 11:22
「決して」とか「断じて」だと「(ほかに)何があっても」的な意味があるので

我慢と一緒に使うのは微妙、「許さない」とかなら良さげ。

「我慢できない」を強めて言うなら絶対は良いと思いますが
その他だと「とても」とか「とてもじゃないけど」などじゃないですかね
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

>「決して」とか「断じて」だと「(ほかに)何があっても」的な意味があるので
我慢と一緒に使うのは微妙
 そのあたりがポイントの気がします。

>「許さない」とかなら良さげ。
 そこの違いが……。

>「我慢できない」を強めて言うなら絶対は良い
 そのあたりも感覚的には納得できても……。

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お礼日時:2019/11/27 22:26

No.2

回答者: fxq11011
回答日時:2019/11/27 10:48
言葉による表現の多くは一つの文章だけでは成り立ちません。

あえて違和感?というなら、「こんなこと」に対して「我慢」が不釣り合い。
こんな(実際の内容表現は文章の可能性もあり)「こと」で体言化、なのでちょっとした痛み、などには不釣り合いです。
通常は、「こんなこと」の具体的内容がわからいことには回答できません、前後の会話等の内容によります。
その場その場でのTPO で判断が必要です、前以ての決めつけはできません。
ごく一般的には、「絶対」なんて、あだやおろそかで使うべき言葉ではありませんが、現実の会話等ではよく聞きますね、そのレベルでの内容なら大した違いはありません。
極端な例を言えば、法律の文章等では「絶対」なんてこと場はないはずです。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

>「こんなこと」に対して「我慢」が不釣り合い

 そういう受け止め方もあるのですね。
 意表をつかれました。
 当方は「決して」などと「我慢できない」の相性を考えていました。

「このような理不尽な扱いは決して我慢できません」
「このような理不尽な扱いは決して我慢できるものではありません」
「このような理不尽な扱いは決して許せません」
 ならどうですか。

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お礼日時:2019/11/27 19:50

No.1

回答者: マッチ棒之介
回答日時:2019/11/26 23:06
重箱のすみをつつきます。


>こんなこと……

の文言を

このよう「案件」もしくは「問題」
の方が大人ぽっい文になりませんか?
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この回答へのお礼
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>このよう「案件」もしくは「問題」
>の方が大人ぽっい文になりませんか?

 そういう受け止め方もあるのですね。
 勉強になります。
 ところで、本題に関してはいかがですか。

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お礼日時:2019/11/27 19:46
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お礼日時:2019/11/09 17:30

 

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gooへの質問 2019/11/09 彼の携帯電話に何度もかけたが全然出ない。きっと部屋に忘れて出かけた(    )。

 

  • 質問者:1311tobi
  • 質問日時:
  • 回答数:12件

ある試験に次のような問題があったとのこと。

 彼の携帯電話に何度もかけたが全然出ない。きっと部屋に忘れて出かけた(    )。
 選択肢は下記の2つだったとか。
A はずだ  
B にちがいない

 正解はBでしたが、Aは不正解なのでしょうか。
 もうひとつ選択肢を増やします。

C のだろう

 個人的は、ABCのどれもアリの気がしますが、どうしてもひとつを選べというなら、「C のだろう」です。
 理由はうまく説明できません(泣)。

 ご意見をお聞かせください。

 

 

 

No.10ベストアンサー

回答者: fxq11011
回答日時:2019/11/10 17:21
>一番推量の程度が弱い「のだろうが」が適切でしょう

そういうことです。
そのうえで残るのは、表現の自由です、3例とも推量の域を超えません。
主観的推量をどこまで強く表現するか、現実にどの表現方法を使うかはその当人の全く自由です。
そういう意味から問題を見ると、お粗末な問題ともいえます。
一方、文法一辺倒ではなく、日本語による表現の感性という観点からみっれば・・・。
個人的ではあるが
多分・・・・だろう
きっと・・・に違いない
で正解の判断をするかもしれません。
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この回答へのお礼
>そのうえで残るのは、表現の自由です、3例とも推量の域を超えません。

 そのとおりでしょう。多少不自然でも、「作文」ならアリかもしれません。修正する教師もいるかもしれませんが(生徒が納得できる説明ができるのだろうか)。
 でも文法?の試験で、このような「きっと」「はずだ」「に違いない」は不適切でしょう。

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お礼日時:2019/11/10 21:28

No.12

回答者: fxq11011
回答日時:2019/11/12 10:27
地域にもよりますが、私が育った地域は、「きっと」はまず使いませんでした。

そんな場合は「絶対」が使われていました、絶対そうに違いない・・・・こんな風に、でも必ずしも、「違いない」とは限りません。
「そうだろう」「そうじじゃないか」・・・等、「絶対」と言ってしまえば、あとの言葉は推量の意味であれば。どんな表現でもあり?。
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この回答へのお礼
>地域にもよりますが、私が育った地域は、「きっと」はまず使いませんでした。
 
 いろいろですね。
 当方の語感だと、いろいろあげた言葉のうち、「~に違いない」は使わない気がします。これが地域性によるものか否かは不明です。

「きっと」に関しては、有名な映画のCMのフレーズ「きっと来る……」、有名な曲に出てくる「きっと君は来ない」などの印象もあって、フツーに使います。
 ただ、注目すべきは2例とも「来る」「来ない」と言い切っていることです。
「はずだ」も「に違いない」もついていません。個人的には、そのほうが自然に感じます。

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お礼日時:2019/11/12 21:37

No.11

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/11/10 23:36
No.9のお礼に答えて


>>相変わらず、不快な上から目線で自己中心的なコメントに終始するのですね。
 付き合いきれません。さようなら。

相変わらず、肝心の点が理解できていませんね。
上から目線などと人並みの批判を述べる前に、自己の理解のレベル、非論理性を自覚すべきです。

言語、文法について質問、自説を述べるのであれば最低限、無批判な辞書の単なる引用、羅列ではなく文法書、言語論の基礎を理解した上で自己理解に基づき意見を述べ、反論すべきです。

そうでないため、変わり栄えのしない現象的な質問を繰り返すだけで、形式的な互換性レベルの話に終始し何ら本質的な進歩、進展がありません。

この点を自覚、反省しないとこれまで同様に、ゴミの山を築くことにしかなりません。

ご指摘の辞書の使い分けの説明は理解できましたか?

これが理解できれば、質問の理由は明らかですが?
肝心の点、問題から逃げまくっていては進歩はありません!

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この回答へのお礼
>反省しないとこれまで同様に、ゴミの山を築くことにしかなりません

 自虐ですか?
 ご自愛ください。

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お礼日時:2020/01/05 12:12

No.9

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/11/10 17:03
No.6 のお礼に答えて

1.
>>辞書の記述に頼るのは、一般的な態度だと思います。
 でも回答者は、ソシュールナンチャラで、辞書の記述は信用していないのでは。
 ほかのかたが辞書の引用をしたときには、罵倒していた気がします。方針を変更したのでしょうか。

いいえ。
現在の辞書はソシュールパラダイム化の言語論、文法論の枠内で思考し、記述されていますので、これを信仰するのではなく、言語事実に基づき批判的に対処する必要があります。
とはいえ、相対的、部分的な正しさもあるがゆえに受け入れられているもので、この見極めが大切です。
単なる信仰ではなく、批判的、論理的に扱う必要があり、それなりの能力、見識が必要です。

辞書を信仰するのではなく、事実に向き合い、論理的、科学的に自分で思考する力が必要です。

2.
>>『広辞苑』の「はず」の記述はわかりにくいのですが、よく読むと、
〈当然のこと。道理。わけ〉のような意味が書いてあります。

当然のことで、質問の主旨に沿った分かり易い部分を提示したものです。

3.
>>それは、回答者の単なる主観ですか?
 ちなみに『広辞苑』には「確実にそうだ。きまっている。」と書いてある気がしますが。

今回の問題、質問の主旨は確実性の度合い、必然性、蓋然性の相違にあり、この点を理解することが重要です。主観ではなく、 質問の内容の客観的な理解、論理性の問題です。

4.
>>当方は、No.1のお礼に書いた辞書を信じ、どちらも「確信をもった推量・推測・推定を表わす。」と考えることにします。

信仰は問題の解明、解決にはなりません。
まずは、書かれている内容を正しく、批判的に理解することが第一です。

No.1のお礼の辞書を良く読めば、

[使い分け]
【1】過去・現在・未来のことについての確実性の高い(確信の高い)推測、根拠のある推定を表わす。表例(1)の場合、「はずだ」の方が、夜ふかしして翌朝寝坊するようなことが過去に何度もあったので今回もそうだろうという根拠のある推定の意味合いが強くなる。

【3】「に違いない」は、自分の推測を自分自身で確認し納得するといった、独り言や心の中での考え事に使われ、相手の問いかけに対する答えなどには使われないため、会話文より地の文に多く見られる。「はずだ」にはそのような制限はない。

と記されている通り、「根拠のある推定」と「自分の推測を自分自身で確認し納得する」という必然性と蓋然性による使い分けが記されています。この記述を読み飛ばしたのか、理解できなかったということでしょうか?

このせっかくの使い分けの記述の意味が理解できないようでは、辞書の表面的な解説を縦にしたり、横にしたり、並べ替えるぐらいが関の山で、せっかく質問しても回答の理解もままなりません。

論理的な思考力を養いましょう。

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この回答へのお礼
相変わらず、不快な上から目線で自己中心的なコメントに終始するのですね。
 付き合いきれません。
 さようなら。

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お礼日時:2019/11/10 17:12

No.8

回答者: OKAT
回答日時:2019/11/10 16:29
事実が検証されない限り、正解はあり得ません。
この種の問題はそういう意味で正解がない無責任な出題だと言えます。正解はありません。その場合多くの人が言いそうな物をあげただけです。「のかなあ」という選択肢があれば、それが正解でしょう。
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この回答へのお礼
問題が不適切、は同感です。
「無責任な出題」では済まないような。

「のかな」は「きっと」と相性が悪いような。
 現段階(10日)の当方の考えは下記くらいです。
【「もしかしたら」「たぶん」「きっと」──推量を表わす副詞の程度】〈3〉
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12544041224.html
===========引用開始
 なぜ、「のだろう」が素直なのか考えてみた。この例文の場合、「部屋に忘れて出かけた」と考える根拠がない。だから、「だろう」くらいしか入れられないのでは。「もしいつもそうだから」なら「きっと」にはしない。
「例によって部屋に忘れて出かけた(     )。」
 この場合も、はずだ△、「にちがいない」はなんとかOK。一番素直なのは「のだろう」。 要は、そんなに推量の度合いが高くないってこと。そういうことに「きっと」を使うこと自体が不自然。
「彼の携帯電話に何度もかけたが全然出ない。部屋に忘れて出かけた(     )。」
 これだともっと弱い推量の「かもしれない」も使えそう。「にちがいない」「のだろう」はOKだけど、「はずだ」はヘン。ということは、「はずだ」のほうが強い推量なのかもしれない。この考え方ができるなら、ひとつ収穫があった。

 これは「他者のことだから」とは言い切れない(だろう/はずだ/に違いない)。
「きっとメロスは約束を守ってくれる(     )。」
 この場合はメロスの人となりを十分に知っているはずだから、強い推量が使える。
「はずだ」「にちがいない」「―」のどれでもOK。確信(「期待」?)の強さを表わすなら、言い切りの「―」を選びたい。
「だろう」だと、腰砕け気味。 
===========引用終了

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お礼日時:2019/11/10 17:05

No.7

回答者: fxq11011
回答日時:2019/11/10 11:20
だろう、の場合は、たぶん・・・・だろう(必ずしも、主観が優先されていません)

違いない、の場合は、きっと・・・・に違いない(確定した因果関係は不明確ながら、主観を優先した表現)
はずだ、因果関係成立の原因が明確な場合。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

 基本的に、「推量」は主観だと思います。
 ただ、推量のもとになる事実がどの程度あるかが問題で。
 この場合、事実はほとんどなさそうなので、一番推量の程度が弱い「のだろうが」が適切でしょう。

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お礼日時:2019/11/10 16:57

No.6

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/11/09 23:17
No.3 のお礼に答えて

1.
>「はず」は当然そうなるという因果関係の判断です
 なぜそのようなことがいえるのでしょう。

はず [0] 【筈・弭】
(4)(矢の筈は,弓の弦と当然合致するということから)連体修飾語を受けて,形式名詞的に用いられる。(ア)当然そうなることの意を表す。「これで電気がつく―だ」「この地図を見ればわかる―だ」(イ)これからの事柄についてその予定を表す。「五時に終わる―だ」(ウ)事柄についての確信・確認の意を表す。「君にたのんだ―だ」
【大辞林】

で、話者はの認識している情報は「彼の携帯電話に何度もかけたが全然出ない。」という現象だけで、その因果関係を判断する材料がなく原因を推定する根拠は何もありません。必然の判断は不可能で、想定、推定するしかありません。

2.
>単なる現象から彼の行動の因果関係を私が判断する根拠はなく、確実にそうだという蓋然性の判断しかできず、「~にちがいない」と言うしかありません。
 なぜそのようなことがいえるのでしょう。

想定、推定するしかないので、蓋然性の判断しかできません

がい‐ぜん【蓋然】
あるいはそうであろうと思われるさま。矢印左右必然。
【広辞苑】

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この回答へのお礼
辞書の記述に頼るのは、一般的な態度だと思います。
 でも回答者は、ソシュールナンチャラで、辞書の記述は信用していないのでは。
 ほかのかたが辞書の引用をしたときには、罵倒していた気がします。方針を変更したのでしょうか。

 別のところでは、なぜか『広辞苑』は信用できる、のようなことも書いていた記憶があります。
 今後は『大辞林』、信用できるということでよろしいでしょうか。方針を変更したのでしょうか。

「蓋然」は『広辞苑』をひいているのに「はず」は『広辞苑』をひかないのはなぜなのでしょう。
 手元で確認できるものだと、『広辞苑』の「はず」の記述はわかりにくいのですが、よく読むと、
〈当然のこと。道理。わけ〉のような意味が書いてあります。

>想定、推定するしかないので、蓋然性の判断しかできません
 それは、回答者の単なる主観ですか?
 ちなみに『広辞苑』には「確実にそうだ。きまっている。」と書いてある気がしますが。

 当方は、No.1のお礼に書いた辞書を信じ、どちらも「確信をもった推量・推測・推定を表わす。」と考えることにします。

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お礼日時:2019/11/10 11:25

No.5

回答者: ご意見をお願いします。
回答日時:2019/11/09 17:19
おそらく、国語の文法の問題ではないでしょうか。
「きっと」は呼応の副詞と呼ばれる副詞で「きっと~に違いない」のセットで使われることになっています。ただ会話的には何でもありですので、その人の感覚で正解を決めてよろしいかと思います。
例えば、最近の会話では「全然いける」等と使われることもありますが、文法的には「全然~ない」でないと正解と認められません。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

>おそらく、国語の文法の問題ではないでしょうか。
 国語の問題としては不適切という意味でしょうか。
 それなら、同感です。
 こんな出題は答えようがありません。

>「きっと」は呼応の副詞と呼ばれる副詞で「きっと~に違いない」のセットで使われることになっています
 そ、そうなんですか。「きっと来る……」は×でしょうか。

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お礼日時:2019/11/09 17:38

No.4

回答者: かわごえ
回答日時:2019/11/09 17:01
状況からして

『きっと』~『にちがいない』は気心知れた対象のように感じます。
『きっと』~『のだろう』は別にどうでもいい相手のように感じます。

「はずだ 」は事前に何か策を講じているハズです。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

 つまり、「B にちがいない」「C のだろう」はどちらもOKということでしょうか。

>「はずだ 」は事前に何か策を講じているハズです。
「策」とは?

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お礼日時:2019/11/09 17:35

No.3

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/11/09 16:55
「はず」は当然そうなるという因果関係の判断ですが、単なる現象から彼の行動の因果関係を私が判断する根拠はなく、確実にそうだという蓋然性の判断しかできず、「~にちがいない」と言うしかありません。


「だろう」も推量で、適切な判断、表現です。■
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

>「はず」は当然そうなるという因果関係の判断です
 なぜそのようなことがいえるのでしょう。

>単なる現象から彼の行動の因果関係を私が判断する根拠はなく、確実にそうだという蓋然性の判断しかできず、「~にちがいない」と言うしかありません。
 なぜそのようなことがいえるのでしょう。

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お礼日時:2019/11/09 17:33No.2

回答者: OKAT
回答日時:2019/11/09 16:53
一番不確実さがはっきりするのがのが「だろう」です。
言いかえれば無責任な推定だから。出題自体が無責任ですが。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

>一番不確実さがはっきりするのがのが「だろう」です。
 そのとおりだと思います。
 それを「無責任」と言えるか否かは不明です。

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お礼日時:2019/11/09 17:31

参考程度に

No.1

回答者: ノムリン
回答日時:2019/11/09 16:48
状況によってはあなたの言うとおりABCすべて答えとして成立しますよ。


あなたが過去そういう経験があって断定しているのであればA
推測でものを言うのであればBもしくはC、この場合、思いとしてはB>Cですね。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

>あなたが過去そういう経験があって断定しているのであればA
「はずだ」は「断定」ですか?

 下記の辞書には「確信をもった推量・推測・推定を表わす。」とあります。
https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/17309/meaning …

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お礼日時:2019/11/09 17:30

 

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質問者:1311tobi
質問日時:2019/10/31 22:27
回答数:11件
今日の朝日新聞で「高評価」という言葉を目にしました。
 これは「好評価」とどう違いのでしょうか。
 辞書をひきましたが、どちらも出ていません(泣)。
 なぜなのでしょうか。

質問者からの補足コメント
いろいろ調べていて、妙なものを見つけました。
【「高評価・低評価」の意味合いについて】YouTube コミュニティ
https://support.google.com/youtube/forum/AAAAdXh …
===========引用開始
英語だと「Like・Dislike」なんですよね。あくまで投票者の個人的嗜好での投票なのがよく分かります。
日本語で「高評価・低評価」とした、スタッフの日本語感覚がオカシイんです。
「好き・嫌い」と直訳で充分でしょう。日本的な曖昧さ重視(?)したら、そもそも評価システム不要だし。
「いいね・ダメだね」とかの方がまだましです。「評価」なんて上から目線の言葉はそぐわないはずです。
===========引用終了
 ってことは、誤訳発祥?

補足日時:2019/11/03 06:55
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A 回答 (11件中11~11件)

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No.7ベストアンサー

回答者: OKAT
回答日時:2019/11/01 11:43
Weblioには出ていますが、どの辞書かは特定できません。
「高評価」は問題なく使えますが、「好評価」は使うのでしょうか。「好評」は勿論使います。「評判がよい」「評判が悪い」のレベルでは、「評価」の対象にはなりにくいと思いますが。「高評価・低評価」はOKだが、「好評価・悪評価」は疑問です。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

>Weblioには出ていますが、どの辞書かは特定できません。
 その点は承知しております。

【2019年10月31日の朝日新聞から 高評価 好評価】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12541100283.html


https://www.weblio.jp/content/%E9%AB%98%E8%A9%95 …
===========引用開始
高評価
読み方:こうひょうか

高い評価。優れている、秀でている、美しい、といった好ましい価値を認められるさま。
高評価
読み方:こうひょうか

その人や物、あるいは結果などに対して定められた価値が高いこと、あるいは良い評価をされることなどを意味する表現。 
===========引用終了

https://www.weblio.jp/content/%E5%A5%BD%E8%A9%95 …
===========引用開始
好評価
読み方:こうひょうか

好ましい評価。肯定的な評価。好評。
===========引用終了

 出典は、ともに『実用日本語表現辞典』。この場合の当方の判断は決まっている。
 まともな辞書は認めていない。1年ちょい前に書いたことだから、いまも同じように考えている。
【weblio の話〈1〉~〈4〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12386828660.html
===========引用開始
 現段階の当方の態度は、「weblio辞書」でしかひけない言葉はあまり信用しない。そのソースが『実用日本語表現辞典』の場合は、ほぼネタとして考えることにしている。  
===========引用終了

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お礼日時:2019/11/01 21:11

No.11

回答者: OKAT
回答日時:2019/11/05 22:41
辞書が採録する時代にはどうやら「高評価」も使われなかったようです。
[日本国語大辞典]に次のような例があります。

 坊っちゃん〔1906〕〈夏目漱石〉六「二十日間に於て生徒は君の学問人物を評価し得る余地がないのであります」

辞書に出ている用例では、唯一の動詞的用法です。「現代用語の基礎知識」などにものっていないらしい。調べずに書いた前の発言を引っ込めます。今では使ってもいい言葉だとは思いますが、「高評価」はあっても「低評価」ちょっと考えにくいですね。「評価が高い/低い」はあり得るでしょう。「好評/悪評」は当然あり得ます。
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この回答へのお礼
えーと。
 コメントの意味がイマイチわかりません。

>辞書が採録する時代にはどうやら「高評価」も使われなかったようです。
「評価する」も使われなかったということでしょうか。

>調べずに書いた前の発言を引っ込めます。
 どの部分のことでしょう。

>「高評価」はあっても「低評価」ちょっと考えにくいですね。
 同感ですが、世間の感覚は違うようです。
 YouTubeの例もそうですし、「高評価」が定着すれば、「低評価」が一般化するのは時間の問題でしょう。

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お礼日時:2019/11/09 17:24

No.10

回答者: daaa-
回答日時:2019/11/01 21:59
>私は理屈抜きで彼をコウヒョウカしている。

> これは主観? 客観?

まあ、動詞として使うことは普通無い事です。さらに既に指摘があるかも知れませんが「好評」はあっても「好評価」はないでしょう。
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この回答へのお礼
動詞として使ったのは、当方のミスですかね。
 ただ、よく考えると、「コウヒョウカする」がアリかナシか判断できません。
 辞書に項目がないので、品詞がわかりません(泣)。

「コウヒョウカな」がアリかナシかも不明です。

「評価する」があるので、「高く評価する」→ 「好評価する」と言えるのかもしれない。
「評価な」がナシだから「コウヒョウな」は言えないのかもしれない。
 それぐらいことを推測するしか……。

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お礼日時:2019/11/02 17:15

うーん・・・

No.9

回答者: まさぽよ
回答日時:2019/11/01 21:46
当社の(製品名)は、ユーザーの8割が「好き」と答えています。
たいへんコウヒョウカをいただいています。

 さてどちらでしょう。

高評価は、やはりある程度数値化された絶対的な評価、客観的に見ても評価が高いモノに使うべきだと思います。
対して好評価は、基準が曖昧で、ある程度主観が入る余地のあるモノに使うべきかと思います。

『ユーザーの8割が「好き」』ですと、8割と言うのはあくまで「好き/嫌い」と言う曖昧な評価の集まりでしかありません。
例え10割が「好き」と答えたとしても、点数にしたら10割~5割の範囲になります。
なので、「好評」または「好評価」とするべきかと思います。

どうでしょうか。
※ぶっちゃけ、この場合はどっちでもいい気はしますw
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この回答へのお礼
>※ぶっちゃけ、この場合はどっちでもいい気はしますw

 そう言ってしまうと、質問も回答もすべて無意味になるような(泣)。
「この場合」というのは、「たいへんコウヒョウカをいただいています。」のことですよね。
 つまり、もともと使い分けは曖昧で、どちらか微妙なこともある、とうことでしょうか。

 当方は、「好評価」はナシの方向に傾きつつあります。
 たいての「好評価」は「好評」にできるのでは、という気も。

 ただ、下記の使用例を見ると、そうとも言えなくて。
 【2019年10月31日の朝日新聞から 高評価 好評価】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12541100283.html

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お礼日時:2019/11/02 17:11

No.8

回答者: OKAT
回答日時:2019/11/01 19:26
追加です。

「好評を博す」のような言葉を使えば、「高評価」につながっていくと考えていいでしょう。
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この回答へのお礼
>「好評を博す」のような言葉を使えば、「高評価」につながっていく
 それはそのとおりだと思います。

 No.7から。
>「高評価・低評価」はOKだが、「好評価・悪評価」は疑問です。

 当方も「好評価・悪評価」は疑問です。
「高評価・低評価」ならOKか、もちょっと疑問です。

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お礼日時:2019/11/01 21:14

No.6

回答者: fxq11011
回答日時:2019/11/01 10:32
他のカテで。

皆さん、○○と言っ言っています、違うのはあなただけですがどう思います、なんてのがありました。
皆さん、実は限定された皆さん、なんですね、好評価は十分あり得ます。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

 当方は「他のカテ」はほとんど見ないので、なんのことかわかりません。

>好評価は十分あり得ます
 どなたが「ありえない」と書いているのでしょうか。

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お礼日時:2019/11/01 21:15

No.5

回答者: daaa-
回答日時:2019/11/01 10:07
高低、という客観的な基準で評価して、それが高いという意味

好悪、という主観的な基準で評価して、それが好ましいという意味
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

 そういう考え方もできそうです。

 私は理屈抜きで彼をコウヒョウカしている。
 これは主観? 客観?

 No.4へのお礼もご参照ください。

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お礼日時:2019/11/01 21:05

No.4

回答者: まさぽよ
回答日時:2019/10/31 23:41
高評価は実際に数字等で評価が出でいる。

好評価は好意的な雰囲気や、言葉ヅラのみ。

とか?
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

 そういう考え方もできそうです。

当社の(製品名)は、ユーザーの8割が「好き」と答えています。たいへんコウヒョウカをいただいています。

 さてどちらでしょう。

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お礼日時:2019/11/01 21:03

No.3

回答者: ぐーるぐる
回答日時:2019/10/31 22:59
評価が、高いか、好まれているかの違いでしょ?

そのくらいだよ。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

 一般には「好ましい」のようです。

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お礼日時:2019/11/01 21:01

No.2

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/10/31 22:45
「高い評価」と「良い評価」で、意味が異なります。


評価値の高低と評価の内容の良し悪しで、わざわざ立項するまでもない常識的な句にすぎません。

中学生にも理解できる内容で、逆に何が理解できないのかが疑問に思います。

言語が話者の認識の表現であることが根本的に理解できていないとしか言えません。■
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この回答へのお礼
ご自愛ください。


No.1

回答者: ぢぢぢぢぃ
回答日時:2019/10/31 22:44
複合語だからですかね…
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。
 そういう考え方はできると思います。
 しかし……。

【好成績】
 一部の辞書にはあります。

【悪循環】
 多くの辞書にあります。

【好循環】
 一部の辞書にはあります。

 

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「作るにしても」は「動詞辞書形+にしても」ということでしょうか?どういう意味でしょうか? その2
締切済

気になる

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質問者:1311tobi
質問日時:2019/10/26 17:10
回答数:11件
下記の続きです。
【「作るにしても」は「動詞辞書形+にしても」ということでしょうか?どういう意味でしょうか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11338867.html

 せっかくおもしろい質問なのに、数時間でしめるのはやめてほしい。
 ほかのかたの意見も聞きたかったのに。
 当方もコメントを用意したのだが、投稿する寸前で締め切られてしまった。

【不明点1】
「作るにしても」の「作る」は連体形ですか。辞書には終止形とあるようですが。

【不明点2】
「作ることにしても」「作るのにしても」はかなりヘンな気がしますが、理由がわかりません。なぜなのでしょう。

【不明点3】
「作ることにしても」「作るのにしても」が使える文脈ってあるのでしょうか。
 前者に関しては下記のような使い方ならある気がします。でも「作るにしても」とは意味が違うのでは。
「どうしてもと言うなら、私が作ることにしてもいいのですが……」

質問者からの補足コメント
現段階(27日)の考えは下記くらい。
【「作るにしても」は「動詞辞書形+にしても」ということでしょうか? 教えて!goo】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12538069734.html

 言いかえとして一番素直なのは「作るとしても」かもしれない。
 これも「ニト交替」の一種なのだろうか。「意味の違い」を考える人は、こういう場合も「違う」と言うんだろうな。
【助詞に関する話】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3159. …
【助詞の話5「ニ」か「ト」か 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-305.h …

補足日時:2019/10/27 11:38
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A 回答 (11件中11~11件)



No.4

回答者: OKAT
回答日時:2019/10/27 12:29
>でも「善かれ悪しかれ」も「多かれ少なかれ」も已然形(仮定形)なんですかね。
なんで?
 この言葉はあくまでも古語であり、已然形にはなかったのです。古語の已然形は「よけれ(ども)」です。古語の仮定は(未然形の)「よからば」でした。
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この回答へのお礼
申し訳ない。「お礼」コメントを入れ間違えました。前にもあったなー。
 No.4への「お礼」はNo.6の「お礼」にあります。
 No.6への「お礼」は補足の形で入れたいと思います。

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お礼日時:2019/10/28 22:29

No.3

回答者: OKAT
回答日時:2019/10/26 22:34
【不明点1】

>「作るにしても」の「作る」は連体形ですか。辞書には終止形とあるようですが。
辞書形は日本語文法で、辞書に出ている形、すなわち「終止形」を意味しますが、現代語は一部の「だ」系の語(形容動詞・助動詞「だ」・「そうだ・「ようだ」)を除けば、終止形=連体形なので「連体形」もそう呼びます。

【不明点2】
>「作ることにしても」「作るのにしても」はかなりヘンな気がしますが、理由がわかりません。なぜなのでしょう。
 一般に「仮定条件」を言う場合。いい変えるなら、「つくるとしても」。「仮に」を前につけてもいい。
【不明点3】
>「作ることにしても」「作るのにしても」が使える文脈ってあるのでしょうか。
 前者に関しては下記のような使い方ならある気がします。でも「作るにしても」とは意味が違うのでは。
「どうしてもと言うなら、私が作ることにしてもいいのですが……」
 上記に同じ。仮定条件が多い。
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この回答へのお礼
>終止形=連体形なので「連体形」もそう呼びます
 そう考えて何も問題はないと思います。
 でも「作るにしても」の「作る」は何かと説明するなら、「終止形」でしょう。
 詳しくはあとで補足します。

>いい変えるなら、「つくるとしても」。「仮に」を前につけてもいい。
 だと思います。
「作ることにしても」「作るのにしても」に言いかえられる文脈は、当方には想定できません。
「作ることにしても」は意味がかわります。
「作るのにしても」……使えますかね。

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お礼日時:2019/10/27 11:30

No.2

回答者: OKAT
回答日時:2019/10/26 21:20
過去の質問が見つかりました。
参考になるかな。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6371918.html 「多かれ、少なかれ について」
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この回答へのお礼
そんなに古いものを……。
 ありがとうございます。
「命令形」にしていますね。
 当方も記憶に引っかかっていたものがありました。

【国語】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11191994.html
 このときはホニャララなことに。
 当方が確認した辞書は、すべて「よかれ」を命令形にしています。
 でも「善かれ悪しかれ」も「多かれ少なかれ」も已然形(仮定形)なんですかね。なんで?No.1

回答者: OKAT
回答日時:2019/10/26 20:35
過去の質問のなかに、「にせよ」「にしろ」というのがありました。
そこで命令形が使われるのが不思議だという話がありました。回答をしたので部分的に覚えています。「仮定条件」の言い方だったのですね。ちょっと探してみます。
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。
 以下は↑で。

 

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No.11

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/10/30 11:15
No.10 のお礼に答えて


>>「動作・行為をそのまま属性として位置付ける」場合〉を、もう少し平易な日本語で解説していただければ幸いです。

動作・行為は対象世界の実体の時間的に変化する在り方を属性として捉え動詞に表現されます。
この時間的に変化する属性を固定し、変化しないものとして捉えると実体認識としての名詞になります。

走る→走り 流れる→流れ 笑う→笑い

この時間的に変化する属性を表わす動詞を、そのまま運動・行為として格助詞「に」で位置付け表現するのが、「作るに」「食べるに」「行くに」で、それを抽象的な運動として捉え直したのが「する」で、具体的な運動の内容を「作る」「行く」「食べる」と表現し、それを「に」で位置付け、「作るにする」「食べるにする」「行くにする」と抽象的に捉え直し、「作るにしては」「食べるにしては」「行くにしては」の場合、運動を具体的と抽象的な側面で捉え、その特殊性を「は」で捉え表現しています。

運動を直接に表現すれば、「作るには」「食べるには」「行くには」のようになります。

そして、「行くことにしては」は「行く」を「こと」、つまり事態として捉え直して表現しており、サ変「する」の「し」が表すのは「に」で位置付けられた「捉え直し」の事態で、このため意味が異なります。

「行くにしてはゆっくりし過ぎだ。」は「行く」という行動を「して」と確認していますが、「行くことにして、ゆっくりしよう」は「こと」と判断すること自体が「する」の具体的内容になっています。

このような話者による対象の捉え方の変化が、「ことにする」と表現されています。

>>「作るにあたって」「作るには」「作るにしたって」「作るにせよ」は、すべて「作るにしても」と同じような気もしますが。つかない場合との違いはなんなのでしょう。

格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けの認識を表わし、動作を動的属性として動詞のまま位置付ける場合に「に」が使用されます。

「あたる」「する」などの目的として動作が位置付けられています。

これを実体化して捉え表現する場合は、連用形「作り」や「作るの」「作ること」また、終止形「作る」は準体言としても使用されます。

このように、言語は話者の認識の表現なので単なる結果としての形式や機能ではなく、対象→認識→表現の過程的構造を正しく捉えられないと論理的、科学的な解明はできません。■
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この回答へのお礼
あのー。
 これが「もう少し平易な日本語」なんでしょうか。

〈動詞の連用形が名詞として用いられる例は多い〉ではダメなのでしょうか。

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お礼日時:2019/10/31 22:19

No.10

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/10/29 21:04
No.5 のお礼に答えて


適切な質問をいただき、再考の結果、疑問が明確になりました。

「作るにしても」を「作る【こと】にしても」にすると「かなりヘンな気がします」というのは次の理由です。

「も」が譲歩を表わすことは、先に述べた通りです。

「作るにしても」は「作る」という動作・行為を「にして」で位置付け「も」で動作・行為自体の譲歩を表わしますが、「作ること」と「作る」を「こと」として捉え直し表現すると、「にして」で位置付け「も」と譲歩するのは動作・行為そのものではなく、「ことに」で事態として捉え直す「こと」自体が譲歩の内容になってしまいます。

このため、譲歩の意味内容が全く異なり「ヘンな気がする」ものです。「作るのにしても」も同じで、この場合はさらに、「の」が現実の「もの」「者」の意味になり、意味が変わります。

このように、話者の認識と表現の過程的構造を正しく捉えないと論理的な説明ができなくなります。

膠着語である日本語は、単純で裸体的な意義を持つ語を連結し句、文を構成するもので、各語がどのような意義を表すかを明確にし、それを媒介とし話者の個別認識がどのように表現されているかを明らかにする必要があります。そのためには、各品詞を明確にし、その意義を明らかにしないと意味が明確になりません。

確かに、明鏡国語辞典の解釈は分かり易いのですが、接続助詞「も」の意義を明確にしているとは思えません。構文から見てもこの「も」は係助詞ではなく、接続助詞で、その意義を明確にすべきものと考えます。

明鏡の挙げる❶ ~❹は、この「も」の意義の相違に基づき現象的に意味を分類したもので、辞書の説明としては不十分というしかありません。これは、「も」の意義自体を明らかにできないため、結果としての個別の文の意味により分類しただけということになります。

>>辞書に従うなら「仮に作ったとしても」くらいの意味でしょうか。

これは、「作るにしても」を「作ったとしても」と言い替えたもので、意味が異なります。
「作るにしても」は未来の行為を位置付けた譲歩の表現ですが、「作ったとしても」は完了を仮定、仮想した移行による譲歩の表現で、

仮に自分で事業を作ったとしても、とてもうまくいくとは思えない。

のような文脈に使用するもので、意味が異なります。
「ニト交替」や「ニデ交代」などというのは結果としての形式の比較でしかなく、話者の認識の相違を明らかにするものではないので、何ら問題の解明にはなりません。

>>●「こと」「の」の使い方。
 通常、ある言葉が動詞に直接つけられないときに、「こと」をつけて名詞化します。
 たとえば、「~に夢中だった」の「~」に「作る」を入れると
「作るに夢中だった」になってしまい、これは×です。
 そこで「こと」をつけて「作る」を名詞化すればフツーの文になります。

「こと」を使用するのは、「ある言葉が動詞に直接つけられない」からではなく、話者が対象を実体として捉え直し、独立の対象として表現しようとするもので名詞化自体が目的ではありません。「こと」をつけて名詞化するというのは単に形式を取り上げているに過ぎません。

>>通常は「作る」に直接「に」はつきません。

これは誤りです。
「動作・行為をそのまま属性として位置付ける」場合は、「作るにあたって」「作るには」「作るにしたって」「作るにせよ」のように使用します。

>>たとえば、「~に夢中だった」の「~」に「作る」を入れると「作るに夢中だった」になってしまい、これは×です。

「作るに夢中だった」は☓ではなく、少し古い表現で、「作る【の】に夢中だった」の形式名詞が省略された表現で、古文では通常の表現です。
<「作る」を入れる>などという形式的な操作、挿入では句、文は意味をもちません。

「~に夢中だった」は「作るに【しても】」のような「確認による捉え直し、譲歩」の表現がなく、直接に「夢中」の具体的な内容を「に」で位置付ける表現なので、「の」「こと」による捉え直しは強調の意味だけで実質的な内容は変化しないところが「~にしても」と構文が異なります。

このように、言語は話者の認識の表現であることを正しく理解し、それに基づき表現の差異を解明しないと論理的な説明にはならないのではないでしょうか。■
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この回答へのお礼
>適切な質問をいただき、再考の結果、疑問が明確になりました。
 お役に立てて何よりです。

>これは、「作るにしても」を「作ったとしても」と言い替えたもので、意味が異なります。
 そうかもしれません。ただ、当方は辞書に従っただけですから……。

>これは誤りです。
>「動作・行為をそのまま属性として位置付ける」場合は、「作るにあたって」「作るには」「作るにしたって」「作るにせよ」のように使用します。
 そのとおりですね。
「作る」に直接「に」がつく形はありそうですね。
 うーん。「作るにあたって」「作るには」「作るにしたって」「作るにせよ」は、すべて「作るにしても」と同じような気もしますが。
 つかない場合との違いはなんなのでしょう。
〈「動作・行為をそのまま属性として位置付ける」場合〉を、もう少し平易な日本語で解説していただければ幸いです。

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お礼日時:2019/10/29 21:25

No.9

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/10/29 18:16
No.8 にお答えして


若干誤解があるようなので、コメントさせていただきます。

>>「形容詞」の「多かれ」を「多く・あれ」に分解するのは勝手ですが、現代語「形容詞」には「多けれ」という仮定形があるだけで、

「多かれ」を「多く・あれ」に分解するのはいわゆる「カリ活用」で、勝手な分解ではありません。NO.7でも回答したように、この「あれ」は肯定判断の助動詞で、動詞ではありません。

>>「広辞苑」は助動詞を品詞として認めない。←本当?(多分「形容動詞」のことでしょう)

これは、当方の単純ミスで、ご指摘の通りです。■
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No.8

回答者: OKAT
回答日時:2019/10/29 14:07
こんなところ(他の人の質問のなかで)やりとりすることを許してもらえば、もういちどだけ、発言します。
仮定形と命令形が同形になるのは、五段活用だけでそれ以外の仮定形・命令形ははっきり句別されています。「形容詞」の「多かれ」を「多く・あれ」に分解するのは勝手ですが、現代語「形容詞」には「多けれ」という仮定形があるだけで、
命令形などありません。あるのは古語の形容詞の活用に、「多けれ」(已然形)「多かれ」(命令形)だけになります。
 「多く・あれ」と分解して、この「あれ」を「ある」という五段活用の「仮定形」「命令形」に同形として存在からと説明するのは姑息に過ぎます。現代でも「あなたの未来に幸多かれと祈る」という古形が使われたりします。
 他人の質問の中でやりとりするのは、これっきりにしましょう。「広辞苑」は助動詞を品詞として認めない。←本当?(多分「形容動詞」のことでしょう)
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この回答へのお礼
>こんなところ(他の人の質問のなかで)やりとりすることを許してもらえば
 別に構いませんよ。そういう意識がある人のコメントには抑制がきいていますから。当方が止めてもコメントを続けるホニャも何人かいますし。
 質問した者としては、本題との関連性がわかりにくいところがつらいところですが。

 たぶん、何を言ってもムダです。そういうかたですから。
 当方の考えは↓に書いたとおりです。
【国語】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11191994.html
 複数の辞書が「よかれ」は「よし」「命令形」としています。迷う余地がありますかね。
 そうなると、「善かれ悪しかれ」は命令形と考えるのが自然でしょう。それがいまでは命令形ではない意味で使われることがあったとしても。
 別な説をとなえる辞書を教えてくれる人がいるなら、考えます。

 当方は、まったく別のことで戸惑っています。
 内容に同意できるか否かは別にして、No.5のコメントがほぼ理解できます。いままでになかったことです。当方の読解力が飛躍的に向上したか、あるいは……。
 まあ、No.5のコメントはほとんど引用ですから。
 辞書の解説も決してわかりやすいとは思いませんし、もう少しなんとかしてほしいと思うことが多いのですが。難解な場合でも主張が常識的なので、なんとか理解できます。

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お礼日時:2019/10/29 21:04

No.7

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/10/28 22:23
No.6 のご質問に答えて


>>命令形の 用法に「許容・放任」(作りたければ作ってもいい、)というのがあり、これに当てはまると言えます。これは譲歩(一歩譲って仮に認める)と通じるものがあります。

たしかに、似た点はありますね。最初の回答を見た時にそう考えられているのだろうと直ぐに感じました。しかし、「あれ」は回答にも述べた通り、「許容・包括」を表わす主体的表現の語で、三浦つとむ「形式主義的文法論の吟味」(『文学・哲学・言語』所収:1973)で次のように記しています。 

 <助動詞>にも命令形のあるものが見られ、「あり」の系列には「あれ」をはじめとして「なれ」「たれ」などがある。
  
  大統領で【あれ】国務長官で【あれ】、法の裁きを免れることはできない。

の「あれ」は命令形でも、命令の表現ではなくて、許容包括を意味する主体的表現の語である。<助動詞>の「あり」「ある」は直接敬語化されないで、<助動詞>を重加して「あります」にするが、「ます」の系列の「ませ」「まし」は敬譲の<接尾語>の命令形に連結して「行きなさ【れませ】」「下さ【いまし】」と希求を表現している。この助動詞の命令形は<動詞>の命令形とちがって、表現主体の命令や希求を直接に示しているが、命令に使われる場合にさきに問題にした特殊な零記号がこの<助動詞>に全体的に顕在化しているのか、それとも一面的な顕在化でまだ零記号が残っているのか、問題になる。私としては、かくあるべき未来の世界での立場や、判断の部分が顕在化しているので、現在の世界での立場や判断の部分はまだ零記号として残っているとみたい。「駆け【ろ】」「着【よ】」と<助詞>を加える場合は、<動詞>から特殊な零記号を介して現在の世界の立場での<助詞>が連結されているが、「ませ【な】」「まし【よ】」など<助動詞>の命令形に<助詞>が連結される場合も、<助詞>はやはり現実の世界の立場であるから、「ませ」「まし」とは【世界が異なっていることになろう】/

このように、「大統領で【あれ】国務長官で【あれ】」の「あれ」は動詞ではなく判断の<助動詞>「ある」の命令形から転成したものということになります。
これを承知していたので、「としても」は、サ変動詞「する」の連用形「し」+確認の助動詞「て」+譲歩を表わす接続助詞「も」になり、命令形とは異なることが直ぐに理解でき、多分この辺を混同されているのではと回答したものです。

この、「して【も】」の「も」は接続助詞になっており、例文は、

コストが50万円なら、自分で事業を作るにしても、
→50万稼ぐには時間がかかるし、
→初期費もかかるかもだし

→さて、どうしようか?

で、「(直ぐにできるわけではないが、とりあえずやる)としても」という、とりあえず相手の主張を受け入れてみると、という譲歩の認識を表わしています。辞書を当たってみると、副助詞、係助詞は挙げられていますが、接続助詞を挙げているのは広辞苑の他に下記などがありましたが、不適切です。


〔接続助〕活用語の連体形を受け、また「ても」の形で確定の逆態接続を表現する。*源氏‐橋姫「心ひとつにいとど物思はしさ添ひて内裏へ参らむと思しつるも出で立たれず」
【日本国語大辞典】

■二■ (接助)
(1)形容詞連用形に接続する。ある動作・作用や状態を述べる時,その量や程度について極端な場合あるいは限界となる場合を想定するのに用いられる。…とも。…ても。「おそく―本年中には完成するだろう」
【大辞林】

[二][接助]形容詞・形容詞型活用語の連用形、動詞・動詞型活用語の連体形に付く。逆接の意を表す。…とも。…ても。…けれども。「見たく―見られない」「努力する―報われなかった」「いつしかと涼しき程待ち出でたる―、なほ、はればれしからぬは、見苦しきわざかな」〈源・宿木〉「身一つ、からうじて逃るる―、資財を取り出づるに及ばず」〈方丈記〉
【大辞泉】

広辞苑だけが、譲歩を挙げており主体的表現の語の意義としてはこれが適切と判断したものです。「逆接」などというのは、結果論でしかなく、これはソシュールパラダイム下の発想による安易な判断です。また「ても」が立項されていますが、意義が異なります。

「て」が話者による確認の意義を表わす助動詞であるように、この「も」はむしろ助動詞で、接続助動詞に転成したものとするのが適切ではないかと考えています。

広辞苑は助動詞を品詞として認めないなど独自の所があり、若干他とは異質で参考になる面があります。■
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No.6

回答者: OKAT
回答日時:2019/10/28 16:08
No.5の方の回答の中に、

>他の回答に命令形と混同し、仮定条件という回答がありますが、単なる仮定ではなくそれを受け入れるという意味が加わっています。とありますが、

 混同したのではありません。前の問題のなかに、「多かれ、少なかれ」があり、これは命令形を使ったものであるという認識があるのは当然で、その言い換えの用例にも「多いにせよ(しろ)、少ないにせよ(しろ)」がありました。「せよ」や「しろ」は、サ変の命令形以外にはあり得ません。だから「命令」だと言っているのではなく、命令形の 用法に
「許容・放任」(作りたければ作ってもいい、)というのがあり、これに当てはまると言えます。これは譲歩(一歩譲って仮に認める)と通じるものがあります。
 したがって、後続する語が重要になります。しかし、最初の質問でもあまりはっきりしていません。「作るには、お金も時間も掛かりますよ。」でしょうか。

 それにしても、アスナロウさんが、ソシュールパラダイムの影響下にある、辞書を引用されたのには、驚きました。「広辞苑」は特別なんでしょうか。
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この回答へのお礼
「善かれ悪しかれ」や「遅かれ早かれ」は古語の生き残りですかね。
 当方は古語のことはまったくうといもので。
 現代語だって……というツッコミは禁止。

 辞書が「よかれ」を「よい」の命令形にしているのは、別の意味合いですかね。
「よかれ」→ 「よかれあしかれ」の流れには、個人的に異和感があるもので。

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お礼日時:2019/10/28 22:01

No.5

回答者: アスナロウ
回答日時:2019/10/27 17:34
「作るにしても」は、動詞「作る」の終止形+格助詞「に」+サ変動詞「する」の連用形「し」+確認の助動詞「て」+譲歩を表わす接続助詞「も」の構成です。


抽象動詞「する」の内容を格助詞「も」が位置付け、その行為を話者が確認の助動詞「て」で確認し、それを譲歩、つまり仮に認めるという意味になります。


〔助詞〕
➌(接続助詞)
①動詞的活用の語の連体形に接続して譲歩の気持から、逆接を表す。…でも。…のに。万葉集4「来むといふ―来ぬ時あるを来じといふを来むとは待たじ来じといふものを」。源氏物語橋姫「心一つにいとど物思はしさ添ひて内裏へ参らむと思しつる―出で立たれず」。堤中納言物語「月にはかられて夜深くおきにける―思ふらむ所いとほしけれど立ち帰らむも遠き程なれば」。平治物語「矢は当らざりし―痛手は負ひぬ」。「泣く―認められず」「期限は今日に迫りたる―準備は未だ成らず」
【広辞苑】

ここでは、譲歩から逆接としていますが、これは言い過ぎで、順逆は前後の節の内容による結果に過ぎません。譲歩とは仮に認めるという意味です。

他の回答に命令形と混同し、仮定条件という回答がありますが、単なる仮定ではなくそれを受け入れるという意味が加わっています。

そもそも、命令形というのは活用の形であり、内容を表わすものではありません。「行け」が仮定形でも命令形でもあるように五段活用では仮定形と命令形は同じ形です。活用とは接続に伴う単なる形の変化でしかなく、語の意味が変わるわけではありません。

首相で【あれ】大臣で【あれ】、法の裁きを免れることはできない。

この「あれ」は形は命令形でも、命令の表現ではなく、許容包括を意味する主体的表現の語です。
「善かれ悪しかれ」「多かれ少なかれ」は「善くあれ悪しくあれ」「多くあれ少なくあれ」です。


【不明点1】
「作るにしても」の「作る」は格助詞「に」が続く終止形です。

【不明点2】
「作ることにしても」「作るのにしても」はかなりヘンな気がしますが

この場合は「事業を作る」という通常の用言の表現である対象を今一度実体的に「こと」、「の」と捉え直した表現で、「作るに」は動作、行為を直接的に位置付けていますが、「こと」「の」の場合は格助詞「に」で位置付けられるのは「こと」「の」として捉え直された抽象的な実体としての事態です。

つまり、「学生にしても」「子供にしても」と同じ実体に対する判断による譲歩で、行為・動作に対する直接的な判断ではなく、実体化、固定化した実体としての事態、ものに対する判断で捉え方が異なり、意味が異なります。このために、かなりヘンな気がすることになります。

【不明点3】
作ることにしても」「作るのにしても」が使える文脈ってあるのでしょうか。

「作ることにしても」「作るのにしても」は「こと」である事態、「もの」である「の」に対する判断なので、直接の動作・行為に対する譲歩ではなく、事態をどのように扱うか、物をどうするかの譲歩表現になり、

「どうしてもと言うなら、私が作ることにしてもいいのですが……」

の場合は、「こと」である事態の扱い、処理の判断になります。

また、形式(抽象)名詞「の」は抽象的な実体認識なので、

「今度私が作るのにしても、必ずしも彼のと同じではありません。」

のような物自体の抽象的な把握、表現になります。■
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この回答へのお礼
コメントありがとうございます。

 相変わらず〈確認の助動詞「て」〉ですか。

【不明点2】に関する記述はかろうじて理解できる気がしますが、あんなに難解な書き方をする必要があるのでしょうか。
 当方が下記に書いたような理解では、不十分でしょうか。たぶん、根本的に違うんでしょうね。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12538069734.html

===========引用開始
  通常、ある言葉が動詞に直接つけられないときに、「こと」をつけて名詞化します。
 たとえば、「~に夢中だった」の「~」に「作る」を入れると
「作るに夢中だった」になってしまい、これは×です。
 そこで「こと」をつけて「作る」を名詞化すればフツーの文になります。
===========引用終了

>「今度私が作るのにしても、必ずしも彼のと同じではありません。」
 これはアリですね。ただ、「作るにしても」とは意味が違う気がします。

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お礼日時:2019/10/28 21:13

 

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日本語アレコレの索引(日々増殖中)【38】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1991701622&owner_id=5019671

mixi日記2026年04月18日から。

 発句は下記かな。
https://www.facebook.com/akira.takahashi.14/posts/pfbid0GP8DESm83ksaBC6H7YKNnfMtvyysKSet18QBsp6k41PHqUynzgwJ6QDhGguo84Fbl

 そうか。この書名は「ヨロシイですか」の危うさを呼びかけ?ているのね。
『問題な日本語』と同様の手法なのね。気がつかなかった。 

 ただ……「ヨロシイですか」に異和感を抱く人はほとんどいないのでは。
 下記も、その点はスルーしている。
【「~していただいてもよろしいですか」】
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/112.html

 まず赤い本からひく。
【伝言板【板外編7】デス・マス体が書きにくいワケ1】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-277.html
===========引用開始
 このほかに、文末を「~イ」(形容詞の終止形)にできないという点があり、これが最大の問題ではないか、と思っています。
 先の表の中で、形容詞を〈例外1〉にし、次の例をあげました。

  現 在 形           過 去 形
  デアル体  デス・マス体    デアル体  デス・マス体
  高い    (高いデス)    高かった  (高かったデス)

 この(高いデス)や(高かったデス)は文法的には認められているようですが、おすすめできない形です(現在形でも過去形でも性質に大きな違いはないので、ここから先は現在形に限って話を進めます)。
 理由はよくわかりませんが、(高いデス)は許容できなくても、「高いデショウ(カ)」「高いデスか」「高いデスね」「高いデスよ」といった形なら使ってもよい気がします。これとほぼ同じことがいえるのが、「やや特殊な例」であげた(ないデス)と、〈例外2〉であげた(会わないデス)(会いたいデス)です。 
===========引用終了

 文法的な解釈を確認したい方は、下記をご参照ください。『日本語の作文技術』(本多勝一)の読書感想文からの抜粋です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1027377833&owner_id=5019671

===========引用開始
 【引用部】
 助動詞の「ダ」と「デス」は、中学生の文法書などに明示されているとおり、接続は次の三種に限られる。
 1)体言(名詞・数詞等)に。
 2)「の」などの助詞に。
 3)未然形と仮定形だけが、動詞・形容詞および動詞型活用の助動詞・形容詞型活用の助動詞・特殊活用型の助動詞の、それぞれ連体形に。
  ということは、用言(活用する語)のあとに「ダ」や「デス」の連用形・終止形・連体形は接続しないということである。(P.223)

「第八章 無神経な文章」の6番目のテーマは「サボリ敬語」。「あぶないです」の類いが誤用である文法的な根拠はこれでよいのだろうか。
 はっきり申しまして、当方の文法に関する能力を超えている。整理を試みてみようか。断定の助動詞の助動詞「ダ」「デス」の活用は、以下のとおり。
  未然   連用   終止   連体   仮定   命令
  でしょ  でし   です   (です) -    -
  だろ   だっ/で だ    (な)  なら   -
 未然形と仮定形は許されるのだから、「危ないでしょう」(未然)、「危ないだろう」(未然)、「危ないなら」(仮定)は文法的に問題がないことが判る。しかし、「危ないですか」「危ないですね」「危ないですよ」など、終止形でも口語的ニュアンスが強い表現なら許される根拠にはなりようがない。だから文法って嫌い。
 この用法の話が「サボリ敬語」というテーマで出てきたのは、要は「うれしうございます」が正しく言えないから「うれしいです」になる、という趣旨。それは判る。しかし現代の標準的な言葉として、「あぶのうございます」とか「たこうございます」を正しいと主張するのは無理がある。問題は、「危ないです」「高いです」が美しくないなら、どうすれば使わないで済むかということ。これは超難問。
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 文化庁は(少なくとも)2度にわたって【許容】というおふれ?を出している。
【「形容詞終止形」+「です」 うれしいです うれしかったです】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2417.html

 昭和27年の『これからの敬語』の記述。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kakuki/01/tosin06/04.html
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7 形容詞と「です」
 これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方――たとえば,「大きいです」「小さいです」などは,平明・簡素な形として認めてよい。
================引用終了

 平成19年の『敬語の指針』P.28の記述。
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf
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4 丁寧語
「です」「ます」を付ける上で留意を要する点は特にない。(「高いです。」のように 形容詞に「です」を付けることについては抵抗を感じる人もあろうが,既にかなりの 人が許容するようになってきている。特に「高いですね。」「高いですよ。」「高いです か。」などという形で使うことに抵抗を感じる人はほとんどいないであろう。)
================引用終了

 こうなると〈「形容詞終止形」+「です」〉をNGにするのは無理だろう。
 さらに……。
 個人的な語感では「よいです」は相当イヤだけど、「よろしいです」は異和感が薄い。
 さらに「か」が」ついているのだから「よろしいですか」はほぼOKなのでは。

 

 

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