意外に思うかも知れないが、我々がよく耳にする大正文化、即ち大正浪漫文化は、当時のアメリカから渡って来た新文化の影響を色濃く受けている物が多い。

 

今日は、そんな大正浪漫文化におけるアメリカ新文化の影響について考察をしてみたいと思う。

 

「大正時代の文化と流行」の第一回目は、当時の女性について色々と語って行こう。

 

大正とは「女の時代」とも呼ばれる程に、都会において女性文化が大いに花開いた時代でもある。

 

「女を語らずに大正時代を語るなかれ」。

 

 

大正浪漫と聞くと、賢明なる読者諸氏は何を想像なさるだろうか。

 

ジャパンモダニズム華やかりし時代である大正時代、この時代におけるカルチャー・シンボルとして一番有名なのが、俗にいう「モボ」「モガ」であろう。

 

モダンボーイ、モダンガールと称される都会の若い住人たち、その中でも流行に機微な中間層や富裕層の市民を指す言葉として定着した。

 

特にモダンガールと言われた都会のお嬢さんたちは、アメリカから持ち込まれた洋画に出演している同年代の人気女優たちをファッションリーダーとして手本にしていた。

 

一例を挙げると、当時のハリウッド女優であるルイーズ・ブルックスなどである。

 

(アメリカの人気映画女優ルイーズ・ブルックス)

 

写真にあるように、正にモダンガールの典型と言える姿をしている。

 

彼女の他にもグレタ・ガルボであったり、ワレーネ・デイトリッヒといった人気女優も、モガたちの憧れの存在、アイドルであった。

 

余談になるが、彼女の髪型であるボブヘアーを当時は「キキ・ヘアー」の愛称で呼んでいたが、「キキ」の由来はフランスの画家でモデルでもあるアリス・プランの愛称である「モンマルトルのキキ」から名付けられた。

 

アリスは画家の藤田嗣治(レオナード・フジタ)とも親交があった事でも知られている。

 

(アリス・プランの自画像)


第一次世界大戦の空前の大好景気を経験した日本の都市部に暮らす市民たちは、これまではやや古典的な香りのする欧州の流行が時代の最先端と考え、特にフランスの流行や文化を取り入れていた。

 

しかし、アメリカで同時代に巻き起こった新文化の風が遠く日本にもやって来ると、人々の関心は戦争で荒廃した欧州から新天地アメリカへと移って行く。

 

アメリカから入って来る映画、ジャズ、ダンス、軽快な音楽は忽ちにして若者の心を掴んで離さない。

 

特にアメリカのダンス文化は、これまで日本やアジアには存在しなかった全く新しい文化として大流行した。

 

欧州の民族舞踊や社交ダンスとは違い、アメリカのダンスはジャズの弾む音楽に合わせて軽快なステップで踊るため、若い市民向きの娯楽として大変に人気を博したのである。

 

当時のアメリカや欧州では、若き快活な新時代の女性たちを俗に「フラッパー」と呼んでいた。

 

これまでの古臭い伝統や固定概念に縛られた社会のしがらみに反発し、自由と独立心を抱いて男性社会に反旗を翻した若い女性たちがフラッパーであるが、彼女らはその多くが映画界や芸術文壇、キャバレーや音楽界などに在籍していた為、フラッパーというと当時の社会イメージとしては「軽薄」「じゃじゃ馬」「破廉恥」という言葉が嫌でも彼女らにはついて回っていた。

 

日本におけるモダンガールたちも、フラッパーをアイドルとして作り上げられた新時代の女性像ゆえに、日本においても同様の言葉を投げかけられる場面が少なくはなかった。

 

しかし、時代は大正という新たな時代を背景としていた事もあり、明治という男の時代から大正という女の時代へと徐々に社会も変化を遂げて行くのである。

 

女の時代に生まれるのが、いつの世もファッションと音楽である。

 

大正の日本においても、舶来品の香水や洋装が大流行した。

 

更には婦人雑誌や料理本、高級化粧品、服飾品といった物もこの時代には消費性向が高かった事が分かっている。

 

少々話が長くなってしまったので、この続きは次回も少ししたいと思う。

 

次回は女の時代、大正時代に活躍した女性たちにスポットライトを当ててみようかと思っている。

 

 

今回も長話にお付き合い頂き感謝申し上げる。