私たちは、小さな小さなユニットとして、サービスを手がけはじめました。

アメリカのサンノゼの田舎町、Milpitasという町があり、その一角にアメリカで働きたい!

というアーティストと技術修行者が集まり、日本人向けサービスを粛々と作り始め少したったころのことです。


会社名、なんてしようか?

なんて悩みに悩んだことがとても懐かしいです。

「Japan」と名づけた会社で成功した会社はないから、ジャパンをつけるのは反対!

といいきったことを覚えています。


事務所は市ヶ谷に構え、その後手狭になったこともあり、もうワンフロアを市ヶ谷に借りました。

その後、費用削減プロジェクトのため、片方のビルに全員集合!になり、非常に手狭なフロアとなりました。

広さに対し、人数とマシンの数があまりにも多いため、エアコンは効かないは、風通しも悪いわ。で大変な騒ぎでした。

楽天傘下にはいってから中目黒に引越しをし、1年後にヒルズに移転。

とにかく移転ばかりしてきたものです。


たくさんの人が、このサービスにかかわってくれ、そしてたくさんの人が旅立ってもいきました。

気がつくと、このワイノット(株)は、いつも30名強のスタッフで支えられてきました。

この30名強という一定の人数になったのが、事業黒字化してからのような気がします。

旅立つ人があれば、新たに仲間にはいってきてくれる人がいる。


いつしか...

小さなユニットだった私たちの意識も変わり

会社も会社らしくなり、

mtgには事前資料を作り、「時間厳守」などと声がけができる仲間たちに変化してきました。


いつも夜遅くまで会社に人がいて、

子供のけんかのような言い合いばかりが飛び交っていて、

今日は夕飯何にする?

と、昼も夜も一緒に食事をし、朝まで近所で飲んで、着替えてまた会社に戻る。

そんな生活から、どんどんと変化をしてきました。


どんな環境でもピンで戦っていける人々の集まりとなりつつあると確信しています。


社長になりたかった。

そして社長になった。

なってみて初めてわかった社長たちの悩み、辛さ、重さ。

下から上をみていた頃、なんて無頓着だったか。

なんて失礼をしていたものか。


反省の日々でもありました。

資金繰りにも耐えました。

赤字会社は黒字会社に変わりました。

投資家の方々とも話しもできました。

いろんな法律にもであえました。

いろんな勉強をさせてもらいました。

これこそ、社長業としてのOJTの日々だったと思います。

判断につぐ判断の日々だった毎日。

たくさんの大先輩方からも支えられました。


そして、社長じゃなくなります...。

社会人としての最高目標だった、このステージはこれで終了。


フォローの風に吹かれ流されててここまできた私。

また風を感じつつ、いい仕事をしていきたいものです。

--チャンスがあれば、また、社長したいカナ。