かつて、霊能の力が最も強かったのは、伝法灌頂を授かる前の頃である。
多くのものが視え、聞こえ、感じられた。
…善き存在も、そうでないものも。
その力で人の役に立てたことは、私にとって大きな、大きな喜びだった。
けれど同時に、常に周囲の気や人の念を受け取り、心も身体もすり減っていった。
今にして思えば、あの頃の力は “我” や “外の声” に揺らいでいたのだと思う。
お不動さまの御前に立つようになってから、今はすべてが整えられた。
私の力は浄められ、真に祈りに応じる為の力へと昇華された…
今はもう、私が動くのではない。
お不動さまの御意に従い、必要な時だけ力が働く。
その静けさの中にこそ、真の幸福を見た。
…これが、私の道である。
霊能とは、特別な力を誇るものではない。
昔の私は、きっと誇っていたのだと思う。
今はただ、己の心を清め、お不動さまにゆだねるほどに自然と働いてくださる “光” なのだと感じている。
そして今、霊能力を活かして人々を助けておられる方々もたくさんいらっしゃる。
中には自らの人生をかけて苦しむ人を支え、見えぬ世界と人の心の橋渡しをしておられる方もいる。
そうした方々は尊く、深い慈悲の心に導かれているのだと思う。
霊能とは、持つこと自体が目的ではなく、
“人を癒やし、救うためにどう使うか” にこそ意味がある。
その祈りの根底に “愛” と “誠” があれば、どんな道であっても尊い。
ただ一つ、忘れてはならないのは…
その力は神仏からの “お預かりもの” であり、決して自分の所有物ではないということ。
だからこそ、それをもって人を惑わせたり、金銭欲に染まったりしてはいけない。
見えぬ世界に関わる者ほど、謙虚でなければならない。
みえぬ世界の道とは、誇りではなく、奉仕である。
その心を忘れぬよう、今日も祈り続ける。
