私は「くろ」を知ってます。 

 

 

歌の真意の「解」を」求めるパズルを出したい。つまり「言語の解・カイ」とは何かという課題が歌の向こう側に隠れている。

 

 万葉集・巻七の 7・7・5・7・7の句で、7・7で始まる非常に珍しいこの歌には、恐しい秘密が「日本語の基本規則」を使って巧妙に隠されている。一体何をこの歌は言おうとしているのか。

 

万葉集 1218 

黒牛乃海    紅丹穂経    百礒城乃  大宮人四    朝入為良霜

くろうしのうみ くれなゐにほふ ももしきの おほみやひとし あさりすらしも

 

 これまでの注釈『黒牛の海が、紅に輝いている、(ももしきの)大宮人が、漁をしているらしい』

 

 1.くれなゐにほふ、とはいかなる意味か。

 2.大宮人が、漁をすると、何故に紅色に海が輝くのか。

 3.ありえない情景が歌われているこの歌は、一体何を言わんとしているのか。

 4.黒牛の海などという海はどこにも記録がない。奇っ怪な7句の固有名詞を頭に置く理由を述べよ。

 

 ■この質問は、誰もが知りたい「不可解な歌の意味」の構成項目を並べたものである。

 ■この歌に対する上記の質問に「人工知能」は正しい回答が出来るか。

 

 ■筆者の素語理論による解答は下記である。

 

 kurousinoumi ⇒二箇所の母音連続の 前母音 /o/ を脱落させると 「kurusinumi (クル・シヌ・ミ)苦る・死ぬ・身」と強烈な「悶絶寸前の身体」の意味内容の言葉が浮かび上がる。この歌は、明らかに恨みを込めた隠喩の歌で、朝廷の役人共の「大宮人」を心から憎んだ「裏読みの歌・うらみのうた」である。

 

 くろうしのうみ= 苦る・死ぬ・身の名前の海。紅の枕詞。血の海・苦しみの海の意。

 くれないにほふ=隠喩で「真っ赤な血の匂い」がするその海で、

 ももしきの大宮人し=大勢で組織化された官僚どもが、

 あさりすらしも=漁・あさりであるが、「あ・自分」+「さり・去り」=体を失い、死ぬ意味を籠めて、「死にかかっているらしい」。

 

 裏読みの通訳

 

 苦しんで死ぬ身、と言う名前の真っ赤な血の匂いがするその海で、大勢の都の役人共が、今 死にかかっているらしい。

 

 この歌は、5句で始まるべき歌が7で始まる。この奇っ怪な歌が万葉集に取り込まれている理由は、時代背景に原因がある。平城京の遷都後の、貧困に苦しみ疲弊する民衆の怒りの歌である。

 

 ◆人工知能が「人間のシタゴコロ=隠喩=悟性」を持ち得ることが出来るか。

 

 素語理論はこの問題に明確な対応の仕方を提示する。即ち素語分析哲学「言語実存科学」の新しい『素語理論』の提唱である。

次は、万葉集巻頭歌の読解である。今行われている読み方は学校で行われているので、誰も正しい読み方だと信じている。ところが、素語理論を駆使して読むと間違いであることが判る。

 

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           『万葉集 巻頭歌の 正しい読解』

 

 この天皇御製歌は、伝統的な五・七の音律で立ち上がる由緒正しい歌である。

 

  児もよ美娘 用ふ櫛もよ。 美ふくし持ち この丘に 菜摘ます娘 家聞かむ 

  名告げさね。そらにみつ 大和の国は 押しなべて 吾こそ率し 宣り並べて

  吾こそ率まし。 我請はせば 告げめ 家をも名をも

 

  コモヨミコ モチフクシモヨ。ミフクシモチ コノヲカニ ナツマスコ イヘ

  キカム ナツゲサネ。ソラニミツ ヤマトノクニハ オシナベテ アコソヰシ 

  ノリナベテ アコソヰマシ。ワレコハセバ ツゲメ イヘヲモナヲモ

 

 想定ではあるが、この読みで専門家から指摘を受ける箇所は恐らく『用ふ櫛もよ・モチフクシモヨ』の読みであろう。

 この読みが古代文法上妥当か否かが、この歌の正しい読みを決定付ける。

 文法上「用ふ櫛もよ」の語構成が論理的に成立するのか否か、綿密に検討を加えて、この読み方が妥当であることを、歌の解釈の前に、実証的に論証をしておきたいと思う。

 

「もちふ」の古代文法についての考察。

 

1、【「用・もち」は、ワ行に活用していたものであり、ハ行に活用されたのは、後世のことである】などとする誤まった見解が存在する。

 即ち、【古語辞典・旺文社・1125頁】に、

『もち・ゐる: 語法・「持ち率る」の意からワ行上一段に活用したが、のちには「もちふ」とハ行上二段に、さらに「もちゆ」とヤ行上二段にも活用するようになった』

 この説明は、時間軸の中で順次活用の形式が元の「用ゐる」の語から「分化して活用形が変化」したものだと考えている。

 上代に「ハ行上二・用ふ」の存在は無かったとの主張から、「用ふ櫛もよ」の「語彙」は時代的にも成立し得ないとする意見に繋がる。然しながら『時代別国語大辞典・上代編』にも記載され説明されているが、下記のように「書紀古訓」を付した日本書紀の事例や古事記の用語例が厳然と存在する。

 ○「何不用(もちひ)要言、令吾耻辱」(紀巻第一・神代上・第六・四神出生)。

 ○「己而定其當用(もちふ)」(紀巻第一・神代上・第五・宝剣出現)。

 ○「各相易佐知 欲用(もちひてむ)」(古事記上巻・火遠理命・海幸山幸)【古事記総索引・高木市之助】。

 このように奈良時代において「ハ行上二・用ふ」が実在している。

 日本書紀では、複合名詞や複合動詞の類も全て、始めから訓読すべきものとして書かれており、後になって訓点を加えたという性質のものではない。

 「書紀古訓」は書紀講筵(こうえん)の年次私記の記録から古訓として取り集めて纏められたものであるから、これは疑うべきものではない。

 日本書紀は歌謡部分を除き、原則として純粋漢文で記されているため、そのままでは至極読みづらいものであった。

 そこで、完成の翌年である養老五年(721年)には早くも、日本書紀を自然な日本語で読むべく、宮中において時の博士が貴族たちの前で講義するという機会が公的に設けられた。これを書紀講筵という。講筵の記録は聴講者の手によって開催された年次を冠する私記(年次私記)の形でまとめられるとともに、日本書紀の古写本の訓点(書紀古訓)として取り入れられた。これらの書紀古訓は、上代語の補助資料として有用な存在になっている。(注・引用)

 先に追求すべきは、動詞の活用体系の中で、異なる位置に存在する三種類の活用系の動詞が、何故存在するのかという、意味の本質や意味構造の「相違」が最初に問われなければならない。

 動詞は「閉じられた意味の体系」を持つが故に、語幹の各々の一音節に意味の系譜が基底的に存在することを認識すべきである。つまり上代ではきちんと発音されていた「ゐ・wi」と「い・i」と「ひ・fi」の音韻が近似の音韻であり、万葉仮名から平仮名や片仮名に変化した後代に、混乱が発生しただけの話で、上代における三者の弁別は、下記に解説するように分別が厳然と行われていたのである。

 この「用・モチ」を語幹とする三つの夫々の動詞の「意味構造」を要素還元的に素語分析をすると次のように説明できる。

 1、(ワ行上一)「用ゐる」=「ヰ・ヰ・ヰル・ヰル・ヰレ・ヰヨ」

「持ち+率る」の複合動詞で、①『対人関係の動詞』である。

「率る」=「ヰ=連続・引き連れる形態」については、原初語であろう。

「猪=親子で一列になって移動する、親が子を引き率る形態」。

「井=水が連続して湧き出る形態」。

「居=一箇所に連続して存在する形態」。

 上記の用語例から、「用ゐる」は「持ち引き率いる形態」であるから「人を支配し率いる形態」として限定的に用いられている。用語例を集約すると次の意味に用いられていることが明らかとなる。「用ゐる」=「人物を登用する・人の意見を採用する・人を用に立たせる・仕事につかせる・はたらかす」。(岩波・古語辞典)

 2、(ヤ行上二)「用ゆ」=「持ち」+「ユ=揺らぐ形態」の意味構造で。

「イ・イ・ユ・ユル・ユレ・イヨ」。

 ②『対物関係の動詞』で「道具や物を用いて加工や使用をする形態語」。

「ユ=揺れ」は「ゆるむ」「ゆれる」という語彙の存在から、物を加工する人の体の揺れや道具や物の動きなどを把捉した「形態語の語幹」の「ユ」で、石器を加工する時代からの原初的な生活用語の動詞として存在していたと考える。

 この語は命令形の「用いよ」と、連用形の「用いて」の二つの用法は古代から「対物関係」の用語として、日常生活で多用された言葉と考えられる。何故ならば対人に使う「用ち率よ」の命令形は使用ケースとしては殆ど稀ではなかったかと考えられるからだ。

 ○人間関係が複雑化した部族社会の中で、この上位の人間が主導的に下位の人間に対して「率いる行為(上一段活用)」「用ゐる」の用語例。

「夫君於天地間而宰万民者、不可独制、要(カナラズ)須(もちゐる)臣翼(タスケ)」。(孝徳紀大化2年)

 ○道具を「用いて・(ヤ行上二・連用形)」狩りに、「用ゆる弓矢」(ヤ行上二・連体形)と言葉を遣う。

 3、(ハ行上二)「用ふ」=「持ち」+「フ・軽く接触する形態」の意味構造。

 ③『接触の動詞』で「柔らかに接触して関わる形態の動詞」である。

 ハ行の「用ふ」は「ヒ・ヒ・フ・フル・フレ・ヒヨ」。

「フ」の用語例「ふえfuye」「深し」「吹く」「ふくさ」「ふくれ」「ふくろ」「ふけ」「ふご」「ふた」「ふで」「ふな」「ふね」「ふみ」「ふむ」「ふり」「ふる」等全て「柔らかに接触して関わる形態」を表出している。

 ○「何不用(もちひ)要言、令吾恥辱」(神代紀上)。これは「コトバ」を「モチヒ」。

「ハ行上二」の上代語の動詞は「恋ふ」「強ふ」「生ふ」があり、「用ふ」の存在はこれらに加わる新発見と言うべき新知見である。

 この語の近代以降における用語例を見ても判るように「用ふ」は「文字・コトバ・調べ・書・拍子・本・筆・小道具」など「軽い形態・小さなモノ」に対する「使用」として多用されている。

 上記の三種の複合動詞は、「持ち・連用」の四段動詞を頭に据えて、「ゐる・上一段活用・連体」・「ゆる・上二段活用・連体」・「ふる・上二段活用・連体」の三種の連体形の動詞を合着させたもので、夫々は独立した個別の役割を担った意味体系を持つ「別語」として創られている。したがって元の「用ゐる」の一語から分化して変化したなどという考えは全くの誤りであることは、上代文献記録を見れば一目瞭然である。

 動詞は「閉じられた意味体系」という不動の存在であるが故に上一段活用が突然上二段活用に変化するなど有り得ない。文法は、機能面だけではなく、意味文法という総合システムの機能で意味を整然と体系化させて機能しているのである。

「もちふ櫛もよ」とするのに対して、次のような指摘が想定される。

『用ふ、は上二段活用であるから「用ふる櫛」としなければならない』という誤まった指摘が想定される。

 つまり「連体形の、フル」であるべきを、「フ」の終止形で解釈するのは誤りとの意見だが、この二段活用の連体形と終止形に関する特殊な「連体修飾用法」に係わる「例外的な言語現象」は、動詞の研究分野においては古くから広く知られていることで、上代文法の基礎知識になっている。即ち、上代語の上二段の連体形は「ル」をもつはずの動詞が、時として「ル」の無い「終止形」のままで連体修飾的な位置に現れる言語現象のことで、この用語例は下記のごとく、数多くの存在が指摘され研究されてきたもので、別に新しい知見などではない。

 即ち、

 ①「初瀬川 流るみなわの 絶えばこそ…」【万葉集・1382

 ②「舟乗りて 別るを見れば …」【万葉集・4381

 ③「生ふしもと こも本山の ましばにも…」【万葉集・3488

 通常の文脈に現れる用例

 「出づ水」・「なゆ竹」・「愛づ児」・「射ゆしし」・「行くさ来さ」。

 ○上記の用語例を見れば「用ふ櫛」の解釈は妥当であり、全く問題は存在しないものと考える。

 この終止形の連体修飾用法が見られるのは、日常の慣用から「失われた古語法」の残存ではないかと、これまで観られてきている。

 この「引靡・ヒキナビキ」と「末・スヘ」の古語法や起源に関する意見もこれまでに幾つかあり、筆者も独自の見解を持っているが、論証が膨大となるのでここでは述べない。

 

『文法上「籠もよ」は呼び掛けではない。』などという意見も想定されるが、これは見当違いである。いうまでも無く、万葉仮名の読み方の相違で「もよ」の解釈が歴史的にも下記のように変化している。

 読みが変れば品詞分解のもたらす結果によって、品詞に変動が発生するのは当然である。

 読みの歴史的な変遷。

 1、万葉集註釈(仙覚抄) コモヨミ コモチ フクシモヨミ フクシモチ

 2、万葉集管見  こもよ みこもち ふくしもよ みふくしもち

 3、万葉集拾穂抄 こもよみこもち ふくしもよ みふくしもち 

 4、万葉代匠記(初稿本) こも よみこもち ふくしも よみふくしもち

 5、万葉集僻案抄 かたまも よみかたまもち ふくしも よみふくしもち 

 6、万葉考  かたまもよ  みがたまもち ふぐしもよ  みぶぐしもち

 7、万葉集問目 かたまもよ みがたまもち ふぐしもよ みぶくしもち 

 8、万葉集玉の小琴  同上

 9、万葉集略解  かたまもよ みかたまもち ふぐしもよ みぶぐしもち 

 10、万葉集楢の杣  かたまもよ みかだま持 ふぐしもよ みぶくしもち 

 11、万葉集燈  かたまもよ みがたまもち ふぐしもよ みぶくしもち

 12、万葉集攷證  かたまもよ みかたまもち ふくしもよ みぶぐしもち

 13、万葉集古義  こもよ みこもち ふくしもよ みふくしもち 

 14、万葉集桧嬬手  かたまもよ、みかたまもたし、ふぐしもよ、みぶくしもたし

 15、万葉集新考  こもよ みこもち ふぐしもよ みぶくしもち 

 以下、上に同じ。

 

 解説書の解釈

 万葉集全釈: 籠ヨ、ソノ籠ヲ手ニ持ツテ、掘串ヨ、ソノ掘串ヲ手ニ持ツテ

 万葉集総釈 :籠、よいお籠を持ち、掘る串、よい掘る串を持つて

 万葉集評釈: 籠よ、その見事な籠を持ち、掘串よ、その結構な掘串を持つて

 万葉集評釈 :まあいい籠を、いい籠を持ち、掘串よ、よい掘串を持って

 万葉集全註釈 :お籠を持ち、掘串を持つ

 評釈万葉集: 籠よ、よい籠を持ち、掘る串よ、よい掘る串を持ち

 万葉集私注 :籠をまあ、籠を持って、ふ串をまあ、ふ串を持って

 日本古典文学大系: ほんにまあ、籠も立派な籠、掘串も立派な掘串を持って

 万葉集注釈 :籠、籠を持つてネ、掘串、掘串を持つてネ

 日本古典文学全集: 籠も 良い籠を持ち ふくしも 良いふくしを持ち

 新潮日本古典集成 :ほんにまあ、籠も立派な籠、掘串も立派な掘串を持って

 万葉集全注 :おお、籠、立派な籠を持って、おお、掘串、立派な掘串を持って

 以下省略する。

 

 対象が人間ではなく、「雑貨の籠」ならば適当な表現で「ほんに・まあ・おお・籠・籠も」などと「モヨ」に対する態度が不明確な形で現れる。しかし中には「籠よ」の呼びかけの解釈も数えれば三件ある。

【日本古典文学大系】には「モはフクシモヨのモと呼応する並立の助詞。ヨは感動を添える助詞。かごもふくしもの意。」この読みと理解の仕方からすれば、この品詞の解釈は当然のことで、この文法解釈に間違いは無い。

 物品の「籠」が、筆者が主張する『娘もよ美児 用ふ櫛もよ』という人格を持つ語になれば当然変化し、歌の切り出しの部分であるから読み手の感情移入が言葉に込められ「も・係助詞=主語について和らいだ表現をする」+「よ・感動の呼びかけの間投助詞」の複合助詞で「柔らかな気持ちを込めた呼びかけ」の解釈になるのは至極当然のことで文法上に何等の問題は存在しない。

 万葉集巻頭歌の読みと解釈の経緯。

【籠毛與美籠母乳布久思毛與美夫君志持】の解釈の変遷。

 ①【仙覚】『コモヨミ コモチ フクシモヨミ フクシモチ』「ヨミ=良美」。

 ②【万葉代匠記・契沖】『コモ ヨミコモチ フクシモ ヨミフクシモチ』。

 ③【万葉集僻案抄・荷田春満】『カタマモ ヨミカタマモチ フクシモ ヨミフクシモチ』。

「籠=カタマ」

 ④【賀茂真淵・本居宣長・橘千蔭・上田秋成・冨士谷御杖・岸本由豆流・橘守部】『カタマモヨ ミガタマモチ フグシモヨ ミブクシモチ』「モヨ=助詞」。

 ⑤【近藤芳樹】『カツマモ ヨミカツマモチ フグシモ ヨミフグシモチ』「籠=カツマ」。

 ⑥【万葉集古義・ 鹿持雅澄】『コモヨ ミコモチ フクシモヨ ミフクシモチ』。

 

 

 第四章  新しい読みと解釈

 

  籠母與美籠 母乳布久思毛與 美夫君志持 此岳爾 菜採須兒 家吉閑 

 

  名告沙根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居師 告名倍手 

 

  吾巳曽座 我許者背者 告目 家乎毛名雄母

 

  児もよ美娘 用ふ櫛もよ。 美ふくし持ち この丘に 菜摘ます娘 家聞かむ 

 

  名告げさね。そらにみつ 大和の国は 押しなべて 吾こそ率し 宣り並べて

 

  吾こそ率まし。 我請はせば 告げめ 家をも名をも

 

  コモヨミコ モチフクシモヨ。ミフクシモチ コノヲカニ ナツマスコ イヘ

 

  キカム ナツゲサネ。ソラニミツ ヤマトノクニハ オシナベテ アコソヰシ 

 

  ノリナベテ アコソヰマシ。ワレコハセバ ツゲメ イヘヲモナヲモ

 

 音律

 5・7・6・5・5・5・5・5・7・5・5・5・6・6・3・7

 

 意訳

 娘よ美しい児よ 用るその髪の櫛も。霊降る串を持ち この丘に菜を摘んでおいでの児よ あなたの家の名前を聞きましょう そして名前も告げなさい(そらにみつ)大和の国の全てを支配するのはこの私で、政りごとの宣言布告も全て 私が統治しているのです。その私がこうして望んでいるのだから さあ告げなさい 家の名も あなたの名前も。

 

 〇 最初の「モヨ」の「モ」は勧誘の助詞で、表現を和らげて持ちかける気持ちを表し、「ヨ」は、間投助詞で、やや強めに自分の気持ちを相手に優しく投げかける複合助詞。「吾はモヨ めにしあれば(記歌謡)」に近い用法である。

 

 〇 二番目の「モヨ」は「髪に用いたその櫛」も「美児」と同じように「美しい櫛」で「あることよ」の意味で、相同の助詞「モ」と詠嘆の助詞「ヨ」の複合助詞である。

 

 〇 「母乳布久思毛與」の「久思」は頭に用いる「櫛」であることは、意図的に字義を当てていることから明瞭である。

 

 〇 「虚見津」は「ソラニミツ」と読まねば歌のリズムが崩れ、大和の国の枕詞として相応しくない。万葉集楢の杣 で上田秋成は「ソラニミツ」と読んでいる。

 

 〇 「吾巳曽居師」は「アコソヰシ」と読まねばならない。律の流れは「吾=ア」と読ませている。「ワレ」は字あまりになる。今の読み「吾許曽居・われこそをれ」・「吾巳曽座・われこそませ」は宣長(玉の小琴)からの継承で、仙覚律師は「吾許曽居師・われこそをらし」「吾巳曽座・われこそゐしか」と読む。いずれも「居り・ラ変」は「ヰ・引率・連ねる+アリ(有)」の合成語である。「居=ヰ」は「連続・引率の形態」で用語例は「率・猪・井・居」に限定されている。(注・日本語の意味の構造)

 

 ○ 頭の五・七までが第一節で美しい娘への呼びかけと、髪に挿した櫛もあなたのように美しいことだと、観察的に距離を置いて感動の呼びかけをし、「髪の櫛」の言葉で「とこふ」を掛けて「神の占有の意思」が櫛を通して女に及んだことを明らかにして区切る。

 ○ 二節は、「美夫君志」という「ひもろぎ」の斎の霊串を持つて「ひもろぎ」のこの神奈備の丘で「美夫君志」の意思を持って心待ちにしていた娘よ、「さあ家も名も告げなさい」まで。

 

 〇  三節は枕詞を使って「そらにみつ」大和の国を統治する「すめろぎのおおかみ」の「詔宣・みことのり」を高らかに宣言(のりごと)をする。この三節こそがこの歌の目的であり、国の隅々に至るまで天皇の力が及び「ノリナベテ アコソヰマシ」と天下に「神の宣託」として政令を発する。

 

 〇 四節は天皇の目にかなったので「ツゲメ イヘヲモナヲモ」と神の命令の言葉「トコヒ」で括られる。「トコヒ」は神の宣言であり、また呪「トゴヒ」の言葉もあるが、この言葉を掛けられた者は体が萎縮して手も足も出なくなる。「トコヒ」=「ト・留める・止める・留保(乙類)」+「コ・男性の腰の形態・固く凝る形態・勃起・コ形・込める・不規則な動き(乙類)」=「トコ=動きのあるものを閉じ籠める」+「ひ・四段」で神の命令の言葉である。

 

 ○ 「我許者背者・我請はせば」の「コフ」は乙類の「乞ふ」で、男性の性的な婚姻希求で両手を前に二本突き出す形態が即ち乙類の「コ」のスキーマである。

 古代において「串」は土地占有の印しであり、「櫛」は女性を占有する印しとも見られていた。この歌の二つのクシは「人を占有し、国を占有する」という大きな意味を含ませた歌と見るべきだ。斎の津間櫛は本来髪に挿して神が占有を表示し、また神に仕える者としての表示として「うず」と称して用いたもので、後に飾りとなったもの。【湯津津間櫛を引き……記神代】など、串は「霊的な斎串で、霊玉振るクシ」の神の依代としての意味を持つ串でもあった。この歌は二種類の「斎の霊串・斎の玉串」を菜摘みの丘(神奈備のヲカ)で、神に占有される印しの櫛として髪に挿し、手にする霊降串を、漢字の字義で「美夫君志」と表し、「菜として神に摘まれる」意思を持った者こそ、霊串を手にする娘のあなただよと、現身の神である天皇の「降臨」を「ツゲメ」と神の言葉「とこひ」で占有した。

 

 〇 「告げ・下二段・伝達」は「男と女をつなげ・繋げ」の意味がある。祝詞の「ノリ」は「乗り」が原義で「海苔・糊・宣り・法り」と意味が派生展開しているが、この語は、乗る側の語である。乗せる側と乗る側の関係は、あくまでも乗る方が主導権を握って、「下の物=下の者」を組み敷く構造になっている。「上下の関係」とはこのことである。したがって天皇が「菜つます児」に対して「のらさね」は上下が逆転する。宣言する立場の人は常に上位の人でなければならない。

 

 

               それではまた!