テツガクの小部屋161~フレーゲ② | 破滅の美学〜絶望と希望の狭間で〜

破滅の美学〜絶望と希望の狭間で〜

過去に書いた詩や英語の詩やエッセイもどき、哲学のコト、X JAPANのコト、芸術のコト、などなど。時に過激で人畜有害かも?

・論理的意味論の展開

フレーゲは言語表現の意味を分析する際に次の二つの原則を立てた。第一に、ある言語表現の意味は、それがあらわれる文全体の意味に対していかなる貢献をするか、という点から考察されるべきである、という原則である。第二に、文全体の意味は、それにあらわれる言語表現の意味の合成による、という原則である。前者は文脈原理、後者は合成原理と呼ばれる。これらの原則と、文は独立変数(名前)と関数、および量化記号等の論理的品詞とに分析されるという上で見た洞察とを合わせて、意味に関する体系的考察が押し進められたのである。

 

さて、文中の名前(「一郎」「ポチ」「現在の日本の首相」等)の基本的役割は、何らかの対象を指すということであると考えられる。そこでフレーゲは名前の意味をその指示対象であると考えた。一方フレーゲは文もまた一種の複合的名前であると考える。文の意味は、文中の言語表現の意味から合成されるから、ある文にあらわれる名前を同一の意味(指示対象)を持つ他の名前で置き換えても意味の変化は起こらないはずである。このように、同一の意味の名前の代入によって変化しないものは、その文が真であるか偽であるかということである。たとえば「宵の明星は金星である」という文は「宵の明星」に対して同じ指示対象を持つ「明けの明星」を代入して「明けの明星は金星である」と言い換えても真であることを変えない。そこでフレーゲは文が真または偽という対象(真理値と呼ばれる)の名前であると考えたのである。他の言語表現についてもその意味の解明は上のような方針で進められる。

 

引用文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』