本日、8月26日は弟の45歳の誕生日。
の、はずですが、45歳の誕生日を迎えることなく旅立ちました。
旅立って、2ヶ月が過ぎましたが、まだ信じられない気持ちです。
一緒に住んでたわけではないので、入院してるんだろうな・・・くらいの感覚。
ただ、LINEしても返事は返っては来ない事は、わかってる。
胸腺癌とわかって9年。
ずっと闘ってきました。癌の前から闘病はしていたんで、最初の病気からは20年以上の闘いでした。
学生時代に胸腺腫の手術をし、数年後に重症筋無力症を発症。そして、9年前胸腺癌と発覚。
弟とは、子供の頃は喧嘩ばかり。でも、大人になって、一緒に遊びに行ったり、ご飯食べに行ったり、仕事の話をしたりと、多分仲良い姉弟だったと思います。
車で5分くらいの所に住んでいたけど、コロナ禍になり、なかなか逢うことも出来ず。もし自分が無症状で持っていて、弟に感染させたら重症化させてしまうのが怖く、なかなか逢えなかったのが悔しい。
最期まで諦めず、きつい治療を続けてきた。最期の入院も、治療の為に入院していた。
入院先の病院では、『もう出来ることが無いし、抗がん剤も止めるから、胸水が溜まってきてきつくなってくるので、覚悟するようにと言われた』と、LINEがきてた。
胸水が溜まると眠れなくなるから、続けたいと言ったが、拒否されたと言う。
姉はこんなに元気なのに、なんで弟ばかりきつい思いをしなきゃいけないんだ・・・と、話をした時も、弟は『こんなきつい思いをするのは自分だけで充分』と言った、優しい子。
姉は、こんなに気が強く、自分勝手な我が儘な人間なのに、我が家の家系では珍しいくらい、優しい子だった。親からも、姉と弟の性格が逆なら良いのに・・・って言われたくらい。
弟の奥さんがとっても良い子で、最期まで寄り添ってくれた。
弟は、彼女に出逢えて、最高に幸せだったと思う。2回目の結婚記念日は迎えられなかったけど。
結婚式も、新婚旅行も行けないままだった。
彼女にも、彼女のご両親にも感謝しかない。
相手がバツイチってだけでも、抵抗あるのに、癌とわかってて結婚を許してくださった。
弟はこれから先の事を考えると、結婚に踏み切れずにずっといた。なのに、彼女のプッシュの方が大きかったのか?2年前に籍を入れた。
弟は、結婚を誰にも反対されなかった・・・。こんなに反対されなくていいのかな?・・・・と言ってたくらい。
彼女のご両親には、私も私の父母も、親戚も感謝しています。それ程、素晴らしい方です。
最期の入院では、感染防止対策の為、面会も全く出来なかった。
LINEでちょこちょこ連絡はとっていた。亡くなる1週間くらい前は、調子が良さそうで、食べ物の差しれをお願いされてたくらい。身体の為を思って、ダメだよ・・・・って、差し入れしなかったけど、今となっては食べたい物食べさせてあげれたら良かった・・・って思う。
調子が良いな・・・と思ってた2日後くらい、急に息が苦しくなったから部屋を移動したと。
でも、まだLINEで連絡は取れてたくらい。
亡くなる4日前、元々は病院から転院の話の予定があり、呼ばれていたが、状態が厳しい事を話をされた。
ずっと闘ってきた身体は、いろんなところが悪くなり、肝硬変にもなっていたし、腎臓も悪くなってきてたし、腹水も妊婦さんの様になっていた。足もパンパンで、足から水分が出てくるほどに。
それでも、諦めず、本人は頑張っていた。病院から、もう出来ることがないから、転院を言われた時も、諦めず自分で放射線治療を提案し、やってみることになり、治療してた。
こんなにあっと言う間に、亡くなると思ってもいなかった。
厳しいと言われてからは、弟の奥さん、私、私の両親と病院での時間を過ごした。
呼吸が苦しくなり、モルヒネを使い出し、最初はまだきついなりに意思の疎通が取れていたが、苦しさが増すので薬の量も増え、ずっと寝てるだけ。苦しくて、ベッドに横になることが出来ないのが数日続いてたので(ずっとベッドに座ったままウトウトしか出来なかった)、ベッドに寝れるのが身体は楽そうには見えたけど。
亡くなる30分くらい前から、酸素飽和濃度が下がりだし、急に心拍も下がりだし、亡くなった。
その間、医師は一度も来なかった。看護師の方が『先生呼んできます』と、言って出て行ったが、医師はその間一度も弟を診に来てはくれなかった。
息を引き取った時、病室にいたのは私と弟の奥さんだけ。
急変した時、ドラマの様な慌てた先生達の姿なんて全く見ることはなく、現実はこんなもん?
モニターは付けられてので、心電図が止まったくらいで、医師は死亡確認にやってきた。
私達には、死亡したから確認に行くか・・・くらいにしか、思えなかった。
亡くなった時には、悲しさの方が大きかったので、そこまで思えなかったけど、しばらくしたら、なんであの時医師は来なかったのか?病院なのに、亡くなった時に医師も看護師もその場にいないって?って、無性に悲しく悔しくてならなかった。
しばらくして、担当医師に話しに行った。
『本人が蘇生処置は望まれていなかったので・・・』って。
それを、聞いたのは亡くなってからの話。その病院では、延命処置を希望するか?しないか? 口答だけで、書面での確認を取ってないらしい。
本人が望まなかったからって、医師も看護師も誰も来ないってどうよ?
立ち会ってなければ、弟は誰にも見送られないまま息を引き取ってたかもしれない・・・と思うと、悔しくてならなかった。
他に急患があったのかもしれない。助かる命の方を優先するのは正しい事だと思う。
医師だって休憩してたのかもしれない。人間だもん、休憩だって必要。だけど、当直の医師って1人なの?
死亡確認に来ました・・・・ってタイミングで、慌てた様子もなく入ってきた。
大きな病院って、こんなもの?
私も、弟の奥さんも、絶対この病院では死にたくないと思った。
大きな病院は、最先端の治療だし、医師だって沢山の経験と勉強が出来る、医師が育つ所だと思う。医師が育たなきゃ、医療は進んではいかなし、助かる事もできない。だけど、病気の事だけじゃなく、患者や患者の家族に対しての思いやりが欠けてると思った。
きっと、医師だって、自分の家族なら、もっと向き合うでしょ?って言ってやりたかった。
そんなひとり一人に向き合ってたら、仕事がこなせないのかもしれないけど、私は動物の看護をしてて、自分の子(猫)がされたら嫌だと思う事は、職場でも気を付けて看護してるつもりなので、その気持ちがわからない。
コロナ禍で、医療崩壊寸前と言ってる時代に、何言ってるんだ?って、言われるかもしれないけど、私は悔しくならなかった。
医師が来ても、亡くなってたと思う。でも、『本人は蘇生処置は希望されてませんでしたが・・・』と、その時に寄り添って貰えてたら、私達の気持ちも違っていたと思うが、なんか見捨てられてた気がした。
弟の癌は、希少癌であり、検査技師をしてた弟は、癌がわかった時に、『亡くなったら今後の医学の為に、解剖して欲しい』と、言っていた。ここ数年は、その話はしていなかったけど、以前臓器提供カードも持っていたくらいだったので、母は嫌がってたけど、本人の希望だったと言うことで、解剖を行った。
そんな、優しい子だったのに、なんでこんなに早く逝ってしまったのだろうか・・・・。
未だ、弟の奥さん、私、母は、受け止められずにいる事も多い。
亡くなった後、私は母が体調を崩してしまうのではないか・・・と、心配していたが、母よりも葬儀の後に体調崩したのは父の方だった。
弟と父は、仲が良いとは言えなかった。男同士というのもあるが、あまり一緒にいなかったし、会話もあまりなかった。
弟が亡くなる前の数日、父も病室に来ていた。父は、こんなに長い時間一緒にいたのは、始めてかもしれないと言ったくらいだった。
亡くなって、写真を探したりするが、私の中には弟と一緒に写った写真は、あまりない。
ここ数年は、一緒に出かけられなかったので、尚更無い。
動画なんて、全く無かった。
なかなか兄弟や、親子で、この歳になって一緒に写真を撮る事なんてない。
でも、撮ってください。いなくなってからでは、写真撮りたくても撮れません。
動画を見ると、嬉しい気持ちになります。
亡くなってからでは、思い出は増えません。
皆さん、照れくさいかもしれませんが、いなくなって望んでも決して手に入らないんです。
写真や動画は、沢山撮影されてください。
弟との写真があまりないことも、今の私の後悔です。