大事故勃発  1984.8.4. 11:40pm

おっかなびっくりしながらモタモタと、なんとか通常営業を続けていた。

初年度ながら1ケ月を経過し、大体の様子とペースを掴み、愛すべきオッサンは少し安心して、従業員に店を託し、先約の同窓会で有馬に行った。ゴルフコンペも終わり、宿での宴会で目糞と鼻糞どうしが、“タラ・レバ話”をしながら盛り上がっていた。


深夜12時頃か?  部屋のテレビが  <<須磨海岸で・・・・・・・・・・>>  と言ったような気がして何気なく振り返ると、見覚えのある光景が・・・・・


 ではなく、まさに「クロンボ」ではないか!!!!!


隣接店も巻き込んで3軒が全焼、2軒が半焼、


画面にはまだ煙が漂っている。



同時に家からも電話が入り、腰を抜かしながら現場へ!

消防車は引揚げかけていたが、騒然として、多くの野次馬と茫然とたたずむ店主・関係者。

煙が焦臭い。

店の跡形も無い。

明日の土曜日に備えての仕入れ食材もドロドロに。


全てが真っ黒でグチャグチャだ!



それより、細い道1本をはさんだ北側の民家(少し被害があった)や人に大きな被害を与えなかった事でホッとする。

聞けば、店のプロパンガスのボンベにも引火爆発し、一時近隣住民も避難させられたらしい

       申し訳ない------では済まないが-------



原因は、ハッキリしないが、店舗の間の隙間(壁と壁の間、通路)で花火をしていた子供の火が、保管していた昔のトラックタイヤのゴム浮き輪に移り、それから----という噂



朝方になり、店の従業員もボツボツ顔を出し、現場を見て、店が可哀想と泣き出す女の子、唖然とする男の子


オッサンとしてはガキの頃から夏休みには友達と毎日のように歩いて須磨の海に泳ぎに行って魚を突いたり、貝を採ったり、魚釣りをしたりと格好の遊び場所であった。

本業の1部門として、懐かしい場所で営業ができるのも何かの縁で、それだけでも“好し”とした。

この度の災害は、迷惑は掛けたが、人を傷つけなかった事を幸いと考え、一面ではよくある事業上の雑損の発生で、損金で落とせるし、まぁ、しゃあないナァ-----と思っていた。

むしろ自分より、純粋に出来事に感応してひどく落ち込んでいる店の子や、この後の営業を心配している店長を見て、オーナーとして嬉しくもあり、その若さゆえのピュアーなハートを羨ましく思ったり・・・・


わずか2ケ月の短期決戦のうちでも、更にそのピーク期間は学校の夏休みの始まりからお盆までの正味25日間で、最も好い時期の真ん中での出来事。事業としては予期せぬ損失の発生と、係わりのある人々に迷惑を掛ける事になったが-----申し訳ない・・・・・・    

今シーズンの再建・再開はやめた。       

あとは、その後の須磨海水浴場と罹災していない店の営業に迷惑が掛からないように、早く残材の撤去・片付けだけ-------



こうして、初年度はフィナーレを迎えた。