冬来たりなば 春遠くあらじ(とほからじ)

 

          母音調和語 tohoku+araji 母音連続 /u+a/の

          前母音の/u/ を脱落させると tohokaraji となる。 

          これが母音調和です。母音衝突回避です。

 

 

                ◆◆天皇の称号◆◆

                

◆天皇号以前の古代の呼称は「オホキミ(大王)」と「スメロキ」と「スメラミコト」であった。


 オホキミの語は,稲荷山古墳出土の大刀の雄略天皇をさすとされる銘にみえることなどから5~6世紀には、大和・河内地方を基盤とする豪族連合ヤマト政権の首長の称号として用いられて居たと考えられて居る。

 

◆「おほきみ」=「おほ・大」+「きみ・王=「き(甲類)=切る・消る・見えない形態」+「み=見事な形態(甲類)」

*「き(甲類)=切る・消る・見えない形態」 

*「き(乙類)=喰い込んだ形態・木(く /ku/ +い /i/ =ku+i →kwi 母音調和語)」

*「み=見る・観る・診る・見事な形態(甲類)」。見ることは、見事なこと!

*「み(乙類)=躍動して射る形態・雷・神(む /mu/+い /i/=mu+i → mwi)母音調和語」

◆◆古代日本語の規則の最大の音韻法則は、この『母音衝突の禁止』です。この衝突を回避するために『母音調和』を行うのです。その第1の方法は、衝突する二つの母音の『前の母音を脱落させることである』。そして第2の方法は、母音衝突音を融合させて「拗音化(中間の音)させる方法』です。

この拗音化したものが「ヤ行のヤイユye:えヨ」です。

 〔ヤ行の江:エ〕は、母音のイとエが融合した語で、いぇ:/ye/ の音で、イとエの2音で名詞化されて 江・枝・柄の品詞が構成されて居るのです。この原理が判らないと日本語の意味の世界を探求することが出来なくなるのです。この世界が「メタ記号=意義素」の世界です。

 

◆「ヤ行のメタ記号世界=母音調和の世界」を個別に説明しましょう。

*「や=矢の形態・(い+あ)母音調和」。「い=尖りの形態」+「あ=吾・主体」=矢。

*「い=尖りの形態」。この語が他のアウエオの母音と結合するので、「イ」は「ヤ行の介在語」と言います。◆ワ行の介在語は「ウ」です。

 

*「ゆ=弓の形態(い+う)母音調和語」。「い=尖りの形態」+「う=屈曲した形態」=ゆがみ・弓・揺れ・まゆげ・ゆるむ・行く(体がしなやかに揺れ曲がる=ゆむ)動き。

*「ヤ行のえ。枝・江・ye(い+え)母音調和語」。「い=尖りの形態」+「え=選ばれた形態」=指差しの形態で、木の枝の形態であり、水路の枝分かれが江戸の江である。

*「よ=弱る形態・夜・(い+お)母音調和語」。「い=尖りの形態」+「お=押す形態」=尖った槍で獣を殺す形態で、突き刺されると生き物は弱体化して行く。狩猟生活の中で言語が作られていることを証明する語彙といえます。

 

◆ワ行も母音調和語です。後半で説明。「母音衝突回避」のこの規則を理解できないと、日本語の意味の世界が、闇に閉ざされてしまうのです!

◆「意味の意味」などとトンチンカンなことを考えてはならないのです!

◆意味は「意義素=1音節語」の意義素語で、単語の意味が、構造化されているのです。

 意義と意味は階層が異なるのです!◆意義素は「地下階層に存在」する「意味の素材の世界」なのです。これがメタ世界なのです。

 

◆◆「メ」は2種類存在します。

 2種類存在する語とは。『コソトノモヨロ』と『キヒミ』と『ケヘメ』です。

 行の「こそとのもよろ」になぜ「ヲ」と「ホ」が抜けているのかわかりますか。その理由は、「を」の意味構造が分析できていないということです。そして「ホ」が抜けているのは、「ほ=膨らんで大きくなる形態・頬」が、「を=男・雄の性の形態(う+お)母音調和語」に同化したからです・つまり、意味構造が男性の象徴を表しているからです。この理解がないと日本語の探求は不可能となるのです!

◆基本的に、メタ科学は言語科学から出発しているのです。驚くほど日本語は、極めてロジカルに構造化されています。本居宣長が探求し、解明できなかった、1音節語の解明の世界なのです。弟子の「石塚竜麿」が探求した世界です。この世界が理解できないと萬葉集の真の理解は不可能なのです。

              ●母音調和の解説はここで、止めます。

 


 さて、本題に戻ります。

 

 5世紀に「倭の五王」が中国に遣使したことが宋書などに載っていますが、この五王をヤマト政権の大王に比定することには議論が残されているので注意が必要。「卑弥呼」が女性天皇であるとの指摘は誤りであろう。「卑弥呼」の存在に疑問を呈する意見は古来より在る。

 6世紀中葉に大王の権力はさらに強化され、都の建設や軍事・財政の整備がなされた。推古朝には冠位十二階の官制も整えられた。
◆天皇の別呼称〈スメロキ・スメラミコト〉は、「神格化された超越者の資格を持つ精神的美的敬称」である。この美称は6世紀末から7世紀初めのころに常用的に定められたものと考える。
 645年から始まる大化の新政において王権の地位は確固たるものとなった。壬申の乱以後、天武天皇のもとで律令国家が整備されて行った。律令制下の天皇は中国流の皇帝として位置づけられており、天皇号も唐の皇帝の称号として用いられたものだったが、特定の家系に独占的に世襲される〈天皇〉の地位は、易姓(えきせい)革命を含む中国の皇帝観念とは根本的に相容れないものがある。また律令制下の天皇は、中国にならった中央集権的政治的君主ではあったが、「皇祖神・すめらみかみ」としての聖霊なる祭祀執行者としての精神的権威を身にまとう神的存在である。神話や伝説を天皇中心に構成しなおした古事記・日本書紀の編纂は、この権威を高めるものであった。律令国家の男子天皇は儀礼・祭祀の執行者として、また世俗から離れた清らかな超越者として明確に神聖視された。



    以上の観点はこれまで行われてきた一般論であります。

 さてここから一歩踏み込んで、男子天皇をなぜ「すめろき:すめらみこと」と古代語で表記しているのかを解明してまいります。

 ◆◆天皇は、なぜ男系男子で継承されて来たのか◆◆

 ◆「すめろき」「すめらみこと」との意味構造は何か◆
 
 今、女性天皇・女系天皇の是非を問う議論が行われて居ます。

 ◆天皇の歴史は何故男系で継承されて来たのか。その歴史の必然性を読み解きます。
 
「すめろき」・「すめらみこと」の意味構造を知れば、天皇が何故男系であるのか、その男系の必然性が歴然とするのです。「男系天皇の必然性」という歴史的事実を率直に受け止めなければならないのです。それが文化と言う「歴史の理解」という、軽々に改変できない壁なのです。そこには日本民族の根源的な文化的価値という失ってはならない民族の理念が大きく横たわっているのです。

◆「すめら」の意味が理解できなければならないのです。「すめら」という崇高な理念が存在するがゆえに日本民族は「天皇制」を大切に誇りをもって守り続けてきたのです。


     ◆◆天皇はなぜ男系男子で継承されて来たのか◆◆


◆(女性天皇には、この名称は絶対に使われなかった)そしてその名称の意味は何を一体表明しているのか、その根本的な意味構造をご存じでしょうか。
 
 日本史の中で、天皇陛下が、何故少数の女性天皇の例外を除いて、基本的に「男系・男子」で継承されてきたのか、それはこの「すめろき」の呼称の「意味構造」に、明確に「男子」でなければならない確固たる理由が単語の「スメラ」の語義で表明されているのです。

◆歴史的事実
最初に、万葉集の大伴家持の和歌を分析的に読んでみましょう。この「すめろき」という言葉の意味が一体どのような意味で構成されているのか最初に分析を致します。

語彙分析
◆須賣呂伎・すめろき =「す=通過する形態」+「め・賣=女性・雌の形態(甲類)」=「通過+女性」。* つまり「女性には接しない・世俗を超えた、清らかな・超越的な」の意味構造。


 この「すめ」は、庶民が考える「清らかで尊い」精神世界に対する考え方で、「高潔で清らかな男性の尊者」=「超越者=神の資格を持つ男性の尊者」を表す語である。

「ろ・呂(乙類)塊りの形態。)男性を表す乙類で「一郎・次郎・三郎」の「郎・rwo・男の児」の意義構造」

◆「男」「雄」を「をとこ」「をす」と旧仮名遣いで表記します。この「を」と母音の「お」とどのように違うのか解りますか。

 

◆「お=押す形態」

◆「を=男・雄の性の形態(う・屈曲+お・押す形態)母音調和語」=「ウォ=を」

    /u/+/o/ = /wo/  この原理が「母音調和」と言う規則で起きる現象です。

 この理解がないと日本語はさっぱり理解できないのです!

 学校で教えられた方は居ないのです!国語学者たちが音節語の研究を避けているからです。つまりメタ記号と言う存在を無視しているのです。その原因は、科学思考が不能に陥っているからです。残念ながら、敗戦後の国学放棄と言う、国学継承無視と言う明治維新以来の暴挙で、国学が自滅しているのです。終戦後に日本政府は日本語の表記を変更し「ゐ」と「ゑ」の表記文字を破棄してしまいました。実に馬鹿げた人たちがいたものだと呆れかえって居(ゐ)ます。

 

◆「い=尖りの形態:射る」

◆『ゐ=連続の形態・猪・井・居る(う+い=wi)母音調和語」。

 「井上」さんは「ゐのうへ」と仮名を付けなければならないのです。「ゐど水」は「ゐ=連続」して湧き出るのです。「上」は「うへ」の仮名です。「ウ+エ」は母音連続:母音衝突禁止の意味文法規則に違反します。意味構造は「う=屈曲した形態」+「へ・辺」です。

 

 この違いが理解できないのですから、全く話にならないのです!敗戦時の国語学者は、意味の世界への探求心を喪失しているのです!飢餓状態で頭が回らなかったのかもしれません。

◆ワ行の(わゐゑを)は母音調和語。下記の様にウ音と他の母音が結合していることが明瞭にわかります。
 つまり「わゐウゑを」の中に「ウ」が存在(介在)するからです。
◆だから「ワ行」は、母音調和語であるのです。

「わ=屈曲した主体・我(う+あ)母音調和語」
*「う=屈曲した形態」+「あ=吾・主体」

『ゐ=連続の形態・猪・井・居(う+い=wi)母音調和語」
*「う=屈曲した形態」+「い=尖りの形態」

「ゑ=崩れた形態(う+え)母音調和語・餌・絵」
*「う=屈曲した形態」+「え=体が反応する形態=擬態」=「ウェ!」と口からゲロを吐き出す形態=崩れの形態が「ゑ」である。*例語「餌・ゑさ」「絵具・ゑのぐ」「笑む・ゑむ」「杖・つゑ」「末・すゑ=水の流れの果ての形態は崩れ」

「を=/u+o/=/wo/=男・雄の性の形態 (う・屈曲+お・押す・圧迫の形態)母音調和語」。男性の性行為。

 「すめろき」の結語
◆「すめろ」=女性には見向きもしない、超越的男性・男子の聖なる人。清らかな尊者。
◆「き・伎(甲類)=切る・消る・姿を見せない形態」。精神性を表す。尊者は姿を隠している。
◆定義:「すめろき」=女性を超越した男性で姿を見せない存在。超越的で姿を見せることのない世俗の属性を超越した崇高な男性に対する尊崇の語彙。
 故に「すめろき」は『超越的な神のごとき尊い男性=男性天皇の清らかな精神性を表徴した尊崇の言葉で、庶民が天皇を崇める(あがめる)素朴な言葉であったと言えましよう。
 
◆「すめらみこと」=「すめ・女性を超越」+「ら=等・人たち・同じものが集合した形態」+「みこと=尊者・偉いお方」。

故に、「ら」は複数の集合体の意であるから、

◆◆「超越的な男の神々にたとえられるべき尊者」の意味構造で、天皇陛下は男系であるとする理由が、この「すめ=通過⁺女性=世俗を超えた清らかな・男性」の語義が明確に天皇が男系男性であることを表明しているからです。

 
* 以下の歌は万葉集編纂者の、大伴家持の歌です。
古代人の天皇に対する畏敬の念が鮮やかに描かれている想い入れの歌であります。

萬葉集 4465 
   比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能(すめろきの) 可未能御代欲利(かみのみよより)波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖 於保久米能 麻須良多祁乎〃 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎   伊波祢左久美弖 布美等保利 久尓麻藝之都〃 知波夜夫流 神乎許等牟氣  麻都呂倍奴 比等乎母夜波之 波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之波良能 宇祢備乃宮尓  美也婆之良 布刀之利多弖氐 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能(すめろきの) 安麻能日継等  都藝弖久流 伎美能御代〃〃 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓(すめらへに) 伎波米都久之弖 都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖氐 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓 美流比等乃 可多里都藝弖氐 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽 於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃   宇治等名尓於敝流 麻須良乎能等母

    ひさかたの あまのとひらき たかちほの たけにあもりし すめろきの かみのみよより はじゆみを たにぎりもたし まかごやを たばさみそへて おほくめの ますらたけをを さきにたて ゆきとりおほせ やまがはを いはねさくみて ふみとほり くにまぎしつつ ちはやぶる かみをことむけ まつろはぬ ひとをもやはし はききよめ つかへまつりて あきづしま やまとのくにの かしはらの うねびのみやに みやばしら ふとしりたてて あめのした しらしめしける すめろきの あまのひつぎと つぎてくる きみのみよみよ かくさはぬ あかきこころを すめらへに きはめつくして つかへくる おやのつかさと ことだてて さづけたまへる うみのこの いやつぎつぎに みるひとの かたりつぎてて きくひとの かがみにせむを あたらしき きよきそのなぞ おぼろかに こころおもひて むなことも おやのなたつな おほともの うぢとなにおへる ますらをのとも

◆訳
(ひさかたの)天の扉を開き、高千穂の岳に、天下りをされた「すめろき・天皇」の神の御代から、はじ弓(ハゼノ木で作った弓)を手に持たれ「まかご矢=小鹿の斑紋の模様の付いた矢」を小脇にたばさんで、大久米のますらを達を先に立てて、「ゆき=矢筒」を背負わせて、山川の岩をよじ登り踏み分けて、土地を求めながら、敵対する荒れ狂う神たちを平定し、まつろはない者どもを従えさせて平定し、大和の国の、橿原の畝傍の宮に、宮柱をしっかりと立てて宮殿を建立して天下をお治めになられた。「すめろき・天皇」の、神の御末と伝え来た大君の御代々、清廉な曇りのない心を、大君のもとに(すめらへに)捧げつくして、仕えてきた譜代の職責の司の一族が大伴であるぞ。ここに明言する。天皇より任命された大伴の子孫らの、絶えることのないようにしっかりと語り継いで、これを観る人がまた詳細に代々にまで語り継ぐならば、更にこれを聞く人の手本にすることであろう。名誉ある大伴の名をいい加減に考えてしまうなよ、かりそめにも先祖の名「大伴」の氏名を持つ大伴一族のますらを達よ、心せよ。

◆「すめらみこと」の歴史的価値と日本民族の美意識と超越者の資格の哲理

参考(すめらみこと)の語彙の出所文献として引用。

古事記 上巻 并せて序

臣安万侶言(しんやすまろまを)す。夫(そ)れ、混元既に凝(こ)りて、気象未(いま)だ效(あらは)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰れか其の形を知らむ。然れども、乾坤(けんこん)初めて分れて、参神造化の首(はじめ)と作(な)り、陰陽斯(ここ)に開けて、二霊群品の祖(おや)と為(な)りき。所以(このゆゑ)に、幽顕に出入して、日月目を洗ふに彰(あらは)れ、海水に浮沈して、神身を滌(すす)ぐに呈(あらは)れき。故(かれ)、太素は沓冥(えうめい)なれども、本教に因(よ)りて土(くに)を孕(はら)み島を産みし時を識(し)り、元始は綿(めんばく)なれども、先聖に頼(よ)りて神を生み人を立てし世を察(し)りぬ。寔(まこと)に知る、鏡を懸け珠(たま)を吐きて、百王相続き、劒(つるぎ)を喫(く)ひ蛇(をろち)を切りて、万神蕃息(ばんそく)せしことを。安河(やすのかは)に議(はか)りて天下(あめのした)を平(ことむ)け、小浜(をばま)に論(あげつら)ひて国土(くに)を清めき。是(ここ)を以(も)ちて、番仁岐(ほのににぎの)命、初めて高千嶺(たかちほのたけ)に降(くだ)り、神倭天皇(かむやまとのすめらみこと)、秋津島(あきづしま)に経歴したまひき。
 
◆天皇の歴史 観
 
上記の天皇(すめらみこと)の呼称は国家の体裁を整えた、律令国家の君主の称号として、7世紀後半に国号の日本とともに制度的に定着したものと推定されている。

◆◆天皇
養老律令には、儀制令に天皇を君主号として天子、皇帝に並べて規定。天皇が発する命令やその手続きについては、律令に規定があり、天皇の行為は律令の制約を受けていた。更に唐制のように天皇が三省六部に相当する諸機関(二官八省)を直接統括しておらず、太政官が間に入る形となったために、太政官によってその権限が制約されていた。
また、皇位を生前譲位した者は太上(だじょう)天皇(上皇ともいう)と規定されていたが、これは中国律令にはない日本独自の地位である。律令上、太上天皇を天皇と同等の地位と解釈することが通例とされており、実際には太上天皇が天皇よりも上位とされることも多かった。例えば、奈良時代の聖武太上天皇は、実質的に孝謙天皇よりも上位者とされていたし、平安後期に始まる院政も同様である。

 ◆◆日本語(和語=外来語の入らない純粋な日本語)の一音は、「意義素」です。この日本語の「意味文法」の基本規則を知るには、「ラ行」以外のすべての一音節語に「る」=「る=現在進行中の形態 :英語の /ing/ 現在進行形 と同じ」を付けて思考することです。するとそれぞれの「意義素」がすぐに理解できるようになります!
 
            それではまた!