前回の記事で
しっぽちゃんの死期が近いことを
書きましたが、



その2日後
2月22日の朝にしっぽちゃんは
亡くなりました




21日には、
ほぼ寝たきりになって
水分も摂れなくなり、



3時間おきに
寝返りをさせていました



私や夫が近付いても
全く反応はなく



体は冷たくて
呼吸を確認しないと
生きているのか死んでいるのかも
わからない位でした



それでもまだ、
深いゆっくりとした腹式呼吸は
安定していて



死期が近付くと
口呼吸になると読んだので



すぐに亡くなる訳ではないのかな?
っと思っていました



我が家は
寝る時は3歳の娘と
犬2匹と同じベッドで寝ていて



猫たちは犬も子どもの嫌いな為
寝室に連れて行けません



その為、この日は
猫部屋にお布団を持ち込んで
夫のめがね氏が
しっぽちゃんと一緒に寝ることに



私は寝室で寝ていたのですが、
22日の朝4時頃
黒猫のたいちゃんが鳴いて煩くて
起こされて



猫部屋のしっぽちゃんの様子を
見に行くと



相変わらず
ゆっくりとした腹式呼吸をしていました



しかし、私が寝返りをさせて
撫で撫でしていると



吐き気がするようで
2度吐こうともがく様な仕草をして



そのうち、
口呼吸が始まりました



とてもゆっくりとした口呼吸で
呼吸をすると
ガリガリの体の
お腹の方まで膨らむのがよくわかり



まるで
全身で呼吸をしているかのようでした



苦しいのか
時々、手足をバタバタと動かす時があり
見ていてとても辛かったです



このまま死んでしまうのかな?
と思ったのですが、



20分位すると口呼吸は治り、
また深い腹式呼吸に戻りました



腹式呼吸を見守って
少しでも体力を回復させるために
私は寝室に戻りました



これが私が
生きているしっぽちゃんを見た
最後になりました



4月から会社の独立を控えて
多忙で睡眠不足なめがね氏も
この後寝てしまい



7時半頃に起きた時には
もう息をしていなかったそうです



私の実家の猫を看取った時
最期の最期の数分間に



ガリガリを通り越してカリカリの
その体のどこに
そんな力が残っていたのかと



こちらが驚く位の勢いで
もがき苦しみ暴れて暴れて暴れて



首を絞めてラクにしてあげた方がいいの?
っと悩みながら看取った
辛い辛い記憶があります



2020年に亡くなった
ケネディの時は最期の最期は
安楽死だったので
文字通り眠る様に亡くなりましたが、



しっぽちゃんは自宅での看取りの為
実家の猫のように
もがき苦しみ亡くなっていくようだったら
どうしようと思っていました



でも、寝ていためがね氏を起こさず
静かに息を引き取った事を考えると



眠る様に亡くなったのかな?
と思っています



1週間前の土曜日は
しっぽちゃんは
ガリガリに痩せてはいたけど
まだ元気で



1週間後には
もう亡くなっているなんて
夢にも思っていませんでした



高齢で急激に痩せて
アラートは出ていました



もう何年も一緒にはいられないと
わかっていたけれど



それでも、どうしてか
人は今日と同じ明日がまた来ると
笑ってしまう程
純粋に信じてしまうのですよね



自分が生きている事
大切な誰かも生きていてくれる事



それは奇跡の様な幸せな毎日なのに
それが当たり前になって



明日もまた今日と同じ
普通の日々が送れると
根拠もなく信じ切っている



今回のしっぽちゃんの死を通して
こうした自分の傲慢さに
気付かされました




可愛い可愛いしっぽちゃん





沢山の楽しい思い出をありがとう
また会おうね