問「幼少で死んだものが幽界でどんな生活をしているか、ひとつその実況を見てきてくれないか?」
 答「承知しました。ひとつお爺さんに頼んでみましょう。――(5, 6分の後)只今見せてもらいました。赤ん坊でも、小さいながら、われわれと同様、修行させられて、心も姿も発達するのですね。地上の子供のように迅速ではありませんが、矢張り、あのような具合に大きくなるのですね。僕の行った所では、50歳位の婦人たちが2, 3人居て、その人たちが子供たちの世話をしていました。子供の人数ですか――人数は5, 6人で、3歳から4, 5歳位の男の子と女の子が一緒にいました。抱かれたり、何かしている様子は現世と少しも変わりません。場所はあっさりした家の内部ですが、どうもこちらの家屋は、どれもみな軽そうに見えます。ずっしりとした重そうな趣がなく、何やら芝居の道具のような感じがしますね。僕はお爺さんに向かって、この子供たちが学校へ行く年齢になればどうなるのか、と尋ねてみましたら、お爺さんは早速僕を学校のような場所へ連れて行って見学させてくれました。一学級の生徒は20人位で、やはりここでも男女共学の教育をしていました……。」
 問「他にもクラスがいくつもあるのだね?」
 答「いろいろのクラスに分れています。何を標準として学級を分けるのかというと、それは受持の教師のする事で、主として子供が死ぬ時に、因縁によって導いてくれた神とか仏とかに相談して、充分に調査の上で実行するらしいのです。もっとも宗教的区別などはある程度までの話で、上の方に進めばそんな区別は全く消滅するそうです。」
 問「科目はどんなふうに分れているか?」
 答「現世とは大分違いますね。算術などは全く不必要で、その他、地理も歴史もありません。幽界で一ばん重きをおくのは矢張り精神統一で、これをやると何でもわかってくるのです。音楽だの文芸といったようなものも、子供の天分次第でわけなく進歩するようです。学問というよりもむしろ趣味になるでしょう。趣味があればいくらでも進歩しますが、趣味がなければまるきり駄目です。ですから子供たちは一室に集まっていながら、彼らが学んでいる科目はそれぞれに違います。」
 問「生徒たちの服装は?」
 答「皆まちまちで一定していません。帽子などもかぶっていませんでした。」
 問「書物だの、黒板だのもあるか?」
 答「皆ひと通り揃っています。子供が質問すれば教師はそれに応じて話をするらしく見えます。」
 問「教師はどんな人物だったか?」
 答「30歳前後の若い男でした。お爺さんに聞いてみると、この人は生前に子供を持たなかった人だそうです。つまり生前に子供の世話をしなかった埋合わせに、幽界で教員をやりたいう当人の希望が、神界から聴き届けられたわけなんだそうです。で、僕なんかもその部類に属しはしませんか、と試みにお爺さんに聞いてみたら、お爺さんはただ、そうだなあ、と言っていました……。」
 問「話しは少し後戻りするが、赤ん坊が死んだ時にはどういう具合でいるものなのか、ひとつ世話役の婦人にでも聞いて貰えまいか?」
 答「承知しました。――女の人はこう答えています。赤ん坊は少しも浮世の波にもまれず、従って何等の罪も作らずに現世を去ったのであるから、神さまのほうでも、ごく穏やかに幽界に引き取ってくださる。つまり現界から幽界への移りかわりがなだらかで、そこに死の苦痛も悲みもなく、殆んど境遇の変化を知らずに、すらすらと生長を続けるのだという話です。長く地上に生きておれば、自分ではその気がなくても、知らずしらずに罪をつくりますが、赤ん坊にはそれがありません。赤ん坊が楽なのは当然だと僕も思いますね。へたに中年で死ぬより赤ん坊で死んだほうが幸福かも知れない……。」
 問「赤ん坊は乳を飲みたがりはしないか?」
 答「最初は保母が乳房をふくませるそうです。もつとも、乳が出るわけではなく、また乳を飲む必要もない生活なので、子供のほうでもだんだんその欲望がなくなってくるそうです……」
 問「幽界の子供の発育が遅いのは何故だらう?」
 答「子供の発達には矢張り現世の生活の方が適当なのでしょうね。幽界でも生長することはしますが、現世にくらべるとずっと遅いということです……。」