≪本論≫

 

 万葉集巻頭歌 再考 

 

 第一章 「こもよみこもちふくしもよ」読解史

 

 巻頭歌読解の歴史を精査してみよう。

【万葉集巻頭の歌】に対し、万葉集註釈において、仙覚は次のように難渋しながら読解している。

 籠毛與美 籠母乳 布久思毛與美 夫君志持 此岳爾 菜摘須児 家吉閑 名告沙根 虚見津 山跡乃国者 押奈戸手 吾許曾居師 告名倍手 吾己曾座 我許者 背歯告目 家呼毛名雄毛

 

【万葉集管見】

 コモヨミ コモチ フクシモヨミ フクシモチ コノヲカニ ナツムスコ イヘキカ ナツケサネ ソラミツ ヤマトノクニハ ヲシナヘテ ワレコソヲラシ ツケナヘテ ワレコソヲラシ ワレコソハ セナニハツケメ イヘヲモナヲモ

 

 この読みは、伝統的な和歌の音律から遠く外れてぎこちなく、しかも歌の意図が少しも伝わって来ない。持ち物だけを次々と品定めする目の配りには品位がなく、とても御製歌とは思えない歌の解釈になっている。

 

【日本古典文学大系(岩波書店)】 今日一般に行われているもの。

 

 籠もよ み籠持ち ふくし(堀串)もよ みぶくし(堀串)持ち この丘に 菜つます兒 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の國は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそませ  われにこそは のらめ 家をも名をも

 

 ほんにまあ、籠も立派な籠、掘串も立派な掘串を持って、この岡で菜をお摘みの娘さんよ。家をおっしゃい、名をおっしゃいな。この大和の国は、すっかり私が支配しているのだが、隅から隅まで私が治めているのだが、この私の方から打ち明けよう。家をも名をも。

 

 上記が流布されているので、一般にはあまり抵抗感はないようであるが、こんな品格のない読解では巻頭歌にふさわしくない歌になってしまう。端的に言えば、音義の規則を無視した、最悪の読解で、天皇がこのような歌を詠むなどということはあり得ない。

 それは籠や堀串を連続して「持ち・持ち」と、道具をくどくどしく並べ立てて褒めちぎっているところである。手にする道具を繰り返し褒めちぎる求婚歌などありえないし、作歌技術として極めて劣悪である。

 

 <読解の史的な流れ>

 万葉集巻頭歌の冒頭の「籠」の読みと解釈はこれまで下記のように様々に行われてきた。

 ① 初期・仙覚律師からの流れで「コ・籠」。

【万葉集註釈・仙覚律師】・【万葉集管見・下河辺長流】・【万葉集拾穂抄・北村季吟】・【万葉代匠記・契沖】

 ② 荷田春満からの流れで「カタマ・籠」。

【万葉考・賀茂真淵】【万葉集問目・本居宣長】【万葉集問答・田中道麿】【万葉考槻落葉・荒木田久老】【万葉集略解・橘千蔭】【万葉集楢の杣・上田秋成】【金砂・上田秋成】【万葉集燈・富士谷御杖】【万葉集攷證・岸本由豆流】【万葉集桧嬬手・橘守部】

 ③ 「コ・籠」。

【万葉集古義 鹿持雅澄】・【万葉集新考 井上通泰】・【万葉集講義 山田孝雄】・【万葉集全釈 鴻巣盛広】・【万葉集評釈 窪田空穂】・【万葉集全注釈 武田祐吉】。

 

【万葉集註釈・仙覚】

  籠毛與美 籠母乳 布久思毛與美 夫君志持 

  コモヨミ コモチ フクシモヨミ フクシモチ

  籠も良美 籠持ち ふくしも良美 ふくし持ち

 

【万葉代匠記(初稿本)(精撰本)契沖】

  籠毛 與美籠母乳 布久思毛 與美夫君志持 

  カタマモ ヨミカタマモチ フクシモ ヨミフクシモチ

  籠も良美籠持ち ふくしも 良美ふくし持ち

 

【万葉集拾穂抄】北村季吟は次のように引用し解説している。

『こもよみこもち 祇曰此哥の点色々にあれとも是は新点にてよし 仙曰籠は若菜をつみ入るかこ也ふくしは菜を取器也祇曰金にてしたる物也すこはいやしき者也此哥は童女也 仙曰名告さねは名を告よと云也さねは詞の助也祇注同』。

 

 音律の様相

 1.仙覚) 4・3・6・5・5・5・4・5

 2.季吟) 3・4・5・6・5・5・5・4

 3.契沖) 2・5・4・7・5・5・5・5

 4.春満) 4・7・4・7・5・5・5・5 (近藤芳樹)

 5.真淵) 5・6・5・6・5・5・5・5 (宣長・千蔭・秋成・御杖・由豆流)

 6.守部) 5・7・5・7・5・5・5・5

 7.雅澄) 3・4・5・6・5・5・5・5 (野雁・山田孝雄・武田祐吉・以降) 

 

 今日においては、ほぼ統一的な解釈が行われているが、拙著「日本語の意味の構造」で概括的ではあるが「コ」の甲類と乙類の意味の弁別を指摘し、万葉集の巻頭歌の冒頭の語句は「コ・籠」ではなく「コ・児・娘」に解釈すべきことを簡単に述べた。

 ここに更に考察を重ねて、歌全体の読みをも含めて新たな考察を試みるが、「籠」の研究に付随して【万葉集・3444】【伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛 乃多奈布 西奈等都麻佐祢】の歌の既存解釈にも大きな問題があり、あわせて考察する。

 

◆「かたま」は、写真のような竹で編んだ中国の小船のこと。「かたま」=「固く編み込んで、籠の目をタールでふさいだ構造になっている。日本書紀に「かたま」の話がある。これは手籠の意味はなく、用途が船の代用品で、海に潜る話になっているので、巻頭歌には不適格であろう。

 

 

 この続き③ は、明日掲載いたします。