熊谷帰館の知らせがあり、正面の襖から相模が現れる。
 揚幕から熊谷が登場し、花道を歩む。芝翫型の熊谷は黒天鵞絨の着付に赤地錦の裃。団十郎型の渋い好みの衣装と違い、派手で様式的だが、衣装は文楽の熊谷と同じ。また、顔も団十郎型は砥粉なのに芝翫型は赤っ面で、団十郎型の沈着さに対して剛毅さ荒々しさが強い。それは芝翫型の熊谷は漢盛りの若さを感じさせるのに比べて、団十郎型の熊谷はやや老けた印象を与えるという事に通じる。
 芝翫の熊谷は花道の出が実に立派。最初は団十郎型と同じく懐手をして物思いに耽りながら歩みを進めるが、七三で開眼して舞台を見る。ここで熊谷はやや右前方に体を振っている。手に数珠を持ち憂いの表情を見せると本釣りの鐘の音が聞こえる。数珠を袂に入れて両手で袴を叩く事で気を変えると、体を正面に直す。この時、手を袖に収め袂を突っ張った形で決まると本舞台に向かう。
 団十郎型の熊谷も最初は沈んだ表情で登場し、七三で気を変えて本舞台に向かうのは同じだが、内面の一貫性を重視して前後の変化をあまり際立てない。しかし芝翫型は気を変える前後で明白に違う。その様にハッキリ表現するのが芝翫型の特徴なのだ。
 また、芝翫の熊谷は気を変えた後が誠に大きくて立派。派手な衣装と赤っ面のマスク、そして団十郎型よりも様式的な動作が一体となって錦絵の様な美しさだった。しかもそれは厚手でグロテスクでコクのある美しさなのである。
 僕は八代目幸四郎の熊谷を思い出した。八代目の熊谷を見たのは昭和52年12月南座顔見世。団十郎型だったが、彼の立派さ重厚さは子供心にも強烈に印象に残った。芝翫の熊谷はそれとよく似ている。
 本舞台に来て、制札と桜の前でしばし佇んだ後、陣屋に入ると、軍次の後ろに相模が控えているのに気付く。団十郎型では立ち止まってギックリし、竹本の「妻の相模を尻目に掛け」に合わせて動揺を示すが、それを振り切る様に両手で袴の前を叩いて二重に登る(芝翫型の熊谷が花道七三で袴を叩いたのはこの件を持って行ったのだろう)。一方、芝翫型の熊谷は相模に気付いても立ち止まらずツカツカ進み、三段に足を掛け振り返って相模を睨む。ここはツケ入りの見得である。
 この様に団十郎型は内面の揺れを繊細に表現するのに対し、芝翫型では動きが大胆で派手である。芝翫の熊谷はこの箇所でも若々しさに溢れ、妻が陣屋にやってきた動揺を背中越しの見得でハッキリと示していた。
 三人が二重に上がると、座った熊谷の前に軍次が煙草盆を置き、熊谷が煙管を手にする。ここは団十郎型では煙管でなく軍扇を手にする。芝翫型は寛いだ感じで団十郎型とは別種の味わいがある。
 軍次から梶原来訪の報告を受けて下がらせ、相模に声を掛ける。団十郎型は「やい、女」だが、芝翫型は「こりゃ、女房」。これは芝翫型が断然良い。「やい、女」は妻を蔑んでいる様に聞こえるし、「こりゃ、女房」は妻に対する情がある。芝翫の熊谷は相模に対して強く言いながら情が感じられた。
 この後、相模が息子が心配で東から訪ねて来たと言うので、熊谷は戦場では身の安全を気にしては功績は上げられないと叱りつけ、小次郎は手傷を負ったものの大きな軍功を上げたと言う。ここは芝翫の熊谷と孝太郎の相模が夫婦の会話になっていて良かった。
 熊谷が平家の無官大夫敦盛を討ち取ったと語ると、上手屋台から懐剣を振りかざした女が飛び出す。熊谷は女を組み敷くが、相模から藤の局と知らされ、平伏する。ここは団十郎型では刀を投げ出して後退りながら這いつくばるが、芝翫型では後退る時に猛ダッシュし、定位置に至るとジャンプして平伏する。やはり派手でアクティブ。また、芝翫の熊谷がいかにもそういう動きをする人間になっている。型が活きているのだ。
 藤の局がなぜ敦盛を殺したのかと詰め寄る件。相模からも敦盛は藤の局の子だと知っているのだから、逃がす事も出来たのではないかと問われ、熊谷は戦場では命のやりとりをする真剣勝負、「誰彼とて容赦無かろうが!」と叱りつける。それを聞いた藤の局が一旦収めた刀に再び手を掛けるが、これに対する熊谷のリアクションが芝翫型と団十郎型では異なる。団十郎型は這いつくばった形で藤の局から逃げようとする。一方、芝翫型ではその場で巌の様に座ったまま左手を横前方に出して藤の局の動きを制す。ここも芝翫型の方が優れている。というか、団十郎型がどうしてこんな動きをするのか理解できない。熊谷ほど剛毅な武士なら、藤の局ごときが刀を抜こうとしても逃げる必要は無い筈だ。芝翫型の方が熊谷の人間を正しく捉えている。今回の芝翫のこの箇所を見て、そう感じた。
 熊谷が藤の局に敦盛を討った時の様子を語り聞かせる「物語」。ここも随所が団十郎型と異なる。熊谷はまず戦場の混乱と殺気だった情景を描写するが、軍扇を用いた動きが大振りで、団十郎型よりもキッパリした印象を受けた。その後、海上を馬に乗って進む敦盛を見つけて呼びかける件になる。ここで「おおおい、おおおぉい、うおおおぉい」と三度の呼びかけの音程を段々上げていくのは団十郎型と同じだが、熊谷が敦盛に追いついて組み合って戦い、敦盛が落馬するまでの描写は非常に勇壮かつ豪快で、全体的に団十郎型よりも派手な印象を受けた。
 それから熊谷は一旦敦盛に逃げる様に説得するが、敦盛は拒絶し、潔く討たれようとする。ここも団十郎型と動作にさほど大きな違いはないが、芝翫型ではそれまでが団十郎型より動きが派手なので転調が鮮明だった。もっとも過去2回では今回ほど鮮やかな印象を受けなかった。おそらくそこに至るまでの動きが外面的な派手さだったため、熊谷の情深さが浮き彫りにならなかったのだと思う。その意味で今回は内容が充実したと言える。
 ここから物語は再び派手になる。二人の様子を源氏の武将平山が見ていて、熊谷に敦盛を早く討てとけしかけるのだ。ここは義太夫の曲調が高揚し、それに合わせて熊谷は大見得をするが、団十郎型では開いた軍扇を天地逆さにして左手で持ち、その左手を腹の前に掻い込む。右手は胸の前に掻い込んで左の片膝を着き右足は三段に下ろしたポーズで見得をする。一方、芝翫型は左手は横に伸ばし、右手は上に伸ばして開いた軍扇を掲げ、左の片膝着き、右足を三段に下ろす。しかも口をカッと開ける。団十郎型では口を閉じている。
 両者を比較すると、団十郎型の平山見得は力が中心に向かって収束する印象だが、芝翫型は外側に向かって解放するイメージである。団十郎型は敦盛を内心では助けたいという二重の肚の含みがあって、それを包み隠す葛藤がこの形に凝縮している。一方、芝翫型は葛藤を内省ではなく興奮という形で外的に発散している。カッと口を開くのも両手を伸ばすのも絶対絶命の状況で本心を隠すための威嚇行動なのだ。したがって芝翫型の平山見得は団十郎型より開放的であり野放図であり卑近である。しかしそこに芝翫型の核心があり、魅力がある。今回の芝翫の平山見得を見て、その事に気付いた。
 結局、熊谷は敦盛を討ち取る。そこまで語って物語は終わり、熊谷は首実検の準備のため奥に引っ込む。
 相模が藤の局を気遣い、焼香台を持って来させ、二人で焼香する。藤の局が青葉の笛を吹く。いつもはサラッと見過ごす場面だが、今回は御影浜で弥陀六から敦盛の形見として受け取る件を見せているので、藤の局の哀れさが引き立つ。笛の音に合わせて上手屋台の障子に人影が映る。藤の局が「我が子か」と叫んで障子を開けると、中には敦盛の鎧兜が飾られているだけで人はいない。藤の局と相模が、敦盛恋しさのあまり鎧兜を人と見間違えたのかと嘆く。ここもいつもはあまり心に響かないが、今回は一入哀れに感じた。
 特に障子に映る人影が鎧兜だったという件は、御影浜で敦盛と思しき少年の姿が弥陀六にしか見えず、いつの間にか姿を消すというミステリアスな件と密接に照応している。これは敦盛という不在者(あるいは非在者)を舞台上でどの様に表現するのかという問題であり、そのために本作には伏線が緻密に張り巡らされている事を痛感する。伏線については、この場の終盤で鎧櫃の中に潜む敦盛という形で登場するが、それについては後述しよう。 
( この稿続く 11月24日所見 )