ご報告があります。
色々ありましたが、本日、一般社団法人うまれるが、産まれました!
使命をまっとうすべく、全力で戦います。
まだ、一円も動いていませんが、日本を変える事業モデルができてきましたので、また聞いてもらえたらと思います。

昨日が、お父さんお母さんの結婚記念日。
そこから5人が産まれて、さらに17人が産まれて、
そこから法人が産まれました。
いろんな運命と使命を感じる今です。

2023年9月23日。
東京で、子供4人以上の経営者飲みがあり、10人が集まりました。そこから現在子供4人以上の経営者が130世帯。子供の数は、650人を超えました。1番多い方は11名。
半端なしです。

なぜ法人化したか。
その130人の経営者にききました。
なんで社長になったのか?

答えは意外で、子供4人以上になって、時間もお金も、会社員では成り立たない、消去法で社長をやってると。

企業の9割が10年以内に倒産しています。
もしかすると、消去法で経営を始めた方が負担ではなくリスクを背負って頑張ったのに、倒産してしまっている可能性を考えると、いてもたってもいられなくなり。
子供が増えれば増えるほど、豊かになる社会を作るために、法人化した。

うまれるは、子供3人以上の家庭に、ドネーションが落ちる仕組み。
毎年70万人が産まれてますが、10%は、三人目。
毎年7万世帯にドネーションがでる。10年経てば、70万世帯。
この今やマイノリティーの子だくさん世帯の声を政策提言する。
さらに行くと、子供の数だけ選挙権がある状態にしたい。
未来を作るのは、子供たち。
このビックファミリーの子供たちは、親に習って、子だくさんになる可能性が高い。
そんな子供らのためにも、今変えないといけない。
そんな想いです。

ということで、19歳の時に何も保証なくオーストラリアに無鉄砲に出た時の、ワクワク感と同じ気持ちで、新しい挑戦をスタートします!

よろしく!

3女、最後の送迎。

4女は、後2年。まだまだあるな(^^)


3女と一緒に歩いていると、

「パパ、これ見て。先生に渡すんだ」


カードを見せてくれた。

4年間お世話になった保育園。

各年次の先生たちの名前を言いながら、なんかちょっと寂しそう🤏


これからウルトラ楽しい小学校生活が待ってるぞ!

お姉ちゃん達が、最高な楽しみ方を教えてくれるはず^ ^


保育園の先生たちのお陰様でなんとか3人が卒園。

ラストワンマイル?楽しんでいきたいと思います(^^)







三女の卒園式。
とっても穏やかなクラスメートと親御さんと過ごさせて頂いた4年間。
本当にありがとうございました😊

最初、東京に来て受け入れ先が無く、姉妹バラバラの保育園に送り迎えしてて、なんとか全員が一緒に通える保育園が見つかったのも、自転車で4キロ先。

電動チャリに、リアカー引いて、海岸通りを爆走していた^ ^
雨の日も、風の日も、雪の日も。
その頃は、まだ2歳だったことを考えると、よく頑張ったな。

上2人と対等にやりつつも勝てるわけはなく、
下の子には優しい3女。
1番愛情求めてるけど、表現が下手くそ。我慢をたくさんしてるんだと思う^ ^
お疲れ様でした。

色々大変だったなぁとかありますが、いい思い出に感謝です。

さて、来月からは小学校!
新しい環境で、ハッピーライフを!

そして、まだ保育園にはもう一人。
先生の皆さん、引き続きよろしくお願いします🙇‍♀️









3日間の4姉妹のワンオペウィーク。

最近、妻も毎月出張が入るようになり、更なる協力体制が必要に。

とは言え、一人ではハードな部分もあり、長女にサポートしてもらうことは多分にある^_^

そんな初日から、長女と四女が謎の熱。。
いきなり、保育園受け入れができなくなり、リモートに切り替えさせて頂いた。
会社の環境に感謝です。

2日目には、サクッと元気になってもらい、通常モードに。
朝から晩まで、全力で過ごす子供らは頼もしい。
そして、寝落ちするまでの一分一秒まで、遊びにエネルギーを出し尽くす。
子供の仕事は遊ぶこと!と、よく言いますが、本当その通り。
大人も、寝落ちする一分一秒まで、仕事にエネルギーを出し尽くすもんです^_^

3日目は、偶然にも4姉妹が家を出るタイミングが一緒だったのでちょい話。

私「なんか、4人一緒に出るって、久しぶりやね。あ、3女は今週末卒園やけん、こうやっていくの最後じゃない?」

長女「え?何言ってんの?卒園式ってあるけど、その後も普通に保育園行くんだよ。とりあえず卒園式よ。」

私「え!そうなん!?」

父親よりも長女の方が、子育て環境に詳しいようです^_^
5年前は、あなたが卒園目前という状況だったのに、今となっては頼もしすぎる!



年末、家の掃除をしていたら一枚の手紙が出てきた。

平成7年4月21日 うちの父からの手紙だ。
1995年だから、高校入学の時にもらった手紙だと思う。

30年ぶりに、封をあけた。

手紙は、私が産まれた時に作ってくれた詩から始まり。

私の人生への期待が込められている内容でした。当時は難しすぎて、何も理解できていなかったと思う。

その中の一文
⇩⇩

人生は山もあれば谷もある。
谷のどん底に落ちるような困難な状況に陥った時、そこからどう這い上がるか。確実な登り道を見つけなければ上がることはできない。そのためには、確かな人生哲学が必要です。困難な状況をバネにする人間力が必要です。

〜中略

青年期は、何事に対しても愚痴を言わずチャレンジすること、前向きに捉えることだ。それが自分の力となる。

小さな人間になってはいけない、大きな心を持った大樹になってもらいたい。そして、日本という小さな舞台ではなく、世界という大きな舞台で乱舞してもらいたい。
これが光雄に対するお父さんの期待です。

🟰🟰
中学生の頃は、人見知りで人前で話すことが苦手で、小心者であった。電車で20分移動することすらビビっていたぐらい。

そんな私にとっては、なかなか難しい内容だと今でも思いますが、この後、海外生活をすることになったり、大学院まで行かせてもらったのに、大手でもなく、学者でもなく、ベンチャー企業という道を選んだり。
当然ながら、たくさんの困難がやってくるわけですが、将来のさらに大きな困難を乗り越えるための準備運動ぐらいに、自然とポジティブに受け取り、なんとかここまできました。

どこか父の言葉をなぞっているかのようだとも思います^ ^

当時、父は47歳。今の僕とほぼ同じ年。
そう考えるとこの手紙の内容は、すごい。
まだまだ父の期待を超えられていませんので、待っといてくれ!