「あゆ」 私は流れの中で、常に揺れている。

**************************************

 

「占い」は、言葉で結果を出す

 

                              野村玄良  

 

「あゆ・鮎」は「魚で占う」という意味構造になっている。

 

 アユ「鮎」は、「香魚・あゆ」「年魚・あゆ」とも表記する。

 

 鮎は サケ目アユ科アユ属で、生息域は、北海道西部以南から日本各地。朝鮮半島、ベトナム北部にも生息している。秋に川の上流で産卵し、卵は河口に下って、春になると稚魚に育って川を遡る。海では極小の稚魚などを食べているが、川にのぼって定着すると岩に取り付いた珪藻(けいそう)、藍藻(らんそう)などを食べるようになり、身体から西瓜のような香りを発散する。鮎のいる川原に行くとほんのかすかに西瓜の匂いがする。「香魚」の文字を使う理由はここにある。

 「年魚」は一年で死んでしまう魚の寿命を文字にしたもの。
 天然鮎が養殖・湖産と異なる点は、香りの存在と、口の縁に付いた水蘚餌食の磨耗跡である。
 長良川は鵜飼が有名だが、鵜飼は中国から入ってきた漁法。古事記の、和銅五年十二月の項と、日本書紀養老四年の文献に、鵜飼がその頃に伝来したことが記録されている。「鮎」という漢字は中国では「ナマズ」を指す。

 

 

            ◆「鮎」の意味構造◆


 「アユ」ではなく「アイ」と呼ぶ地域もある。
 「アユ」=「あ=吾・主体」+「ゆ=イ+ウ=iuyu・母音調和・尖って湾曲した形態=弓の形態」
 「い=射る形態・尖りの形態」。
 「ゆ=イ+ウ=iuyu・母音調和・尖って湾曲した形態=弓の形態」。
 鮎は「尖って湾曲した形態」という語構造である。鮎は餌苔のある岩場から離れずに身体をくねらせてエリアを守って泳ぐ習性を捉えた意味構造になっている。

 

 万葉集の家持の歌4189の歌とともに、大伴一族の大伴宿禰池主(越前判官・こしのみちのくちのじょう)に家持が「水烏・鵜=ウ」を贈ったときに、手紙に書き付けた歌、三首のうちの一つの歌である。

 

 鵜河立 取左牟安由能 之我波多波 吾等尓可伎无氣 念之念婆 (万葉集4191

 

 鵜川(うかは)立ち、取らさむ鮎(あゆ)の、しがはたは、我()れにかき向け、思ひし思はば

 

 これまでの解釈は、「鵜飼(うかい)をして捕まえた鮎(あゆ)のひれを私に送ってくださいな。もし私のことを忘れずに思ってくれているなら 」

 

 一般に行われているこの解釈は、なにのことやらはっきりしない解釈で正確な解釈ではない。

家持は食べられない「鮎の鰭・ひれ」などを欲しているわけがない。また「我()れにかき向け」の「かき向け」の対象が、如何なるものかも説明していない。
 しからば「ハタ」とは一体何か。

 

 実は、天皇の即位式や朝賀の祝賀式には、五匹の鮎と一個の酒瓶(さかがめ)を画いた「万歳幡・バンザイバン」という縦長の祝意を表す幡(ハタ)を立てる習慣があり、鮎のことを「くにすうを・国栖魚」と呼ぶようになった歴史的な逸話がある。

 

 川に立ちこんで鵜飼で獲ったその鮎を、万歳幡に画かれた鮎と酒瓶ではないが、良い事が起きるようにと、願いを込めて鵜飼の鵜をあなたに送ってあげた私の心配りを思ったならば、獲れたその鮎と共に、万歳幡を「画き上げ」て、私のところへ「画き向け=持ってきて」共に、その幡のもとで酒を酌み交わそうではないか。

 

 この「思いし思はば」は、「私が鵜を贈った目的を思い巡らしたならば、獲れた鮎を持って、御礼に来るのは当然のことだよ」と言う意味である。

 

 このように解釈しないと、歌の真実が見えてこなくなる。歴史的な観点を無視した歌の解釈では真に歌の面白みを鑑賞することなど出来ない。

 

 「鮎」の字は「魚で占う」の意味構造の文字。
 この占うの字をアユに当てた理由は、神武天皇が吉野川上流の「国栖=クズ・クニス」から大和に進攻しようとしたが引佐山(いなさのやま)で敵に包囲されて苦境に立たされた。
 日本書紀に 『たたなめて(盾を並べて) 伊那佐の山の 木の間よも い行き目守(まも)らひ……【記歌謡・14 神武天皇の歌】』に歌われている、天皇軍の大ピンチである。
 「タタナメテ」は、盾を並べて矢を射る構えの意の枕詞で、イナサの「イ」に懸かる。盾を並べて 伊那佐の山の 木木の間をずっと 敵の動きを見守り続けて防衛をする……の解釈となるが、この「タタ・盾」は両方の手を揃え、前につき立てた形で防御姿勢を示す「タタ=盾(両の手のひらを揃えて立てて、防御する構え)」である。「た」の意義素は「た=手足の形態:たたく・たすける・たつ・足袋」。


 天皇はこのとき不思議な夢を見た。「天の香具山(あめのかぐやま)の土を取り、それで底が尖った八角形の酒瓶を作って、飴(このあめは、山椒の葉を打ち砕いて樹液を練ったもので、毒性があり、魚が浮き上がる)を入れて丹生川(にゅうかわ)に沈め、これにより魚が浮き上がってくれば、武器を使わなくても、大和を平定できるようになるだろう」との神のお告げの夢を見た。

 従臣の弟猾(ヲトウカシ)も同じ夢を見たので、夢のお告げの占いの通りにしたら、はたして鮎が浮き上がり、遂にお告げの通りに大和の国の平定が成し遂げられたという神話である。
 この夢占いの神話が、この万歳幡 を立てる行事の元になっていて鮎の文字「魚+占」の成立理由になっているのである。

 

  鮎のシーズンがやってきました。食べる前にこの「占い」の物語を思い出しましょうね。


 古代より「占い」は人間集団にとって、未来予測の大切な行為で、日本のみならず世界中で行われてきました。この世は一寸先が闇です。先が見えないと毎日不安な生活が続くことになります。少しでも勇気づけられる言葉があると人間は救われるのです。

だから「言葉」が何よりも重要なのです。人間の認識は「ことば」の中に宿る「言霊・ことだま」に導かれるのだから当然のことです。

 

筆者の「素語理論・そごりろん」は、「ことだま」の学問であります。不思議な力を持つ言葉を侮ってはならないのです。「名は体を表す」の言葉は真実です。言語で人間の世界は動かされているのですから。一音節の意義素は「真言・しんごん」です、意義という真実が秘められていて、大きな力を発揮しているのです。

 

              

                それではまた!