第三部は「花競忠臣顔見勢」。忠臣蔵外伝を2時間に短縮して若手の配役で見せる。見る前はガチャガチャしたものになるのではと危惧したが、実見すると案外まとも。若手の頑張りもあって面白く見た。
脚本は外伝の様々なエピソードを一本につないでいる。大枠は黙阿弥の「四十七刻忠箭計」だが、実質的には昭和62年12月に三代目猿之助が上演した「二十四時忠臣蔵」を下敷きにしている。もっとも「二十四時」も「四十七刻」を基にして「四谷怪談」や「土屋主税」を綯交ぜにした脚本だった。今回は序幕「鶴岡八幡宮」の居どころ替わりや「南部坂雪の別れ」「土屋主税」を主要な場面に据えた構成が「二十四時」と共通している。
舞台を追いながら感想を述べる。
開幕前に二人の口上人形が登場し、幸四郎と猿之助の録音の口上の後、開幕する。
序幕一場は「鶴岡八幡宮」。「仮名手本忠臣蔵」の大序の短縮版だが、顔世の兜改めまではほぼオリジナル通りに進行し、荘重感を損なわなかった。配役は猿之助の高師直、幸四郎の桃井若狭助、隼人の塩治判官、尾上右近の顔世御前、新悟の足利義直。
猿之助の師直。見た目は段四郎そっくり、演技は先代猿之助のイキで思い切り突っ込んで演じているのが面白い。先月おとわで仇な色気を見せたのと同じ人とは思えない変わり方だ。権勢を誇る傲岸さ、若狭之助に対する憎々しさ、顔世に示す好色振り。全て演技が大きくメリハリがきいて、目の醒める出来。これなら「仮名手本」の師直も行けるだろう。
幸四郎の若狭之助はニンに合っており、水浅葱がよく似合う。この顔触れでは彼と猿之助の舞台振りが大きい。演技は一通り。
右近の顔世、隼人の塩治判官、新悟の義直、それぞれニンに合っている。特に右近の顔世は美しさが役に適っている。その顔世、兜改めは原典通り、師直に口説かれる件はカットしてすぐ花道を引っ込むので多少物足りないが、2時間半で忠臣蔵を通すにはこれくらいのスピードアップが必要なのだろう。
顔世が去った後、師直が若狭之助を罵倒し、若狭之助が刀を抜いて斬りつける。原典では若狭之助が刀を抜こうとした時に義直還御の声が掛かって、二人の対立は次場に持ち越され、諸々の事情が絡んで若狭之助ではなく塩治判官が師直を斬るのだから、それを熟知した観客は今回の脚本に驚愕してしまう。しかも今回の鶴岡は実は夢で、居どころ替わりで序幕ニ場「桃井館奥書院」に替わる。ここは大道具転換のスピード感が効果的。御簾を上げると同時に若狭之助が目覚めるのも洒落ている。
おりしもその日は刃傷騒動から1年後の12月11日。若狭之助は、1年前に家老加古川本蔵が師直に賄賂を贈ったお陰で衝突が避けられ、その代わりに塩治判官が刃傷に及んで切腹した事に思いを致す。
本蔵の娘小浪が父の手紙を持参。手紙には暇乞いの願い出が記されているので、若狭之助は本蔵が大星力弥の手に掛かって死ぬ覚悟と見抜くと、力弥との祝言を上げさせると小浪に誓う。ここは「仮名手本」の二段目と外伝「本蔵下屋敷」をミックスした感じ。
幸四郎の若狭之助は前場より見せ場があるので張り切っている。手紙を読んだだけで全てを見抜くのは芝居の常套とはいえ多少乱暴だが、小浪に情を示す場面は人柄が出て良かった。米吉の小浪は愛らしく芝居も素直。
錦吾演じる井浪伴左衛門は「本蔵下屋敷」に登場し、本蔵をへつらい武士と罵る敵役。今回も同じ役どころだが、本蔵の名代として伺候した小浪を罵るのは何となく気が悪い。錦吾は手堅く演じているが、この人のニンは本蔵だろう。例えば幕切に本蔵を登場させて短時間でも良いから三人の別れを見せたら、もう少しお芝居らしくなったのではと思う。
序幕三場「稲瀬川川端」。雪の中、塩治浪人の赤垣源蔵(史実の赤埴源蔵、演:中村福之助)が兄を訪ねるが留守で、帰り道に会った兄嫁おさみ(市川笑也)の招きを断り、土産の酒徳利を託けて別れる。講談「赤垣源蔵徳利の別れ」が題材で、歌舞伎でも幕末に四代目小団次が源蔵を演じて好評を博した。ただし講談でも歌舞伎でも源蔵は討入前日に兄の留守宅に訪ね、座敷で兄の羽織を前に酒を呑みながら別れを告げるという筋で、川端で兄嫁に徳利を渡すだけではドラマにならない。今回の唯一の見せ場は徳利を渡した後、涙を堪える所で、福之助は気を入れて演じていた。笑也のおさみもこの脚本ではただ登場したというだけ。
おさみが去ると龍田新左衛門(史実の勝田新左衛門、演:大谷廣太郎)が登場し、源蔵と共に浪人生活を嘆く。ここは筋売りの場面で、新左衛門の妹お園が大鷲文吾(史実の大高源吾)の口利きで旗本槌谷主税に腰元奉公している事が分かり、二幕目の伏線となる。
序幕四場「芸州侯下屋敷」。顔世御前が落飾して葉泉院(尾上右近)と名乗り、夫の菩提を弔っているところに大星由良之助(中村歌昇)が訪れる。葉泉院と側近の戸田の局(猿之助)が仇討ちの水を向けると、由良之助は仇討ちは諦めて町人になる、こんな苦労をするのも亡君の短慮ゆえと言うので、葉泉院は亡夫の位牌で由良之助を打ち、仏間に籠る。由良之助は気散じに記した吾妻日記の一巻を戸田に託け、その場を辞す。
門を出ると、高家の剣客清水大学(幸四郎)が現れて由良之助に突き当たり、仇討ちはいつだと詰問するが、由良之助の町人になるとの言葉を聞いて犬畜生と罵倒して立ち去る。ここに葉泉院と戸田が現れ、由良之助に謝罪。先程の吾妻日記とは同士の連判状だった。腰元に化けた高家の間者が連判状を奪おうとするのを戸田が取り押さえ、由良之助は迎えの寺岡平右衛門と共に本所を目指す。
ここは黙阿弥の「四十七刻忠箭計」の「南部坂雪の別れ」をほとんどカットなしで見せる。と言っても原作のままでは1時間要するので細部をちょこちょこ抜いているが、芝居らしいコクが感じられた。これは原作が役者を仕出かす様に書かれているからだが、今回の出演者がよく演じていた事も見逃せない。
歌昇の由良之助。すこし新作めくが小柄ながらも落ち着きがあり、それらしく見せたのには驚いた。何よりも仇討ちの頭目に見えるのが良い。セリフも上手い。葉泉院との応酬で本心を隠して虚言を弄する二重の肚や戸田に一巻を託す時の懸命さ、大学の罵倒を耐える苦衷など、ジックリと間を取るセリフと鋭く畳み込むセリフの緩急が若手に似合わず上手いのだ。吉右衛門の袂で修行をした賜物である。動きがほとんど無いので若手には演じ難い役だが、芝居にメリハリがつけば大きく見える様になるだろう。
右近の葉泉院。顔世は義太夫狂言の登場人物、こちらは活歴の写実的人物。理屈を言えば違うが、小難しい事を気にせず一貫して「お芝居」として演じているのが良い。髪を下ろしても大名の奥方らしい品格と美貌が備わり、由良之助を位牌で打つ件は悲しみよりも激情が勝るところがこの人らしい。
猿之助の戸田の局。強く描いた目張と黒一色の衣装が敵役めくのが難だが、する事は確か。とかく要領の得ない役だが、それなりに見せてしまったのは流石に芝居上手。葉泉院に対する忠義心、由良之助から一巻を渡された時に見せる不審、門を駆け出して由良之助に謝罪する実意、いずれも行き届いていた。
幸四郎の清水大学は武張った太々しさは薄いがスターの華があり、彼がこの役に付き合ったお陰で舞台が大きくなった。
ここで20分の休憩が入る。
二幕目一場「本所槌谷邸奥座敷」。鴈治郎家の「土屋主税」を簡略にして見せる。
12月14日、本所に屋敷を構える旗本槌谷主税は俳諧の師・晋其角から、塩治浪人(赤穂浪士)の大鷹文吾が近々隣国に士官すると聞く。其角の「年の瀬や水の流れも人の身も」の発句に文吾が「あした待たるるその宝船」と答えた事から、其角は文吾には仇討の志が無いと罵る。おりしも隣の高家屋敷(吉良上野介屋敷)が騒がしくなり、塩治浪人が討ち入ったとの知らせ。驚く其角に槌谷は文吾の付け句から討入を予想していたと言う。
やはり外伝の「松浦の太鼓」もこれとほとんど同じ内容だが、こちらは東京の役者が好んで演じ、江戸前でサラッとしているのに対し、「土屋主税」は上方の初代鴈治郎のために書き下ろされたからコテコテとクドい。僕は土屋を二代目鴈治郎、四代目坂田藤十郎、当代鴈治郎で見たが、初めて見た時は、隣で討入が始まると上手の塀を煽り返して竹本が登場し、突然義太夫を語り出したので、ビックリした。つまりそういう芝居なのだ。
そんな役を誰が演じるかと思ったら、隼人に白羽の矢が立った。本人の希望でなく、まず土屋主税ありきで隼人に割り当てられたのだろう。隼人は吉右衛門一座で修行しているから「松浦の太鼓」は目にあるだろうが、上方の芝居は未経験だから心配した…が、驚いた。予想外に好演したからである。
まず隼人の槌谷主税は見た目が良い。美男で品があって、いかにも旗本らしい。何よりも観客を惹きつけるスター性がある。数年前は舞台上で身を持て余していた人がこんなに変わるものかと瞠目した。おそらく猿之助の指導でスーパー歌舞伎「オグリ」を主演した経験が実を結んだのだろう。
もっとも隼人の槌谷は上方歌舞伎らしさという点では0点だった。主税の演技には初代鴈治郎の癖が色濃く反映している。例えば其角が文吾の悪口を喋っている横で土屋が付け句の真意に気付く件。主税が其角にそれを教えようとしても喋りを止めないので辟易して狸寝入りをするが、それをセリフ無し、身振りと息遣いだけで見せる。その箇所の二代目鴈治郎の演技は実に大袈裟だった。そんなに大袈裟に動いたら、いくら鈍感な其角でも気付くだろうと言いたくなる程だが、そこにこぼれる様な愛嬌があるので観客は魅了された。要するにクドいのに面白いのだ。それが初代の芸風なのだろう。そしてその濃厚さは藤十郎にも、当代鴈治郎にも伝わっている。
隼人はここを普通に演じてサラッと流れた。主税が文吾の真意に気付いた事を観客に分からせなければ意味がないが、隼人のやり方では全く伝わらなかったのだ。
とは言え、東京生まれの現代っ子である隼人に鴈治郎家のコッテリした演技を求める方が土台無理だ。むしろ鴈治郎風にこだわらず、パントマイムで芝居を粒立てるテクニックを磨く方が肝要だし、現実的でもある。
このように隼人の槌谷は細部には課題があるものの、全体としてはのびのびと演じていて良い。持ち前の品や甘い美男振りが生きている。そして現在の自分に出来る事を手一杯
している。その結果、鴈治郎家の土屋主税とは別物になっても、それはそれで良いではないか。役名を土屋から槌谷に変えたのは、そういう含みがあるのかもしれない。
また、隼人の槌谷は鴈治郎家の土屋よりも淡白で癖が無い。これが鴈治郎家の一幕独立バージョンなら物足りないだけで終わるが、今回の脚本では全く気にならなかった。芝居の寸法に丁度合っているのだ。
他の役について一言。
新悟のお園。鴈治郎家バージョンでは大高源吾の妹だが、今回は龍田新左衛門の妹という点がまず違う。大した違いでもない様だが、役のニュアンスに違いが生じた。鴈治郎家バージョンではお園は土屋のお手付きみたいに見える。別にそうとはあからさまに言っていないが、舞台を見ていると二人の間にそういう微妙な空気が感じられる。一方、今回はそんな感じが皆無でケロッと明るく健康的。新悟のお園の特徴は武家の娘らしい慎み深さを感じさせる点であるが、それゆえに槌谷とは訳有りに見えないとも言える。つまり何処かもの堅いのだ。しかしそこが今回の脚本には合っている。
其角は猿弥。この役に関して一言述べたい。
鴈治郎家バージョンに落合其月という侍が登場する。彼も其角の門下で大高源吾と顔見知り。其角の庵を訪ねた際、先客の源吾と其角が例の俳句の遣り取りするのを聞いて憤慨し、其角と土屋邸に同道、主税に源吾は不忠者と吹き込む。つまり一種の敵役なのだが、その役廻りを今回は其角が勤めているのだ。
これは今回の脚本が其角の庵のカットに伴って其月が登場する必要が無くなり、その役廻りを其角が勤める事になったのだろう。それでも筋は通るが、槌谷と面会して開口一番、
自分が親代わりとして奉公の世話をしたお園を解雇して欲しいと言う様な愚かで軽薄な人間になってしまった。猿弥はきっちり演じて用を果たしていたが、この脚本のせいで俳諧師よりも幇間に見えたのは気の毒だった。
この後、鴈治郎家バージョンでは源吾が土屋邸を訪れ、師直を討ち取ったと報告。主税が源吾を労って別れるまでを見せるが、今回は討ち入りの知らせが入った後、舞台を廻して高家屋敷内庭園となり、塩治浪人と高家の侍のチャンバラを見せる。メインは清水大学(幸四郎)と大星力弥(中村鷹之資)の一騎打ちで、テンポが速く迫力満点。大学が加勢の塩治浪人に追い詰められて雪の石橋の上で絶命する所もリアル。「仮名手本」の現行演出では高家の剣客は小林平八郎、塩治浪人との立ち回りも旧来の歌舞伎らしいテンポで見せているが、今回は全く違う内容で、中途半端に旧来演出を連想させず完全に離れたのが良かったと思う。
清水大学が絶命すると同時に舞台が転換し、「元の槌谷邸奥座敷」に戻る。ここでは塩治浪人が師直を討ち取ったのを槌谷が山鹿流の陣太鼓から察知するのを見せ、「松浦の太鼓」の見せ場を転用している。隼人は形をきっちり決めて太鼓の音に耳を傾ける様子を観客に印象付けた。
その後、大鷹文吾が花道から現れ、槌谷に師直を討ち取った報告をする。ここは原典と同じ運びだが、お園が文吾の妹ではない今回の脚本では、主税と文吾、そしてお園に枷が無いため、芝居がサラッと流れた気がする。
文吾は右近だが、「其角草庵」が無いのでただ出てきただけに止まり、特に言う事は無い。
大詰は「花水橋引揚」。塩治浪人が揃って引き揚げる様を見せる場面で、「仮名手本」では服部逸郎が絡むのが一般的だが、今回は桃井若狭之助が呼び止める。しかも若狭之助は力弥に小浪を引き合わせるという美味しいエピソードがある儲け役。幸四郎が嬉しそうに演じていた。
最後に猿之助演じる河雲松柳亭が登場し、塩治浪人の業績を伝える読み物を書いて後世に伝えると言う。河雲松柳亭という人物が実在したか否かはともかく、赤穂浪士の討ち入り事件を文芸という手段で後世に伝えた小説家か劇作家という設定なのだろう。猿之助が演じていたが、彼がこの役で大詰に顔を出す事で、フィナーレが華やかになった。
長々と書いたが、要するに言いたかったのは面白かったという事である。まず外伝ではあっても、たった2時間半で忠臣蔵を通し上演した事に拍手を送りたい。これは脚本担当者の手柄もあるが、演出を担当した猿之助の知性と舞台職人のプロとしての腕に負う所が大きい。
とはいえ、今回の舞台に満足したとは言い難い。今回の舞台がコロナ禍の現状に適している事は疑いないが、歌舞伎狂言の本来のあり方としてはいささか不足があるのではないか。コロナ禍でなければ、もう少しジックリとした脚本で見てみたいというのが率直な感想なのだ。
そんな事を言うのも、昭和62年に見た「二十四時忠臣蔵」が非常に面白くて今でも鮮明に憶えているからである。
序幕の「鶴岡八幡」で若狭之助が師直に刃傷に及んだ後、舞台は居どころ替わりで本所師直邸の寝所になり、鶴岡八幡宮は師直の見た夢で、目覚めた師直は愛妾お蘭の方に戯れかかる様を見せた。これは「四十七刻忠箭計」にもあった場面だが、師直が夢で若狭之助に斬られるのは判官を虐めた事を潜在下で後悔している裏返しで、それを居どころ替わりという舞台転換のテクニックを用いて芝居に仕立てた所に黙阿弥の人間を見る眼と、芝居に仕立て上げる熟達の腕がある事を認識した。否、そう思わせたのはそれを実際に舞台で見せた先代猿之助で、実は一番偉いのは先代猿之助だったのだ。
また、葉泉院に七世梅幸、戸田の局に七世芝翫を招聘して先代自身が由良之助を演じた「南部坂」は今思い返しても一級品の大人の芝居だった。いまとなれば、返す返す見ておいて良かったという思いを反芻する。
その他、病に苦しむ小汐田又之丞が本復して討ち入りに参加する件もあったが、黙阿弥の脚本を「四谷怪談」の「隠亡堀」と「蛇山庵室」を併せて上演した。理屈を言えば支離滅裂だが、それによって舞台が躍動した事も確かで、その面白さは忘れられない。
その様に「二十四時忠臣蔵」という芝居には、歌舞伎を知るほどに底知れない迷宮の奥深くに分け入る様な蠱惑性があった。翻って今回の「花競忠臣顔見勢」にそんな噛み応えがあったのか。残念ながら首を傾けざるを得ない。
とはいえ、今回の舞台にそこまで求めるのは酷かもしれない。むしろコロナ禍で様々な制約がある中でこの舞台を実現し、楽しませてくれた事に感謝するべきなのだろう。
(11月21日所見)
脚本は外伝の様々なエピソードを一本につないでいる。大枠は黙阿弥の「四十七刻忠箭計」だが、実質的には昭和62年12月に三代目猿之助が上演した「二十四時忠臣蔵」を下敷きにしている。もっとも「二十四時」も「四十七刻」を基にして「四谷怪談」や「土屋主税」を綯交ぜにした脚本だった。今回は序幕「鶴岡八幡宮」の居どころ替わりや「南部坂雪の別れ」「土屋主税」を主要な場面に据えた構成が「二十四時」と共通している。
舞台を追いながら感想を述べる。
開幕前に二人の口上人形が登場し、幸四郎と猿之助の録音の口上の後、開幕する。
序幕一場は「鶴岡八幡宮」。「仮名手本忠臣蔵」の大序の短縮版だが、顔世の兜改めまではほぼオリジナル通りに進行し、荘重感を損なわなかった。配役は猿之助の高師直、幸四郎の桃井若狭助、隼人の塩治判官、尾上右近の顔世御前、新悟の足利義直。
猿之助の師直。見た目は段四郎そっくり、演技は先代猿之助のイキで思い切り突っ込んで演じているのが面白い。先月おとわで仇な色気を見せたのと同じ人とは思えない変わり方だ。権勢を誇る傲岸さ、若狭之助に対する憎々しさ、顔世に示す好色振り。全て演技が大きくメリハリがきいて、目の醒める出来。これなら「仮名手本」の師直も行けるだろう。
幸四郎の若狭之助はニンに合っており、水浅葱がよく似合う。この顔触れでは彼と猿之助の舞台振りが大きい。演技は一通り。
右近の顔世、隼人の塩治判官、新悟の義直、それぞれニンに合っている。特に右近の顔世は美しさが役に適っている。その顔世、兜改めは原典通り、師直に口説かれる件はカットしてすぐ花道を引っ込むので多少物足りないが、2時間半で忠臣蔵を通すにはこれくらいのスピードアップが必要なのだろう。
顔世が去った後、師直が若狭之助を罵倒し、若狭之助が刀を抜いて斬りつける。原典では若狭之助が刀を抜こうとした時に義直還御の声が掛かって、二人の対立は次場に持ち越され、諸々の事情が絡んで若狭之助ではなく塩治判官が師直を斬るのだから、それを熟知した観客は今回の脚本に驚愕してしまう。しかも今回の鶴岡は実は夢で、居どころ替わりで序幕ニ場「桃井館奥書院」に替わる。ここは大道具転換のスピード感が効果的。御簾を上げると同時に若狭之助が目覚めるのも洒落ている。
おりしもその日は刃傷騒動から1年後の12月11日。若狭之助は、1年前に家老加古川本蔵が師直に賄賂を贈ったお陰で衝突が避けられ、その代わりに塩治判官が刃傷に及んで切腹した事に思いを致す。
本蔵の娘小浪が父の手紙を持参。手紙には暇乞いの願い出が記されているので、若狭之助は本蔵が大星力弥の手に掛かって死ぬ覚悟と見抜くと、力弥との祝言を上げさせると小浪に誓う。ここは「仮名手本」の二段目と外伝「本蔵下屋敷」をミックスした感じ。
幸四郎の若狭之助は前場より見せ場があるので張り切っている。手紙を読んだだけで全てを見抜くのは芝居の常套とはいえ多少乱暴だが、小浪に情を示す場面は人柄が出て良かった。米吉の小浪は愛らしく芝居も素直。
錦吾演じる井浪伴左衛門は「本蔵下屋敷」に登場し、本蔵をへつらい武士と罵る敵役。今回も同じ役どころだが、本蔵の名代として伺候した小浪を罵るのは何となく気が悪い。錦吾は手堅く演じているが、この人のニンは本蔵だろう。例えば幕切に本蔵を登場させて短時間でも良いから三人の別れを見せたら、もう少しお芝居らしくなったのではと思う。
序幕三場「稲瀬川川端」。雪の中、塩治浪人の赤垣源蔵(史実の赤埴源蔵、演:中村福之助)が兄を訪ねるが留守で、帰り道に会った兄嫁おさみ(市川笑也)の招きを断り、土産の酒徳利を託けて別れる。講談「赤垣源蔵徳利の別れ」が題材で、歌舞伎でも幕末に四代目小団次が源蔵を演じて好評を博した。ただし講談でも歌舞伎でも源蔵は討入前日に兄の留守宅に訪ね、座敷で兄の羽織を前に酒を呑みながら別れを告げるという筋で、川端で兄嫁に徳利を渡すだけではドラマにならない。今回の唯一の見せ場は徳利を渡した後、涙を堪える所で、福之助は気を入れて演じていた。笑也のおさみもこの脚本ではただ登場したというだけ。
おさみが去ると龍田新左衛門(史実の勝田新左衛門、演:大谷廣太郎)が登場し、源蔵と共に浪人生活を嘆く。ここは筋売りの場面で、新左衛門の妹お園が大鷲文吾(史実の大高源吾)の口利きで旗本槌谷主税に腰元奉公している事が分かり、二幕目の伏線となる。
序幕四場「芸州侯下屋敷」。顔世御前が落飾して葉泉院(尾上右近)と名乗り、夫の菩提を弔っているところに大星由良之助(中村歌昇)が訪れる。葉泉院と側近の戸田の局(猿之助)が仇討ちの水を向けると、由良之助は仇討ちは諦めて町人になる、こんな苦労をするのも亡君の短慮ゆえと言うので、葉泉院は亡夫の位牌で由良之助を打ち、仏間に籠る。由良之助は気散じに記した吾妻日記の一巻を戸田に託け、その場を辞す。
門を出ると、高家の剣客清水大学(幸四郎)が現れて由良之助に突き当たり、仇討ちはいつだと詰問するが、由良之助の町人になるとの言葉を聞いて犬畜生と罵倒して立ち去る。ここに葉泉院と戸田が現れ、由良之助に謝罪。先程の吾妻日記とは同士の連判状だった。腰元に化けた高家の間者が連判状を奪おうとするのを戸田が取り押さえ、由良之助は迎えの寺岡平右衛門と共に本所を目指す。
ここは黙阿弥の「四十七刻忠箭計」の「南部坂雪の別れ」をほとんどカットなしで見せる。と言っても原作のままでは1時間要するので細部をちょこちょこ抜いているが、芝居らしいコクが感じられた。これは原作が役者を仕出かす様に書かれているからだが、今回の出演者がよく演じていた事も見逃せない。
歌昇の由良之助。すこし新作めくが小柄ながらも落ち着きがあり、それらしく見せたのには驚いた。何よりも仇討ちの頭目に見えるのが良い。セリフも上手い。葉泉院との応酬で本心を隠して虚言を弄する二重の肚や戸田に一巻を託す時の懸命さ、大学の罵倒を耐える苦衷など、ジックリと間を取るセリフと鋭く畳み込むセリフの緩急が若手に似合わず上手いのだ。吉右衛門の袂で修行をした賜物である。動きがほとんど無いので若手には演じ難い役だが、芝居にメリハリがつけば大きく見える様になるだろう。
右近の葉泉院。顔世は義太夫狂言の登場人物、こちらは活歴の写実的人物。理屈を言えば違うが、小難しい事を気にせず一貫して「お芝居」として演じているのが良い。髪を下ろしても大名の奥方らしい品格と美貌が備わり、由良之助を位牌で打つ件は悲しみよりも激情が勝るところがこの人らしい。
猿之助の戸田の局。強く描いた目張と黒一色の衣装が敵役めくのが難だが、する事は確か。とかく要領の得ない役だが、それなりに見せてしまったのは流石に芝居上手。葉泉院に対する忠義心、由良之助から一巻を渡された時に見せる不審、門を駆け出して由良之助に謝罪する実意、いずれも行き届いていた。
幸四郎の清水大学は武張った太々しさは薄いがスターの華があり、彼がこの役に付き合ったお陰で舞台が大きくなった。
ここで20分の休憩が入る。
二幕目一場「本所槌谷邸奥座敷」。鴈治郎家の「土屋主税」を簡略にして見せる。
12月14日、本所に屋敷を構える旗本槌谷主税は俳諧の師・晋其角から、塩治浪人(赤穂浪士)の大鷹文吾が近々隣国に士官すると聞く。其角の「年の瀬や水の流れも人の身も」の発句に文吾が「あした待たるるその宝船」と答えた事から、其角は文吾には仇討の志が無いと罵る。おりしも隣の高家屋敷(吉良上野介屋敷)が騒がしくなり、塩治浪人が討ち入ったとの知らせ。驚く其角に槌谷は文吾の付け句から討入を予想していたと言う。
やはり外伝の「松浦の太鼓」もこれとほとんど同じ内容だが、こちらは東京の役者が好んで演じ、江戸前でサラッとしているのに対し、「土屋主税」は上方の初代鴈治郎のために書き下ろされたからコテコテとクドい。僕は土屋を二代目鴈治郎、四代目坂田藤十郎、当代鴈治郎で見たが、初めて見た時は、隣で討入が始まると上手の塀を煽り返して竹本が登場し、突然義太夫を語り出したので、ビックリした。つまりそういう芝居なのだ。
そんな役を誰が演じるかと思ったら、隼人に白羽の矢が立った。本人の希望でなく、まず土屋主税ありきで隼人に割り当てられたのだろう。隼人は吉右衛門一座で修行しているから「松浦の太鼓」は目にあるだろうが、上方の芝居は未経験だから心配した…が、驚いた。予想外に好演したからである。
まず隼人の槌谷主税は見た目が良い。美男で品があって、いかにも旗本らしい。何よりも観客を惹きつけるスター性がある。数年前は舞台上で身を持て余していた人がこんなに変わるものかと瞠目した。おそらく猿之助の指導でスーパー歌舞伎「オグリ」を主演した経験が実を結んだのだろう。
もっとも隼人の槌谷は上方歌舞伎らしさという点では0点だった。主税の演技には初代鴈治郎の癖が色濃く反映している。例えば其角が文吾の悪口を喋っている横で土屋が付け句の真意に気付く件。主税が其角にそれを教えようとしても喋りを止めないので辟易して狸寝入りをするが、それをセリフ無し、身振りと息遣いだけで見せる。その箇所の二代目鴈治郎の演技は実に大袈裟だった。そんなに大袈裟に動いたら、いくら鈍感な其角でも気付くだろうと言いたくなる程だが、そこにこぼれる様な愛嬌があるので観客は魅了された。要するにクドいのに面白いのだ。それが初代の芸風なのだろう。そしてその濃厚さは藤十郎にも、当代鴈治郎にも伝わっている。
隼人はここを普通に演じてサラッと流れた。主税が文吾の真意に気付いた事を観客に分からせなければ意味がないが、隼人のやり方では全く伝わらなかったのだ。
とは言え、東京生まれの現代っ子である隼人に鴈治郎家のコッテリした演技を求める方が土台無理だ。むしろ鴈治郎風にこだわらず、パントマイムで芝居を粒立てるテクニックを磨く方が肝要だし、現実的でもある。
このように隼人の槌谷は細部には課題があるものの、全体としてはのびのびと演じていて良い。持ち前の品や甘い美男振りが生きている。そして現在の自分に出来る事を手一杯
している。その結果、鴈治郎家の土屋主税とは別物になっても、それはそれで良いではないか。役名を土屋から槌谷に変えたのは、そういう含みがあるのかもしれない。
また、隼人の槌谷は鴈治郎家の土屋よりも淡白で癖が無い。これが鴈治郎家の一幕独立バージョンなら物足りないだけで終わるが、今回の脚本では全く気にならなかった。芝居の寸法に丁度合っているのだ。
他の役について一言。
新悟のお園。鴈治郎家バージョンでは大高源吾の妹だが、今回は龍田新左衛門の妹という点がまず違う。大した違いでもない様だが、役のニュアンスに違いが生じた。鴈治郎家バージョンではお園は土屋のお手付きみたいに見える。別にそうとはあからさまに言っていないが、舞台を見ていると二人の間にそういう微妙な空気が感じられる。一方、今回はそんな感じが皆無でケロッと明るく健康的。新悟のお園の特徴は武家の娘らしい慎み深さを感じさせる点であるが、それゆえに槌谷とは訳有りに見えないとも言える。つまり何処かもの堅いのだ。しかしそこが今回の脚本には合っている。
其角は猿弥。この役に関して一言述べたい。
鴈治郎家バージョンに落合其月という侍が登場する。彼も其角の門下で大高源吾と顔見知り。其角の庵を訪ねた際、先客の源吾と其角が例の俳句の遣り取りするのを聞いて憤慨し、其角と土屋邸に同道、主税に源吾は不忠者と吹き込む。つまり一種の敵役なのだが、その役廻りを今回は其角が勤めているのだ。
これは今回の脚本が其角の庵のカットに伴って其月が登場する必要が無くなり、その役廻りを其角が勤める事になったのだろう。それでも筋は通るが、槌谷と面会して開口一番、
自分が親代わりとして奉公の世話をしたお園を解雇して欲しいと言う様な愚かで軽薄な人間になってしまった。猿弥はきっちり演じて用を果たしていたが、この脚本のせいで俳諧師よりも幇間に見えたのは気の毒だった。
この後、鴈治郎家バージョンでは源吾が土屋邸を訪れ、師直を討ち取ったと報告。主税が源吾を労って別れるまでを見せるが、今回は討ち入りの知らせが入った後、舞台を廻して高家屋敷内庭園となり、塩治浪人と高家の侍のチャンバラを見せる。メインは清水大学(幸四郎)と大星力弥(中村鷹之資)の一騎打ちで、テンポが速く迫力満点。大学が加勢の塩治浪人に追い詰められて雪の石橋の上で絶命する所もリアル。「仮名手本」の現行演出では高家の剣客は小林平八郎、塩治浪人との立ち回りも旧来の歌舞伎らしいテンポで見せているが、今回は全く違う内容で、中途半端に旧来演出を連想させず完全に離れたのが良かったと思う。
清水大学が絶命すると同時に舞台が転換し、「元の槌谷邸奥座敷」に戻る。ここでは塩治浪人が師直を討ち取ったのを槌谷が山鹿流の陣太鼓から察知するのを見せ、「松浦の太鼓」の見せ場を転用している。隼人は形をきっちり決めて太鼓の音に耳を傾ける様子を観客に印象付けた。
その後、大鷹文吾が花道から現れ、槌谷に師直を討ち取った報告をする。ここは原典と同じ運びだが、お園が文吾の妹ではない今回の脚本では、主税と文吾、そしてお園に枷が無いため、芝居がサラッと流れた気がする。
文吾は右近だが、「其角草庵」が無いのでただ出てきただけに止まり、特に言う事は無い。
大詰は「花水橋引揚」。塩治浪人が揃って引き揚げる様を見せる場面で、「仮名手本」では服部逸郎が絡むのが一般的だが、今回は桃井若狭之助が呼び止める。しかも若狭之助は力弥に小浪を引き合わせるという美味しいエピソードがある儲け役。幸四郎が嬉しそうに演じていた。
最後に猿之助演じる河雲松柳亭が登場し、塩治浪人の業績を伝える読み物を書いて後世に伝えると言う。河雲松柳亭という人物が実在したか否かはともかく、赤穂浪士の討ち入り事件を文芸という手段で後世に伝えた小説家か劇作家という設定なのだろう。猿之助が演じていたが、彼がこの役で大詰に顔を出す事で、フィナーレが華やかになった。
長々と書いたが、要するに言いたかったのは面白かったという事である。まず外伝ではあっても、たった2時間半で忠臣蔵を通し上演した事に拍手を送りたい。これは脚本担当者の手柄もあるが、演出を担当した猿之助の知性と舞台職人のプロとしての腕に負う所が大きい。
とはいえ、今回の舞台に満足したとは言い難い。今回の舞台がコロナ禍の現状に適している事は疑いないが、歌舞伎狂言の本来のあり方としてはいささか不足があるのではないか。コロナ禍でなければ、もう少しジックリとした脚本で見てみたいというのが率直な感想なのだ。
そんな事を言うのも、昭和62年に見た「二十四時忠臣蔵」が非常に面白くて今でも鮮明に憶えているからである。
序幕の「鶴岡八幡」で若狭之助が師直に刃傷に及んだ後、舞台は居どころ替わりで本所師直邸の寝所になり、鶴岡八幡宮は師直の見た夢で、目覚めた師直は愛妾お蘭の方に戯れかかる様を見せた。これは「四十七刻忠箭計」にもあった場面だが、師直が夢で若狭之助に斬られるのは判官を虐めた事を潜在下で後悔している裏返しで、それを居どころ替わりという舞台転換のテクニックを用いて芝居に仕立てた所に黙阿弥の人間を見る眼と、芝居に仕立て上げる熟達の腕がある事を認識した。否、そう思わせたのはそれを実際に舞台で見せた先代猿之助で、実は一番偉いのは先代猿之助だったのだ。
また、葉泉院に七世梅幸、戸田の局に七世芝翫を招聘して先代自身が由良之助を演じた「南部坂」は今思い返しても一級品の大人の芝居だった。いまとなれば、返す返す見ておいて良かったという思いを反芻する。
その他、病に苦しむ小汐田又之丞が本復して討ち入りに参加する件もあったが、黙阿弥の脚本を「四谷怪談」の「隠亡堀」と「蛇山庵室」を併せて上演した。理屈を言えば支離滅裂だが、それによって舞台が躍動した事も確かで、その面白さは忘れられない。
その様に「二十四時忠臣蔵」という芝居には、歌舞伎を知るほどに底知れない迷宮の奥深くに分け入る様な蠱惑性があった。翻って今回の「花競忠臣顔見勢」にそんな噛み応えがあったのか。残念ながら首を傾けざるを得ない。
とはいえ、今回の舞台にそこまで求めるのは酷かもしれない。むしろコロナ禍で様々な制約がある中でこの舞台を実現し、楽しませてくれた事に感謝するべきなのだろう。
(11月21日所見)