猫の日があるなんて、知りませんでした!

 長崎県壱岐市のカラカミ遺跡でイエネコのものとされる骨が発掘されました。

これにより今からおよそ2100年前、弥生時代からすでに日本には猫が存在していたという説が濃厚になりました。

 

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「 日 本 語 の 真 言 」 

 

                                  野村玄良

 

 

 和語(外来語の入らない伝統の日本語)の「アイウエオ」/ a i u e o / は母音で、5個である。

そして、母音は「連続させてはならない」という厳格な規則が敷かれている。

さらに、もう一つの規則として、この母音連続を回避する為の、2つの規則がある。

1,連続して使う場合は、母音調和音=「ハーモニー」という中間の音に変化させて「融合」させなければならない、という規則で、これを厳守しているのは、母音調和語の「ヤ行とワ行」である。

 

 ヤ行は、 /や:ya ゆ: yu  江:ye よ:yo/。 介在語は イ:/i/ である。

 

(母音調和=拗音化)して「名詞を構造化させている」

 い+あ=や  「い=尖りの形態」+「あ=吾・主体」=ヤ:矢・屋・家

 い+う=ゆ  「い=尖りの形態」+「う=屈曲した形態」=ユ:弓・湯

 い+え=江  「い=尖りの形態」+「え=選ばれた形態」=え/ye/:江・枝・柄

 い+お=よ  「い=尖りの形態」+「お=押す形態」=ヨ:夜・弱

 

◆上記は母音調和語の語彙の「定義説明」である。このメタ記号原理の理解ができないと、言語学・日本語学を理解し、メタ記号論の意味論を前進させることは、不可能となる。つまりこれが言語科学・言語哲学という科学的な階層構造の原理思考である。

意義素と意味は階層が異なるのである。この思想が空海の曼陀羅思想という「真言=究極の言語誕生思想という胎蔵界曼陀羅の世界である。胎蔵とは「言語を産出する、目に見えない人体という有機的な階層世界・コスモス」で生産される「言語生成の世界」なのである。

 

ワ行のコスモスは、 /わ:wa  ゐ:wi  ゑ:we  を:wo/  介在語は ウ:/u/である。

 

 このコスモス世界を理解できなかったので、敗戦時の日本は日本語の表記という動かして壊してはならない日本語の意味文法という規則の世界をめつゃくちゃにして破壊したのである。世界の歴史が教えている。戦争に負けると言語が壊れてしまう事を。だから現在の言語学・日本語学・国語学は、全て死滅しているのである。

言葉は文化の基礎であるから、日本はいつまでも独り立ち出来ないのである。自前の言語で世界を正しく判断することが必要なのである。この「見えない日本国言語憲法」を正しく修正・修復することこそ「憲法改正」の前提作業なのだ。

 

 

 「カキクケコ」は、kakikukekoで、CV構造の開音節語(子音が先で母音が後にぶら下がる)一音節語である。

 

 和語の一音節語には意義が「意義素の公理」として、「音義規則大系」が構築されているとする言語認識を「意味のメタ記号学」という。

 

 この考え方は空海が【声字実相義・しょうじじっそうぎ】で克明に解説している。

 この「声字」とは「一音節語」のことであり、「実相義」とは「形態素」のことである。

これを具体的に示すと、「ま/ma/=目の形態:まなこ・まつげ・まぶた・まもる」という語彙の成立根拠を「解=意義素による形態説明=定義式」で明示している。

 

空海の「一音一義」の真言の認識はインドの「梵語」を言語基盤とする言語の成立原理に対する「音義の公理」の解明という「人間の認識の記号化の哲理」のことである。

 

 「真言=真実の言語記号」の意味はこの「音義の公理」の「条理」のことである。

 

 言語の成立の解明こそが哲学の究極の課題である。何故その語「山・やま」を「ya+ma」と言うのか。つまり”何故そのように言うのか”という単純な疑問に答えることが学問の目的である。世界認識記号の「言語」の成立原理が理解できなければ、言語学にはならない。

 世界の存在に人間は、どのように関わって生きているのか。これは言語科学哲学の問題であると同時に「人工知能」の開発の初発の基本的なコンセプトの問題でもある。

 人間の苦悩はどこから生まれ出るのか。美とは何か。善とは何か。

法律は何を根拠にして善悪を基準化させているのか。人間の認識は言語によって記号化されている。世界の認識の仕方が「言語の意味文法」に規則化されている。言語の規則に縛られて世界を認識しているが故に、空海は真言密教の「言語成立の世界」を探求したのである。

真言密教は宗教化する前においては「言語哲学」である。お経とは「縦糸=経」で織物の動かない縦糸のことで、横糸を絡ませて組織化する「法則・規則の不動の根幹の糸」である。現代は「ITネット社会」と言われている。情報はIT言語に乗って世界を飛び回って、世界の人々や社会を動かしている。大乗思想とは「インドラの珠網」の成立原理とその仕組みを明らかにしたものである。インドラの珠網は意味をすくい取り意味を拡散する一音節の言語の珠で織り上げた認識機構のネットのことである。

 日本語は、一音節言語で、一音節に「意義」が鋳型化されスキーマ化されている。

 この一粒の一音節の「意義を持つ語」を「素語・ソゴ」と呼称する。

 「一音節」に意義がどのように規則化されているのか、この謎を解くことは簡単である。意味の分析手法という「解」の手法を実行するだけで、誰がやっても同じ結果が得られる普遍の公理を形成する「原理」を最初に理解するだけである。

 その原理とは「ルクスフム解析」のことである。

 

 この素語理論を、破綻した意味不明の江戸時代の音義説などと混同してはならない。「音節」と「意義と意味」の言語基盤の基礎研究自体を否定することはあってはならない。この問題に対するこれまでの学界の認識には問題があり、意味を探求しない言葉の学問の闇の存在に、国民は少なからず怪訝に感じているのである。それらの懸念を払拭するために、取り組んでみたものがこの「ソゴ理論」である。

 日本語の意味の「要素」の在り処は「意義素」である。

 日本語の言語科学とは、「六十三個の一音節」のデータサイエンスのことである。 故にデータの分析結果に矛盾がなく真実であるならば、その新しい論理にすべての学問が寄り添って随伴するのは当然のことで、これがパラダイムの転換ということになる。

 

 欧米からの発信である、セントラルドグマという狂気には敢然として立ち向かわねばならない。特に西洋言語学はソシュールの形而上学的言語学のドグマに染められていて先の見えない展開になっている。

 

 日本語の規則性

 動詞の規則性を注意深く観察すると「意味の因子」が浮かび上がってくる。【ルクスフム検証】で一音節の意味と意義を抽出。この意義素特定が真実であることをトライアングルの検証で実証した。

 言語は二つの階層で構造化されている。地下階層の「アナロゴン・身体類同代理物」の存在を本書は克明に説明する。

 目に見える地平は「述語」の世界であり、目に見えない地下階層は「意義と意味」が【身体アナロゴン・身体類同代理物】という「要素」によって成立する世界である。

 

 言語の存在に対する思考法

 科学においても、産業においても言葉の学問においても、発見がなくなると、忽ち保守化とマンネリ化が始まり、思考自体が痩せ細り、重箱の隅にはまり込んで、やがて人々の好奇心を取り込むことができなくなり、その世界は衰退に向かいはじめる。

 頭を切り替えたいときは、思考の筋道に働く因果律に、何らかの変化をもたらす新たな着想という付加的条件を投企する必要がある。これを仏教では因果律に影響を与える条件参入と観じ、これを「縁」と言い、これを立ち上げることを「縁起」という。

 我々の日常生活は、社会規範に縛られており、社会構造的な言語によって突き動かされている。言語はまさに因果律と因縁とが複雑に絡み合う世界であるが故に、言語を深く知っておく必要があるのだ。

 宇宙創生の歴史において、地球や天体の観測調査によって様々な物質を調べてゆくと、小さいものから順番に宇宙に出現してきたことが解かっている。

 すべての原子はたった三種類の基本粒子「電子、陽子、中性子」からできている。陽子や中性子はクォークが結合して構成されている。

 物質は段階的に、より小さな構成要素が存在し「階層構造」を形成して互いに関係を保ちながら別の異なる構造へと大きく立ち上げている。

 階層は独立に存在するのではなく、上下の階層から影響を受け、通常は下位の階層を構成する要素の運動や活動からその上位の階層の現象を説明できる。そして、ある領域の階層を二つ以上関連付けて記述すると、学問の教科書になる。

 西欧の心身二元論においては、思考やカテゴリー化などの概念形成は心のみが行い、身体はそれに従属する低いレベルの価値しか与えられてはいなかった。しかしながら思考や概念形成に働く身体の重要性が認識されて以来、心と身体が対立するという図式だけでは捉えられない「因縁律」が存在する。

 カテゴリー化は概念形成にはたらく認知の様式であるが、和語における言語の身体化された概念は次のカテゴリーに分類することが出来る。

 つまり身体の部位そのものの形態と、それが時間の中で参入される要素が、因縁率を発生させ、因果律の中で新たな条件が動的な方向性を持って連結派生し、ラングの規制枠の中でパロールの力(想像力)によって新たな概念を構造化するのだ。

 つまり和語においては、単語レベル(動詞・名詞)で穏喩・隠喩が形成され、階層的に上位階の「節・文」にリンクしながら多様性を持ってイベントを遂げているのである。問題は単語の形成の「解」こそが情報工学の基礎として明確に把促しなければならない。高度な人工知能の必要条件となるものは「意味の形成規則の解」である。

 

 遥かな石器時代に獣を追って山野を駆け巡った我々の先祖達が伝え残した言語創生の原理は、太古のままに言語素子である「素語=意味の弁別体」として単語の中に内在されている。

 彼らの人間学的認識が紡ぎ出した「意味要素の核」が、どの部分に、祖先のメッセージとして、どのような言葉の奥深くに刻印されているのか。

 創世期における日本語の構造化の軌跡を辿る唯一の方法は、日本語のあらゆる言語データーに対して部分的ではなく総括的に、言語の本質解明のための新たな原理手法を用いて、思弁の形式化ではなくデーターサイエンスとして、科学的な要素還元主義で解析をすること以外に方法は存在しないのだ。

 

 問題はその手法に全てが依存している。新しい手法は、新しい発想と「言語成立の原理」の発見が必要である。「語の意味」を不問にしたままで、昏睡を貪り続ける時代遅れの言語学を根底から揺さぶって、コペルニクス的転換論で再構築を果たさねばならないのである。

 「語」に何故意味が存在するのか。この「何故」の問いを忘れた学問は存在する意味を失っている。遺伝子工学は「何故遺伝が子に伝わるのか」を細胞の中に存在する「遺伝因子」の構造と働きを明らかにした。遺伝子は情報を伝える因子である。言語の因子を明らかにしなければ情報工学は進化しない。

 

 実存哲学はヨーロッパ発の哲理ではあるが、インドの大乗思想と、これを受けた空海の「真言思想」こそが西欧の実存の哲理より数百年も前に高密度に展開した東洋の【存在のロゴス】であった

 ロゴスとは「言語科学=意味の定立・意味分析の定立」のことで理知的思考によって得られた世界の存在に対する無矛盾の科学分析の思惟のことである。「意味の記号」をネットですくい取る「インドラの珠網」という「言語体系のネット=曼荼羅」思考こそが東洋のロゴスであり世界の実存を極める哲理である。

 意義と意味の定義を可能とする世界は地平には存在しない。言語の地下階層構造がわからないと意味の定義ができないのである。

 言語の使い方をどのように観察してみたところで、「語の成立」のメカニズムは把促できない。言語使用者の使う言語は「地平」の「述語」という目に見える世界に帰属している。言語の成立、意味の成立の原理大系は「地下階層」の目には見えない「深層部」に「秘蔵」されている。

 空海はこれを「秘密の言語・密言・真言」などと呼称した。これは空海の著書「吽字義.うんじぎ」・「声字実相義.しょうじじっそうぎ」・「即身成仏義」に書かれている。

 

 秘密の場所に隠されていることを「蔵密.ぞうみつ」と言う。その秘密の場所は地平ではなく地下の奥深くに「即身成仏(実存を抽象・アナロゴンのこと)」の姿で鎮座している。それを図式化したものが胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅である。「即身」とは「身体そのもの」という究極の存在(エンス)のことで「基本認識との出会い」を実現する「実存」のことである。

 

 空海のこの「声字実相義」はまさに素語理論と同じ言語の「身体要素解析理論」である。

 声字実相義は次のように三つの項目で編成されている。

 

 1、叙意 2、釈名体義 3、問答

 

 3、の問答が欠落しているので、この書は未完成の書物で、筆者は不可解に感じている。

空海は梵語を知らないのだ。当時の中国には梵語を言語科学的に説明できる人物が存在しなかったものと考えられる。空海は不完全な知識のまま帰国したのである。

 

 この書は本来、原典が梵語で書かれているので、インド語を日本語に翻訳する必要がある。つまり「音義関係が六個の人体部位からスキーマ構成され、インドラの珠網の音義のネットの条理が形成されているので、これを説明しなければならない。問答とは、かくなるものであるが故に、空海は記述できなかったのである。つまり英語で説明するならば、英語の単語を構成する「一音節の意義」を英語で「定義」しなければ「実相義」の解説ができない。英語の単語を英語で説明する為には「英語の音義関係」を公理として定義する手段が確立されていなければならない。日本語にインド語を翻訳して日本語の音義関係を「定義=形態の鋳型化説明」という「スキーマ=意義素の束」を公理として明確化できないならば声字実相義の具体(問答)説明は成し得ないのである。空海は「即身成仏」の真意を汲み損ねている。

 

 空海は師の恵果和尚の教えの範囲でのみ学習したが、それ以上のものではない。空海は和語に対しては無頓着であった。日本語の音義関係(日本語の声字実相義)には手が届かなかったのである。つまり外来の思想を外来語(漢語)で述べたに過ぎない。この「義」を和語に引き直して具体的に統括して説明するためにはインド語そのものを熟知しなければならない。空海が生きていた時代に、万葉集を編纂した大伴家持が生きていた。万葉仮名を自在に駆使した家持は、一音節のマガナ(万葉仮名)の音義関係を、完全に理解し自在に駆使をしている。空海は漢詩の駢儷体を青年期に自在にこなす教養を身につけていた。漢詩は書けるが、和歌は創作しなかった人である。

 これは、現代の欧米言語学者で大学で教鞭を振るう日本人学者が、万葉仮名で万葉集の原本を読解できないのと同じである。空海程の人物ならば万葉仮名などは簡単に整理して「音義の体系」を照査できたものと思われるが、実に不思議である。

 

 素語理論は、声字実相義の欠落した「問答」の部分を、日本語で記述したものである。

 

 ここで空海の声字実相義の重要なところを解説しよう。

 

 如意とは「大意」のこと。理論は必ず文字によって行う。この文字は、「六塵」のモノ(人体部位)の形態から創造された。

 1、目 2、耳 3、鼻 4、口 5、指 6、脳の識〔法〕

 この認識は、「三密」の「身口意・しんくい」の理法に依る。 

 

「ヤ行・ワ行」と古代の乙類の「コソトノモヨロ・キヒミケヘメ」の全てが「母音調和」及び「前母音脱落」語で、その内容は変更されることなく、今日も姿を隠して使われている。この基本事実に対する学的探求が全く行わなかったことによる弊害と損失は、計り知れないものがある。つまり言語と言うものは、その国の巨大な歴史的文化構造体の基礎基盤であり、それゆえに最重要の文化遺産なのだ。

 国語学・日本語学は明治以降、欧州言語学やソシュールの誤った記号論に幻惑されて今日に至っている。

 江戸時代に勃興した科学的で正統的な国学探求の流れは維新以降、顧みられることなく、欧米文化の模倣に明け暮れ、明治の後半において大きな崩れを見せた。昭和の敗戦に至って、あらゆるものが疲弊し自尊心をなかば喪失しかけた日本は、伝統文化維持という国の主体性を見失って、遥かな先祖が築き上げた国語体を自らの手で毀損させてしまったのである。

 

 外来語の入らない伝統的な日本語の「和語」の特徴は、単体の母音は常に語頭に立ち語中や語尾には数例を除いて、決して使われることはない。この法則は非常に優れた思索と経験からから生まれたもので、混雑を排除する制御機能であり、音声を明確化する音節規定の叡智であった。少し離れた場所でも意味が理解し合える仕組みを構築しているのである。

 人間は世界を解釈する主体『ア・吾』として存在する。人間が他の動物と根本的に異なるところは、身体の周辺を認知し認識することから出発し、やがて周辺の事象から敷延して天空に至る世界像を形成する為に,その身体性と人間学的認識に基づく経験の集積を特定の意味概念として記号化したところにある。人体というコスモスが宇宙の巨大コスモスと同位性を持ち、階層構造を組みたてて一体化している。

 

 南方熊楠(みなかたくまぐす)はエコロジーの言葉を日本ではじめて使った科学者であり思想家であった。東洋の一元思想である真言密教の哲理を、西洋の二値的思考で分析的に捉え、さらに一元的に捉え直す思考の再編成を曼荼羅の表徴する「一切智」の哲理と理法で行っている。あらゆる次元のコスモスが、「認識」の中に存在することを、言語生成の哲理として空海が抽出した真言の「真実の言語」の波動を、この東洋の科学者・熊楠は自らの身体で受けとめて理解しているのである。

 

                                 野村 玄良

 

      ご精読有難うございました。 それではまた!