私は、いつもこれに感謝しています。
働くということができている日常。
そして、働ける。という選択ができている日常。
働くことがすきだから、これに感謝しているんだと思います。
サラリーマン的日常で短大をでてからこれまですごしてきている私は、
自分の座れる座席が、一企業の中に設けてもらえていることだけで十分にありがたい。
という気持ちできた。
今もそう。
アメリカの企業ではよく「ピンク紙」といって、出社すると、自席にピンク色の紙がおいてあり、
本日○時までに退社せよ(辞めてください)
ということが指令される。
と聞かされてきた。
私もアメリカの会社の日本法人を2社経験してきているけれども、
こと、辞めてもらうことに関してはアメリカ本社だけではなく、日本法人内でも、とてもドライに会社側が対応してきており、かつ、それを受けた雇用者は、それにすぐさま対応してきていた。
日本の法律的には、そんなことはありえない世界かもしれないけれども、
企業側が雇用者に対しそこまでの極端な行動にでることは
両者にとってある意味無言のうちの理解が通じ合っていると思う。
会社が期待し、要求していることに対し、的確に答えをだしている人であれば
企業も決して放しはしないし、どちらかというと囲い込むことを考えるし、昇格も昇給もある。
翻って企業が期待し、ポジションも与え、選択肢も与えられながらにして、的確な答えもださず、
企業及びその組織に対し不適切な行動や、さもなくば企業の成長を止めるような行動が認められれば
企業側も極端な行動にでざる終えない。ということだと理解できる。
本当にその組織や企業に対してのメリットを雇用者側が理解をしていれば、
何かしらかが成長することにつながるわけで、
それは数値的にどこかしらに現れるものだ。
「がんばっていますし、何もやっていないわけではない」
それは誰だってがんばっているし、会社にでてきて何もやっていない人はいない。
だから、そんなコメントはありえない。
もしも、数値的にもしもどうしても現れないことをとにかくがんばっている。
ということを言い張りたいのであれば、
どうにかしてでも数値的表現を見出すことが大事で、それを提示することも大事なことだと思う。
でも大人になればなるほど、そんなにアホではないので、どれだけがんばっているかなどは
手にとるように理解しているし、数値的に現れない、実証しにくい仕事の類と思われる職種には違った対応をしているものだ。
自分の都合いいようにすり替え。
自分の都合に合わせ先輩からの指摘を封印し。
自分の都合の小さな世界のルールを組織や企業に影響させようとする。
そういうタイプに、働くということ、そして、働けるということの意味がどこに在住しているのか聞いてみたい。
数年でも、年を経て、数年でも経験値の長い人の意見は一瞬間違って見えるときもあるかもしれないけれども、時間が経過すれば理解できることが圧倒的に多いと思う。
環境のせいにしてもいい
自分の上司のせいにしてもいい
なんのせいにしてもいいけれども
圧倒的に自分のせい。
というのが多いことは確かなこと。
その会社を選んでいるのは自分だから、自分のせいでしかないから。