今、夏真っ盛り。(残暑に近づいている感じもしますね)
毎年のことですが、実家福島の母は自慢すべき桃をみつけては、適切な時期に糖度の高い桃を届けてくれます。
ただ、母の想いとしては、毎年毎年故郷福島を想ってほしいのか、
必ず送りたくてしょうがなかったようなのです。
ここ数年のことです。
この私がやっとその母の想いを受け入れられる体制になったのは...
今年になってようやっと娘は、夏の果物はなに?
という質問に、
「スイカ!桃!」
というように答えられるようになってるからこそ、母が想いを託して送ってくれる桃の季節感のありがたみを感じています。
信じられないことかもしれませんが、その昔、ミーハーだった私は、キャンペーンガールのような職業で生計をたてようとも検討した時期があります。
そのでだしが、18歳のころにした「ミスピーチ」。
何代目になるんでしょう>私がやった年代。
今の私は38歳。当時18歳でした。短大1年生の夏のことでした。
桃をPRできそうな大衆関連、関係するところには散々でむきました。
各県知事を訪問したり、もちろん首相官邸にも訪問したり。
毎年毎年ユニフォームが変わり、選ばれるミスにあったユニフォームをつくってもらいました。
当時のミスが結婚するたびに、それを着て歌をうたったり、なにがしかのおちゃらけをした記憶もあります。
すごいことです。
でも、それからかれこれもう20年が経過しようとしているんです。
20年前の私は....
福島の桃をPRするために、
制服をきたまま(たすきもしていましたし、帽子も常に被っていましたし、白い手袋も常にしていました)
日本国中のお茶の間テレビに出演したり、当時後楽園(今、東京ドーム)の巨人阪神戦をジャックしたり、
東海道新幹線も、飛行機も、北海道の当時国鉄も、全てユニフォームをきたまま、たすきがけをしたまま、福島の桃のPRのために走っていました。
「3時のあなた」の桃屋のPR時間にでたことがあります。
というのが、一番わかりやすいかもしれません。
NHKが一番リーチしやすい。という判断だったのかもしれませんが、当時のクイズ番組にも出演して、桃のむき方の正しい方法は?なんてこともやりました。
桃をPRする人だから、日焼けしてはいけないよ。
といわれながらも、どこにいっても私は日焼けどめを塗りませんでした。
生鮮食品のPRをするには、朝早くおきて、その地域の市場にでかけ、PRをすることも大事な仕事でした。
自分の歳と、その年月を重ねあわせて考ええみたら、20年って年月がものすごいことだ。
と、改めて感じたこの夏です。
昨年、何の気なにし、Googleで「ミスピーチ」を検索したら。
ミスターピーチまでいることを確認しました。
20年という年月は本当にすごいことです。
追伸;
ちなみによく聞かれることですが、選考基準はなんだったんですか?
お尻の形?水着審査?
--残念ながら、両方ともありませんでした。