新樹の第三度目の伊勢神宮参拝は、ほんの最近のもので、この時は乃木大将と同行しました。
 昭和6年正月元旦――この日は午後から雪で、年賀の客も杜絶え、いかにも落付きがよかったので、私は新樹を呼び出して、こんな事をいいつけたのであります。――
 「今日は元旦であるから、この際もう一度伊勢神宮参拝をやってもらいたいと思うが、それについては、今度は一つ、乃木さんをお誘いしてみてはくれまいか。是非御同行をお願いしたい――と言ったら、乃木さんはきつと承諾されるに相違ないと思うが……。」
 すると間もなく新樹からの返答があった。――
 早速乃木さんにその旨を通信しましたが、乃木さんは非常なお喜びで、こんな御返答を寄越されました。
 ――「私は生前は度々伊勢神宮へお詣りをしたものだが、こちらの世界へ来てからは、お詣りどころか、まだそんな気分にさえなれなかった。あんたは実に良い事を教えてくださった。そう言われてみれば、私も是非お詣りをしたくなった。自分の方がずっと先にこちらの世界に来ているのに、後の烏に先になられて、何とも面目ない次第である……。」
 そんな御返答なので、僕は早速乃木さんと御同行する事に話をきめました。ではこれから出かけてまいります……。

 それから約10分の後に、新樹から報告がありました。乃木さんという新顔が加わっているので、同じ参拝でも、よほど趣の異なった箇所がありますから、多少の重複を厭わず、そっくりそのまま載せることにします。――

 乃木さんという方は、平生からあんな謹厳な方でありますから、この度の伊勢神宮参拝ということについては、よほど心を引きしめて、ちゃんとして出掛けなければならないということになりまして、軍人ですから矢張り軍服……例の青味がかったカーキ色の服に、長剣をさげて行かれました。僕ですか……僕はいつもの通り、さっぱりした洋服です。
 道すがらも、乃木さんの控え目にされているのには、僕はとても恐縮してしまいました。どうしても乃木さんは、僕に先に立てと言われるのです。
 「私が先に亡くなったというても、こんなことはまた別じゃ。あなたの方から誘われたのじゃから、どうか案内してください。」
 僕はさまざまにお断りしたが、どうしても乃木さんは聞き入れてくださいません。仕方がないから、僕が先に立って案内役をつとめる事になりました。
 「伊勢神宮の模様は、以前と少しも変わりません。例の小砂利を敷きつめた境内、しんしんとした大木の森、白木造りのお宮……とても素的です。乃木さんはあたりを見回して、こう言われました。――
 「大分こりぁ模様が違う。現界のお宮も結構じゃが、こちらの世界のお宮はまた格別じゃ。何という御質素さ――何という神々しさであろう。私は近頃こんな結構な、すがすがしい気分に打たれたことがない。これにつけても、こちらの世界は矢張りこちらの世界だけのことがあると思う。敬神といっても、現界の敬神とはまたわけが違うようじゃ。」
 いかにも感激に堪えないといった面持でした。
 僕達はいよいよ御神前に達して礼拝をすましましたが、その時僕は乃木さんに言いました。――
 「あなたはここにお祀りしてある神様に、お目にかかられたことがおありですか?」
 「いや、まだそんな・・・・・・」と乃木さんは非常にたまげたご様子で、「自分などの境涯で、そんな事は思いもよらぬ事じゃと思うていたが……。それとも浅野さん、このお宮では、神様にお目にかかる事ができますか?」
 「いや実は僕も最初そんな事はできないものと考えていましたが、父から言われて、お宮の前でその事を念じましたら、すーっと神々しい女神のお姿がお現われになり、非常にびっくりしたことがあるのです。その後も一度、母の守護霊と同道で参拝して、お姿を拝みました。甚だ差出がましいようですが、折角ご同道したことですから、僕が一つ神さまにお出ましを願い、あなたにも拝見できるようお許しを願いましょう。」
 乃木さんはいよいよびっくりし、
 「そんな事ができるものなら、浅野さん、是非そうしてください。」
 そこで僕は御神前に額づいて、誠心こめて神さまに祈願しました。――
 「今日はこの方をお連れいたしましたから、度々のことで恐れ入りますが、何卒神様のお姿を拝ましてください……。」
 御所願を終えるか終えない中に、忽ちお宮の後方の一段高い所――前には立木の茂みの中でしたが、今日はそれとは違って、何もない虚空の一端に、いつもと同じく、白衣を召された女神のお姿がお出ましになりましたので、僕は乃木さんに
 「早く拝むように……」と通知しました。
 そうすると乃木さんは、はっとしてしまって、急いで、というよりもむしろ慌てて、低く低くお辞儀をしてしまいました。
 「乃木さん、拝みましたか?」僕は気にかかるので、下方を向いたまま訊ねますと、
 「拝みました……。何とも有難うございました・・・・・・。」
 という返答です。
 再び上を仰いだ時には、もう神様のお姿は消えていました。何分乃木さんの喜び方は非常なもので、「大へんに結構なことをさせて戴いた」と言って、涙を流して僕にお礼を言われます。僕は乃木さんに言いました。
 「僕にお礼なんか御無用です。幽界の居住者として、これしきの労をとるのは当然の事ですから……。今後も折があったら、またどこかへ御案内を致しましょう。また僕の知らないところは、どうか御指導をして下さるように……。」
 僕は乃木さんといろいろお約束をして、実に良い気持でお別れしました。乃木さんという方は、あんな老人で、生前地位の高かった方だから、僕を子供扱いにでもするかと思っていましたのに、かえって僕を先輩扱いにしてくれるので、僕は実に恐縮してしまいました。連れ立って歩いても、甚だ気持のよい方で、今後もあんな風の人と一緒に出掛けたら、面白いだろうと感じました・・・・・。」