2016年7月16日(土)

 

 

〇 今日の体調

 

体温  36.8℃

 

血圧  102-68

 

 

 ・ やや不調

 

抗がん剤治療

 

( アブラキサンジェムザール併用療法 )

 

6クール目  第2週 の3日目

 

 

【 副作用 】

 

1 倦怠感

 

2 立ち眩み、眩暈

 

3 食欲不振

 

 

 

 

【 お断り 】 

 

前回予告した、「治験、臨床試験などの情報」については、只今継続収集中なので、次回以降に延期します。

 

 

 

 

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都会・下町・里山の三つのエリアで再現する

昭和にっぽん鉄道ジオラマ (40、41号)

 

 

完成予想図

 

 

 

 

 

今日は、関連性がある第40号第41号を製作しました。

 

 

 

 

【部品一覧】

 

第40号

 

 

 

第41号

 

 

 

 

1 ディスプレイ台(都会エリア)

 

今号と次号では、第39号で組み立てた枠組みに手前側と左側の枠を加えます。その後、残りの土台板を設置して、都会エリアのディスプレイ台の完成です。

 

表面

 

 

裏面

 

 

 

2 工場

 

下町エリアに設置する工場を組み立てます。まずは、第40号で3棟の建て屋をつなぎ、第41号で残りの部分を組み立てました。

 

4本の煙突といえば、昭和38(1963)年まで稼動していた足立区の千住火力発電所の煙突「お化け煙突」と呼ばれ、下町のシンボル的な存在でした。この模型とは異なりますが、4本の煙突がひし形に配置されていたため、見る場所によって1本や2本、3本に見えました。

 

 

 

 

 

 

Rainbow 2     Rainbow 2     Rainbow 2     Rainbow 2

 

 

あの日あの時 昭和の風景

中央線沿線随一の規模、中野駅

~ 木賃ベルト帯の中心 ~

 

営団地下鉄東西線が乗り入れ、中央線随一の規模を誇る中野駅。周辺に木造アパートが多かったため高度成長時代に流入人口が増えて、若者層を中心に多数の入居者が見られました。

 

 

昭和39(1964)年の中野駅北口広場。正面の中野美観商店街は、後のサンモール商店街。昭和40年代、中野区の人口密度は23区平均を大幅に上回る人口密集地域でした。

 

 

 

昭和41(1966)年、中野駅乗り入れを翌日に控え、試運転を行う営団地下鉄東西線。東西線の乗り入れによって、中野駅は島式ホーム4面8番線を有する中央線随一の規模を持つに至りました。

 

 

 

(上の記事は、「昭和にっぽん鉄道ジオラマ 第41号」から転載しました。)

 

 

 

 

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