テツガクの小部屋162~フレーゲ③ | 破滅の美学〜絶望と希望の狭間で〜

破滅の美学〜絶望と希望の狭間で〜

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162フレーゲ③

・意味と意義(前半)

しかし、名前の意味を指示対象であると考えると、同一性を表す文に関して次のような困難が生じる。例えば「宵の明星=明けの明星」という文は「宵の明星=宵の明星」という文とは明らかに異なった認識価値を持つと考えられる。前者は天文学上の偉大な発見であるのに対して、後者は「すべてのものは自分自身と等しい」という自明な原則の事例にすぎない。上の二つの文の内容の違いは、単なるニュアンス等の違いでなく、まさに認識的に重要な違いである。この違いを表すためにフレーゲは、名前はその意味ばかりでなく意義をも表していると考えた。名前の意義とは、その意味(指示対象)の与えられ方であるといわれる。例えば「明けの明星」の意義とは「明け方の空に最も目立って明るく輝く星」でありうる。名前の意味はその意義を介して定められる。意義に関しても文脈原理と合成原理とは成り立つと考えられる。そこで同一性に関する上の二つの文は、そこにあらわれる名前の意味が同一であるゆえに同一の意味(真)をあらわすが、名前の意義が異なっているゆえに異なった意義を有していると解釈される。このようにして、フレーゲはすべての言語表現に対して、意味ばかりでなく意義をも認めるようになった。

 

引用文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』