・『宗教の本質』から『神統記』へ
自然に対する依存感情が自然宗教の根拠である。といっても人間は、自然一般・地球一般に依存しているのではない。エジプト人はエジプトの、インド人はインドの、この土地、この国土に、この水、この川に、この動物や植物に依存しているのである。それらは、人間の生存を脅かすとともに恵みをもたらす。死の感情である恐怖と、生の感情である喜悦という依存感情が根拠となって、自然存在者が神的存在者として崇拝の対象になるのである。だとすると、自然宗教の背後には、自分自身と自分の生の価値を主張する利己主義、人間的存在者に対する利己主義が働いていることになる。フォイエルバッハは、この利己主義を、形而上学的利己主義といい、もっぱら自分自身の利益をはかる道徳的に批判されるべき利己主義から区別した。
さらに、フォイエルバッハは『神統記』においてギリシア神話を手掛かりにして人間の自己保存の願望に基づく宗教論を仕上げようとした。願望は、欠如や制限、苦悩や窮迫に抵抗しようとする無意識的衝動である。だとすると、この願望衝動によって生まれる神は、人間のかたわれであり、人間の認識や行為の諸能力を補完する存在であることになる。ルーゲ等はこの著作に新しい体系的な命題がないと否定的に評価したが、フロイトに先駆けて、宗教的疎外論を衝動心理学的に基礎づけたと評価する研究者や、宗教の基盤の人間的なものを承認することによって、宗教現象の内在的理解を行おうとしたことを評価するものもいる。
引用文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』