先日の病院帰りに薬局でインスリンを処方してもらうとき、薬剤師に「単位はいくつですか」と聞かれました。最初は何のことを言っているのかわからず「何の単位ですか?」と聞き返すと、「一回に投与するインスリン量です。処方箋に書いてないので」と言われ、しばし考え込んでしまいました。

 

発症時からカーボカウントを当たり前のこととして始めていたので、単位数を決めて打っている患者さんがいるのかということに驚いたし、薬剤師が当然のように聞いてくるところからして、この界隈ではまだ決め打ちが一般的なのかと思えば、何だか複雑な気持ちにもなりました。少し前まで院内処方だったので今になって知ったことだけれども、いいのだろうか、それで。

 

時々感じてしまうのは、病院で聞く他の患者さんの話と、それ以外で知り合う患者さんたちと、あまりにもギャップが大き過ぎるということ。

 

病院では、意外なことに私はかなりの優等生扱いです。あげく「病院主催の1型患者会で話をしてくれないか」などと頼まれてしまい、褒めてもらえるのは嬉しいんだけれども、まだ経験一年余りの私なんぞが偉そうに何を話せっていうのかと思ってしまいますが、チラホラと他の患者さんたちの様子を窺い知るに、しっかり管理できていない人が大多数のようで、しかしそれもどこまで本当なのかなあと不思議に思うんですよ。

 

同じ1型患者さんのブログを見たり、横浜VOXみたいなイベントに集まる人たちと話したりしていると、皆さん日々の管理を向上させるべくそれぞれ努力しておられますし、自分なんてまだまだ甘いなと反省することばかり。そういう姿が普通なのだと思ってたのに、両者を見比べて、本当に同じ1型なのかと疑問に思うくらいの落差がある。

 

同じ病院の患者さんでも、患者会に出てくるような人たちは皆さん自覚をしっかり持った人ばかりだと思いますが、でもねえ、いるんですね、本当に出来ない人たちというのは。

 

そういう人たちを見下すつもりで書いているわけではないんでそこは誤解してもらいたくないのですが、医師に言われた通りの量を打ち、言われた通りの食事ができずに「これくらいなら構わない」と勝手に甘いものを食べ、悪化したらしたで、医者に何とかしてくれ、と。どこまでも他人任せ。人間なんて弱くて愚かな生き物ですから、もうそれはなんちゅうか、仕方がない。

 

知人の看護士が以前、こんなふうに言っていました。

「糖尿で入院してるのに、平気で菓子パンを買ってきてベッドの上で食べてる患者とかさ、いるんだよホントに。一人や二人じゃないから。いくら言っても聞かないんだよ、そういう人たちは。死にたいなら勝手に死ねばいいんだよ」

看護士が本音のところでそう思っているんだから、まあそういうことなんでしょう。

 

「カーボカウントすら満足にできない人がたくさんいる」という事実、「糖尿病という病気の怖さを認識すらできない人がたくさんいる」という事実、そうした事実を前提にして医師や看護士たちは患者たちと向き合っているんですね。大変だなあと思います。

 

そういうダメダメな人たちをも救うために、医学界は一所懸命研究を重ねているわけですが、医療技術が進歩しても、それに甘えて肝心の人間たちが退化していくのであれば、虚しい話です。少なくとも1型においては、「医者が何とかしてくれる」と安心する人々が増えるのが、はたして良いことなのか。進化こそが善、みたいな唯物史観的なものの考え方には、どうしても懐疑的になってしまいます。

 

進化と人間の幸福は比例するわけじゃない。幸福な社会であるために最も必要なのは、何なのか。人間が失ってはならないものは何なのか。などと考える今日この頃です。