「今日はかねて約束をしておいたキリスト教徒の話をきくことにしようかな……。」
 ある日私は新樹を呼び出して、そう話しかけました。
 「承知しました」と新樹は甚だ機嫌よく、「いや、あの日の僕の應接間は大繁昌でした。日蓮信者の菊地老人、既成宗教とはまるで没交渉の僕、そこへ一人のキリスト信者が加わったのですから、ちょっと一種の宗教座談会みたいな感がありました。お蔭で、僕も大へん勉強になりました……。」
 そんなことを前置きしながら新樹は、割合にくわしくその折の状況を報告しました。それはざっとつぎのようなものでした。

 「御免くださいませ。」
 そう言って、玄関に訪ずれたのは、痩せぎすの、きりっとした男性ふうの婦人でした。年齢はざっと三十位でしょう。僕は直ちにこの婦人を應接間に導き入れ、菊地さんと一緒になって、大いに歓迎の意を表しました。
 この婦人は、大へんに交際慣れた人で、すらすらと初対面の挨拶を述べましたが、ただ姓名だけは、僕が訊いても、なかなか名乗ろうとしませんでした。仕方がないから、僕はこう言ってやりました。――
 「こちらの世界では、あるいは姓名の必要がないかも知れませんが、僕は父に頼まれて、一切の状況を通信する責任があるのですから、せめて苗字だけでも名乗って下さい。単に或る一人の婦人といっただけでは、物足りなくて仕方がないです……。」
 「まあ左様でございますか」と婦人は微笑して、「格別名乗るほどの人間ではないので、控えて居りましたが、私は実は櫻林と申すものでございます。生前は東京に住んでおりまして、今から約十年以前に身罷りました。夫も、一人の子供も、まだ現世に残っております。」
 こんなことを語り合っている中に、部屋の空気は次第に和やかになりました。それにしても、地上生活中に一面識のなかった人間が、こちらの世界で、一つの卓子を囲んで話し込んでいるのですから、少々勝手が違い、随分妙だなあと思わぬでもなかったです。」

 話題はやがて信仰問題に向けられました。
 「あなたは、熱心なキリスト信者だと承りましたが」と僕が切り出しました。
 「ついては、あなたの死後の体験を率直にお話しして戴けますまいか。僕などは、何の予備知識もなしに、突然こちらの世界に引越し、従って、最初は随分戸惑いしました。それかといって、既成宗教も随分うそと方便が多過ぎるようで、かえって帰幽者を迷わすような点がありはせぬかと考えられます。どうせ、お互いに死んでしまった人間ですから、この際一つ思い切って、利害の打算や、好き嫌いの打算を棄てて、赤裸々の事実を、現世の人達に伝えてやろうではありませんか。幸い僕の母が、不完全ながら、僕の通信を受取ってくれますから、その点は頗る好都合です。もしも御遺族に何か言ってやりたいことでもおありなら、遠慮なくおっしゃってください。及ばずながら僕がお取次ぎします……。」
 「まあ、あなたはお若いのに、よくそんなことがお出来でございますこと。――いづれよく考えておきまして、お頼みすることもございましょう。――仰せの通り、私どもは堅いキリスト教の信者でございまして、殊に病気にかかってからは.一層真剣にイエス様の御手に縋りました。私のような罪深い者が、大した心の乱れもなく、安らかに天国に入らせていただきましたのは、全くこの有難い信仰のお蔭でございます。実は私は在世中から、幾度も幾度も神様のお姿を拝ませていただきました。一心にお祈りしておりますと、夢とも現ともつかず、いつも神さまの御姿が、はっきりと眼に映るのでございまして、その時の歓びは、とても筆にも口にも尽くせませぬ。そんな時には、私の肉体は病床に横たわりながら、私の魂はすでに天国に上っているのでございました……。」
 「なるほど」と菊地さんは心から感服して、
 「キリスト教も、なかなか結構な教えでございますな。臨終を安らかにすることにかけて、たしかに仏教に劣りませんな。……いや事によると、却ってキリスト教の方が優っているかも知れません。……それはそうと、あなた様の現在の御境遇は、どんな按配でございますか? 生前から、すでに神さまのお姿を拝んだ位ですから只今では、さぞご立派なことでございましょう・・・・。」
 「ところが、こちらへ来て見ると、なかなかそうでないから、煩悶しているのでございます。私が人事不省に陥っておりましたのは、どれほどの期間か、自分には見当もとれませんでしたが、とに角私は誰かに揺り起こされて、びっくりして眼を開けたのでございます。辺りは夕闇の迫ったような薄暗いところで、くわしいことは少しもわかりませんが、ただ私の枕元に立っている一人の天使の姿だけは、不思議にくっきりと浮かんでおります。
 「はて、ここはどこかしら……。」
 ――そう私が心にいぶかりますと、先方は早くもこちらの胸中を察したらしく、「そなたは最早現世の人ではない。自分はイエス様から言いつけられて、これから、そなたの指導に当たる者じゃ……」と言われました。
 かねがね死ぬる覚悟は、できていた私でございますから、その時の私の心は、悲しみよりも、むしろ歓びと希望とに充ちていました。
 私は言いました、「天使さま、どうぞ早く私を神様のお側にお連れ下さいませ。私は穢れた現世などに、何の未練もありませぬ。私は早く神さまのお側で、御用を勤めたいのでございます。」
 ――すると天使は、いとど厳かなお声で、「そなたの見苦しい身を以ては、まだ神のお側には行かれぬ。現在のそなたに大切なことは、心身の浄化じゃ。それができなければ、一歩も上には進めぬ……」とおっしゃられるのでした。
 これが実に私がこちらの世界で体験した、最初の失望でございました。イエス様にお縋りさえすれば、すぐにも神さまの御許へ行かれるように教えられていたことが、嘘だったのでございます。私の境遇は天国どころか、暗くて、さびしくて、どう贔屓目に見ましても、理想とは遠い遠いものなので、それからの私は、随分煩悶いたしました。のみならず、一たん心に疑いが生ずると同時に、後に残した夫のこと、子供のことなどが、むらむらと私の全身を占領して、居ても起ってもおられなくなったのでございます。つまり私の信仰は、死ぬるまでが天国で、後はむしろ地獄に近かったのでございました。
 私を指導してくださる天使さまも、こう言われました。「そなたは煩悶するだけ煩悶し、迷うだけ迷うがよいであらう。そうするうちに、心の眼が次第に開けてくる・・・・・。」
 ――最初は随分無慈悲なお言葉と、怨めしく思いましたが、しかしそれが矢張り真実なのでございましょう。私は天使様の厳格な御指導のお蔭で、近頃はいくらかあきらめがつき、一歩々々に、心身の垢を払おうと考えるようになりました。」